第3話

 ちゃぶ台に並べられたチャーハンや野菜炒めといった賄い料理を四人でたいらげるのは、毎日ではないにしろ俺達の変わらない日常であった。いくら俺の日常を上書きしたところで、それは決して変わることのない日常である。

 夜の帳が下り、より一層吹き付ける風が強くなり窓は雨の打ち付けに悲鳴をあげる。

 吟は風呂に入るといい、バックから着替えを取り出し撫子を連れて風呂場に消え、居間には俺と薫が取り残された。薫はどことなく、気まずそうだった。日中の引退やら復帰やらの話題を出してしまった後悔が薫の中から滲み出ているようだ。その話題にそこまで言葉数を重ねたわけでもないし、第一に当事者である俺は全く気にしていないのでとくに問題はないのだが、この空気は問題であった。こっちまで居心地が悪くなり、気まずくなってくる。はて、俺はどうしたらいいのか。

 俺と薫の間にある沈黙は、台風による雨風の音と、脱衣所から聞こえる桃色の声で満たされる。

 ……やはり何かした方がいいな。年上として俺から切り出し、気にしていないと一言言えばいい。

「薫、その……引――」

「「ぎゃああああああああああああああ!!」」

 俺の声は風呂場から聞こえる悲鳴にかき消された。薫も怯えた様子で風呂場の方向と俺を交互に見ていく。俺も何が起きたかわからず、ただ目を開き固まった。風呂場から微かに「大和ぉぉ」と吟の怒りに満ちた声と「にいちゃ……」と啜り泣く撫子の声が聞こえる。

「ど、どうした!?」

 取りあえず叫んでみる。

「大和ちょっと来い!」

「にいちゃ……」

 状況に変化なし。

 俺は躊躇いながら居間を出て風呂場のドアの前に行く。

「大和!」

「なんだよ? どうなったんだよ? 状況くらい説明してくれ」

 刹那、ドアが開き胸倉を掴まれ背後の壁に叩きつけられる。そしてそのまま壁に押さえつけられる。とんでもない力で持ち上げられ足が床につかず、首が絞まる。

 これはまずい! 俺は必死に足をばたつかせ、腕をタップする。瞬間胸倉から手が退けられ俺は床に崩れ落ちる。咳き込みながら朦朧とする視界を左右に動かす。居間の扉のところで薫が恐怖に苛まれた表情をし、震え上がる身体の半分を扉に隠している。

 今度は視界を上下に動かす。そこにはバスタオルを巻き、髪も身体も濡れた吟が立ち尽くしていた。撫子もタオルを巻いて風呂場から出てくる。本来こういったシュチュエーションは男子たるもの喜ばしき事態。しかし今更幼馴染と妹の裸を見たところで何も感じない。もしかしたら少しはやましい気持ちになっていたのかもしれないが、吟が放つ眼光で慄然する俺には認知することはできなかった。

「どう……しましたか?」

 自然と敬語になる。

「にいちゃ……お湯が出ない……」

 問いに答えたのは撫子だった。つまりあれだ。本来お湯が出るはずのシャワーから冷水しか出てこず、二人して頭から被ったのだな。なるほど、納得がいった。

 つまり、遂に給湯器もいったか。

 冷蔵庫に洗濯機と相次いで殉職した我が家の電化製品。その第三の被害者は給湯器か。

 我が家には新しいのに買い換える金はもちろん、修理する金の余裕もない。故に食べ物を買ったらその日のうちに食べ、日を跨ぐのは禁止、生物は論外。洗濯は各自風呂に入る時に洗濯板で洗う。これが我が家のルール。今度は給湯器、一体どんなルールを追加すればいいのやら。その前に今現在、目の前の状況を何とかしなければならない。

「給湯器壊れちゃったみたいだ。アハハ。だから風呂は諦めて」

 笑って誤魔化した瞬間、俺のみぞうちに振り子のように遠心力をまとった吟の爪先が炸裂した。泣き叫ぶ薫といろんな意味で泣き叫ぶ撫子がそこにはいた。

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