第2話

「また負けた!」

 正確な築年数が不明な木造アパートの二階にある1Kの我が家に、声が響く。

 それは我が妹、撫子の敗北の嘆きだった。

「にいちゃのデッキ弱い」

 学校からの帰宅早々そんなことを言われるのは、実に癪である。ちなみに「にいちゃ」とは「お兄ちゃん」が縮むに縮まった結果であり、撫子流の兄の呼び方である。

「そんなことないですよ。大和兄さんはこの地区では無双の強さを誇っていました。その大和兄さんのデッキです。弱いわけないです」

「……薫、来ていたのか」

 居間の中央には四角いちゃぶ台があり、撫子の対面には撫子の親友、上野薫が座っている。

薫は中性的な顔立ちと華奢な体付きのため、見た目での性別の判断が難しい。薫という名前も男の子につけても女の子につけても違和感がないので、初対面で薫の性別を見破るのは至難の業である。一応男の子らしいが。

確か二人は小学校に上がるか上がらないかのとき、病院で知り合ったと思う。撫子は母さんのお見舞いで、薫は入院患者として。退屈な院内で偶然出会い、共に院内で遊び、そして母さんの死を嘆いた。薫の退院後も関係が続き今日まで常に二人は一緒だった。撫子にとって楽しいときも悲しいときも一緒だった、最高の幼馴染で親友なのだ。

「にいちゃおかえりー」

「おかえりなさい。大和兄さん」

 俺 は居間の扉を閉め、扉に一番近い場所に座りちゃぶ台の上に視線を落とす。ちゃぶ台には長方形の紙片が何枚も置かれていた。

 二人が興じていたものは近年流行りのトレーディング・カードゲームだった。

「大和兄さん、撫子ちゃんが兄さんのデッキが弱いって言うのですけど、そんなことないですよね? 現に誰も敵わないわけですし」

「いや弱いよ。俺のデッキなんてお前らのいらないカードを寄せ集めて組んだデッキだぞ。レアカードなんて一枚も入ってない。要は使い方の問題だ。頭だよ、頭。頭の使い方で最強カードになったり最弱カードにもなったりするもんだよ」

「なるほど兄さん、勉強になります。撫子ちゃんは頭使っていないから弱いのですね 」

「そうそう俺があげたデッキで負けたからって俺の所為にするのは筋違いだ」

「……みんな私のことバカだって言ってる」

 俺と薫の会話に撫子が頬を膨らませながら話の腰を折る。

「そんなに言うならにいちゃが使えばいいじゃない。あげるって言ったんだから返してって言っても返さないからね」

「言わないよ。俺は引退した身だからね。それは撫子のものだ。なんだったらデッキの中身を自由に組み替えてもいいんだぞ」

「……大和兄さん、復帰する気はないのですか?」

 薫は俺の反応を伺いつつ、やや怯えながら尋ねてくる。

 復帰か。それはないな。

中学三年生にもなってカードゲームな んて、同年代の奴には恥ずかしくて言えないし、今は十月で半年経たないうちに中学を卒業するため、そんなことしている場合ではない。だから俺は引退して保有する全てのカードを撫子にあげた。

それでも薫は俺にカードゲームを続けて欲しいと願っている。薫にとって俺たち兄妹との強い繋がりでもあるから。

「復帰する気はねーよ。お前ら弱くて相手にならねーし。そもそも俺中三で受験あるんだよ。遊んでる場合じゃねぇ」

「にいちゃ勉強してるところ、見たことない」

「バカ、撫子がいない時に勉強しているんだよ」

「私の方が早く家に帰ってくるし! にいちゃがいるとき撫子も家にいるよ」

「あれだ、登下校時に勉強している 」

「……嘘ばっか」

 撫子のじっとりとした目で俺を睨む。

 薫も俺たち兄妹のやりとりを見て笑みを浮かべる。

「とにかく、俺はもうこういうカードゲームはやらないの」

 いつまでも遊んでいるわけにはいかないのだ。これからは、これからのことを考えながら生きていかなくてはならない。とくに両親不在で貧しいので、稼がなければならない。高校受験して普通の高校もしくは夜間の高校か、高校にいかない選択肢もある。何にせよ、中学を出れば雇用してもらえるところはある。撫子のためにもこれからは、ちゃんとしなければならないのだ。

「そうですか……」

 薫は声のトーンを落とし、呟く。

 薫は 人の僅かな表情の変化に敏感に反応する。ときどき人の心を読んでいるのでは? と思う節がある。きっと今も俺の些細な表情から何かを感じ取り、察してくれたのかもしれない。……もしかしたら、俺が思いっきり哀愁を振り撒いていたのかもしれないが。

「じゃあ三人でできる遊びしよう」

 撫子は薫と違い鈍感なところがある。俺の心情を察しもせず、俺の言葉を「今は」「この」ガードゲームで遊ばない、と捉えたみたいだ。

「そですね。そうしましょう。大和兄さんここにトランプがあります」

 薫は服の胸ポケットからトランプの箱を取り出す。何故そんなものを持ち歩いている。

「やったぁ! 大富豪しよう」

「……まあ、い いか」

 こうして俺らはトランプで大富豪をすることになった。三人しかいないので格付けは富豪、平民、貧民で俺は常に富豪で、撫子と薫で平民と貧民を入れ替えるだけのゲームになった。

 俺はカードの引きが強いというか、カードが絡むと運がよくなる……気がする。それはトレーディング・カードゲームに限らず、トランプや花札などでも己の強運を発揮する。ゲームだけでなく道端でポイントカードを拾う機会多数、ひどいときはクレジットカードを発見することもあり、さらには違反していないのに駐輪場で違反カード貼られることもある。ここまで来るとある種、カードというものに愛されている様な錯覚を覚えてしまう。

「にいちゃ、外暗くなったね」

< div> そんなこんなで、第何回目かわからない大富豪を開始したとき、撫子が窓を眺めながら言う。俺は席を外し、窓を開けて空を見る。

「こりゃ……雨雲か?」

 天上に埋め尽くされる暗雲、髪を掻き乱す強風。これは雨どころではなく、嵐が来そうな気配を空は醸し出していた。

「薫、お前家に帰れるか?」

 強く降り出す前に薫を送り出さないと。場合によっては、撫子に留守番させて俺が薫を送り届けなくてはならないかもしれない。

「まだ午後六時ですし大丈夫です」

「小学生の六時はもう夜だろ。いいから薫、帰る支度しろ」

 俺は念のため薫に傘を渡そうと思い、玄関の傘立てに向かう。果たして人様に貸し出せる 様な傘はあっただろうか?

 居間を出たところで鉢合う人物がいた。

「おーす、大和いる? 出前だよ」

「……人の家の玄関に上がってから不在かどうか確認するな」

 デニムのショートパンツを穿いて健康的な生足をだし、その上に業務用エプロンを装着した一つ上の幼馴染、宇佐吟が銀色の出前箱を持って立ち尽くしていた。

 以前は俺よりも漢らしい、典型的な体育会系女子だった吟なのだが、この一年で色っぽくというか、可愛くなったというか、急に大人な女っぽくなった。これが思春期というこのなのだろうか? それとも男を知ると女に目覚めるという俗説が、吟の身にも起きたのだろうか? そうすると相手は誰? まあと にかく俺には関係ない。きっと吟も俺の思春期の変化に気づいているだろうし、お互い様だろ。

「うっさいな! せっかく賄い持ってきたのに、夕飯いらないの!?」

 ただ言動は変わらず昔のまま。

「すみません、ごめんなさい吟様。」

 幼馴染の実家、ラーメン屋「麺喰軒」の賄い料理は我が家にとって生命線である。俺が吟をからかって夕飯にありつけられなかったら撫子に申し訳ない。撫子のためにもここは一旦身を引こう。ちなみに、実家の名前から、吟は「面食い」という噂が流れ、男子からからかわれたのは記憶に新しい。

「そう? お行儀がいいじゃない」

 吟は、誰からも好かれるような笑顔をしながら、空いている方の手 で拳を作っていた。非常に恐い。

吟は問題事を全て武力で解決する。「面食い」の噂でからかった男子が、悲惨な末路を歩んだのは言うまでもない。それだけではなく、数々の美談を血塗の結末に変えてきたのも吟の仕業。所謂、この街の恐怖の象徴と言っても過言ではないだろう。

「さ、飯飯。ほら、突っ立ってないで飲み物くらい用意しなさいよ大和」

「待て吟。ここで食っていくつもりかよ」

 出前箱を持ったまま部屋にズカズカ上がり込んでくる吟を俺は制止しようとした。

「いいじゃん。それに台風酷くなりそうだし、今日は大和の家に泊まるし」

 泊まる? よく見ると、吟は出前箱の他にショルダーバックを肩に下げていた。 それよりもっと気になるワードが吟の言葉から出た。

「待て、台風ってなんだ?」

「知らないの? 今夜、都内に台風上陸するみたいだよ。これから雨風酷くなるって」

 ……なんだって?

 俺の家にはテレビもラジオもないし、当然の如くネット環境もない。台風情報なんて何も知らなかった。

「薫、家に帰るの、諦めようか」

 俺は振り向き薫に冷静で尚且つ冷淡にそう告げた。

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