10:まぐれメタルも忘れていない
夜半「美しき雌鹿」亭へ返ってくると、店の中はどこか落ち着かない雰囲気だった。
渋面の冒険者、当惑したような旅人、声を潜めて会話する商人……
数日前と比べて、利用客たちの様子からは、明らかに不穏な空気が伝わってくる。
何事かと訝しみつつも、いったん宿の部屋へ戻って荷物を置いた。
酒場でテーブルに着くと、女主人のジュディスに声を掛ける。
「なあ、ジュディス。俺たちが留守にしてるあいだに、何か変わったことでもあったのか」
「さてね。これはお客から聞いた噂だから、あたしがじかに目で見てたしかめたわけじゃないんだけど――」
ジュディスは、そう前置きしてから、困り顔で肩を
「ウォーグレイブ丘陵で、やたらと大きな魔物の群れを見掛けたっていう話が、急に取り沙汰されているらしいのよ」
「やたらと大きな魔物の群れ、だと?」
レティシアが鸚鵡返しにたずねる。
店の女主人は、「ええ」と浅く首肯し、詳しい話を続けた。
「最初に目撃されたのは、昨日の日没前辺りみたいなんだけどね。……この街を目指していた商人が、『荷馬車で丘陵地帯を通過したときに気付いた』って言うの」
主要な交易路ではないけれど、ウォーグレイブ丘陵地帯にも大陸北部へ抜ける街道が何本か通じている。
件の商人は、そのひとつを移動している際に、魔物の群れを発見したとのこと。
幸い彼我に多少の距離があって、危うく接触する事態は免れたという。だが「もし襲われていれば、ひと堪りもなかっただろう」と、いまだ恐怖が忘れられないそうだ。
以後、店を訪れる幾人かの客から、ほぼ同様の報告がもたらされているのだとか。
魔物の群集は、遠目に見た者が語る限り、大小の妖魔を中心とし、魔獣の類も含まれる構成を呈しているらしい。
また少なく見積もっても、三〇匹以上が連れ立って行動しているように見える――
と、目撃した人々は語っているみたいだった。
「こんなに大きな魔物の群れが現れるだなんて、この街の周辺じゃ初めて聞く話よ」
ジュディスは、頭を抱えるような素振りで言った。
「おい、アシュリー」
ばつの悪そうな顔で、レティシアが話し掛けてくる。
「それほど大規模な魔物の群れとなると、もしかして、その――」
「……まあ、その通りだろうな」
この上もない居心地悪さを覚えつつ、俺はレティシアの推量を請け合った。
ああ、もちろんわかってる。
「ウォーグレイブ丘陵で、魔物が過去最大級の群集を形成している」
とすれば、その中心にはまず間違いなく、同じ地域で統率役の存在があるはず。
――つまり、それはおそらく、あのまぐれメタルに率いられた群れなのだ。
「もっと私たちが、早くまぐれメタルを倒していれば」
メルヴィナは少しうつむいて、唇を噛んでいる。
真面目な子だから、自責の念に駆られたのだろう。
それは当然、俺たち全員が共有する心情だ。
「この土地で魔物が群れているのは、別にあんたたちのせいじゃないわ」
穏やかな口調で、ジュディスは気遣ってくれた。
「それを言い出すと、これまで他に何人の冒険者が同じ
そう言ってもらえると、こちらとしては助かる。
が、曲りなりにも勇者を名乗る身としては、あまり甘えるべきでもなかろう。
「……どうするの、アシュリー」
プリシラが、いつもの淡々とした口調で、判断を求めてきた。
すると釣られるように、皆の視線がこちらへ集まる。
いやまあ、しかしどうするって訊かれてもなあ。
今の俺たちの立場からして、次なる行動の選択肢は然程多くない。
「そりゃ、とりあえず明日になったら、丘陵地帯へ行ってみるしかないだろ」
このまま放置して、魔物のせいで旅人の足が街から遠ざかれば、やはり問題だ。
一時的にであれ、相応の経済的な損失を生ずるはずだった。
おまけに行政の介入を漫然と待ち続ければ、被害は尚更拡大する懸念もある。
ならば、ここはできる限りのことをするしかない……
つくづく、厄介な仕事を引き受けてしまったものである。
〇 〇 〇
翌朝、蒼天課の鐘が鳴る前に、俺たち四人は街の正門から出発した。
魔物の群集が目撃されたという地点を目指して、ウォーグレイブ丘陵へ踏み込む。
まずはジュディスの情報で聞き知った街道を、しばらく北へ向かって進んだ。
「ねぇ、アシュリー」
先を急ぐ道すがら、メルヴィナが隣に並んで話し掛けてきた。
「どうして、私たちが竪琴を探して街を離れているあいだに、魔物が大規模な群れを形成したと思う?」
「……もしかして、二つの出来事には因果関係があるっていうのか」
「これはあくまで、私の個人的な憶測なんだけど」
メルヴィナは、多少覚束無い話し方だった。
まだ幾分、自分の考えを整理しているみたいだ。
「ダリルの日記に書かれていた内容を、詳しく覚えてる? ――たしか『魔法文明時代の研究によると、まぐれメタルは同種族内において、世代間を超えた伝達能力を有するという』って」
「まさか」と、笑い飛ばそうとして、俺は失敗した。
すぐに好ましからざる想像力が刺激され、畏怖すべき可能性を否定できなくなったからだ。
「――まぐれメタルは、俺たちが入手した『幻魔の竪琴』に対抗しようとして、我が身の守りを固めたっていうのか」
まぐれメタルの伝達能力が、もし本当に世代間を超えるとする。
どういう生物的な仕組みなのかは、わからない。
ただ、魔物の起源に関わる混沌界では、時空自体が人間界と比して歪んでいるという。
我々の常識で測り切れない事象があっても、おかしくはない。
その仮定に従うと、これから戦うべき「現在のまぐれメタル」は、約四〇〇年前の出来事を(少なくとも知識的に)把握しているわけだ。
つまり、竪琴の魔力が解放されるとき、自分の逃げ足は封じられる一方、他の魔物が狂暴化するということも学習している……!?
「竪琴だけじゃなく、竜化魔法のことも理解しているかもしれないわ」
メルヴィナは、少し硬い表情でつぶやいた。
「だから私たちと交戦して、ドラゴンブレスを初めて浴びそうになったとき――まぐれメタルは、きっと同時に『幻魔の竪琴』のことも思い出した。それで、私たちが魔法発動の所要時間を短縮させる訓練をしたり、竪琴を探して遺跡に潜ったりしていた頃、向こうも同じように対策を準備していたんじゃないかしら」
ふと、まぐれメタルとの四度目にあたる戦闘を思い出す。
遭遇時、群れの規模は意外にちいさく、丘陵地帯を移動中だった。
最低限の取り巻きだけを連れて、まるで人間の目を欺くような動向だ。
あのとき、まぐれメタルは何をしていたのだろう?
……ひょっとして、メルヴィナの仮説を信じるなら――
「竜化魔法を行使する人間が、ダリルの竪琴を入手してしまった場合の準備」
ということになるのではないだろうか!
まぐれメタルは、やがて俺たちが「幻魔の竪琴」を用意し、自分に挑んでくることを、実は見越していたのかもしれない。
なので、分散して生息する雑多な魔物と接触し、いずれ取り決めた地点で合流させようと考えた。
そのため、密かに丘陵地帯を巡回していたんじゃないか。僅かな妖魔しか引き連れていなかったのも、派手な動きを気取られまいとしていたからでは?
無論、それなのに俺たちと偶然交戦してしまったのは、まぐれメタルにとって誤算だったのだと思う。
けれど、あの時点ではまだ、「幻魔の竪琴」は地下遺跡の底で眠り続けていた。
おかげで、あいつは無事に逃げおおせることができたわけだ。
「……つくづく、とんでもない魔物だな」
俺は、まだ街を出て然程歩いていないのに、背中が汗で湿るのを感じた。
「さすが、魔王から丘陵地帯を任されている頭目」というべきなのか。
まぐれメタルのことを、いまだに侮っている部分があった事実は、少なくとも認めないわけにはいくまい。
あの醜怪だが大きくもない外見と、
「見掛けだけで、相手の本質を見誤ると大変な目に遭うってことね」
黄金竜に変身できる可憐な少女は、自戒するように言った。
……大きな丘を過ぎたところで、街道を外れて荒れ野に入った。
そこから北西へ進むと、なだらかな起伏の続く一帯が広がっている。
上り斜面の高所まで来て、いったん灌木の傍で立ち止まった。
行く手の先に、噂で聞いた魔物の群れが見て取れたからだ。
草地をいくらか下った場所で、異形の生物が複数蠢いていた。
妖魔や魔獣の類が、一、二、三、四――
ここから眺めただけでも、ざっと二〇匹近く居る。
「まだ奥の窪地に何匹か居るようだな」
茂みの物陰から、レティシアは魔物の群れを観察して言った。
俺も傍で身を潜めて、付近の様子に注意を払う。
「ああ。南側の坂を上って、向こう側と行き来している魔物も居るみたいだ。たぶん情報通り、全部合わせて三〇匹以上で間違いないだろう」
「まぐれメタルは、どこに居るのかわかる?」
すぐ後ろから、メルヴィナに小声で問い掛けられた。
「ちょっと待ってくれよ。……少し距離があって、ここからだと確認し難いな」
何しろ、まぐれメタルの大きさは、狐や狼と大差ない。
背丈の高い草木に紛れると、それだけで身体が隠れてしまう。
加えて鉛色の体表も、小振りな岩石の類に錯覚しやすかった。
「……ん。アシュリー、あそこ……」
プリシラが斜め隣で、北西の斜面を指差した。
その先を、よく目を凝らして見てみると――
たしかに居た、まぐれメタルだ!
樹木が疎らに植わっている場所で、木陰の下をうろついている。
プリシラのやつ、あれに気付くなんて目がいいな。
「それでどうするんだ、アシュリー?」
視線を討伐対象へ向けたまま、レティシアがたずねてきた。
「正攻法で仕掛ければ、半分ぐらいの数なら何とかなりそうな群れだが」
その見立てには、俺も概ね同感だった。
もう少し無理しても、まともに倒せそうなのは二〇匹ぐらいか。
それだって正攻法ならば、である。
要するに、「幻魔の竪琴」を使用しないなら――
「まぐれメタルに逃走を許してもかまわない」なら、ってことだな。
もし竪琴を使うなら、その奏者が戦闘には加われなくなる。
元々数で劣る俺たちにとって、これは大幅な戦力の減退だ。
「……勝負するしかないだろ」
俺は、仲間の面々を振り返って、はっきりと意思を伝えた。
「もちろん、まぐれメタルも逃がさずに倒す」
「――本気なのね」
しかつめらしい面持ちで、メルヴィナがこちらを眼差す。
「敵は大群よ。おまけに竪琴の音色を聞かせれば、みんな狂暴化して襲い掛かってくるわ」
「危険は承知の上だ。それでも粘って上手く戦えば、何とかなると思う」
「今日のところは、群れの様子を確認できただけでも上出来じゃない。いったん
「……貴族に助力を仰ぐのは、あんまり気が進まないんだよなあ」
地方領主のメドウバンク侯爵は、そもそも討伐依頼の発注者でもある。
その点を掘り下げて考えてみると、複雑な背景を推知せずにはいられない。
エザリントン周辺の魔物を駆逐するにあたって、仮に侯爵が騎士や常備兵を派遣するとしよう。
さて、各種費用はどこから捻出するのか?
適切な人員を投入するのなら、安い金額じゃないし、臨時予算を組むために手続きの時間も掛かる。取り分け今回は、魔物を三〇匹以上も撃退せねばならない。
そうでなくとも、こうした実態を踏まえて、魔物討伐の
つまり、「美しき雌鹿」亭のような店を仲介業者として、普段から冒険者や傭兵に外部発注しているわけだ。公的機関による、業務効率化と人件費削減の施策なんだよな。
にもかかわらず、俺たちがあべこべに依頼主の侯爵を頼ればどうなるか。
領地運営の財務方針に水を差し、余計な負担を要求することになる。
結果的に貸しを作った挙句、足元を見られる恐れも否定できなかった。
何しろ、常に勇者の一行は、大なり小なり世間の名声を博している。
さり気なく接近して
勇者が簡単に国王と謁見できるのだって、魔導資格の取得に特例が認められているのだって、根っこにあるのは王侯貴族側の「恩を売り付けておきたい」って思惑だろうからな。
そうした意図は、社会的に不公正な利益と結び付く危険性が高い、と俺は思う。
「や、やっぱり勇者って、そんなことまで気にして人助けしなきゃいけないのね……」
「なあ、うんざりするだろ? 正直、面倒臭くて堪んねぇよな」
事情を説明してみせると、にわかにメルヴィナの碧眼が失望に染まった。
この世の中も人間も、一歩踏み込むと俗悪で目を背けたくなる汚らしさばかりだ。
でも、そんな世の中や人間を救わなくちゃいけないんだよなあ、勇者ってやつは。
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