第四章 人の恋路を邪魔する奴は
結局というか当然というか、交流会は中止になった。幸い、真菜の傷は命にかかわるものではなかったが、様子を見るためと怪我の消毒のために三日間だけ入院することになった。
白い壁に、消毒液の匂い。水をまいたようにつやつやとした木の廊下。見舞いに来た初冬の病院は昼でも寒々しい。空也はこの雰囲気がどうも好きになれなかった。すれ違った看護婦さんに真菜の病室を聞いて廊下を進む。
扉をノックして呼びかける。
「真菜さん、入っていいですか?」
「ええ、どうぞ」
さすがお嬢様だけあって、真菜の病室は広い個室だった。寝台の枕元には薬や小物を置く小さな台がある。誰かのお見舞い品だろう、その上にリンゴが乗っていた。そして患者用の寝台とくっつくようにして、隣に小さな簡易ベッドがついていた。泊込みで看病する人のための物だ。
「あら、空也君。偶然ね」
明衣と、真菜の母親伶菜がベッドの傍らに立っていた。
「昨日の送り提灯はあなただったんですってね、空也さん」
伶菜は渋い顔で空也に目をやった。空也は視線をそむける。
気まずくあいさつをすると、空也はベッドに座っている真菜に声をかけた。
「真菜さん、具合はどうですか? お見舞いを持って来てなくて、悪いんですけど」
「まあ、わざわざ。お見舞いなんて大げさな。あさってには退院ですよ?」
まだ顔色は悪いが、声は元気そうで、空也はひとまずほっとした。
「あの…… ごめんなさい真菜さん。こんなことにならないように、僕がついてたのに」
空也は深く頭を下げた。明衣がわしゃわしゃと頭をなでる。
「気にしなさんな、空也君。あれはどうみてもこの世のものじゃなかった。あそこまで渡り合えただけでもたいしたものだよ。真菜ちゃんだってそう思ってるさ。ねえ?」
「ええ、お師匠さんの言うとおりです! 空也さんがいなければ、殺されてたかもしれないんだから。い、いたた…」
力をこめて言ったから、傷口が痛んだらしく、真菜は顔をしかめた。
「しかし、それ本当かしら? 幽霊が通り魔だって」
伶菜は眉をしかめた。
「ええ。信じられないけど、間違いありません。僕が殴っても手応えがなかったんです。刀はちゃんとはじけたんだけど……」
「私は信じられませんわ。真菜さんは幽霊なんかに恨まれるような子じゃありませんもの」
伶菜は不満そうにいった。
「でも、本当なんだよ、れーさん。親友のあんたに嘘なんていうものか」
明衣が口添えしてくれた。
「私が鈴を鳴らしたらびびって逃げていったんだ。あの音でも聞きながら死んでいったのかね、あのお公家さんみたいな奴は」
「そういえば空也さん、あの鈴はどうしたんですか?」
「今朝、寛次に返しました。やっぱり、なにかいわくがあるんじゃないかと思って。寛次も色々調べてるから、何かわかったことがあったら教えてって言ってあるけど……」
引き戸の開く音に、空也は言葉を中断した。
「おっ邪魔っしまーっす」
場違いなほど軽い声と一緒に入ってきたのは、その寛次だった。
「寛次! ちょうど君の話をしてたんだ」
「美女三人に噂されるとは、男冥利につきますな。空也、あの鈴のことがちょっとわかったぞ」
「本当?」
身を乗り出してきた空也の鼻先に寛次は鈴を突きつける。
「落ち着けって。そんなにすごいことがわかったわけじゃない。この鈴は、どこぞの商人が、この町の骨董品屋に売り払った物らしい。『竜胆(りんどう)』っていう店だ。お前なら場所知ってるだろ。で、その鈴を買い取ったのが被害者の女ってわけだな」
「ふうん。じゃあそのお店の人に訊けば幽霊のこともわかるかな」
「さあな」
木の廊下を歩く音がして、また見舞い客がやってきた。
扉を開けた男は、年令は空也達よりも二、三年上のようだ。髪を全て後になでつけ、銀縁の円い眼鏡をかけている。白い背広は紙制かと思うほど糊がきいていた。一抱えもある花束を抱いている。
「真菜さん、大丈夫ですか?」
真菜が返事をするよりも、伶菜が小走りに青年の前に駆け寄った。
「あらまあ、お仕事はどうしたんですか浦雪(うらゆき)さん」
伶菜が慌てて男の紹介を始める。
「空也さん、寛次さん。こちらは浦雪さん。真菜の婚約者なの」
「そんな、婚約者なんて、お義母さん。まだ真菜さんに了承を受けていませんよ」
浦雪はどこかキザッたらしい動作で手を振る。
「いや、もうすでに『お義母さん』って言ってるし」
呟いた寛次のツッコミが、男に聞こえたかどうか。
「これ、お見舞いです」
大きな花束を真菜に渡す。
束ねられているのは、どれも高価そうな花ばかりだった。レースのようにヒラヒラした淡いピンクの花、青い背の高い花……
男にしては花に詳しい空也でも、ほとんど名前が分からない。
「よく見ておいてくださいね。切り花だと半日も持ちません」
「あ、ありがとうございます」
真菜はためらいがちに受け取った。
寛次が空也を肘でつつき、耳元で囁く。
「おい、御見舞い忘れたのはマイナスでかいぞ」
「ううん、忘れたわけじゃないんだ。真菜さんの家に送ったから、ここにないだけで」
「はあ? お見舞いってのは具合悪い奴に『これで元気だせ』って贈るものだろ。家に送ってどうするんだよ。この馬鹿、まぬけ!」
「だ、だってぇ」
情けない声を出す空也に寛次は大きくため息をついた。
内緒話に気づいたか、浦雪は空也と寛次に目をやった。
「おや、こちらの方々はどなたです?」
「えっと、赤い髪の方が寛次さん。警察の方です。で、その隣が空也さん。送り提灯をしていらっしゃいます」
「ああ、二人とも真菜さんを守ることができなかったのを、謝りにきたんですね」
嫌味たっぷりに浦雪はいう。
「特に送り提灯の人は重罪ですよ。大事な客も守れずに、真菜さんに怪我をさせてしまったんですから」
不意打ちをくらったように、空也は小さく息を飲んだ。うつむいて、両手を握り締める。浦雪の嫌味に怒っているというよりも、涙を堪えているようだった。噛締めた唇が震えていた。
「空也君がいたから、真菜ちゃんは怪我だけですんだのさ。ま、一番の功労者は私だけどねえ」
おほほ、と明衣は高笑いした。
「しかし、それにしても……」
「ああそうだ。鈴の他にも用件があってな」
まだ続きそうな浦雪の嫌味を、寛次がばっさりと断ち切った。
「俺は空也を連れに来たんだ。また話を訊く必要があるからな」
「うえ、もうヤなんだけど、取り調べ」
「本当は真菜さんにも話を聞くところなんだけど、怪我してるから後でいいってさ。それから……」
「当然、私もよね。一緒に行きましょ、空也君」
明衣が空也の肩を叩いた。
「心配しなさんな。おとなしくしてればすぐに帰れますって」
そのセリフを聞いた寛次がまた小声で言ってきた。
「なあ、空也。美地さんといい、このお師匠さんといい、若い頃なにかやったのか?」
「さ、さあ」
空也はそう言ってあいまいに笑うしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます