第20話 いざ、悪魔の森へ
太陽が昇る前に街を出て、草原に囲まれた平地を馬車で進みます。
荒れ地を荷車が何度も通ってできたような道なので、馬車が激しい音を立てて揺れました。
「クランベル。投薬治療と言っていたが、具体的にはどうするんだ?」
アグラさんの質問に答えるため、私は肩掛けの救急箱から治療に使う薬の玉を取り出しました。
パクリン菌感染症は、予防薬と治療薬の両方が確立されています。予防薬は兵士のみなさんも私たちも服用済みで、私が取り出したのは治療薬のほうです。
私は右手の人差し指の先端に魔力を集め、左手で摘まんだ薬の玉に向けて放ちました。そして、玉を摘まんでいた指を離します。玉は青白い魔法の光に包まれて、私の右手人差し指から一センチほど先で宙に浮かびます。
「離れた人物への投薬魔法です。あまり使用する機会は少ない魔法なんですけど、離れたところからでも薬を飛ばして投薬することが可能です。それにこの魔法は薬を肉体に埋め込んで、直接体内に潜り込ませることができます。だから口からじゃなくてもいいのです」
私の魔法をアグラさんやストラツさんに見せたのは初めてだったので、ちょっとだけ驚きと感心の表情を見せてくれました。
「メイザーが俺たちに仕掛けてきたのは、この魔法だったんだな」
アグラさんとストラツさんに、毒の玉を仕掛けた人物。あまり顔には出ていないけど、ストラツさんはどこか悔しそうでした。
「メイザーという人はすごくレベルの高い魔術師だったそうなので、かなりの距離を飛ばせたかもしれませんが、私の場合はだいたい五メートルくらいです」
「それでも大したもんだ。そのくらいの距離まで宿主に近づけばいいんだろ。楽勝だな」
豪快に笑うアグラさんを見ながら、プリングさんが「頼もしい限りですな」と笑いました。でも、プリングさんの表情はどこか固くて、緊張しているようです。
普通ならパクリン菌の宿主に近づくも何も、直接宿主である患者さんにお薬を渡して飲んでもらうだけです。ですが今回のパクリン菌には、相当強い自我が芽生えているはずです。それは森が人々を襲うことから考えても、間違いのないことでしょう。
患者さんを治そうとする私たち……いいえ、宿主に近づいてくる人間は誰であろうと、パクリン菌の意志によって攻撃を受けるはず。プリングさんが緊張するのは、当たり前のことなのです。
そして投薬可能な射程距離を気にしなければならないのも、そういう事情によるものでした。
「アグラ。言っておくが、近づかなければならないのはクランベルだぞ」
「わかってるさ。クランベルを抱えて宿主のとこまで運べばいいわけだろ。クランベルは何の心配もせず、投薬にだけ集中すればいいからな」
安心して任せておけ、と言わんばかりにアグラさんが自分の胸を叩きます。その様子に、ストラツさんがため息をつきました。
「まあ、アグラの言うことは間違いではない。それに、クランベルを死ぬ気で守れとマリスに言われている。言われずとも、そのつもりだがな」
口元だけに微笑を浮かべ、鋭い目つきのままでストラツさんが言いました。
死んでもらっては困るのですが、結局私のできることは治療だけ。不安はありましたが、悪魔の森の脅威はアグラさんとストラツさんにお任せするしかありません。
それにマリス先生は言っていました。二人の剣の腕だけは、絶対の信頼をおいてもいいと。私も二人の活躍はたくさん聞いています。
何より、今回のお仕事は自分から志願したのです。マリス先生は診療所を一時休業して、このお仕事を引き受けるつもりのようでした。でもそれでは、診療所を頼りにしている患者さんが困ってしまいます。パクリン菌の治療は、お薬を飲んでもらうだけ。私にだってできることだと思いました。
マリス先生が迷うことなく私の志願を受け入れてくれたのは、ちょっと意外でしたけど。
「医療術師を知る、いい機会かもしれないわね」
マリス先生が呟いたこの言葉が、私にやる気をふるい起こさせました。いずれ立派な医療術師になると決意している私の将来を、初めてマリス先生に認めていただいた。そんな気がしたのです。
強い使命感を胸に秘めつつ、私は馬車の窓から外を眺めました。
草ばかりだった景色は、いつの間にか木が茂る森の中へと変わっていました。出発当初は星が見えた夜の空でしたが、今は明るい朝の青空へと移り変わろうとしています。
それからしばらく、森に囲まれた道を突き進んでいきます。
「もう例の森に着いたのか?」
窓から周囲を見渡しながら、アグラさんが言いました。
「いえ、まだリンパーク村にさえたどり着いていません。悪魔の森は村に隣接しているので、まだ先です。もう少し村まで近づいたあたりで馬車を下り、そこから徒歩で移動する予定です」
プリングさんも窓の外に目を向けながら、アグラさんの質問に答えます。
そのときでした。
「馬車を止めろ!」
突然アグラさんの顔が険しく変化し、窓の外から目をそらすことなく叫びだしました。
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