第3話『 18年目の、ごめんなさい 』3、暖簾

「 らっしゃいッ! 」

 L字のカウンターがあるだけの、小さな店だ。 数人の客が入っており、対象者の一樹氏は、店内の、やや奥の方に座っていた。

 メニューを見ながら奥へと進み、一樹氏のすぐ隣に座った葉山。 狭いカウンターの中では、ハゲ頭に手拭いを巻いた少々太り気味の男が、忙しそうに1人で調理をしている。

 葉山は言った。

「 大将、とりあえず、ビールね 」

「 あいよッ! とりあえずビール、1丁~っ 」

 男は陽気に答え、業務用冷蔵庫の中から瓶ビールを出すと栓を抜き、コップと共に葉山の前に置いた。 カウンターの上に掲示してあるメニューを見ながら、追加する葉山。

「 奴と、板わさ… あと、皮、もらおうか 」

「 あいよ! 」

 葉山は、タバコに火をつけると、隣に座っている一樹氏を、それとなく観察した。

 …当然、渡されていた写真にある学生っぽい雰囲気は無い。 髪は短めにカットされており、少々くたびれた作業着が、どことなく哀愁を感じさせている。

「 はいよ、カズちゃん! ネギマと砂ね、お待ちっ! 」

 ハゲ頭の大将が、一樹氏の前に注文を置きながら言った。 ファーストネームの愛称で呼んでいるところから、一樹氏は頻繁に、ここへ来ているらしい。

「 …ああ、有難う 」

 読んでいた新聞を膝に置くと、一樹氏は、それを食べ始めた。

「 はい、お待っとさんっ! すんげ~うまい奴と、板わさね! 」

 大将が、葉山の注文をカウンターに出す。

 葉山も、箸を付けた。

「 …へええ~、ホントにうまいじゃん、この奴 」

 葉山が、大将に言うと、銀歯をむき出しにして、大将は答えた。

「 あったりまえだよ! 自然水で作ってんだからよ。 はい、お待ち、皮ねっ! 」

「 へえ~、自然水ね 」

「 お客さん、ウチ、初めてだね? 」

 大将が、葉山に尋ねる。

「 うん、先週、引っ越して来たばかりでさ。 いい店じゃん、ここ。 …お宅、常連なのかい? 」

 葉山は、隣にいた一樹氏に話し掛けた。

「 …え? あ、ああ… まあね… 」

 突然、話しを振られた一樹氏が、少し、うろたえながら答える。

「 カズちゃんは、超常連だねっ! 週、3日は来てくれるんだもんなァ~ 」

 大将の言葉に、笑いを見せる一樹氏。 すかさず、葉山は話を続けた。

「 へえ~、そうなんだ。 僕、この辺、引っ越して来て日が浅いから、全然、判らなくてね。単身赴任なんだけど、お宅も? 」

「 …あ、いえ 」

 少々、戸惑いながら答える一樹氏。 家庭の事には、触れたくないのだろう…… 逆に、葉山に聞いて来た。

「 遠くからなんですか? 」

「 東京です。 ま、1杯… 」

 ビールを勧める、葉山。

「 …あ、どうも 」

 葉山は挨拶をした。

「 僕、鈴木って言います。 その用水路の向こうにあるアパートで、しばらく1人暮らしです 」

「 中島です。 僕は、運転手してるんですが、鈴木さんは、何を? 」

「 営業ですよ。 建築機材のリースをしてます 」

 一樹氏のコップに、ビールを注ぎながら、葉山は答えた。

「 あ、すんません。 …今、不況で大変でしょう? 」

「 まあ、どんな業界も大変でしょうが、特にウチみたいな土木建築は、さっぱりですわ 」

 タバコに火をつけながら、もっともらしく、葉山は言った。

「 運送業界も、そうですよ? 走ってナンボですからねえ。 荷が無くちゃ、どうしようもありませんよ 」

「 大型ですか? 」

「 いえ、4tです 」

「 そりゃ、大変だ。 長距離なんかだと、ヤんなっちゃうんじゃないの? 」

「 はは… もう慣れましたよ。 最近は、労働基準監督所も厳しいですからね。 配車も、運行には気を使ってます 」

「 お子さんは? 」

「 娘が2人。 小2と、幼稚園年長です 」

 葉山は、食べていた串を落としそうになった。 …何と、一樹氏には、娘がいる。 しかも、2人…! 誘導会話が、思わぬ事実を導き出したようだ。

 動揺を気付かれないよう、平静を装って葉山は答えた。

「 …ふ~ん。 可愛い盛りだね。 奥さん、幾つ? 」

 ビールを飲みながら、一樹氏は答えた。

「 今年で… 37ですね。 社内結婚でしてね 」

 酔いが回ったのか、一樹氏の会話から警戒心が消えている。

 しばらく間を置いて、コップに残ったビールを見つめながら、一樹氏は言った。

「 …実は… 出来ちゃった結婚なんですよ… 」

 新たな事実。 しかし、最近に多い話である。 別段、驚きもせず、葉山は答えた。

「 ふ~ん… 最近、多いからね。 僕の友人にも、かなりいるよ? 」

 コップのビールを一飲みし、一樹氏は幾分、声を落としながら言った。

「 結婚の経緯については… もう、いいんです。 今、不自由なく暮らしてますし、向こうの親にも、謝罪と了解は得てますから。 ただ…… 」

 言葉に詰まる、一樹氏。 葉山には、一樹氏が言おうとしている事の想像がついた。 あの事だ……

「 …こんな個人的な事、初対面の鈴木さんにお話しするのは、失礼だとは思うんですが、僕には相談する相手もいなくて…… 」

 空になった一樹氏のコップに、ビールを注ぎながら、葉山は言った。

「 構いませんよ。 気軽に行きましょうよ。 せっかく、知り合った仲じゃないですか 」

 一樹氏は、注がれたビールをじっと眺めながら、葉山に言った。

「 …逆に、知り合ったばかりの鈴木さんだから、助言をお願い出来るのかもしれませね…… 実は僕、家出してるんです 」

 周りの客や、大将に聞かれないよう、小さな声で一樹氏は言った。 全てを知っている葉山ではあるが、ここはひとつ、トボケなければならない。

「 は? 家出? 中島さんが? 」

 一樹氏は、無言で頷いた。 彼の耳元に顔を近付け、葉山は低い声で聞いた。

「 …家出して… そのまま結婚しちゃったってコト? 」

 更に頷く、一樹氏。 葉山は驚いた表情を演出し、言った。

「 こりゃまた… はあぁ~… スゴイ人生、送ってるね、お宅 」

 一樹氏は顔を上げ、真顔を葉山に向けると尋ねた。

「 どうしたら… どうするべきなんでしょう、僕…! 家出して… もう18年も経ってるんです。 今更… どんなツラ下げて帰りゃいいんですか……? 」

 やはり、一樹氏は帰りたいのだ。

 おそらく、結婚相手の両親には、事実を伝えてあるのだろう。 それを理解して結婚生活を許したとするならば、相手の両親の寛大さには、頭が下がる。 普通は、許してくれないものだ。 多分、奥さんとなった相手の女性からの説得もあったとは思われるが、並大抵の事では無かったと推察される。

 一樹氏は続けた。

「 女房の親とは、近々親の元へ戻り、結婚した事を告げる約束をしていました。 でも… いつかは、いつかは、という思いのまま、年月だけが過ぎていってしまいまして…… 」

 葉山は、しばらく考えてから、諭すように言った。

「 中島さん… そりゃ、帰った方がいいよ。 いや… 帰らずとも、今、ここで元気に暮らしているという事を、知らせるだけでもいい。 親御さんは心配していると思うよ? 」

 うなだれると、一樹氏は答えた。

「 …やっぱ、そうですよね。 娘達にも、おじいちゃん・おばあちゃんに、会わせてやりたいんですよ……! 」

「 それが、いいね…! 人間の感情なんてね、時が解決してくれるモンだよ? そりゃ、少しは怒られるだろうが… 可愛い孫が出来るんだ。 そうそう後には、尾を引かないと思うケドな 」

 葉山に注がれたビールを、一気にあおる一樹氏。 空になったコップを見つめながら言った。

「 今度の休みに… 思い切って、電話してみようかな。 このままじゃ、イヤなんです……! 」

 不安気ながらも、決意の表情を表し、一樹氏は葉山を見た。

 答える葉山。

「 それがいいと思うな。 お互い、大人同士だろ? 親子なんだからさあ 」

「 …怒ってるでしょうね 」

 しばらく考えてから、葉山は答えた。

「 近況が判らない、苛立ちの方が強いと思うな。 …立場を逆にして考えてごらんよ。 あんただったら、どう思う? どうして欲しい? 」

「 …… 」

「 電話1本で、済む事じゃないか。 連絡してあげなよ 」

 大きく息を吐き、一樹氏は答えた。

「 分かりました…! 女房とも、話し合ってみます。 最近、女房もそんな事、言ってたし…… 」


 その後、2人は、しこたま飲んだ。

 足元がおぼつかなくなった一樹氏を、葉山は、彼の案内で自宅まで送って行く事になった。 尾行をしなくても済む。 居住確認も出来るし、一石二鳥だ。

 焼き鳥屋から、数百メートル。 こじんまりとしたコーポに、彼は住んでいた。 軒先には、おもちゃの車が置いてある。 幼児用の自転車も確認出来た。

「 まあ、あなた……! 今日は、随分と飲んだのねえ 」

 玄関先に出て来たのは、一樹氏の奥さんと思われる女性だった。 身長は、そんなに高くない。 ショートカットの髪型からは、活発そうな雰囲気が感じられた。

「 初めまして、鈴木です。 そこの焼き鳥屋で意気投合しちゃって… つい、飲みすぎちゃいました。 すみません 」

 葉山が挨拶をすると、彼女は苦笑いをしながら言った。

「 明日、非番なもんで、つい飲み過ぎちゃったのね。 わざわざ、すみません 」

 玄関のドアにもたれながら、一樹氏は言った。

「 鈴木さん、ありがと…! 今日は、良い夜だったよ 」

 軽く手を上げ、葉山は答える。

「 良い結果を信じてるよ…! …じゃ 」

 お辞儀をする奥さんにも、軽く会釈をし、葉山は、一樹氏の自宅を後にした。

( これで、居住確認も終了だ。 きっと彼は、電話をしてくれる…! )

 先程、手に入れた自転車にまたがり、葉山は車へと戻った。



「 住所は、ここに… 電話番号は、これです。 でも、一樹さんは、近いうちに必ず連絡をくれるはずです。 しばらく待っていてあげて下さい。 ご自分の方から、この18年を清算しようと思っていらっしゃいますから 」

 後のデータ調査から判明させた一樹氏の現住所と電話番号が記載されている報告書を夫人に提出し、説明する葉山。 勤務先の会社さえ判明すれば、従業員の居住先をデータ調査で明らかにする事は、簡単な作業である。 少々、日数は掛かるが…

 葉山は、実際に一樹氏と接触し、その本人の口から聞いた内容を、依頼人である夫人に告げた。 夫人は、理解してくれたようである。

 葉山は言った。

「 焼き鳥屋で会った男が私だった事は、一樹さんには、秘密にしておいて下さいね 」

「 分かりました…… あの子から連絡があるのを、しばらく待ってみます 」

 夫人は、葉山が撮影したビデオを、涙ぐみながら見ていた。

 元気に働いている、我が子… 夫人の目には、どんな風に映ったのだろうか。

 もし、何も連絡が無ければ、それこそ婦人の方から尋ねて行く事になる。 一樹氏から連絡があれば、全てがうまく終了するのだ。 出来れば、あと味悪くして欲しくないものだ……


 数日後。

 嫁と、可愛い2人の孫が、いきなり同時に出来た夫人から電話があった。

「 一樹から連絡がありました。 色々、お世話になりました。 報告書は、もう捨てました。 必要なくなりましたから…… 」

 家族とは、人間の最小単位なり。


 葉山の仕事は、終った。

             〔 18年目のごめんなさい ・ 完 〕

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