第27話『 追憶への失踪 』10、電調

「 どうしたの? 葉山さん、その目…! 」

 翌日の朝、本部の一室に現われた葉山に、小島が言った。 葉山の目の下には、くっきりとクマが出来ている。

「 慣れないコト、するモンじゃないね 」

 目を擦りながら、葉山は答えると、1冊の本を机に置いた。

「 ナニこれ…? 百科事典? 」

「 宗治氏が書いた、論文だよ 」

「 …えっ! これが…! 」

 本を手にする小島。

「 和樹さんからは、瀬戸内海って聞いてたけど… 高知の東の方だったよ 」

「 凄い! ホントにあったのね…! よく探し当てたわねえ……! 読んだの? 全部… 」

「 うん。 昨日1日と、今朝まで…… 思った通り、情報、満載だ 」

 小島は、パラパラとページをめくった。

「 うっひゃあ~っ…! 研究内容が、びっしり……! 」

「 ダメ元だったけど、あって良かったよ 」

 葉山は、隣の部屋のドアを開け、コーヒーメーカーをセットしていた緒方に言った。

「 あ、みっちゃん。 丁度いいや。 済まないけど、濃ぉ~いコーヒー、作ってくれない? 」

 イスに座り、タバコに火を付ける葉山。

「 今日は、その本の中から抜き出した関係者に、片っ端から電調( 『 電話調査 』の略 )だよ。 レコーダー回したいから、手伝ってくれる?  女性の声の方が良い場合もあるだろうし…… 」

「 OK! 報告書の方も、昨日でメドが付いたから、いいわよ 」

 しばらくすると、緒方がコーヒーを持って来た。

「 なあに、葉山さん、その顔…! 試験勉強でもしたの? 」

「 まあ、そんなところだ 」

「 フレッシュは? 」

「 いらない 」

 コーヒーを、ひと口飲む葉山。

「 おお~ぅ…! すんげえ濃いな、コレ…! 」

「 だって、濃ぉ~いの作ってくれ、って言ったじゃん 」

「 確かに濃いわ、コレ。 常識以上に…! 目が覚めるぜ 」


 本から抜き出した情報を整理した葉山は、早速、電話調査に取り掛かった。

 電話線のタップを外し、アダプターを接続する。 アダプターからは、別の回線を接続し、レコーダーのライン・インに接続した。 これで会話を録音するのだ。

 電話調査では、電話する本人も、もちろんメモを取るが、聞き取りにくかった会話を何度も聞き直すと、怪しまれる事がある。 さらっと聞き流して、後で録音を聞き直し、会話内容を確認するのだ。 その際、複数の人間で聞けば、聞き違いなどのミスも起こり難い。

 レコーダーをスタンバイした小島が言った。

「 準備、OKよ。 ドコからいく? 」

「 まずは、研究の舞台となった由岐大学からだ。 本によると、研究本部があったらしいんだ 」

 いよいよ、大詰めである……!

 宗治氏の失踪先に、確実に近付いているという実感が感じられ、受話器を取る手が震える感覚を覚える葉……

  一呼吸を置き、メモ書きした手帳を見ながら電話をかける。

 しばらくの呼び出し音の後、女性の声が応対に出た。

『 はい、由岐文理科大学です 』

「 あ、すみません。 そちらに、飯島 宗治教授、おられますか? 」

『 学部人事課にお廻し致しますので、しばらくお待ち下さ… 』

 プッ、プッ、という、内線の接続音。 指でフックを押す、受付特有の事務会話だ。 語尾は聞こえなかった。

『 はい、人事課です 』

 今度は、男性の声だ。

「 ああ、恐れ入りますが、飯島教授、お願いしたいんですが 」

 宗治氏は現在、80を越える高齢者だ。 その関係者を装う為、葉山は少し、しゃがれた声を出して聞いた。

『 飯島先生…… え~と、少々、お待ち下さいね 』

 保留音が鳴る。

 モニターの会話を聞いていた小島が言った。

「 …まさか、いるって訳じゃ、ないでしょうね……? 」

「 そんなドンピシャだったら、苦労しないよ 」

 受話器を押さえながら、葉山は答える。 やがて、先程の男性職員が、電話口に出た。

『 お待たせ致しました。 飯島先生は、退職なさってますねえ… 半年ほど前に 』

( はああっ? い、いたのかよ…! )

 予想しなかった展開だった。 葉山としては、研究の舞台となった大学だけに、その研究を知る者がいれば、聞き取りをしようと思っていたのだ。

 少々、咳き込みを演出し、その間に、シチュエーションの組み立てを考える時間を稼ぐ。

「 …ゴホッ、ゴホン…! いや、失礼。 ゴホンッ… 実は、飯島君とは古い友人でね。 以前、一緒に研究なんかもしていたんだよ。 来月、四国に行く事になってね。 久し振りに会いたいと思ったんだが…… そうかね、退職してしまったか。 困ったな。 連絡先は、おたくの学校しか知らんのだよ 」

『 あ、でしたら、民用課に聞いてみましょうか? 住所の登録がしてあると思いますから 』

「 忙しいのに、済まんね。 頼めるかな? 」

『 しばらくお待ち下さい 』

 再び、保留音が聞こえる。

 小島が言った。

「 イイ感じね…! 頂きじゃないの? 」

「 …まだ分からないよ。 何か、出来過ぎだ…… 」

 再び、男性職員が出た。

『 お待たせ致しました。 読み上げますが、よろしいでしょうか? 』

「 ああ、構わんよ 」

『 由岐町 西ノ池 中町 3の2 です 』

「 …3の2… ね。 お手数掛けました。 ちなみに、秋山 淳五郎教授は、おられますか? 」

 葉山は、それとなく、宗治氏の研究協力者の1人だった『 秋山 』という教授の名を出してみた。

『 ああ、秋山先生は、徳島大学の方で教鞭をとっておられます 』

「 おお、そうかね。 いや、有難う。 助かりました 」

 電話を切る、葉山。

「 やったじゃない! 葉山さんっ! ビンゴよ! 」

 驚喜する小島。 しかし、対照的に、葉山は浮かない顔だ。

「 この住所は、その本の巻末に書いてある著者連絡先と同じ住所だよ。 研究時代に使っていたアパートがあった場所だ。 そんな30年以上も前のアパートに、今も住んでいるはずが無い。 ま、一応調べてみるけど… 」

 本には、電話番号も記載されていた。 掛けてみたが、現在は使われていない旨の案内アナウンスが流れて来た。

 地図を広げ、住所を確認する。

「 …う~ん、中心地からは、少し離れてるな。 電車の駅がある。 交番もあるぞ… これを使うか 」

 住所近くにある交番の電話番号を、番号案内で調べる葉山。

 小島が、手にしていたボールペンを指先で廻しながら言った。

「 何か、ウマく行きそうだったのにね 」

「 基本的には、ウマくいったさ。 ただ、情報が古かった、って事だ 」

 電話をする葉山。

「 …あ、すんませ~ん。 西ノ池 中町 3の2ってアパート、その近くですかあ? 何年か前に、ツレがそこに住んでたんスけど、電話、つながらんのですわ。 …え? あ、飯島って人なんスけど。 はあ… そうなんですか… はあ… 困ったな。 でも、仕方ないですよね。 ええ、そうなんです。 え? あ、はい。 分かりました。 有難うございますぅ~ 」

「 …何だって? 」

 小島が聞く。

「 ずっと空家で、最近、取り壊しました、ってさ…… 」

「 そう… 」

 葉山が言った。

「 とにかく、由岐文理科大学に、半年前まではいたんだ。 やっぱり、昔の研究を再開しに行ったんだな。 方向性は、当たってるぞ…! しかし、勤務先の学校に、使われていない古い住所を登録するなんて… よっぽど、他人に居所を知られたくないんだな 」

「 過去の人たちとは、縁を切ってるって事? 」

「 そういう事だろう… 研究に没頭したいんだろうね。 気持ちは、分からないでもない 」

 本を読破している葉山にとって、宗治氏の研究に対する情熱を理解する事は、ごく自然な事であった。 葉山は続けた。

「 借り入れだの、返済だの… 性に合わない、経営者としてのしがらみを一切、捨てたかったんだろう。 相談なんかで、債務がどうこう言って来られても、研究の邪魔だろうからな。 だから、いっその事、家族としての対話まで拒絶する為に、失踪という形をとったんだと思うよ? 」

 本には、序説とある。 遅まきながら研究を再開し、本説を書いているという事なのだろうか……

 小島が言った。

「 元々、学者肌だった人、って聞いてるものね。 でも、いくら研究に没頭したいとは言え、家族・親戚にも行き先を告げずに姿を眩ますなんて…… まさに、世捨て人ね 」

 本人は、それで満足なのだろう。 しかし、一緒に失踪している妻は、どうなのだろうか。

『 時々、故郷の友人に、電話を掛けて来るらしい 』

 兄の和樹氏は、そう話していた。 やはり寂しいのだろう。 連絡手段も公衆電話と聞いている。 宗治氏が出掛けたところを見計らい、電話して来るのだろうか。 何だか、切ない話しだ……

「 …よし、次は、徳島大学だ。 研究の協力者である『 石川 徹 』という教授と連絡をつけたいんだけど… もう、かなりの高齢のはずだ。 まだいるかな? 」

「 さっきの話しだと、秋山っていう教授も、徳島大学にいるのね? 」

「 …ソッチの方が、近道かな? 」

 受話器を上げ、電話をかけながら葉山は言った。

『 はい、徳島大学です 』

 女性の声だ。

「 あ、もしもし。 そちらに、秋山先生は、おられますかな? 」

 幾分、声のトーンを落として尋ねる葉山。

『 しばらくお待ち下さい 』

 先程と同じように、内線の接続音が聞こえる。 やがて、保留音のメロディーが聞こえて来た。

『 もしもし? 代わりました。 秋山先生は、今年の始めに、お亡くなりになられましたが……? 』

 代わって電話口に出た男性が答えた。

( あっちゃ~…! )

 まあ、こんな展開も予想はしていたものの、少々、がっくりする葉山。 モニターを聞いていた小島も、渋い表情だ。

「 ええっ? そうなのかね…! それは知らなかった。 そうか…… 」

『 気さくな、いい方だったんですがねえ~… ガンでしてね… お知り合いの方ですか? 』

「 ええ。 昔の研究仲間です。 あの… 石川 徹という教授は、まだ、そちらにおられるかね? 」

『 石川先生? 石川先生… さあ、こちらには、そういったお名前の先生はいらっしゃらないですが…… 』

「 随分、前の事だからね。 そうか… 」

『 どういった、ご研究をされていらっしゃったのですか? 』

 男性が尋ねて来た。

「 主に、漁業史を研究しておったのだよ。 由岐大学におった飯島、という友人と一緒にね… 」

『 ああ、飯島先生なら、今、こちらの大学で、非常勤をして頂いてますよ? 』

 葉山は、受話器を落としそうになった。 小島も、弾かれたように、レコーダーのモニター音声のボリュームを上げる。

「 えッ…! そ… そ、そうなのかね? いやあ、奇遇だ…! い、今、校内におるのかね? 」

『 集中講座をして頂いてまして。 先月は、各週で来て頂いていたのですが… え~と、次回は… ん~… 来月の下旬頃からしか、セミナーの予定はないですねえ。 連絡先をお伝えしましょうか? 』

「 お願いします。 こちらから、飯島君に連絡をとるよ 」

『 分かりました。 よろしいですか? …由岐町 西ノ池 中町 3の2 です 』

 がっくりする葉山。 また、同じ住所だ。 小島も、机に突っ伏せてしまった。

「 …有難う… 」

『 どういたしまして! 』

 受話器を置く葉山。

「 性懲りも無く、この住所かよ……! こりゃ、聞く先々、出て来そうだぞ 」

「 最初、イッた~っ! って、思ったのにねえ…! 」

 小島も苦笑いをしながら言った。

「 オレも焦ったよ…! まさか、非常勤で来てるとは、予想もしなかったな…! でも、これで存在がハッキリしたぞ。 宗治氏は、徳島近辺にて、健在だ 」

 レコーダーを止めると、小島は言った。

「 徳島かあ……! 由岐じゃなかったわね 」

「 分からないよ? 由岐から、通ってるかもしれない 」

「 非常勤だものね。 でも、来月のセミナー開講までは、待てないわよねえ 」

 葉山が答える。

「 依頼人が会いたいのなら、情報としては、良いかもしれないけど… 最終目的は、やはり居住所だからね。 ま、次、行くさ…! 」

「 今度は、どこ? 」

「 え~と…… 歴史資料館 館長の『 末田 幸吉 』って人だ。 宗治氏の、遠縁にあたる人らしい。 この人が、研究の中では、一番の理解者だったみたいだよ。 本の中で、頻繁に、その名前が出て来てる 」

「 名前からして、高齢そう… 亡くなってるんじゃないの? 」

 受話器を上げながら、葉山は答えた。

「 館長は歴代、代わるモンだ。 前任者の事で、何か聞いてるかもしれないよ? 」

 電調は、聞き込みと同じく、手間隙の掛かる業務だ。 ほとんどの電話が空振りとなる事が多い。 わずかに得た情報を基に、己の推察を裏付けたり、推理に肉付けをしたりして行く。


 葉山は、次の調査対象に電話をかけた。

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