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 「御殿様の御帰還でございます」


 “足利義昭あしかがよしあきを第15代将軍に擁立した信長は尾張に帰国した。”


六条合戦で功績を上げた明智光秀は、この頃から足利義昭の家臣でありながら、信長に仕えた。


 あたしには、帰蝶と光秀の関係に薄々勘付いていた信長が、快く光秀を迎え入れたとは思えなかった。


 日本の歴史に詳しくないあたしでも、本能寺の変だけは知っている。その本能寺の変で信長がどのような末路を辿るのかも知っている。


 じわじわと信長と光秀の距離が縮まり、これ以上、光秀を信長に近づけてはいけないと、気持ちは焦るが回避する手段は何ひとつ思い浮かばない。


 帰蝶や奇妙丸のためにも、必ず阻止しなければ……。


「紅、紅はおらぬか。たった今、戻ったぞ」


「殿、お帰りなさいませ。お話がございます」


 意気揚々と城に戻った信長に、あたしは奇妙丸の傅役を解いて欲しいと願い出た。信長は苛立ち、あたしを見据えた。


「なぜだ」


「俺も合戦に加わりたいのです」


「女が合戦に加わるのは足手纏いだ。それがまだわからぬのか」


 信長はあたしに冷たく言い放った。

 足手纏いなのはわかっている。

 それでも……信長の傍にいたい……。

 でもその願いは、叶わなかった。


 ――この頃から、信長は常軌を逸する行動を取るようになる。まるで悪魔に取り憑かれたように、あたしの忠告も重臣の忠告も耳を貸さなくなった。


 信長の心を鬼と化しているものは、紛れもなく光秀に対する怒りであると確信する。


 ――1571年(元亀2年)

 “信長は、朝倉、浅井に味方した比叡山延暦寺を攻め、火を放ち焼き討ちにした。”


 それはあたしにとっても、帰蝶にとっても、受け容れがたい衝撃的な出来事だった。

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