107


 帰蝶は一瞬目を見開いたが、すぐに優しい眼差しとなりあたしを見つめた。


(わらわは美濃国の出ですが、それが何か……?)


「於濃の方様は声だけではなく、幼少のご記憶を無くされたのではございませぬか?」


(幼少とな?病にて声は無くしましたが、わらわは斎藤道三の娘、帰蝶です)


 記憶は無くしていない?


「於濃の方様は右肩に……」


 帰蝶は不思議そうに首を傾げた。

 帰蝶が嘘を吐いているようには思えなかった。


 これ以上詳細を話すと、あたしが女であると白状しなけれぱならない。


 それだけではない。


 帰蝶の黒子は信長しか知り得ない秘密。

 それを口にすることは、信長とあたしが通じていることを意味する。


(紅?どうかしましたか?)


「何でもござりませぬ。右肩に糸屑が……」


 あたしは右肩に手をやり、さも糸屑があったかのように取り去る。


(ありがとう)


「美濃国はとてもよいところだと聞きました」


(はい。美しい国でございます)


 庭を見つめ、優しく微笑む帰蝶が……

 姉の面影と重なったが、それ以上問いただすことは出来なかった。


 ――1568年(永禄11年)

 信長は天下統一に向け上洛し、木下藤吉郎秀吉きのしたとうきちろうひでよし丹波長秀にわながひでらとともに、人物に京都の政務を任せた。


 その人物とは……

 帰蝶と情を通じた明智光秀だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る