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「鑑賞するには綺麗な紫の蝶よのう。蝮の娘とは思えぬ美しさ。されど美しいだけでは、女とは言えぬ」


 信長は帰蝶に顔を近づけ、長い指で顎を持ち上げた。帰蝶は動揺し視線を逸らした。


「鳴かぬなら、殺してしまえ」


「信長様!」


 信長の狂気。

 信長なら、やりかねない。


 あたしは信長と帰蝶の間に割り込み、信長を睨みつける。


「紅、何を慌てておる。このわしが帰蝶を殺すと思ったか?そんなことをするはずはなかろう。帰蝶は大事な人質だ。斎藤道三が謀叛を起こしたならば容赦しないが、それまでは籠の鳥の如く餌を与えて生かすまで」


「信長様、たった今、この紅は於濃の方様の護衛を任されました。たとえ信長様であろうとも、於濃の方様に危害を加える者は、この紅が容赦致しませぬ」


「はっはっはっ、これは面白い。家臣の分際で、このわしを成敗するとな。小賢こざかしい。誰のお陰で命拾いしたと思っておるのだ!」


 信長は腰の刀に手を掛ける。


「これ、これ、信長様。紅の申す通りでございます。暴言にもほどがありますぞ。祝言をすまされたからには、於濃の方様には一日も早くお世継ぎを生んでいただかねばなりませぬ。女のもとで世を明かし、朝っぱらから酒を煽り、正室を愚弄ぐろうするなど言語道断!刀を納めよ!」


 平手にピシャリと叱咤され、信長は抜きかけた刀をさやに収めた。


「わかった。子をなせばよいのだな」


 信長は脅すように帰蝶に眼差しを向ける。帰蝶は視線を泳がせ口をキュッと結ぶ。膝の上に組まれた美しい手が、微かに震えていた。

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