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「斎藤道三亡きあと、明智光安の元に於濃の方様を帰された織田信長殿に、於濃の方様をお連れするのも意に反するのではないかと思い、この光秀が暫くおあずかりしておりました」
光秀の苦しい言い訳に、信長は眉をしかめ鋭い眼差しを向けた。
「斎藤家より仕えし侍女の多恵に、織田信長殿が於濃の方様の行方を捜しておると聞き、取り急ぎ参上した次第でございます」
信長はゆっくりと帰蝶に視線を向けた。
「帰蝶よ、息災でなによりじゃ。よくぞ、戻って参った。これは嫡男奇妙丸だ。いずれは織田家の家督を継ぎ天下人となるであろう。奇妙丸をそなたの養子と致す所存だが、どうだ」
(殿、有難きお言葉。喜んでお受け致します)
「明智光秀殿、帰蝶は我が織田信長の正室なり。これまでの温情、礼を申す。大儀であった」
信長は光秀や帰蝶を咎めることもなく、スクッと立ち上がり振り向きもせず退室した。一見寛容な態度に見えたが、その心中は計り知れない。
奇妙丸は直ぐさまあたしに駆け寄り抱き着いた。
あたしは奇妙丸を帰蝶のもとに連れて行く。
「奇妙丸様、於濃の方様ですよ。今日より奇妙丸様の母上様です。母上様は声が出せませぬ。この紅が、母上様の声になりまする。紅の声は母上様の声でございます。よいですね」
「母上様は声が出せぬのですか?兎のようでござりますね」
奇妙丸は愛らしい眼差しを帰蝶に向け微笑む。
「父上様はライオンなのですよ。百獣の王でございます。母上様が兎ならば、父上様に食べられてしまいます。動物の世も人の世も弱肉強食なのです。紅、そうであろう」
帰蝶は奇妙丸の言葉にクスリと笑う。
(今日から、わらわがそなたの母です。父上は優しいお方。わらわを食べたりは致しませぬ。わらわを母と思い甘えてよいのですよ)
「紅、母上様が何と申しておるかわからぬ……」
奇妙丸はあたしに視線を向け戸惑っている。
「父上様は優しいお方だと申されているのです。母上様に甘えてもよいのですよ」
「はい。宜しくお願い申し上げます」
(奇妙丸は、よい子じゃ……)
帰蝶は奇妙丸を両手で抱き締め、瞳を潤ませた。
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