2:全裸に伴う責任及び損失
全裸になったメルヴィナの傍には、真っ先にプリシラが駆け寄った。荷物の中から毛布を取り出し、白い素肌を覆い隠す。
レティシアは、自分の背負い袋を探って、女物の衣服を引っ張り出していた。差し当たり、裸身のままにしておけないので、貸してやろうというわけだ。
一人だけ男の俺は、そのあいだ他の仲間に背を向けて、付近の景色を眺めていた。
「うーん。ドラゴンブレスを予行演習なしで試すのは、やっぱ
とかなんとか、考え事などしながら。
しばらく待つと、レティシアがよく通る声で俺を呼んだ。
メルヴィナの着替えが済んだらしい。
溜め息混じりに振り向いて、女子三人のところまで歩み寄る。
竜化魔法の使い手たる少女は、すでに丈の長い胴衣を着用していた。ちいさな岩の上に腰掛け、じっとうつむいている。
レティシアとプリシラは、近くでそれを囲んで、労わるような表情を浮かべていた。
沈痛な空気に気後れを覚えつつも、俺はメルヴィナが座る小岩の前へ進み出る。
すると魔法使いの金髪少女は、おもむろに顔を上げ、恨めしそうな瞳でこちらを眼差した。
「……ちゃんと責任、取って欲しい」
で、直後の一言がこれだ。
いつもの可愛らしい面差しは歪み、碧眼には涙が滲んでいる。
言葉の意図を把握し損ね、俺は思わず訊き返した。
「な、何の責任だよ」
「見たんでしょう、アシュリー。わっ、わわ私の、ハ、ハダカ……」
メルヴィナは、頬を真っ赤に染め、震える声で訴える。
「まさか未婚のうちから、男の人の前で、あんな痴態を曝すことになるなんて。――もうこれじゃ、お嫁に行けないわ……」
「おい、待ってくれよ! その、俺だって、わざとじゃなかったんだから」
いきなり竜化の変身が解けるだなんて、聞いてなかった。
というか、この子が遺失魔法を行使すること自体も、今回が初めてだったはずだ。
あのときの反応からすると、術者である当人だって、効果の持続がいつ途切れるのかを把握してなかったんじゃないのか?
俺は、そう
「でも、見たんでしょう?」
尚も重ねて、問い詰められる。
有無を言わせぬ、追及の厳しさが篭もる口調だ。
ちょっと迷ってから、俺は仕方なく答えた。
「……全裸のメルヴィナも、凄く可愛いと思った」
「やっぱり見たんじゃない!」
憤慨の面持ちで、メルヴィナは腰掛けていた岩から立ち上がった。
一応、ちょっとは言葉を選んだつもりだったのに。
ところでレティシアとプリシラは、いつの間にか傍を離れ、こちらを遠巻きから眼差している。
「世の中には、嘘が優しさという場合もあるのだがな」
「ん。でもアシュリーはたぶん、そういう立ち回りは上手くない……」
おい、密談しているつもりかもしれんが、全部ここまで筒抜けだぞ。
ていうか、なんですっかり俺に問題あるっぽいことになってんのコレ。
わけのわからん会話の流れから、不当に糾弾されている感覚が半端ない。
さらにそこで、メルヴィナが肩をわななかせ、両手で顔を覆ってしまう。
「せ、折角頑張って修行して、『世界を救う勇者の
「お、落ち着けって。そりゃ、こうなるなんて知らずに、竜化魔法を行使させたのは悪かったと思ってるけどさ……」
「じゃあ、責任取って」
メルヴィナは、くぐもった声音でつぶやく。
おやおや主旨が元に戻ってきたぞ。
もちろん俺とて、女が男に「責任」を要求すれば、それが何を意味するかぐらいはわかる。
わかるけど、この場合だとあまりに成り行き任せな展開だ。
こんな妥協的に物事を決めて、この子も俺もそれでいいのか。
いや、俺個人としては、本気でメルヴィナがいいっていうなら、それもいいかなと思わないでもないけど……
ていうかメルヴィナ可愛いし。それはそれでむしろ嬉しい。
なんてやり取りを続けていたら、また遠巻きからレティシアとプリシラの声が聞こえて来る。
「勇者が配偶者だと、どういう将来設計が必要なんだろうな? いずれ魔王を倒したら、仕事の数も減るだろうし、現役引退後に収入が減ると老後が不安になると思うのだが」
「ん。どこかの国の軍隊で実技指導者になるか、知名度を活かして講演の仕事を探すのがいいかも……」
だから筒抜けだって。
ていうか、なんでドサクサ紛れに俺の将来がそこまで具体的に心配されてんの。
こっちはなあ、元々好きで勇者になったわけじゃねーんだよ!
〇 〇 〇
まあ、とにもかくにも。
俺たちは、メルヴィナをなだめすかしたあと、いったん近場の街まで引き返すことにした。
ウォーグレイブ丘陵を南東へ移動し、目指す人里に到着した頃には、もう夕方だった。
帰還した街は、エザリントンと呼ばれている。
メドウバンク地方では一番大きな都市で、大陸交易における要衝だ。旅芸人や吟遊詩人が集うことでも有名で、東西の異文化が交わる場所らしい。
正門を潜って、市壁の内側に入る。
街の目抜き通りを歩き、ひとまず「美しき雌鹿」亭へ向かった。
冒険者向けの仕事を斡旋している店で、宿屋と酒場も兼ねている。
入口の受付で鍵を受け取ると、建物の二階へ上った。
ここの部屋には、半月前から逗留している。
ただし、旅の荷物をいったん置くと、すぐまた皆で屋外へ繰り出した。
陽が落ちる前に、魔法使い向けの武器と防具を調達せねばならない。
メルヴィナが竜化した際に、それまで使用していた装備品を失ったからだ。
冒険の旅には危険が付き物だし、いつまでも仲間を丸腰にはしておけない。
もっとも一方で、買い物中には今後の出費に関する懸念を示す意見も出た。
「
レティシアは、市場で冒険者用の衣服を見繕いながら、眉を
「そのたびに装備品代として、かなりの経費が必要になるな」
「でも仕方ないだろ。野外を探索しているあいだは、いつどんな魔物と遭遇するかわからないんだし。安全面を考えたら、極力ちゃんとしたものを身に着けておかないと」
まぐれメタルと次に再戦する場合にも、たぶんまた竜化魔法を頼ることになる。
けれど、ウォーグレイブ丘陵に生息する魔物は、討伐依頼の標的だけじゃないのだ。
むしろ、オーガみたいな妖魔と交戦する機会の方が、ずっと多い。
それゆえ、いずれ壊れて再び買い直さなきゃいけなくなるからって、「メルヴィナには安物の防具しか着せない」なんて選択肢は、絶対あり得ないはず……とは思うのだが。
いざ店頭で値札を見ると、溜め息が漏れてしまう。
「高位魔導師のローブ、金貨二四枚かあ」
俺は、咄嗟に暗算する。
銀貨換算だと、三六〇枚分だ。
「……やっぱり、高い」
隣でプリシラが、ぽつりとつぶやく。
素泊まりの宿代は、大抵一部屋一晩が銀貨五枚程度。
この一着だけでも、どれだけ高価な買い物かが知れる。
他に魔法使いの杖や帽子も必要だろう。
とはいえ、手強い魔物を相手にするなら、これぐらいの装備は欲しかった。
安価な駆け出し冒険者用の防具もあるけど、それじゃあ心許ないからな。
もう事前に購入すると決めていたし、あえて倹約する気もない。
俺たちには幸いにして、過去に依頼の報酬で蓄えた資金がある。
魔物討伐みたいな仕事は命懸けなので、そのぶん金回りはいいのだ。
仲間内で積み立てていた貯蓄の中から、金貨と宝石で代金を支払った。
――まあ、こんな買い物が頻繁に繰り返されるとしたら、当然財務上の大問題だが。
「あの、ごめんなさい……」
装備品を買い揃えたあと、メルヴィナはしおらしく
「こんなにいっぺんにお金を使わせちゃって」
遺失魔法の行使は、魔物討伐における戦術上の決定だったので、個人の失敗じゃない。
でも、出費が
……全裸になった直後と比べて、随分動揺も治まったように見える。
「メルヴィナが気にすることじゃないさ」
俺は、魔法使いの金髪少女を、自分なりに気遣った。
「竜化魔法の使用にあたっては、もっとみんなで事前に準備を整えておくべきだったんだ」
そうすれば、思いっきり全裸を曝す悲劇も避けられたんだし――
とまでは、ここで言葉に出しては言わなかったけれど。
まあ、無駄に混ぜっ返す必要はないよな。
「とにかく、私たちはもう少し建設的な意見を出し合うべきだろう」
レティシアは、皆へ切り替えをうながすように言った。
「それと今必要なのは、食事と休養だな」
丁度、北の空を渡って、鐘の音が聞こえてきた。
街の教会で、落日課の鐘が打ち鳴らされたのだ。
夜闇が近付いている。
俺たちは、急いで「美しき雌鹿」亭へ引き返した。
店の酒場で席を取り、下働きの娘に夕食を注文する。
料理の皿がテーブルへ運ばれてくる頃になると、すでに建物の中は歌や踊りで賑わっていた。
旅の詩人や踊り子が招かれていたのだろう。
店の女主人であるジュディスは、大衆芸能に造詣が深いと、エザリントンでも評判らしい。
ここで古今東西の多様な詩や音楽を聴くのは、俺も密かな楽しみだった。
「私の竜化魔法で、本当にまぐれメタルが倒せるのかしら」
食事を済ませて一息つくと、メルヴィナが不安そうに声を絞り出した。
「ドラゴンブレスは、たしかに強力無比な攻撃手段よ。――けれど、竜化して放射するより先に効果範囲外へ逃げられたら、打つ手なんかないわ」
「……そうは言っても、ドラゴンシェイプ以上の有効な手立てがないんだ」
俺は、木製の杯から、果汁水を喉へ一口流し込んだ。
「できることなら、おまえ一人だけに負担を押し付けたくはないんだけどな」
それは、決して偽ることなき本心だった。
本当ならメルヴィナにばかり、余計な苦労を強いたくない。
ましてや、魔法効果が切れた直後、「あんなこと」になる、とわかった今では尚更だ。
この子の乙女心を、羞恥で苛み、弄ぶ権利など、誰も絶対に持ち得ない。
だが、俺たちには今、類例なき魔物討伐が任務として課せられていた。
――【まぐれメタル】。
魔物学上では、
この街へ来てから、俺も初めて存在を知った魔物だ。
冒険者の店で詳しく話を聞くと、色々と興味深い逸話がある討伐対象だった。
ラット族の魔物は、細かい特徴の差異によって、分類が多岐に渡っている。
そうして、それらの亜種にあたるのが、「
さらにメタルラットの上級種なのが、「まぐれメタル」なのだった。
元来ラット族は、然程手強い害獣ではない。
武器の扱いに覚えがある戦士なら、むしろ容易に駆逐可能だと思う。
ただし、その中でもメタル系のラットだけは、かなり厄介な相手だ。
何しろ、まぐれメタルの全身は、凡百の金属鎧を凌ぐ硬度を持ち、それでいてあらゆる破壊魔法を無力化してしまう。
圧倒的な物理防御力と不思議な魔法耐性を、鉛色の体表が兼ね備えているのだった。
加えて、その身には驚異的な敏捷性が宿っている。
なので攻撃回避においても、桁外れの能力を誇る。
また、意外に知能が高く、危険に対しても敏感だ。
「たぶん、まぐれじゃなければ、剣で斬ろうとしても当たらない」
この特殊なメタルラットを、かつて熟練の傭兵がそんなふうに評したと噂されていた。
爾来、冒険者たちのあいだでは、現在の呼称が定着したらしい。
「……『竜の息』で倒せなければ」
酒場の賑わいに紛れて、プリシラがぼそっとつぶやく。
「きっと奇跡でも起きない限り、あの魔物を討伐するのは無理」
それは新たな考察の提示ではなく、すでに共有された見解の確認だ。
まぐれメタルには、実際に他の攻撃方法で挑んで、二度まで討伐に失敗している。
剣で斬り付けるよりは、まだしもドラゴンブレスに見込みがありそうなのは、明らかだった。
そう、やはり竜化魔法のドラゴンブレスを、あてにするしかない。
竜の吐息は、物理攻撃でも魔法攻撃でもない、「無属性貫通攻撃」である。
だから、まともに浴びせることさえできれば、物理防御力も魔法耐性も無視して、対象を葬り去ることが可能なはずなのだ。
戦略上の理屈としては、それで間違いはない。
おそらく……
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