第七章 竜胆泥棒顛末記(りんどうどろぼうてんまつき)

 どこかで犬が遠吠えした。すっかり暗くなった町で、空也は息を殺していた。身元がバレる提灯は、今回持って来ていない。用心のための棍だけた。

建物の隅に隠れ、向かいの骨董品店をうかがう。陳列窓の奥は、暗闇で見えなかった。他に、光の漏れている窓もない。完全に寝静まっているようだ。

「あのなぁ」

 急に寛次に声をかけられて、空也はびくっと体を硬くする。

「びっくりした。何? 寛次」

「いや、『何』じゃなくて。俺、一応警官なんだけどね。なんだって泥棒の真似事をしないといけないんだ」

 空也は手を合わせてみせた。

「ごめんね寛次。誰か来るかどうか見ててくれるだけでいいんだ。絶対に迷惑はかけないからさ」

「ま、ここにこうしているんだから、覚悟はできてるけどよ。しかし、本当に間違いないだろうな」

 空也は小さくうなずいた。

「うん。間違いない。あの幽霊は、消えるとき、なんか言っていた。たぶん鞘、って言ってたんだと思う」

「するってーとあれか? お前はあいつがここにある鞘を欲しがって暴れているとでもいうのか?」

「うん、はっきりとはわからないけど。ほら、刀だけ持っていて、鞘がないなんて不自然じゃない」

「わからなくもないけどな。けどよ、だとしたらなんでその幽霊は自分で鞘を取りに行かないんだ? あれだけ散々うろついてるのに」

「さ、さあ。そこまでは…… ひょっとしたら迷ってるのかも。この町、複雑だから」

「そんな間抜けな幽霊に殺されたんじゃ、被害者は浮かばれねえな。けどよ。首尾よく鞘を盗んだとしても、すぐにバレるぞ」

「大丈夫、刀がおとなしくなったら、ちゃんと返すから。ほら、刀が一緒のほうが高く売れるだろうし。もちろん、刀はただであげるし」

「はいはい、取り憑かれないことを祈ってるよ。ほら、人は来ていない。行くぞ」

 二人はこそこそと行動を開始した。通りを突っ切って、竜胆のドアに張り付く。念の為、陳列窓から店の中を覗く。商品があるだけで、今の所誰もいない。物陰に隠れている人物もいないようだ。こっちを見ている瀬戸物の人形がちょっと不気味だった。

 空也はノブに手をかけた。当然鍵が掛かっている。分厚い扉はかすかに揺れるだけだ。

「空也、どけ」

 寛次は懐から針金を取り上げた。その先を鍵穴に差し入れる。

「え、寛次鍵開けなんてできるの?」

「できるか。よく怪盗がこうやってお宝盗んで行くだろう。小説かなんかで」

「そんないいかげんな」

「じゃあ、お前はどうやって忍び込むつもりだったんだよ?」

「え? ガラス割って」

「速攻バレるわボケッ! とにかく、忍びこんだら一気にブツ持ってとんずらだ、いいな」

「警官のセリフじゃないね。やだー」

「本っ当に殴るぞ貴様」

 しばらく針金を動かしていると、カチッと小さく弾ける音がした。

「おお、開いた。すごいな俺」

「たしか、ドアベルがあったはずだ。ゆっくり、気をつけて…」

 空也がそろそろと扉を開ける。隙間から手を伸ばして、鳴りかけたベルを押さえる。そして、体を店の中へ滑り込ませた。

 埃っぽい空気と闇が部屋に満ちている。星と月の光が曇った窓で削られる店内は、外より暗い。空也は手燭とマッチを取出し、ロウソクに灯をつけた。

 そこは別世界のようだった。戸口の招き猫が微妙な陰影をつけていて、なにか奇妙な生き物のようにみえた。カメラに傘、かんざし、朱塗の箸。どれもこれも、なんの変哲もない物のはずだが、橙色の明かりに照らされるとその品物のすべてが自分に注目しているような気がする。物と、それぞれの物に刻まれた思いや記憶が、埃と一緒に濃密に闇に漂っているようだ。

 入り口の奥に目的の物があった。

空也は狭い店内でも歩けるように棍を壁に立てかけた。そろそろと歩みを進める。小さな音がして、袖が引っ張られた。驚いて振り返ると、棚に置かれた花瓶が袖に触れたらしく小さく揺れていた。

「……!」

 空也が声にならない悲鳴をあげた。寛次の手が伸び、花瓶を押さえつける。完全に揺れが収まったのを見届けて、二人は同時に溜息をつく。

「ばか、何やってんだよ」

「ごごご、ごめん!」

 どっとあふれた汗をぬぐう。鼓動の速くなった胸を押さえて、深呼吸。改めて鞘にむかった。

 そっと灯りを近づける。ロウソクの明かりを鞘の金具が照り返す。施された彫り物が、夕方見たときより神秘的に見えた。黒塗りの鞘はきらびやかではないが、だからこそ上品な感じがした。

「なるほど、刀がなくてもこれは高く売れるね」

「見惚れてる場合か! とっととずらかるゾ!」

 寛次は何だか泣きたくなってきた。これでも警官なのに盗人の片棒をかつぐなんて。おまけに共犯者が頼りない。

「わかってるって。これ持ってて」

 空也は蜀台を寛次に渡した。

「ごめんなさいおじさん。あとで刀つけて返すからっ!」

 覚悟を決めて、鞘に手を伸ばす。

鞘に触れた瞬間違和感を覚えて、空也は反射的に手を引っ込めた。何か、指先がぴりっとしたような。毒虫に指されたかと指先を見てみるが、腫れた痕はない。

 なんだったのかと思いながら、鞘の中を覗き込む。

(なんだ、これ)

鞘の中に、紙のような物が貼り付けられていた。よく見ると、細かな模様が描かれている。

(御札?)

「おい、何やってるんだよ。早くしろ!」

「う、うん」

 紙は、落ち着いてから調べればいい。空也はグッと鞘を握り締めた。そして台から引き離した瞬間。

 ジリリリリ!

 鞘の台座からけたたましい音が響いた。

「防犯ベルゥッ!」

 二人の悲鳴が重なった。がたがたと奥で人の起きてくる音がする。

「くそ、こんなハイテクな物を!」

「寛次、逃げよう!」

 棚に置かれた器やら本の山やらを倒しながら、二人は戸口に向かう。走った勢いでロウソクの火が消えた。空也は壁に立てかけていた棍をひっつかんだ

「ゲ、もうお仲間が……」

 寛次が上ずった声を上げた。

 騒ぎを聞きつけて、ドア越しに無数の足音が近づいてくるのが聞こえた。パトロールの警官たちだ。

「昼の小僧、盗人だったのか」

 分厚い寝巻き姿の主人が奥から現われた。寝起きとは思えないほど、眼光が鋭い。

「ええっと、これから返す、っていってもダメですよ、ね」

 空也は棍を脇に抱え、空いた両手で気まずそうに鞘をいじっている。

 あっという間に外は警官に囲まれてしまった。ドアベルが鳴り、警官が数人はいりこんできた。

「寛次、これはどういうことだ。上官の私に説明してくれんかね」

 体格のいい警官が、寛次を見下ろしていた。どうやら、寛次の上司らしい。

「ほ、細井さん! え、え~と。これは、その……」

 寛次はすいっと目をそらした。

「寛次」

 鞘の口を見つめていた空也が、制服の裾を引いて囁く。

「なんだよ、言い訳考えてるんだから邪魔するな」

「シッ! いいから、針金貸して」

 寛次はわざと空也から視線を逸らせたまま、そっとズボンのポケットを探り出した。空也が何を企んでいるか知らないが、警官達に気づかれたくないだろう。

 落としそうになりながら、空也は受け取る。

「ほら、鞘をよこせ」

 背の高い警官が手を伸ばした。

「ええい、誰に物を言っている!」

 後手で鞘を隠しながら空也は偉そうにふんぞり返る。

「ど、どうした空也。なんだいきなり。悪い物でも食ったのか」

 寛次の言葉に空也は顔が熱くなった。たぶん、頬は真っ赤になってるだろう。けれどここでハッタリをやめるわけにはいかない。

「ぼ、いや、私は、最近の通り魔事件を治めに来た神であるぞ。今、この男に乗り移っている……」

 空也は手探りで鞘の中に針金を突っ込む。指先から感じるわずかな感覚を頼りに、紙の位置を探る。

「はあ?」

 あんまりといえばあんまりな空也の言葉に、警官の一人が聞き返す。

「なんのつもりか知らないが、嫌ならやめろよ。いっぱいいっぱいじゃねえか。こっちまで恥ずかしくなってくる」

 寛次も呆れて声をかけたとき、空也はようやく鞘の内側に貼られた紙の位置を探し当てた。

「何を言っている。何のつもりか知らんがそんなことでごまかせると思っているのか!」

 寛次の上司はコメカミをヒクつかせていた。

「かまわん、寛次もろともひっ捕らえろ!」

「はっ」

 数人の警官が突撃してきた。棚の上の物が落ち、主人の悲鳴が響く。

「う、うわっ!」

 空也の袖に、寛次の衿に、警官達の手が伸びる。

「よし!」

 鞘のなかで、紙が切れた。空也は水平に鞘を持ち、正面へ突き出す。

 空也の手から、白い光が膨れ上がった。それは濃密な煙にも見えた。危険を感じた警官達が動きを止める。

「邪魔だてするなと言っている」

 空也の声が響く。

光は流れ、人の形を取り始める。まるで、鞘から人間の上半身が生えていくようだった。

すべらかな長く白い髪。女性らしい丸みをおびた輪郭。そして長いまつげに縁取られた柔らかなまなざし。悲しげに閉じられた唇にも色はなく真っ白だったが、それでも美しい。

「お、女の、幽霊……!」

 空也と寛次を取り囲む輪が広がった。

「な…… 本当に化けモンが……」

 寛次が目を擦る。細井はシワのよりかけた頬をつねった。

 空也が切った紙。それは一枚の符だった。

 女の幽霊は、完全に鞘より抜け出て、空也の前に降り立った。真っ白い着物に、たくさんひだのある裳という衣装を身につけている。これできれいな色さえ付いていれば、大昔の姫君の格好だ。

「私はこの男をより代をつかって、罪なき者を斬る不埒者を滅ぼしにきた神だ。無礼であろう、そこを通せ」 

呆然とする警官達に空也は言った。女性の声で。

 まだ衝撃が抜け切れない警官達は、扉への道をふさいだまま動かない。

「逆らうというのなら……」

 鞘の女神は手をゆっくりと持ち上げた。空也もそれと同じ動きをする。

 カタカタとまわりの商品が揺れだした。もちろん地震などではない。

 見えない糸で吊られているように、かんざしが浮き上がった。くるくると回転して、凶器に使えるほど尖った先端を警官達に向ける。

 自称女神は、手の平に息を吹き掛けるような仕草をした。かんざしが飛ぶ。かんざしは壁に突き刺さった。クモの巣のような小さなヒビが壁にはいった。ぱらぱらと小さな音を立てて漆喰がはがれる。先端についた珊瑚の飾りが、細かく震えていた。

「ひっ」

 背の高い警官があとずさった。

「今だっ! 行くよ寛次!」

 空也はそのスキをついて一気に走り始める。

同時に、幽霊は煙のように散って姿を消す。

「な、なにをしている! 捕らえよ!」 

 我に返った細井が怒鳴った。

「二手に別れろ! 何人かここに残ってあとは追え!」

「『行くよ』って…… え、えーと」

 寛次は空也が出て行った外と、店に残った警官達を見比べた。

「すまないっスみなさん! あとで説明しますから!」

 結局寛次は外へ駆け出した。

 警官たちが何人か、その後を追う。

 夜がふけ、店の外は暗い。だが空也達が起こした騒動は、眠っている人を何人かたたき起こしてしまったようだ。騒ぎを聞きつけ、窓を開けて様子をうかがっている家もあった。  

 寛次は空也に追いつき、並んで走る。

「寛次、次右に曲がるから。その次も右、で、三叉路の真ん中!」

「お、おう」

 空也がてきぱきと指示を出す。空也が選んだのはどれも細い道で、人数の多い警官達は通るときにもたつき、追う者と追われる者達の差は確実に広がっていった。

「ふはははは、この本防の町で僕を捕まえようなんて、あっまーい! だてに送り提灯やってないよ!」

「空也、お前性格変わったか?」

 なんだか友人の知らない一面を垣間見た気がした寛次だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る