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――その日より、あたしは帰蝶の隣室で寝起きをし、常に側に仕えることとなった。
『子をなせばよいのだな』
そう断言した信長だが、その後も帰蝶と寝所を共にすることはなかった。
いつも優しい笑みを絶やさない帰蝶だが、信長の前では怯えたように顔を強張らせた。
――帰蝶に仕え、数日が経過。
天井に人の気配を感じ、刀を構える。
「紅殿、くせ者ではございませぬ。あれは斎藤家の忍びでございます。帰蝶様を陰より見守っておるのです」
「忍びとな?頭の黒い鼠か……」
「はい。もうよい、このお方は帰蝶様の護衛じゃ。向こうにゆけ」
多恵は天井を見上げ声を掛ける。多恵の一言で人の気配は失せる。
斎藤道三が輿入れした帰蝶に忍びをつけるとは。帰蝶を見守っているのではなく、織田家の動向を見張っているのだろう。
油断も隙もない奴だ。
帰蝶が湯に浸かっている間に、あたしは多恵に問い掛ける。
「多恵、於濃の方様は信長様の前では、体が震えているように思われたが、なにかあったのか?」
「紅殿。ここだけの話でございますが、帰蝶様は病が治られた頃より、様子がおかしいのです。家臣が近付くだけでガクガクと身震いされ、殿方に怯えておるようじゃった。帰蝶様が平常心を保てる殿方は、明智光秀殿とそなただけでございます」
「家臣が近付くだけで身震い?」
「病に伏せる前の帰蝶様は明るく活発で、家臣をやり込めるほど元気な姫様でございましたのに。長き病で人柄まで変わられてしもうた。病で声が出せなくなり、無理もござりませぬ。
婚儀のお相手が、あの大うつけとなると、女ならなおさらのこと。触れられとうもない」
多恵は眉をひそめ、矢継ぎ早に信長の悪口を吐き出す。
「於濃の方様が男嫌いとは。クククッ、これは愉快だ」
「これ、紅殿。大きな声で笑わないで下され」
「女好きの信長様が、正室に手が出せないとは、滑稽ではないか」
「シーッ、紅殿、誰かに聞かれては困りますゆえ、お静かに。されど、滑稽でございますね。クスクス」
「なにが滑稽なのだ!」
襖が開き、信長が姿を現す。
その眉はつり上がり、明らかに憤慨している。
多恵は慌てて平伏し、畳に額を擦り付けた。
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