第2話 毒の玉

 深い森を抜けた先の木漏れ日で、俺たちはその男の姿を捉えた。漆黒のマントをまとったその男の手には、なんとも禍々しい杖が握られている。


「随分悪さしてるらしいな、悪党魔術師」


 ゆうに大人一人分の重さがある大剣を肩に担いで、ちょっとした余裕を見せつける。俺の持つ巨大な剣は、大概の者に恐怖を与えることができた。ハッタリも戦の重要な戦略だ。


 しかしどうやらこの男には、その類は通用しないらしい。微塵の動揺も見せず、イカれた目つきで俺を睨んでいる。なかなかご立派な精神力だ。


 男の名はメイザーテッド。


 メイザーは第一級犯罪者の烙印を押された、最高位クラスの賞金首だ。この男の首を狙って、大勢の傭兵たちが返り討ちにあっている。


 邪教を広め、生贄と称して罪のない弱者を糧にする教団の元教祖であり、小さな国が滅びかけるほどの重大な事件にも関与していると噂される悪党だ。


「王家直々の命により、おまえを始末する」


 ストラツがそう宣告して、鞘から剣を抜く。美しい殺気に満ちたその剣は、まるで持ち主の分身のようだ。


 メイザーは杖を構えると、ブツブツと呪文をつぶやきだした。今までに色々な魔術師の呪文を聞いてきたが、ここまで暗くて重い響きのある呟きは初めてだ。


 突如地響きがして、でかい岩の化物が大量の土砂をまき散らしながら雄叫びをあげた。


 軽く見積もっても人間の五倍。化物が見上げるほどの高さから、光る目を俺たちに向ける。


 さすがは高等魔術師にランクされる大物だ。召喚魔法とは恐れ入る。


「ストラツ、あの化物は俺に任せろ。岩石を相手にするには、おまえの剣は貧弱すぎるからな」


 ストラツの腕ならば斬鉄でさえ可能だが、ああいう魔物は俺の大剣でぶっ叩いたほうが早い。


「随分な言い草だな、アグラ」


 ストラツの言葉に笑みを返して、俺は岩の化物めがけて突進した。でかい岩石の拳が脳天から降ってくる。


 こういう魂を持たない化物が相手の場合、厄介なのは殺気も何もないというところだ。予想外の攻撃を仕掛けてくることがあるので、油断はできない。


 しかし予測不能な攻撃というのは、スピードがあって初めて驚異となりうる。にも関わらず、メイザーは力任せの化物を召喚した。


 俺の大剣を見ての対抗策だったのだろうが、それは逆効果。パワー重視のでくのぼうなど、まったくもって怖くはない。


 向かってくる岩石の拳に向かって、俺は大剣を振り上げた。化物の腕と剣がぶつかる刹那、自ら鍛え上げた肉体を一瞬だけ硬直させる。化物の腕が派手な音を立てて砕け散る。


 化物は痛みを持たないらしく、間髪いれずもうひとつの腕を振り上げた。思わず笑いそうになるほど、すっとろい。


 化物が持ち上げた拳を振り落とす間も与えず、俺はやつの足に大剣をぶち当てた。

化物がバランスを崩して、でかい体を大地に埋める。


 さて、こちらはもう大体勝負がついた。


 メイザーのほうに目を向ける。


 メイザーは岩の化物を転がした俺を睨んで、悔しそうに歯ぎしりしていた。


 バカだな。よそ見をしている場合じゃないことを、やつはまったく理解していないようだ。戦いの最中に隙を見せる相手に攻撃を躊躇するほど、ストラツという男は甘くない。


 瞬間、メイザーの胴体に一筋の線が入る。


 メイザーは切られたことに気づいていないかのように表情を変えないまま、下半身と分離された胴体ごと地面に崩れ落ちた。メイザーの下半身だけが地面から生えた状態で、断面から血しぶきを上げている。


 ストラツは剣に付着した血を振り落として、鞘に収めた。そして俺のもとへと歩み寄る。


 ストラツの太刀筋にはいつも、背筋が凍るほどに惚れ惚れさせられる。


「さすがだな、ストラツ」

「おまえがいればこそだ。アグラ」


 普段は憎まれ口を叩くことも多いが、ストラツの見事な剣の腕を見てしまうと茶化す気にもなれない。


 俺たちはいつものように、互いに勝利を賞賛し合った。


 だが俺は。


 いや……俺たちはこのとき、完全に油断していた。


 勝利の余韻に浸り、剣士として恥ずべき生涯最大の不覚をとってしまったのだ。


 突如、後方から光が差し、反射的に振り返った。まさに一瞬の出来事だった。


 光は玉となって、俺の胸に突き刺ささった。


 心臓あたりに小さな痛みが走る。それは針でつつかれたような些細な痛みだった。


 ストラツが胸を抑えている。俺と同じ痛みを感じたのだろう。


 ズルズルと引きずる音がして、俺とストラツは音のするほうへと同時に振り返った。上半身だけとなったメイザーが、邪悪な笑みを浮かべて俺たちを睨んでいた。


「油断大敵だな」


 そう言われて、先ほどの光がメイザーの仕業だと気付く。しかし、今のところ体にはなんの異常も感じない。


「何をした? って顔だな。クックック……毒入りの玉を埋め込んだのさ。きさまらの体にな」


 口から血を吐きながら、メイザーが薄気味悪い笑みを浮かべる。確実に訪れるであろう死を前にした男の顔とは、到底思えない。


「今からちょうど四十八時間後。玉は自動的に溶け出し、中の毒は五分足らずで全身をめぐる」


 そう言った後、メイザーが俺を指さした。やつの指先が震えている。最後の力を振り絞っているのだろう。


「おまえのほうは黒い毒を……」


 そう言うと今度はストラツを指さした。


「おまえには白い毒を入れてある」


 息を切らせ、血を吐きながら、メイザーはさらに話を続けた。その姿に、恐ろしいまでの邪念を感じた。


「よく聞きな……。白と黒の毒は混ざり合うと無害になる! つまり! 相手の体内から毒の玉を取り出して、中の毒を体内へ注入した者だけが生き残るのだ!」


 そこまで言い切ると、メイザーは大量の血を口から吐き出した。


 恐るべき邪念!

 恐るべき執念!


 油断大敵と言ったメイザーの言葉が、俺の心に深く突き刺さる。


 胴体を真っ二つにされてもなお、これほどの精神力を見せる男に、俺たちは簡単に背を向けてしまったのだ。このとき俺は、死を目前に控えたメイザーという男に完全に圧倒されていた。


「せいぜい親友同士で……殺し合うんだな……」


 そう言いきってからメイザーは地面にひれ伏し、動かなくなった。

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