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――1553年(天文22年)
この戦国の世で、あたしの唯一の味方であり、信長の
その数日前、平手はあたしを部屋に呼び『女の身でありながら、過酷な運命を背負わせたことを、許してくれ』と詫びたが、あたしは平手の真意が汲み取れず一笑した。
平手は真剣な眼差しでこうも告げた。
『信長様が家臣の中で心を開いておるのは紅だけじゃ。信長様を恐れず意見出来るのも紅だけじゃ。これからは信長様の良き相談相手となってくれ』
『俺にはムリムリ、信長様を諌めることができるのは平手殿しかいないよ』
あれは……平手の遺言。
きっと平手は……
その頃から、自刃することを決めていたんだ。
あたしは平手の側にいながら、平手の命を救うことが出来なかったことに、深い自責の念にかられた。
平手の死は、子息である五朗右衛門と信長の確執に対する
あたしの秘密を知る唯一の味方。
平手の死により、あたしを
自室で号泣するあたしに、家臣の前では気丈に振る舞っていた信長が感情を露わにし涙を流した。
この数年信長と帰蝶の関係に変化はなく、夫婦関係は一度もないまま長い時を経た。平手が亡くなったあとは、寝所を共にすることもなくなり、2人の間に子供を授かることはなかった。
――
兄弟が暗殺を目論む戦国の世。
信長もまたそれを見過ごすはずはない。
“信長は
あたしは戦国の世の厳しさを知る。信長の無事を喜ぶものの、無慈悲な戦いは地獄絵図でしかなかった。
あたしは争いごとから逃れ帰蝶の側に仕え、共に過ごす。口煩い多恵や侍女とも打ち解け、気を抜くと女に戻ってしまいそうなくらい、穏やかな日々を過ごしていた。
帰蝶の声は失われたままだが、信長との関係も決して悪くはなく信頼関係は築かれているようにも思えた。
帰蝶は読み書きが出来るとのことだったが、信長やあたしの前で筆を持つことも、本心を語ることもなかった。まるで置物の人形のように、帰蝶はあたしの前で笑みを絶やさなかった。
◇
――1556年(弘治2年)
戦国の世にタイムスリップし8年の時が流れた。信長は少年から青年へと成長した。
不思議なことに、あたしはタイムスリップした時と何ら変わることはなく、信長のようにありありと体つきが変化することはなかった。
まるで時計の針だけがくるくると高速回転するように、未来から戦国時代に迷い込んだあたしは時の流れから取り残され、この戦国の世で歳を取ることはなかったのだ。
平手の死後、あたしの心の支えは帰蝶の優しい眼差しだった。姉と似ている帰蝶を疎ましく思うのではなく、いつのまにか実の姉のように慕うようになっていた。
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