第13話『 1枚のフォトグラフ 』4、終焉

 数日間、電話の男からは、何の連絡も無かった。

( まあ、そうのち掛けて来るだろう )

 葉山の車と依頼者の家に仕掛けられていた盗聴器は、既に撤収している。 情報が入らない苛立ちから、必ずアクセスはあると葉山は確信していた。 それに、報告書提出の期日が明日に迫っている。 どの程度の調査期間かは、彼も予測しているはずだ。

 午後7時…… 事務所近くにある、行きつけの喫茶店で夕食を済ませた葉山。 タバコを1本取り出したが、火は付けず、何となく、そのタバコを眺めながら、今後の展開を考えていた。

「 何、ボ~ッとしてるんですか? 」

 水の入ったピッチャーを持って、若い女性が葉山の前に立ち、言った。

「 …ああ、美希ちゃん。 いや、ちょっと考え事をね… 」

「 ふ~ん… また、探偵の仕事の事? 」

 葉山のグラスに水を注ぎながら、彼女は言った。

「 まあね… そうだ、美希ちゃん。 ちょっと聞いてもいい? 」

「 何ですか? 」

「 好きな人が、結婚しちゃったら、どうする? 」

 彼女は、きょとんとしながら答えた。

「 何、それ? 恋愛事情? 葉山さん、そんなセラピストみたいな事までしなくちゃなんないの? 」

「 探偵稼業も、それなりに大変なんだ。 参考の為にも聞かせてくれよ。 若者代表としてさ 」

 ピッチャーをテーブルに置くと腕組みをし、彼女は言った。

「 う~ん… フツーは、諦めるんじゃないの? 付き合ってるんならともかく 」

「 じゃ、最近多い、出来ちゃった結婚について、どう思う? 」

「 やあ~だぁ~、葉山さん、出かしちゃったのォ~? 」

 彼女は、笑い飛ばした。

「 バカ言ってんじゃないよ。 大事なコトなんだ。 状況や雰囲気によって、女性は、そんなに簡単に体を許す、ってコトかい? 」

 少し真顔になり、しばらく考えていた彼女は、やがて葉山に言った。

「 人によって違うんじゃないかなあ… あたしは、こう見えても奥手ですけどね…! でも… 友達の中には、週単位でカレシ、換えてる子もいるよ? 」

 数人の客が、店内に入って来た。

「 あ、じゃね…! いらっしゃいませ~ 」

 彼女は、葉山にウインクすると、ピッチャーを持ち、テーブルを離れた。

 小さく息をつき、持っていたタバコに火を付ける葉山。

( …人それぞれか… まあ、確かにその通りだ )

 ふう~っと、天井に向けて煙を吹き出す。 その時、葉山の携帯が鳴った。 発信先は公衆電話。

( 来たか…? )

 電話に出る、葉山。

「 はい、葉山探偵社です 」

『 調査は終ったか? そろそろ、報告の期日だろう? 』


 …あの男だ。 やはり、掛けて来た…!


『 いいか? 報告書の内容は、判らなかったと言う事にするんだぞ 』

 葉山は席を立ち、テラスから外のウッドデッキへと出た。 向かいに建つ高層マンションの横に、丸い月が浮かんでいる…

「 そんな報告は、僕の腕に関わる事なんでね… 無理な相談だ 」

 白いガーデンチェアーに腰を下ろし、葉山は答えた。

『 お前の腕の事なんか、どうでもいいんだよっ! 言われた通りにしろ、いいなっ! 』

「 言われた通りにしないと、どうしてくれるのかな? 何か… 声に、焦りが感じられるよ? あんた 」

『 ふざけんなっ! 』

「 海まで行かせて、ごめんな? 発信機、もっといいヤツ、あげるからさ。 今から会わないか? 」

『 要るか、そんなモン! 』

「 盗聴器も、調子悪そうだしね… 音声、聞こえないだろ? 」

『 …… 』

「 ごめんな。 撤収させてもらったよ。 返そうか? 」

 男は、何も言わない。

 やがて、電話は切れた。 灰皿でタバコを消し、先日、依頼者宅でメモリーした携帯番号にダイヤルをする葉山。 しばらくの呼び出し音の後、男が出た。

『 …もしもし? 』

「 勝手に切るなよ。 まだ話の途中だろ? 」

『 ! …あんた…! 』

 男は、声の主が葉山と気付き、かなり驚いたようである。

 葉山は続けた。

「 あんたは、僕に会った方がいい。 いや… 会わなきゃダメだよ、横井君……! 」

 名前で問い掛けた葉山の言葉に、男は、更なる動揺を見せた。

『 …よ… 横井? だっ… 誰の事だよ、それ…… 』

「 君の事に決まってるじゃないか、ケンイチ君 」

『 …… 』

「 探偵を、ナメてもらっては困るな。 …いいか? 僕は、君と話しがしたいだけだ。 警察に届けるような事は考えていない。 だが、君が僕に会わないと言うならば、依頼者の承諾を得て、君を刑事告発する。 これは、脅しじゃないぞ? 僕の義務だ…! 分かるか? 」

『 …… 』

「 電話を切るなよ? 切れば、今度は、自宅へ掛けなきゃならん 」

『 …… 』

「 君の車のナンバーから、住所は割り出ししてある。 自宅の電話に出なかったら、直接、君の自宅に行く事になる。 イヤだろ? そんなん。 僕だって、そんな面倒な事はしたくない 」

 彼は、何も答えない。

 葉山は続けた。

「 この前は、悪かったな。 怒鳴ったりして… 僕は、ヤクザでも何でもない。 ただの探偵だ。 頼むから、会ってくれ。 すべてを話してくれたら、示談で済むんだ。 な? 勿論、金は掛からない。 …中央通りのセンタービル、知ってるだろう? そこの一階に、喫茶店がある。 そこにいるから来てくれ。 分かったかい? 」

 無言だった彼は、やがて葉山に言った。

『 オレ…… あんたの顔… 知らないんだよ…… 』

「 僕は、判っている。 心配するな。 必ず来るんだぞ? 来れば、今まで通り、何も無かったように、君は明日からを過ごせるんだ。 いいね? 」

 彼からの返事は無かったが、葉山は、電話を切った。 これ以上、追い詰めると、おかしな行動に出かねない。

 再び、タバコに火を付け、葉山は、横井を待った。


 小1時間ほど、経ったろうか。 横井が、現われた。

 依頼者宅で見た写真の印象よりは、大人びてはいるが、まだ学生っぽい雰囲気のある青年である。 警戒し、怯えた表情をしている。 ジーンズに、黒のTシャツ。 マース・グリーンのパーカーを羽織り、スニーカーを履いていた。

「 横井君、こっちだ 」

 葉山は、手を振り、横井を招いた。

「 来てくれたな…! 何か、飲むかい? 」

「 …コーヒーを… 」

 蚊の鳴くような小さな声で横井は答え、葉山の座っているテーブルの向かいの席に座った。

「 美希ちゃん、ホット1つ! 」

 両手を膝に置き、じっと下を見つめている横井。

 やがて、運ばれて来たコーヒーを勧めると、葉山は言った。

「 横井君… プライベートな… 込み入った事を話したくない気持ちは分かる。 もう二度としない、と誓ってくれるなら、何も話さなくていい。 ただし、誓約書は書いてもらうよ? 依頼者も納得しないだろうし。 いいね? 」

 横井は、下を見たまま小さく頷くと、やがて話し始めた。

「 …バカな事したと思ってます… すべて、自分の身勝手です。 もう… 収拾がつかなくなってしまって…… 」

「 誰も傷付いたワケじゃない。 佐伯さんの娘さんも、まだ何も知らないんだ。 反省さえしてくれれば、それでいいんだよ 」

 タバコに火を付けながら、葉山は言った。

 丸めていた背を、更に丸め、横井は呟くような小さな声で言った。

「 何度も、失礼な電話を掛けちゃって、すみません…… 」

 葉山は笑いながら、煙草の灰を灰皿に落としつつ、答えた。

「 おかしな電話は、しょっちゅうあるからいいよ。 よく、僕の電話番号が分かったね 」

「 …佐伯さんの家に仕掛けた盗聴器からの音声で、おばさんが、葉山さんの名前を言ってたから…… ネット検索したら葉山さんの事務所があったんで… 」

「 なるほど 」

 情報社会も、良し悪しだ。 横井は、俯いたまま言った。

「 …僕… 佐伯さんが、好きだったんです。 高校時代からずっと……! 」

 葉山は、何も答えず、横井の話に耳を傾けた。

「 でも、佐伯さんは、杉田と付き合い始めて… 僕… それは、それでも良かったんです。 杉田は、僕の友達でもあったし…… でも、あいつ… 他の女性と関係を持って、その女性と結婚しちまった…! 結婚した後も、佐伯さんと付き合っていて… 僕は、それが許せなかった…! 」

 じっと、テーブルの一点を見つめながら、横井は続けた。

「 …佐伯さんは、ずっと杉田の事が好きだったんです。 一度も話してくれた事はないけど、態度を見ていれば、誰だって分かります… 」

 しばらくの間を置いて、更に、横井は続けた。

「 佐伯さん… ヤケになって、バイト先の上司と関係を持って妊娠しちゃったんです。その後、結婚して、流産して… 離婚して…… 」

 大体は想像していた通りだ。 前もって、聞いていた情報もあるが、流産の話しは初耳である。

 葉山は、タバコを灰皿で揉み消しながら言った。

「 それで、今回の再婚話しを聞いて、ブチ切れた… ってワケか 」

 横井は頷き、続けた。

「 だからって、僕のした事は、許される事じゃない… その点は、理解してます。 うまくいけば、ご破算。 もしかしたら、僕の事を… なんて考えてました。 身勝手な話しですよね…… 」

 葉山は、イスにもたれ、両腕を頭の後ろに組みながら横井に言った。

「 …なあ、横井君… 人を好きになるのは、自由だ。 でもなあ… 画策して人の心を操ろうとしたら、イカンよ。 人を好きになる感覚って、全くの無から、ある日突然、心に芽生えるモノじゃないのか? 自然なものなら、自然にしてるのが、一番、自然な恋が出来ると思うけどな 」

「 …… 」

 横井は、何も言わない。

「 ま… 分かってても、なかなか、そう出来ないのが人間の性ってヤツだ。 恋は盲目、って言うだろ? 気付かないんだろうな、自分じゃ。 …自分のものにしたい、という独占欲が強いからな、人間は。 特に、男はその極致だね。 ちなみに… 独占欲に恋の魅力は無いよ? 相手も、重荷を感じるだけだ 」

 ゆっくりと視線を上げた横井が、葉山を見ながら尋ねた。

「 …僕は、どうしたら良いのでしょうか…? 」

 葉山は、あっけらかんと答えた。

「 新しい恋でも見つけなよ。 今回の事は、過ぎ去った青春の回顧録として、永遠なる心の扉の内にしまっておくんだね 」

「 …分かりました… 」

 そう言うと、横井はポケットから札入れを出し、中から1枚の写真を取り出すと、テーブルの上に置いた。

「 これ… 高校時代に、みんなで撮った写真なんです。 大切に、いつも持っていたんですが… そのライターで、焼いちゃって下さい 」

 依頼者宅の、ラックの上にあった写真と同じものだ。 校庭を背にした数人の青年たち…… 縁は擦り切れ、あちこち破れている。

 葉山は、じっとその写真を見つめると、横井に言った。

「 過去は、捨て去るもんじゃないよ…! 過去があるから、今があるんじゃないか 」

 葉山は続けた。

「 勿論、過去に執着しろ、と言ってるワケでもないが… もう二度と撮れない写真を、そんなに簡単に捨ててしまうもんじゃない 」

 横井はテーブルに置いた写真を、じっと見つめている。

 葉山は、テーブルに両肘を突き、横井の顔に自分の顔を近付けると、彼を見据えながら続けた。

「 …写真を焼き捨てる行為は、自分を悲劇のヒーロー・ヒロインに仕立てている証拠だ。 弱気になるな。 もっと現実を生きろよ…! 」

 葉山は、写真を横井の前に突き返すと、言った。

「 生きるって事は、明日に向かうって事なんだ。 分かるかい? 明日の事なんてな、誰にも見当がつかない。 事故で、死んじまうかもしれないんだぞ…? だからこそ、生きて来た道程である過去を大切にし、今日という日を一生懸命、生きるんだ。 目標を持ってね 」

 横井は、テーブルに置かれた写真を、じっと見つめ続けている。 葉山は、テーブルに突いていた両肘を離し、イスにもたれながら言った。

「 当たり前のように、今日を生きていたら… 人生の実感なんて、改めて感じる事は無いだろうね。 …まあ、そんな感覚には触れる事すら無く、平凡・平和に暮らしている人も多い。 それは、それで良しとしたモンだ。 だけど… 機会があったら、でいいから、一度くらいは『 現実を生きる 』と言う意味を、真剣に考えた方がいい。 生きているからこそ、過去が生まれるんだよ? 過去がある事を『 幸せだ 』と思わなくちゃ 」

 葉山は、更に続けた。

「 今日と言う日を、精一杯生きている人は、職業・貧富・性別… すべてに関係なく、とても輝いて見える。 それが俗に言う『 魅力ある人 』なんだよ。 君も、それを目指してみたらどうだい? 」

 …随分な、お説教になってしまったようだ。 でも彼は、もうこれ以上のストーカー行為は起こさないだろう。 そう確信した葉山は、横井に、謝罪を含めた誓約書を書かせた。 横井は素直に応じ、葉山の立会いの元、その場で書き、署名した。

 まだ幾分、心配な表情ではあるが、横井は安堵した目になって来ている。 精神的にも、もう大丈夫だろう。

 葉山は伝票を持って立ち上がりながら、最後に言った。

「 写真は、大切にしなよ? 君が生きた、証だ 」



 翌日、葉山は、依頼者宅へ報告に向かった。

 婦人に、出来上がった報告書を一読してもらう。

 葉山から渡された報告書を読み進める婦人の表情が、段々と変わっていった。

「 …ご相手の… 杉田さんの離婚理由になった女性って…… ウチの娘の事、ですよね……? 」

 報告書の文面から視線を上げ、婦人は、葉山に尋ねた。

「 その可能性は極めて高い… と、申し上げておきましょう 」

 葉山は答えた。

 報告書をテーブルに置き、小さく息をつきながら、婦人は言った。

「 …横井君の事もショックでしたが… 事の発端が、ウチの娘だったなんて… 」

 葉山は、横井の書いた誓約書を見せた。

「 彼の事は、もういいでしょう。 昨日、じかに会って、じっくり話しましたから 」

 婦人は、じっと誓約書を見つめている。 複雑な気持ちなのだろう。


 しばらくの沈黙… 壁掛けの時計の音だけが、コチコチと聞こえる。


 ラックの上に立て掛けてある写真を見ながら、葉山は言った。

「 …この結婚を進めるのも、白紙撤回するのも… すべては、娘さんの意志に沿った方がいいでしょう。 優柔不断な行為をとった杉田さんにも、今回の責任はあると思います。 でも、若気の至りは、誰にでもあるものです。 みんな、そうして成長して行くのですから…… いちいち詮索していては、キリがありません 」

 婦人は何も答えなかったが、自問自答しているかのように、何度も小さく頷いていた。

 やがて、横井の書いた誓約書を見つめながら、ポツリと呟くように言った。

「 私にも、女学生時代… 現在の主人と、お見合いした頃…… 実は、お慕いしていた人がおりました……」


 その後、数ヶ月ほど経った後、葉山の元へ婦人からの手紙が届いた。

 杉田氏との結婚生活を、スタートさせたとの事である。

 同封されていた結婚式の写真には、新郎新婦を囲む友人の中に、あの横井の笑顔も写っていた。 きっと今頃は、あの写真立ての横に、新たに、この写真も加えられているのだろう。


 葉山の仕事は、終った。


               〔 1枚のフォトグラフ ・ 完 〕

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