第五章 それぞれの午後
警察署から解放されたのは午後四時をすぎた頃だった。秋の日はつるべ落とし。傾きかけた日が、行き交う人達の影を長く伸ばしていた。いつもなら、子供達が家へ駆けて帰る時間だ。しかし通り魔のせいでどこの子供も外出禁止にされているらしく『じゃあ明日』の声も聞こえない。居酒屋が早めに炉連を片付けていた。
「それではお二方、ご苦労様でした」
寛次がふざけて敬礼をする。
「まあったく、失礼しちゃうわ。いっくら幽霊に襲われたって言っても、ぜんぜん信じてくれないんだから」
明衣がいらだたしげに髪をかき上げる。
「まあ、僕だって実際に見なければ幽霊なんて信じないですし。イマイチ納得できないけど」
空也が苦笑しながらなだめた。
「でも、『どういうわけだかその道だけに発生した霧』に隠れて犯人が見えなかったんだろうって。どう考えてもそっちの方が不自然じゃないの。まあ、いいけどね」
明衣がひらひらと手を振った。
「それじゃ、またねん、寛次君。まだお仕事あるんでしょ? がんばってね。ああ、そうだ空也君。家まで送ってくれるかしら?」
「いえ、すみません。ちょっとよりたいとこが」
空也は明衣と別れたその足で、骨董品屋『竜胆』へむかった。もちろん、あの幽霊について訊くためだ。空也はどうしてもこのまま通り魔を放っておくことはできなかった。なにせ、真菜が怪我をさせられ、空也も殺されかけたのだから。
竜胆は、駅に近い賑やかな通りにあった。人の背丈ほどもある看板が軒にかかっていた。西洋風の扉の横には少し汚れた陳列窓があり、瀬戸物の人形が扇を構えて空也を見ている。
「こんにちは……」
場所は知っていたが、入るのは始めてで、空也は緊張しながら戸をあけた。ドアベルがもの哀しげな音をたてる。
中は、一面飴色の世界だった。入り口のわきに置かれたタンス、その上の色のはげかけた招き猫。カウンターの隣にあるボンボン時計。埃っぽい空気まで夕焼けに染まって琥珀色に染められている。
「いらっしゃい」
あいさつしてくれた店主は、眉間に深いシワが寄った、いかにも気難しそうな中年だった。まだ冬にはなりきっていないのにぶあついドテラを着こんでいる。
空也は寛次からあずかった鈴を取り出した。
「ええっと、あの…… この鈴について訊きたいんですけど」
その鈴を見たとたん、店主は露骨にうんざりした表情になった。
「もう何度も警察に話した。それにあんたは警官じゃないだろう」
「いや、そうなんですけどね。少し通り魔事件にかかわっちゃったんで」
「あの鈴を持って来たのは、どこかの商人だよ。鈴と本と鞘、それから壷と器を売っ払っていった。借金の形にもらった、とか言ってな。なんだか嫌な感じがするんで一刻も早く売り払いたいってね」
「いやな感じ?」
「ああ、なにか憑いているような感じがするんだとよ、馬鹿馬鹿しい。私はそれより泥棒や詐欺のほうが恐いね」
「その人は? どこに住んでいる人ですか? 話聴けます?」
「さあな、どこの誰だか知らないよ。訊かなかったしな」
「はあ……」
結局、それ以上のことは聞き出せそうになかった。
空也はその商人が売った品がないか、それとなく店の中を見て回った。幽霊を追い払う鈴と一緒に売られた道具を調べれば、何か事件の真相に繋がる物があるかも知れない。
壷も器もたくさんあり、どれがその問題の客が売ったものかわからなかった。本もお伽話やら文学誌やらで、幽霊や魔術について書かれた物はない。
だが、探している最後の一品は店の奥にあった。乱雑な店の中でそれだけ丁寧に、鹿の角でできた台に飾られていた。
それはほとんど反りのない、黒塗りの鞘だった。金色の鯉口にきれいな彫刻が施されている。少し汚れている物の、素人の空也にもいい物だというのがわかるほど美しかった。
「ああ、これがその商人の持って来た鞘。うわ、高い! 三年遊んで暮らせる!」
空也は、自分に襲いかかってきた白い男を思い出した。あのとき、男が持っていたのは、血の滴る抜き身の剣。そしてその腰に、それを収めるべき鞘はなかった。
そういえば、消えるときにあの男は何か呟いていた。はっきりとは聞き取れなかったけれど、二回口が動いたのは覚えている。ひょっとして、『サヤ』と言っていたのでは。
「これ、手に取ってみちゃぁ…… ダメですよね、ははははは」
思い切り睨まれて、空也は無意味に笑った。
「あの、ずうずうしいお話なんですけど。その鞘、少し貸してくれませんか?」
空也は両手を合わせる。
店主は訝しげな顔を向けた。急に背中をむけると聞いていないふりをして、商品をふき始めた。
空也がその背中を追って、食い下がる。
「ああ、もちろん傷つけたりしません。借りている間、賃貸料を払ってもいいです」
「なんのために?」
店主は手を止め、視線だけを空也に向けた。
「ええ、ええっと」
まさか霊を鎮めるため、なんていえない。
「ええと、父さん。そう、亡くなった父さんが刀とか大好きだったんです」
亡くなった父さんがいるのは本当だけど、彼が古美術品に興味があったかは、後で母さんに聞いてみないとわからない。
「それでこんないい鞘なら見せてあげたいな~と」
店主はまだじっと空也の顔を見つめている。
空也の背中を冷たい汗が滑り落ちる。
「ふん」
主人は鼻をならした。
「その話が本当ならば、考えないこともないがな」
ば、ばれている。主人の言い方でそれがわかった。
「もしも嘘だった場合は……」
こっちをにらみつけた主人に空也は愛想笑いをしてみせた。
「あ、はははは。やっぱりいいです。んじゃ、失礼しまーす!」
空也はあたふたと外へ逃げ出した。
病室に西日が差し込む時間になった。ベッドもタンスも、オレンジ色の光に照らされて影を長く伸ばしている。
「では、真菜さんまた後で」
「え、ええ……」
浦雪が深々と頭を下げ、病室の戸を閉めた。
「はあ、あの人は長話で困るわね」
足音が十分遠ざかるのを待って、怜菜が言った。
言葉のわりに、母の顔が嬉しそうなのに気がつき、真菜は目眩を起こしそうになった。 母は浦雪を気にいっている。たぶん、真菜本人よりも。
「そうですわね。結構長い間いらしたわ」
あいまいに真菜は頷いて、ゆっくりとベッドに横たわった。実は浦雪が話している間、傷口が重たい感じがして、体を起こしているのが辛かったのだ。手足の先が少し冷たい。
浦雪が買って来てくれた花は、もう枯れ始めていた。
「でも、『真菜さんが心配だから、二、三日この町に泊まります』なんていい人じゃないの。『なにかあったら声かけてください』だって」
「ええ」
「じゃあ、お母様はいったん帰りますね。夜までにはまた戻りますから。そうそう、空也さんが送ってくれたっていうお見舞いは何かしら?」
洗濯物を風呂敷に包んで、伶菜は病室を出て行った。
真菜には、空也が何を買ってくれたのか、母に教わらなくても何となくわかっていた。そして、それをここにもって来なかった理由も。買ってきてくれたのは、きっときれいな花だろう。そして家に送ってくれた理由は……
空也の考えがわかるのが少しおもしろくて、真菜は毛布を口もとまで引き上げると、くすっと微笑んだ。
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