第15話 舞い込むお仕事
まだお日様が昇りきっていない薄暗い時間に、私の一日は始まります。
最初にすることは、診療所の側にある花壇の水やり。これはお仕事ではなくて、私の日課です。私が診療所で働かせてもらった当初は、花壇がありませんでした。殺風景で寂しかったので、拾ってきた石を使って私が造ったのです。
「おはよう」
空から気持ちのいい朝の光が射してきて、鶏の鳴き声が聞こえてきたら、ストラツさんが出勤してきます。ここ一か月ほどの、いつもの朝です。
「おはようございます。ストラツさん」
挨拶を返すとストラツさんはいつもどおり、ほんのちょっとだけ微笑みます。口角がミクロ単位ほど上がるだけですけど、とても柔らかな笑顔です。
ストラツさんは裏庭からほうきを持ってくると、診療所の入り口付近を掃きはじめます。一か月前までは私の仕事だったのですが、今ではストラツさんのお仕事になりました。ストラツさんに掃除をさせるのは忍びなくて、私が先にやってしまった日がありました。すると、とても困ったような顔をされたのです。
「俺の仕事を取らないでくれ」
苦笑いでそう言われたので、お掃除はストラツさんにお任せすることにしたのです。
「眠い! 眠いぞコラ!」
ストラツさんが出勤してから一時間後、お馴染みの台詞でアグラさんが出勤です。
アグラさんは戦うお仕事をしていたころ、必要じゃない限り早起きなんてしなかったらしいので、朝が苦手なようです。でも朝から声が大きいので、全然眠そうに見えません。
「遅いぞアグラ」
「掃除なんかして馴染んでんじゃねえ」
アグラさんが、ストラツさんに向かって舌打ちをしました。
「おはようございます。アグラさん」
「おう! おはよう。今日もいい笑顔だな」
そう言ってくれたアグラさんも、とてもいい笑顔です。
いつも悪態をついているアグラさんですけど、私にはとても優しく接してくれます。アグラさんもストラツさんも、私の本当のお兄さんのように感じてしまいます。
「アグラ。あまり遅刻ばかりしていると、給料を減らされるぞ。いつまでたっても本業に復帰できん」
「早く来たって俺たちにできることなんか、ほとんどねえじゃねえか!」
アグラさんはいまだに、診療所で働くことが納得いかない様子です。それも仕方ないことなのかもしれません。
本来、アグラさんたちのお仕事は戦うことです。それなのに診療所での彼らの仕事といえば、掃除やベッドメイキングに私のカルテ整理のお手伝い。戦いとはまったく無縁の、しかも雑用ばかりをやらされているのですから。
アグラさんとストラツさんが診療所のスタッフになったときは思わず喜んでしまいましたが、なんだか可哀そうな気がしてきました。
マリス先生は、どうしてお二人を診療所で働かせることにしたのでしょう。
お昼休みが終わり、午後の診察が始まって数分後のことです。
私は待合室の患者さんを一人ずつ回って、問診をしていました。
そのとき、法執行人のワイズさんがやってきました。今日も痛めた腰の治療にやってきたのでしょう。
「どうも、こんにちは。今日もお願いしますね」
怪我や病気と違って慢性的な腰痛や首の痛みというのは、どうしても完治に時間がかかってしまうのです。ワイズさんはマリス先生の診療所に通い始めて、かれこれ二ヶ月近くなります。
突然、受付にいたはずのストラツさんが、ワイズさんの前に現れます。あまりにも動きが速すぎて、本当に瞬間移動したかのようでした。
「スリッパをどうぞ」
ストラツさんがワイズさんの足元にスリッパを置きます。にっこり微笑んで、ワイズさんがスリッパを履きました。
「神速の無駄遣いしてんじゃねえ!」
アグラさんがすかさず野次を飛ばしました。
「おい、おっさん。いつになったら腕の呪法を解くんだ?」
「それはもちろん、あなた方が診療所に溜め込んだツケの分を、労働で返済し終えるまでですよ」
ワイズさんが来るたびに、アグラさんがくってかかります。普段ならここでワイズさんが「ほっほっほ」と笑い、アグラさんが歯ぎしりをして終わりなのですが、今日は少しだけ様子が違いました。
「アグラさん。今日はあなた好みのお仕事を持ってきましたよ。もっとも、マリスさんがお引き受けすればの話ですが……」
そう言ってワイズさんが、一枚の紙をアグラさんに見せました。
眉を寄せてその紙をひったくり、鼻で笑ってから読み始めたアグラさんでしたが、突然マリス先生のいる診察室へと駆けだしました。
勢いよく診察室のドアを開けるアグラさん。そこには当然ながら患者さんもいたので、とても驚かされてしまったことでしょう。
「おい、マリス! この仕事、引き受けちまえ! ていうか、そろそろ暴れさせてくれ!」
そのような大声が診察室の中から聞こえてきます。
ストラツさんが「やれやれ」と言って、ため息を漏らしました。その隣でワイズさんが「ほっほっほ」と笑っていました。
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