11:当たれ灼熱のドラゴンブレス

 とにかく、まぐれメタルに戦いを挑む。

 いよいよ皆で腹を決めた。


 もっとも、根本的に「まぐれメタルを竪琴と竜化魔法で倒す」という前提があるせいで、俺たちに戦術面の選択肢は少ない。


 まず、俺とレティシアが魔物の群れに突撃を仕掛ける。

 敵の攻撃を前線で引き付け、時間を稼ぐ。

 そのあいだにメルヴィナは、竜化魔法の詠唱を開始し、ブレス放射の用意を整える。

 こうした点は、基本的に何度も練習してきた手順と同じだ。


 ただし今回は、プリシラが「幻魔の竪琴」を奏でる必要がある。

 まぐれメタルが逃げ出すより早く、特殊な音色で足止めせねばならない。

 もちろん、そのせいで回復魔法などの支援を、この戦闘で後衛からは受けられなくなる。

 正直、かなり厳しい条件を強いられているのは、間違いなかろう。


「改めて確認しておくが――」


 俺は、念を押して言った。


「結局、作戦の成否を分ける要点は、ドラゴンブレスがまぐれメタルを捉えるまでのあいだ、俺とレティシアが前衛で持ち堪えられるかどうかだ。『幻魔の竪琴』で標的の行動が鈍ると言っても、それは基本的に変わらない」


 そう。魔物三〇匹を、何も剣と魔法だけで全滅させる必要はない。

 ドラゴンブレスが炸裂すれば、効果範囲は半球形二〇マルトルの空間に及ぶ。

 そこに巻き込まれれば、まぐれメタルはもちろん、他の魔物も生き残れはしまい。

 言い換えると、メルヴィナがブレスを放射できさえすれば、俺たちは勝利できる。


「とはいえ、竪琴の音色は他の魔物を狂暴化させる」


 神妙な面持ちで、レティシアが補足する。


「興奮して身の守りを捨てた敵は、そのぶん一撃が鋭さを増すからな。……神聖魔法の支援もなく、向こうがあれだけの大群である以上、近接戦で粘り続けるのは容易じゃない」


 一方のちからを頼れば、一方で危険を伴う。

 大陸北方のことわざにもあるが、「強い魔剣には呪いが宿る」ってやつだな。

 だが諸々の要素を勘案し、最善の結果を求めようとすれば、他に手段がこれといってないのだから致し方ない。


「ねぇ、アシュリー」


 そこへメルヴィナは、唐突に提案を持ち掛けてきた。


「今回の戦闘に限って、私、着衣を脱がずに竜化魔法を発動させるわ。装備が壊れて、また買い直さなきゃいけなくなるけど、かまわないでしょう?」


「……そうだな。それなら、俺とレティシアの負担もかなり減る」


 脱衣に掛かる手間を除外できれば、魔法発動の所要時間に大幅な短縮が見込める。

 ましてや、メルヴィナは竜化魔法の詠唱高速化を、これまで充分に訓練してきた。

 出費は痛いけど、背に腹は代えられまい。


「きっと竜化する機会も、これで最後だから大目に見てもらっていいわよね」


「いや、最後とは限らないだろ。いずれ魔王と戦うときには、必要になるかもしれないし」


「やめて。お願いだから最後にして。何とか魔王を倒すまでには、ドラゴンブレスと同じぐらい強力な攻撃魔法を習得するから」


 メルヴィナは、いつにも増して真剣な表情で拒んだ。

 懇願するような言い方だが、口調は険しく、目つきが怖い。

 いくらこの仕事に納得して取り組んでるって言っても、やっぱり全裸にならずに済むなら、その方がいいらしい。そりゃ当たり前か。


「え、えーと。それはさておきだな……」


 メルヴィナの要望に関しては、ひとまず曖昧に誤魔化しておく。


「プリシラの準備は、もう大丈夫か」


「……ん。問題ない」


 小脇に「幻魔の竪琴」を抱え、プリシラは小声で、しかし得意げに断言した。


「ダリルが作った詩も曲も、昨夜のうちにちゃんと暗記してきた。つまり完璧……」


 すみれ色の瞳が、きらりと光る。

 実は竪琴を入手した直後から、演奏はプリシラに任せるしかなかろう、ということが半ば消去法的に決定していた。メルヴィナ以外で後衛支援役は、この神官少女しかいないからだ。

 で、本人にも打診してみたところ、あっさりと引き受けてくれた。


 それどころか、まさに自分に適任だ、とプリシラは深く首肯してみせたぐらいだ。

 何でも、この子の自己申告によれば、

「神殿暮らしだった頃、毎日聖歌で歌唱力は鍛えてきた」

 ということらしい。

 マジかよ。やたらと自信たっぷりすぎて、逆にちょっと心配なんだが。

 ていうか、日頃は若干感情の起伏が乏しいのに、今だけ妙に生き生きしてない? 


「……ふふふ。踊る旋律、弾ける鼓動。私の美声に皆震えるといい……」


 ……ま、まあ、本人がやる気ならいいか。

 しっかり頼むぜ、いや本当に。

 竪琴を使うのは、ぶっつけ本番になっちまったからなあ。



 にしても、このやり取りって、どうも緊張感が欠如してるよな。

 これから大事な一戦がはじまるってのに、どうなんだろう……。


 そこがむしろ、俺たちのいいところなのかもしれないけどさ。




     〇  〇  〇




 最後の確認を済ませると、速やかに強襲準備を整えた。


 俺とレティシアは、茂みの陰で抜剣し、横に並んで身構える。

 互いに目で合図を送り、低い姿勢で地表を蹴った。

 二人揃って、物陰から飛び出し、荒れ野の斜面を駆けて下る。


 群れ集う魔物たちは、何秒か遅れて、俺たちの接近に気付いた様子だった。

 こちらを次々と振り向き、各々が武器を手に取って、野太い叫びを上げる。

 けれど、まだ足並みは乱れ、充分な迎撃の態勢に至っていない。

 こちらが先手を取った! 


 俺は、走りながら詠唱し、剣を持たない左手で雷撃魔法ライトニングを放つ。

 鋭い稲妻が前方で輝き、射線上三〇マルトルに存在する魔物を捉えた。

 瞬時に小鬼ゴブリン三匹が絶命する。食人鬼オーガ巨大鬼トロルも一匹ずつ、激しい閃光で体躯を焼かれ、手傷を負って悶絶していた。


 そのまま勢いに乗って、群集する敵の只中へ突っ込む。

 一番距離が近いゴブリンを、幅広剣で斬り伏せ、さらにオーガと間合いを詰めた。

 レティシアも巧みな剣捌きで、すでに他のゴブリン二匹を倒している。

 まずは、狙い通りの展開だ。


 俺は、オーガへ斬り掛かりつつ、ちらりと丘の北西を眼差す。

 まぐれメタルが木陰から出て、金切り声を発していた。

 魔物の言語はわからない。

 だが、群れの魔物に呼び掛けて、何事か指示を飛ばしているように見える。

 少なくとも、ほどなく何匹かの魔物が、新たに奥の窪地から姿を現した。

 人間の襲撃を聞き付け、加勢に駆け付けたのだろう。



 と、丁度そのとき。

 背にした斜面の上方から、澄んで、儚い音色が、周辺一帯に響き渡った。


 来たぞ、「幻魔の竪琴」の旋律だ! 


 プリシラが戦域後方で、古代遺物アーティファクトのちからを、ダリルの楽曲を奏でて解放したのである。


 ……そして、いよいよ歌声が聞こえてきたのだが――……




♪――

  すき☆すき だいすき! 

  キミとふたりで かなでる魔法

  まだまだ ステキな

  恋になれずに ときめくココロ


  ホントはまっすぐとどけたい

  でも今は この胸のどきどきを

  もう少しワタシだけ 大切に

  抱きしめていたいのよ


  ああ ひがしの森で出会ったキミは

  いまごろ なにしているのかな?

  ねぇ 同じ夜空を見上げているよ……  ――♪




 …………。



 ……思わず、我が耳を疑った。


 やべぇな。

 何かもう色々とやばい。


 プリシラの歌は、案外(失礼)普通に上手かった。

 情感のある歌い方じゃないけど、たぶん音は正確で声も出ている。

 しかし問題はそこじゃねーだろこれ。

 詩も曲も、まるっきり初めて聞くようなやつだ。

 な、何だか拍子リズムもシャンシャンしてる……。


 マジであのダリルが作った抒情詩なのか!? 

 約四〇〇年前の作品なのに、むしろ半端なく斬新すぎる。

 ちょっと詩人として芸風の幅が広すぎィ!! 



 こんなんで、本当に魔物を狂暴化させる効果があるのか? 

 俺は、目の前で対峙しているオーガの反応を、防御姿勢で恐る恐る窺う。


 すると、その直後――


《……グゥオオオオオォォ――ッ!!》


 地鳴りの如き咆哮が、ウォーグレイブ丘陵に轟き渡った。


 オーガの厳つい顔面は、薄っすら赤く上気している。内なる激情を抑え切れないかの如く、両肩が震え、吐く呼気も荒さを増していた。

 ぅおおおぉいぃぃなんか本当にめっちゃ興奮しまくってるううぅ――――ッ!? 

 あんな詩でも言い伝え通りに効果発生してんじゃん! むしろいいのかこれで!? 


 驚愕して、俺は素早く辺りの様子をたしかめてみる。

 すると、同じように挙措を失っているのは、今対峙しているオーガだけじゃなかった。

 周囲で演奏を聞いた魔物すべてが、絶叫し、上体を激しく揺すって、昂ぶりを表している。


 そう、あのまぐれメタルでさえ、例外じゃない。

 鉛色の身体をわななかせ、頭部が当惑気味に丘陵を見回している。

 とっくに普段なら、まぐれメタルは遁走を試みていたはずだろう。

 なのに、意思に反してその場に留まり、身動きできないみたいに見えた。

「幻魔の竪琴」に秘められたちからは、想像以上に強力だったらしい。


 ――まさしく、まぐれメタルを倒す千載一遇の好機! 


 たぶん、メルヴィナの魔法詠唱も、すでに半ば近くは済んでいるはずだ。

 あとは竜化が発動し、ドラゴンブレスを放射するまで、どうにか持ち堪えるだけ。



 とはいえ、歓喜する暇は一秒たりとなかった。


 狂暴化したオーガが、こちらへ戦斧を振り下ろしてきたからだ。

 際どいところだったものの、何とか後ろへ避けて、事なきを得る。

 それは、これまでになく明らかに速く、格段に力強い刃だった。


 俺は、再び剣を構え、反撃しようと前へ踏み込む。

 けれど、咄嗟に他の危険を察して、中断せざるを得なかった。

 身体を素早く翻して、横へ飛び退く。


 一瞬挟んで、すぐ傍を丸太のような棍棒が通過した。

 トロルが猛然と突進してきて、力任せに振り抜いたものだ。

 こいつもオーガと同じで、明らかな興奮状態にあった。



「アシュリー、大丈夫か!」


 レティシアが、剣を構えたまま、後退りして近付いてきた。

 俺も体勢を立て直し、互いに傍で背中合わせに並ぶ。


「ああ、まだ何とかな。……しかし、マジでこりゃ厳しそうだぞ」


 まだ近辺には、およそ二〇匹以上の魔物が見て取れる。

 それも竪琴の効果で、狂暴化したものばかりだ。

 さらに南側の坂を越えて、新たな個体が合流しようとしていた。

 この戦力差は、わりと本気でまずい。


「勇者のくせして、おまえが弱気になってどうする」


 こんなときなのに、レティシアはちょっとだけ冗談めかして言った。


「いいか、断っておくが――私はあの、ダリルが作ったとかいう、妙に恥ずかしい内容の詩を聴きながら死ぬ予定はないからな」


 日頃ダリルの作品を愛好する俺ではあるけれど、その意見には共感せざるを得ない。

 そんな馬鹿馬鹿しい死に方なんて、どう考えても願い下げだった。


 ああ、もうこうなりゃ、こっちだって勇者の意地がある。

 ここから東側の丘で、メルヴィナは詠唱を終えつつあるはずだ。

 そちらを目だけで眼差すと、微細な金色の粒子が、ちらちらと宙で煌いている。

 あれは、魔法発動時に生ずる、竜化の前触れだった。



「くそっ。――あと少しだ、絶対に何とかしてやる!」


 俺は、間合いを測って、もう一度攻勢に出た。

 トロルの側面へ回り込み、幅広剣で斜めに斬り上げる。

 敵の胴を裂く、たしかな手応えが伝わった。

 深手を負って、強靭な体躯がぐらりとよろめく。

 そこへ尚も追撃すると、トロルは物言わぬ屍と化した。


 狂暴化した魔物は、守りを捨てている。

 だから危険な手合いだが、隙も多い。

 ――やられる前に、やるしかない! 


 いましがた対峙していたオーガにも、そのまま斬り掛かる。

 敵が戦斧を掲げるより早く、刃を胸に突き立てた。

 断末魔の声が間近で上がって、鼓膜をしたたかに震わせる。

 だが、相手が倒れるのをたしかめる間もなく、剣を構え直した。

 さらに別の妖魔が接近してきたからだ。それも三匹。


 新手のオーガが振るう両手剣ツーハンドソードを回避し、トロルと間合いを取りつつ、ゴブリンの首をねる。

 振り上げた刃を宙で捻り、続けて斬撃を打ち込んだ。

 それから、また回避、防御、攻撃、連撃。


 斬り付ける。

 受け流す。

 突き込む。

 寸前で避ける。


 俺は、一心不乱に剣技を繰り出す。

 一匹、もう一匹と、魔物は倒れるが、また次の魔物が襲い掛かってくる。

 さすがにこちらも、無傷で居られなくなった。

 すぐ近くで戦っているレティシアも、概ね同じような有様だ。


 ていうか、こんな状況なのにまだ「すきすきだいすき~♪」とか聞こえてくるんだけど! 

 やめろよマジで命懸けの戦いなのに悲壮感なさすぎだろうがァ! 

 とか何とか思っていたら――……



<――お待たせ! アシュリー、レティシア――>



 聞き慣れた声が、脳裏に直接語り掛けてきた。

 釣られて、咄嗟に東の丘を振り返る。


 そこには、燦然と輝く、金色こんじきの巨体が佇んでいた。

 言うまでもなく、黄金竜に変化したメルヴィナだ。

 ええい畜生、本気で待ち侘びたっての。


<二人共、早く後ろへ下がって!>


 メルヴィナの警告が飛ぶ。

 が、そんなの言われるまでもない。


 俺もレティシアも、すぐさま身体を翻して、その場から駆け出した。

 火の海に巻き込まれまいと、全速力で前線から離脱する。

 途端に背後から、魔物の怒号が聞こえた気がした。

 まるで、惰弱をなじるような声だ。しかし当然、かまってられない。


「行けっ、メルヴィナ――」


 俺は、東の斜面を駆け上りながら叫ぶ。


「見せてやれよ、おまえの努力と後悔を!」




 次の瞬間、凄絶な光彩が中空で閃いた。


 黄金竜の喉の奥から、圧倒的な破壊の高熱が解き放たれたのだ。

 めくるめく火と光の束は、逆巻く滅びのちからと化し、大気を貫き直進する。



 ――当たれ! 灼熱のドラゴンブレス。



 傷付けられた理想で、薄汚れた現実を打ち抜くために。



 かなえた夢の先で待ち受けていた苦しみを、おまえだけが知っている。

 それはきっと、おまえ一人が秘めて持つちから――


 どんなに守りの堅い魔物だって、打ち倒すことができる最強の魔法だ。


 まぐれメタルは、まだそのとき竪琴の音色に惑い、鉛色の身体を震わせていた。

 あるいはひょっとすると、今我が身に起ころうとしていることを、理解はしても受け入れられずに居たかもしれない。

 そして、苛烈な光芒が間近に迫り、その渦に呑み込まれる直前まで、ついに逃走することはかなわなかった。

 暴力的な熱量に曝され、わめく間もなく絶命を強いられたのである。




 ……ついに俺たちは、まぐれメタルの討伐に成功したのだ。

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