9:吟遊詩人の矜持

 手近な書物を、棚から一冊取ってみた。

 やや明るい茶色の革表紙で、最初のページを捲ると「創作記録」と記されている。

 古い時代の言い回しが所々にあるけれど、文章は大陸共通語で書かれていた。

 これなら、俺でも普通に読めそうだ。


 一番最初に記入された日付を見ると、神霊暦八七〇年代後半になっていた。

 棚の上には、他にも似通った革表紙の本がいくつも並んでいる。

 日記と同様、創作記録も複数冊存在するらしい。


「……なあ、メルヴィナ。日記の中には、ダリルが竪琴の奏法を、どの時期の創作記録に記述したのかは書いてあったのか?」


「残念だけど、はっきりとした年代まではわからなかったわ。でも、まぐれメタル討伐以前の部分みたい」


 隣で書物のページを捲りながら、メルヴィナが返事を寄越した。


「どうやらダリルは『幻魔の竪琴』自体も、ミドルウッド山林地帯に踏み入った頃には、もう所持していたらしくて――だから、わりと若かった頃の記録も調べてみないといけないかも」


 そりゃあ、思ったより面倒なことになったかもしれん。

 とはいえ差し当たり、手元の本の中身を確認してみよう。



 どれどれ――……



     *  *  *


 ――神霊暦八七七年一〇月二六日、風の精霊日。

・抒情詩『麗しのドーラ』参考意見。


 夕刻から、「海を護る鯨」亭の主人の話を聞く。

「ドーラは美女なのだから、もっと男心を刺激するような人物造形にすべきだ。逢引きの場面も必要だろう」などと、指摘を受けた。

 とはいえ、どうせドーラは物語の途中で死に至る。

 それがジョージにとって、旅に出る動機付けになりさえすればいいわけだし、余計な描写を無理に捻じ込む必要はないと思う。

 だが、そう話したところ、主人は「それでは詩を聴く客が喜ばない」と言う……


     *  *  *



 …………。


 ……ここに竪琴のことは、どうやら書かれていないみたいだな。

 年代からして、さすがに古すぎたか。


 ところで、たしか『麗しのドーラ』って、まだダリルが有名になる前に書いた抒情詩だよな。

 この時期に作られた作品だったのかー。

 俺が聴いたことのある内容だと、ドーラは充分魅力的な人物造形だった記憶があるんだが。


 ――って、隣のページに詩作の過程らしき文面があるぞ。

 なんかスゲー何度も書き直されてるみたいだ……。

 最終的に完成して後世に残っている内容と、最初に作ったやつは全然違うんだなあ。

 うーん、これはなかなか興味深い。


 が、今はじっくり読み耽ってる場合じゃないんだった。

 早く「幻魔の竪琴」に関する記述を探さなくちゃならない。


 俺は、ざっと後ろのページも確認してみる。

 やはり目当ての内容は書かれていないようだ。

 次の創作記録を調べてみるか。


 再度、棚の書物を手に取って、開いて中身を検める。

 こっちの本は、神霊暦九一九年……

 ダリルがまぐれメタルを倒す前年のものだな。

 日記は棚の端から年代順に並んでいたけど、創作記録はけっこう乱雑に置かれてあるらしい。



     *  *  *


 ――神霊暦九一九年二月二〇日、火の精霊日。

・叙事詩『マルティーヌの歌』参考意見。


 自宅を訪れたディックと、発表前の新作について意見を交わす。

「いくら何でも、出だしから登場人物を殺し過ぎだ。途中の詩句も陰惨で、曲の旋律は平坦な印象がある。救いがなく、これでは気が滅入るだけだ」と、批判を受ける。

 いくさを描いた物語で、救いなどあって堪るものか。

 そもそも詩中の人物がたおれたことは、歴史上の事実である。

 史実を忌憚なく伝えねば、叙事詩で語る意味などない……


     *  *  *



 ……どうやら、この記録にも竪琴の仔細は、書かれていないみたいだな。


 ていうか、ここのページの詩も、メッチャ何度も作り直されてんぞ。

『マルティーヌの歌』って、ダリル晩年の大作叙事詩として有名なやつだけど、発表するまでには色々あったみたいなんだな……。

 俺は、陰惨な歴史物というより、孤高の英雄伝説って印象が強かったんだが。


 これも当初の構想から、たぶん曲調や演出を随分変更したんだろうなあ。

 旋律を平坦に感じる箇所なんて、ひと通り聴いてもほとんどなかったと思うし――


 と、また少し脱線してしまった。

 いかんいかん、さっさと次の本を調べなきゃ。

 えーと、次は神霊暦八九〇年代末のものだな。



     *  *  *


 ――神霊暦八九八年九月五日、獅子の咆哮日。

・抒情詩『青羽根の騎士と六花の美姫』修正要請。


 昼からウェイドで、役場の官吏と打ち合わせ。

 町の祭りで演奏するのだから、もっと明るい曲と筋立てにしろと注文される。

 当然、姫君が死ぬ展開について、意見が噛み合わない。

 悲しみの彼岸に喜びがあるように、愛の彼岸には死があるものだ。

 この件に関しては、もうしばらく話し合う必要がある。


     *  *  *


 ――神霊暦八九八年九月一七日、地の精霊日。

・抒情詩『青羽根の騎士と六花の美姫』修正要請、続き。


 悲劇が喜劇になった。

 官吏は「やはり作ればできるじゃないか」と言う。

 当たり前だ。しかし、もはや題名だけが同一の別物だ。

 すべて金の問題なのだ。金がなければパンも食えない……


     *  *  *



 うおおおぉぃ、なんか作ってた詩の方向性自体変化しちゃってる――ッ!? 


『青羽根の騎士と六花の美姫』って、いまだに俺の地元で大人気の恋愛喜劇物だぞ。

 ダリルが作った大衆娯楽抒情詩の中でも、後世の作品に一番多大な影響を与えたんじゃないかってぐらいの代表作じゃねーか! 

 だけど、あれって最初は悲劇にするつもりだったのかよ! マジでか!? 

 ていうか実はダリル、どの作品でも登場人物が死ぬ展開好きすぎだろォ!! 


 しょ、衝撃的すぎて、言葉にならないんだが……。

 実際に発表された作品じゃ、そんなに鬱屈した物語は多くないはずだからなあ。


 いや待て、落ち着け俺。

 今はあくまで、「幻魔の竪琴」のことを調べている最中なのである。

 ダリルが遺した記録の内容で、あれこれ動揺してる場合じゃなかった。


 とりあえず、この本にも竪琴の奏法は書かれていないようだな。

 気を取り直して、また次を当たるしかない。




 ……ところで、メルヴィナが調べている書物はどうなんだろう。

 俺と同じように、もう何冊か目を通し終えているみたいだが。


「おい、メルヴィナ。そっちはどんな調子だ?」


「……え。あ、その――」


 俺が声を掛けると、メルヴィナは軽い驚きを示して、はっと顔を上げた。


「まだ私が読んだ範囲では、竪琴に関して何も書かれていないみたい」


 かぶりを振りつつ、少し慌てて問いに答える。

 何だか、急に我に返ったみたいな反応だった。

 こういう素振りは、メルヴィナにしては珍しい。


 手元の書物を調べていて、他に注意を引かれるような文面でもあったのだろうか。

 つい気になって、メルヴィナが開いていたページを、ちらりと眼差す。

 すると、夢想だにしない文字が視覚に飛び込んできた。



『 こんなはずじゃなかった 』



 思わず我が目を疑ってしまう。

 それは、嘆きの言葉だった。

 俺は、無関心で居られなくなって、記述を文頭から見直した。



     *  *  *


 ――神霊暦八八三年一月一〇日、光の安息日。

・抒情詩『夢見る精霊』先駆形破棄。


 なぜ、私はこんなものを作っているのか。

 こんなはずじゃなかった。

 なぜ、私は詩人を志したのだろうか。

 思い描いたものを、そのままかたちにするためのはずだ。

 だが、努力の先にあったものは、理想と異なる現実だった。

 いつも裏腹な後悔ばかりが心に湧き上がる。

 こんなはずじゃなかった……


     *  *  *



 神霊暦八八〇年代……

 無名の時期は過ぎているけれど、まだダリルが若かった頃だ。


 書き連ねられた文字には、複雑な感情が滲んでいる。

 それは酷く生々しい、迷霧と苦悩の告白だった。

 読み取れるのは、遠い時代の偉人の言葉ではない。

 自分がこれまで選び取ってきたものの正しさを懐疑し、儘ならぬ現状を憂う――

 ごくありふれた、ある一人の人間の心情だ。


 ちょっと口を閉ざして、息を呑む。

 メルヴィナの華奢な手が、静かに次のページを捲った。



     *  *  *


 ――神霊暦八八三年一月二〇日、水の精霊日。

・抒情詩『夢見る精霊』書き直し。


 結局、最初から作り直す。

 なぜ、私はこんなものを作っているのか。

 なぜ、私は詩人を志したのだろうか。

 随分思索を続けたのだが、私なりの揺ぎ無い確信がひとつある。

 それはおそらく、私が努力によって後悔と共に真実を掴んだ、ということだ。

 換言すれば、これまで私は「後悔するために努力を重ねてきたのだ」と思う。

 努力がなければ、理想と現実の差異を知らず、後悔すらかなわなかった。

 それは今の私にとって、詩人として最大の矜持だ……


     *  *  *



「あのダリルでさえ――」


 本のページを見詰めたまま、メルヴィナがそっと囁く。


「思い描いていたものとの落差を味わって、迷ったり悩んだりすることがあったのね」


「……ああ。そうだったみたいだな」


「でも、『後悔するために努力した』だなんて、酷い言い草よ」


 メルヴィナの所感は、非難がましいものだった。

 けれど、なぜか穏やかな面差しを浮かべている。

 深い海のような碧眼にも、これまでにない色が混在しているかと思われた――

 どこか、奇妙な親しみにも似た、柔らかな光彩だった。


「この本にも、竪琴の奏法は書かれていなかった」


 メルヴィナは、書物をぱたんと両手で閉じる。


「また別の創作記録を調べないと」


「ああ。そうだな」


 芸のない同意を、俺は再び繰り返す。

 それ以上、いったい何をここで語り掛ける必要があろう。

 努力の末に魔法使いとなり、竜化魔法を習得したメルヴィナ。

 だがそのせいで、思わぬ試練を課せられているこの子に。




 ……そうして、創作記録の文面は、さらに詳しい検証が進められた。

 魔物の近付く気配がないかと警戒しつつも、全員で手分けして作業は続いた。


「……ん。もしかして、これ……」


 やがて目的の記述を発見したのは、プリシラだった。

 開いた書物を手に持ったまま、皆を自分の傍へ手招きしていた。

 四人で集まって、よくよく内容を確認する。


「どうやら、この本で間違いないみたい」


 メルヴィナは、二、三度、うなずいてから、ページの上を指で差す。


「ほら、ここの箇所なんだけど――たしかに【『幻魔の竪琴』にまつわる諸事について】って、書いてあるわ。ブリシラのお手柄ね」


「……いきなり『演奏に先立ち、取り分け留意すべきこと』とあるようだが」


 横から書物を覗き込んで、レティシアが唸った。

 メルヴィナは、あとを引き取って、記述を読み上げる。


「ええ、そうみたいね。――『次項の詩を歌い、曲を奏でれば、魔物の心を幻惑し得る。竪琴に秘められた魔力は、人ならざるものの精神を高揚させ、昂らせ、惹き付けるであろう。それは狂乱の魅了とも呼ぶべき作用だ。たとえ臆病で、警戒心の強い魔物であっても、その場を立ち去り難くさせ、所作や判断を鈍化させずには措かない』……」


 そこまで読み進めると、しかしメルヴィナは急に黙り込んだ。

 一瞬、手が震え、かすかな揺れが手元の本まで伝わったのがわかる。

 いったん、浅い呼吸を入れ、それから絞り出すような声で続けた。


「――『……ただし、それゆえ竪琴の音色が届く領域において、同時に粗暴な魔物が併存する際には、甚だしい危険が付き纏う。例えば、元来狂暴な性質の妖魔なら、それは血肉に飢えた獣の本能を、殊更焚き付けられるからだ』……!?」


「お、おい。そりゃどういうことだよ!」


 俺は、反射的に口を挟まずには居られなかった。

 どう考えても、スゲェ不穏な話にしか思えない。


 要するに、こういうことか――

「幻魔の竪琴」を用いれば、まぐれメタルを取り逃がさずに済む。

 でもその代わり、……!? 


「……どうやら、『幻魔の竪琴』を奏でることで発動する状態異常効果は、魔物の狂戦士バーサーカー化現象みたいね」


 メルヴィナは、嘆息混じりにつぶやいた。




     〇  〇  〇




 ……まあ、何はともあれ。


 目的の品である「幻魔の竪琴」を入手し、俺たちはエザリントンまで帰還することにした。

 もっとも、遺跡の最下層から地上へ引き返すに際し、いまやささやかな問題を抱えている。


 それは無論、ダリルの遺品をどう扱うかについてだ。

 何しろ、「墓」の内部には竪琴以外にも、種々雑多な品が眠っていたのだから。

 日記や創作記録といった書物をはじめとし、長持の中には日用品などが大量に収納されている。

 それらは、歴史上の偉人を研究するにあたって、軽視できない資料になるはずだった。


 で、しばし四人で話し合った末――

 いったん「幻魔の竪琴」と、奏法が記述された創作記録の本以外は、遺跡最深部にそのまま置いておこう、という結論に至った。

 とてもじゃないが、俺たちだけで運び出せるような分量じゃない。

 街に戻ってから、市庁舎で事情を説明し、公の機関に保護してもらうことにする。


 ただ、「墓」を出たところで、例の巨大な鉄扉は再び閉め直した。

 そうして、メルヴィナが施錠魔法で、鍵を掛けておく。以前までの封印と比べれば、さすがに強固さで劣るものの、貴重品を当面保管するには充分な措置のはずだった。



 かくして、俺たちは来た道を取って返し、地下遺跡を抜け出した。

 帰路は迷うこともなく、途中に魔物と遭遇する機会も少なかったから、然程時間は掛からず地上まで着いた。

 とはいえ、遺跡の外に出た頃には、とっくに陽は沈み、夜空が頭上を覆っていたのだが。


 強行軍で街を目指す気にもなれず、その後は遺跡の目の前で、一晩野営することになった。

 夜間の移動は危険が多いし、みんな疲労が蓄積していたからだ。

 翌朝、陽の光が街道を照らす頃合を待って、ようやくホロウ渓谷を離れる。


 それから、半日掛けてエザリントンへ到着した。



 ――まさか俺たち四人を、予期せぬ事態が待ち受けているとも知らずに。

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