第26話『 追憶への失踪 』9、手繰り寄せた、軌跡

 大きな木立に囲まれた、レンガ造り風の建物が見える。 周りは、隣に隣接する公園に続いているせいか、鳥のさえずりが聞こえ、閑静だ。

「 図書館なんて、学生時代以来じゃないかな? 」

 玄関のガラス製自動ドアを入る葉山。

 広いロビーに、高い天井…… 平日ではあるが、結構に人がいる。 だが会話は聞こえない。

 タイルカーペットが敷き詰められた、静かな、明るい室内……

 左手を見やると、貸し出し受付や返却窓口、総合案内など様々なカウンターが並んでいた。

( 漁業関係の蔵書は、ドコだ? )

 まずは、館内の案内表示板を見てみる。

 漁業・海底地質・海洋学・潮流生物学、etc… 関連がありそうな項目を探したが、何だか、どれも怪しい。

( 漁業ってんだから、やっぱり魚に関係した事だろうな。 いや、まて… 和樹さんは、ハッキリと聞いていた訳じゃないんだから、地学的な事かもしれない )

 論文・出版、なんてコンテンツもある。

( …イカン… 来慣れないトコには、来るもんじゃないな。 さっぱり、ワケ分からんぞ? )

 カウンターを見ると、総合案内の隣に『 検索窓口 』とある。 パソコンが数台置いてあり、どうやらこれで検索するようだ。 近寄って見てみると、『 登録カードを挿入して下さい 』という案内表示が見て取れた。 どうやら登録が必要らしい。

( 面倒臭いな… )

 ふと、窓口を見ると、分厚いメガネを掛けた男性職員が、カウンターでノートパソコンをいじっている。 いかにも、図書の事を知っていそうな雰囲気の男性だ。

 葉山は、その男性に声を掛けた。

「 すみません 」

「 はい、何でしょうか? 」

 右の人差し指で、メガネの中央を、クイッと上げながら、その男性は葉山を見た。

「 研究者の名前しか判らない、古い論文を探しているのですが…… 」

 葉山は、メモ書きした紙を彼に渡した。

「 飯島 宗治さん…… ふん、ふん… 」

「 漁業の事について、ご研究されて、博士号を取っている方なんですけどね 」

「 漁業ね。 ちょっとお待ち下さい… 」

 彼は、近くにあったパソコンを操作し始めた、検索をしてくれるようだ。 じっとモニターを見つめている。 やがて葉山の方を向き直ると、再び、メガネをクイッ、と上げて言った。

「 データにはありませんね、この方。 かなり古い文献なんですか? 」

「 ええ。 確か… 30年くらい前、と聞いてます 」

「 ふん、ふん… 古いね。 ちょっと… 待って… ね~…… 」

 再びモニターに向き直り、キーボードを操作する。

「 …う~ん… 無いね~… 」

「 ありませんか…… 」

 肩を落とす葉山。

「 ここでのデータではね 」

「 ? 」

「 国会図書館に、アクセスしてみます。 ちょっと待って… ね~… 」

 彼は、傍らにあったノートパソコンの操作に切り替えた。 インターネットでアクセスしている。 葉山の読み通り、この彼は図書に関して、かなりの知識を持っているようだ。 おそらく図書司書の資格を取得しているのだろう。

 やがて、彼はノートパソコンをカウンターに上げ、モニターを葉山の方に向けた。

「 ありましたよ。 これですね? 」

「 え… えっ…? あ、ありましたか…! 」

 食い入るように、モニターを見る、葉山。

 『 飯島 宗治 著  阿波 漁業伝史 序説 』

 確かに、対象者が著者となっている。

 葉山は、踊り出したい気持ちを押さえ、彼に尋ねた。

「 ありがとうございます…! あの… 同姓同名って事はないですよね? 」

「 どうですかね。 この名前の登録で、この分野では… ん~と… ちょっと待って… ね~… 」

 再び、彼はノートパソコンを操作し始めた。

 しばらく、じっとモニターの検索画面を見ていたが、例によって、メガネをクイッ、と上げながら葉山の方を見ると、彼は言った。

「 この方、お1人のようですね。 …ただ、この本は、国会図書館にもありません。 論文の文献は、発行部数が少ないですからね。 確かに以前、この本は存在したというデータのみです 」

「 はあ、そうなんですか… 」

 彼は、ノートパソコンをプリンターにつなげ、何やらプリントアウトした。 それを葉山に渡す。

「 これが登録番号です。 本がありそうな図書館に行かれて、この番号を窓口に出せば、出してくれますよ 」

「 ここには、ないんですよね? 」

「 残念ながら 」

 メガネをクイッ、と上げながら、彼は答えた。

「 そうですか。 でも… 有難うございました。 助かりました…! 」

「 どういたしまして 」

 彼から渡されたメモをポケットに入れ、図書館を後にする、葉山。

( 調べてみるモンだ。 ホントにあったぞ……! )

 しかし、本自体は無い。 どこに行けば、あるのか…!

 図書館前にあった公園のベンチに座り、思案する葉山。 上着の内ポケットから携帯を取り出すと、以前、仕事を依頼され、その後、交流のある大学教授にダイヤルした。

「 …あ、葉山と申しますが… 教育学部の橋本先生、お願いします 」

 携帯を耳に当てたまま、ポケットからタバコを1本、取り出すと、火を付けた。 ふうっと煙を出す。

「 …あ、先生。 葉山です。 ご無沙汰してます。 え? いやいや… 何とかやってますよ。 ナニをそんな… 儲かってませんよ、ホント 」

 タバコをふかしながら、葉山は続けた。

「 いや、実はですね… あ、今、お電話、良かったですか? すみません。 少々、お聞きしたかったんですが… いえ、法律の事じゃありません。 論文の事なんです。 ええ、そうです 」

 ベンチ脇にあった灰皿に、灰を落としながら、更に、葉山は続けた。

「 博士号を取ったような論文発表の場合、出版しますよね? 大抵。 そう言った本は、図書館なんかには置かれないんですか? 学校とか。 …ええ、ええ。 はあ、なるほど… 『 寄付 』ですか…… それは、いわゆる、寄贈蔵書ってヤツですか? ふ~ん…… え? ええ、まあね。 今、そいつを探してるんですよ。 いやあ~、先生とは、畑違いの分野ですから… 漁業です。 いや、でも参考になりました。 有難うございます。 …え? そうですね。 また色々なお話し、聞かせて下さいよ。 ええ、連絡、お待ちしております。 失礼します 」

 携帯を切る、葉山。 タバコを吸い、ふうっと煙を出す。

「 …寄付… か 」

 教授の話しによると、本は発行されても、あまり売れないのだそうだ。

 元来、販売利益を目的として発刊する訳でもないのだから、当然の事であろう。 従って、発行部数も少ないものがほとんどらしい。 発行された本の大部分は、研究の関係者・協力者・団体・大学・近隣図書館などに配られ、寄付される事が多い、と教授は話してくれた。

 葉山は、この『 近隣図書館 』に注目した。

( 宗治氏は、一時、研究再開の為、西町通りのマンションに、実家から移り住んでいる。 西町通りの近隣図書館と言うと… 城西中央図書館か…… よしっ…! )

 灰皿に、タバコを捨てると葉山は立ち上がり、公園脇の道で客待ちをしていたタクシーに乗り込んだ。


「 古い論文なんですが、ありますか? 」

 城西中央図書館にやって来た葉山は、館内に入ると、受付カウンターにいた女性職員に尋ねた。 先程もらった登録番号のメモを、彼女に渡す。

「 しばらく、お待ち下さい 」

 髪を後ろでアップにした、その彼女は、パソコンで検索を始めた。

 …はたして、ここにあるのかどうかは分からない。 葉山の、完全なる推測領域での行動である。

 しばらくすると、彼女は言った。

「 そちらの階段を上がられて、Eの7号棚、3番の辺りになります 」

「 えっ? あ、あるんですね…! 」

「 ええ。 館内データでは、ある事になっています 」

「 …有難う…! 」

 彼女から返された登録番号のメモを受け取ると早速、葉山は、その棚へ向かった。

 …何と、あるらしい…!

 葉山は、自分の感が的中した事に、ある意味、驚いた。

( 本当に、あってくれよ…! 頼む…! )

 彼女に言われたE区画は、紳士録など、あまり一般的には馴染みのない種類の本が集めてある一画だった。 7号棚には、『 近代論文 』という表示がしてある。

( 3番、3番… と… )

 長い7号棚の一番奥に、3番という札が掛けてあった。

( この一画か……! )

 様々な表装の分厚い本が、整然と並べられている。

 ほとんど近年、誰も手にしなかったようで、うっすらと埃を被っているものもあった。 一番端から、葉山は1冊ずつ、その背表紙にある本の題名を確認する。

 やがて、ある1冊の題名が、葉山の目に映った。

『 阿波 漁業伝史 序説  飯島 宗治 著 』

「 …あった…! ありやがったぞッ…! 」

 思わず、小さく声に出す、葉山。

 それは、5センチほどの厚い本だった。

 表装は濃紺。 背表紙と同じ題名が、表紙に金箔押ししてあり、当時としては百科事典のような、豪華な表装である。

 早速、ページをめくってみる。

 紙の縁が、黄色く変色しており、時代を感じさせる。 だが、誰も一度も開いた事がないように、ページにも表装にもキズ1つ、破れ1つ無かった。

 本を裏返してみると、裏表紙の表装に金の筆文字が見て取れた。

 『 飯島 宗治 寄贈 』

 葉山の感は当たった。 先程、教授に聞いた通り、宗治氏もやはり、本を図書館に寄贈していたのだ。

 近くにあった読書用の机を借りると、読書灯を点け、改めて本を開く葉山。

( さて… 長丁場だぞ。 コイツを全部、読破しなくちゃ……! )


 文献は、江戸時代から受け継がれて来た、独特な古い漁法について研究されたものだった。

 四国の東……  現在の徳島から、那賀川・阿南・蒲生田岬を経由し、由岐・日和佐・牟岐辺りまでに至る広い海岸線は、江戸時代、阿波の国と呼ばれ、複雑に入り組んだ海岸線には多くの漁港・港町が点在していた。 沿岸漁業・遠洋漁業、共に盛んな地域であったらしい。

 著者の宗治氏は、その広い地域を、くまなく歩き、漁法は元より、漁具・民具・水揚げされる魚の種類に至るまで、実に細かく調べ上げている。 釣りは別段、好きではない葉山ではあったが、研究に打ち込む宗治氏の執念には賛同出来るものがあり、興味深く読み進める事が出来た。

 文献に、何度も出て来る人物の名前も発見した。

 『 小松島市 歴史資料館  館長 末田 幸吉 』

 宗治氏の研究に関し、何かと協力をした人物のようである。

 葉山は、手帳にその名前を書き込んだ。

 『 由岐文理科大学 理学部 教授 秋山 淳五郎 』

 『 徳島大学 海洋生物学 教授 石川 徹 』

 『 徳島県立 阿南中央高校 教諭 吉岡 健嗣 』 その他、多数……

 全て、宗治氏の研究に携わった人たちである。 『 羽ノ浦 歴史研究会 』という団体名も記載されていた。

 これらも全て、情報として手帳に書き込んでいった。 一刻も早く、これら関係者の連絡先を調べ、聞き取り調査をしたいところである。

 しかし葉山は、まず、この本の読破を優先した。

( う~ん… よく、調べ上げているな……! 素人のオレでも、その辺は理解出来るぜ。 まさに執念だ。 手書きの図解まである )

 その日、葉山は、図書館の閉館時間まで、その本を読んだ。

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