132

「わしは、徳川殿を手厚く持てなすようにと、命じたはずだ」


「上様、お言葉ですが、そのように致しております」


「貴様、わしに楯突くのか!徳川殿の接待役の任は解く、羽柴秀吉を援軍せよ!」


「羽柴殿の援軍!?上様、それはあまりにもご無体な仕打ち。誠心誠意、徳川殿をもてなしておるではないか!」


 主君に楯突く光秀を、蘭丸が羽交い締めにしする。畳に額を擦り付けた光秀は、信長を睨みつけた。


 光秀にとって秀吉は、織田一門でありながら、帰蝶とのことを信長の耳に入れた張本人であり、いずれは天下人を目論む敵対関係でもある。


 光秀の瞳の奥にメラメラと怒りの炎が燃え上がる。


「蘭丸、明智殿に無礼であるぞ。手を放さぬか」


 あたしは蘭丸から光秀を解き放ち、信長に頭を下げ光秀を部屋から連れ出した。光秀は憤慨していたが徐々に冷静さを取り戻し、あたしに詫びた。


「平手殿、お見苦しいところをお見せし、申し訳ござりませぬ」


「明智殿、ご不満はございましょうが、上様は中国攻め(毛利征伐)が思うようにいかず、焦っておられるのです。明智殿のお力が必要であると判断され、心を鬼にし、羽柴軍の援軍をせよと命じられたのです」


「平手殿、そなたは我らの気持ちをくみ取りいさめ、上様のために尽力するように諭される。於濃の方様が申される通り、才知にたける武将だ。そなたのように懐大き人間なら、わしも上様に嫌われることもなかったに。わしは不器用な人間ゆえ、臨機応変に対処出来ませぬ」


「明智殿……」


「上様のお怒りはごもっともでございます。正室であらせられる於濃の方様のことを、心の中でお慕いしているのですから。されど……羽柴殿の援軍だけは……」


 帰蝶への想いを口にした光秀に、あたしの胸中は複雑だった。


「明智殿、どうかこの俺に免じて、中国攻めに向かって下さい。於濃の方様も上様とのいさかいは望まれていないはずです」


 光秀の赤く燃える瞳から……

 怒りの色がスーッと消えていく。


 気持ちを落ち着けるかのように小さく深呼吸し、口元を緩めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る