3:着衣が破けるなら脱げばいいじゃない

 翌日になって、俺たち一行――

 俺、メルヴィナ、レティシア、プリシラの四人は、再度ウォーグレイブ丘陵へ赴いた。


 無論、周辺地域を探索しつつ、討ち逃したまぐれメタルを追跡するためだ。

 ただし前日までと異なり、この日からはやや特殊な目的が加わった。


 それは、竜化魔法ドラゴンシェイプの訓練である。


 俺たちは、昨日の失敗を踏まえ、改めて事前の準備が如何いかに重要かを痛感した。

 それで、「もっとメルヴィナには、竜化魔法の行使にが必要なのではないか」という、至極もっともな意見が提示されたのだ。


①:まぐれメタルは、危険を察知すると、持ち前の敏捷性で逃走してしまう。

②:ドラゴンブレスは強力な攻撃だが、竜化して放射するまでに時間が掛かる。


 二つの要素を隔てる齟齬を、どうすれば埋められるか。

 敵を取り逃がす前に倒してしまいたいのなら、一番単純な方法はこちらがより素早く攻撃を実行へ移すことだろう。

 つまり、「竜化~ブレス放射」までの所要時間を、可能な限り短縮させねばならない。


 そのためには、さらにメルヴィナが実戦経験を積み、竜化魔法の行使に適応する必要がある。

 なので、まぐれメタル以外の魔物と遭遇した場合にも、今後はしばらくドラゴンシェイプの迅速化を戦闘で練習してみよう、というわけだった。


 ……まあ、話し合いで一応、そういうことに当面の方針が決まりはしたのだが……。



「メルヴィナ、何だか元気ない……」


 プリシラは、隣を歩く魔法使いの少女を見て言った。

 自然と、皆の視線がメルヴィナへ集まる。

 よく注意してみると、たしかにちょっと表情が暗い。

 だがメルヴィナは、顔を上げて苦笑してみせた。


「そんなことないわ。きっと気のせいよ」


「どうした? 少し休んでおくか」


 立ち止まって、レティシアが気遣うように声を掛けた。

 そちらへ対しても、メルヴィナはかぶりを振って応じる。


「ウォーグレイブ丘陵に来てから、まだ昼を過ぎたばかりじゃない」


「……本当に大丈夫なのか?」


 念のため、俺もたしかめるように訊いた。

 メルヴィナは、あくまで気丈な態度を崩さない。


「ええ、大丈夫よ。――さあ、それより先を急ぎましょう」


 俺は、レティシアやプリシラと、互いに顔を見合わせた。

 ここまで本人が不調を否定するのであれば、殊更冒険を中断するのもおかしい。

 メルヴィナの意思に従って、予定通りに探索を続行することになった。



 とはいえ内心では、メルヴィナが憂鬱そうな理由を、皆それとなく察している。


 ――おそらく、竜化魔法のことを考えていて、ずっと気が重いのだろう。


 エザリントンを出発したときから、メルヴィナは厚手の外套マントを羽織っている。

 肩から足元まで届く、かなり丈が長いものだ。胸の前に生地を寄せれば、頭部以外は全身をすっぽりと覆うこともできる。元々は雨具として作られたらしい。

 街で雑貨屋が開くのを待って、出発前に急遽購入した代物だった。


 こんなものをなぜ着用に及んでいるかと言えば、もちろん「竜化の訓練に備えて」である。



「……竜になるとき、装備が壊れるなら」


 昨夜の打ち合わせで、あのあとプリシラは淡々と意見を述べた。


「魔法を行使する前に、装備を全部脱いでしまえばいい」


「ぜ、全部脱ぐって」


 メルヴィナは、声を震わせ、頬を引きらせていた。


「その、まぐれメタルと遭遇したら、戦闘開始と同時に――って、そういうこと……?」


「……ん。その通り」


 プリシラは、こっくりと首肯する。


 メルヴィナが蒼褪あおざめたのも、致し方あるまい。

 竜化が解けたら全裸になるのも大概だけれど、魔法詠唱の直前に野外で脱衣するだなんて、頭が沸いた振る舞いとしか思えなかった。

 魔法使いとしての沽券こけんにも関わりかねないし、それ以上に年頃の乙女としては耐え難かろう。


 けれど、竜化する都度、たしかに高価な装備を買い直すのは厳しい。

 この懸案を払拭するため、「事前に自ら全裸になっておく」というのは、なるほど一考に値する手段であった。

 もっとも、この場合には、また別の問題が生ずる。


「魔法詠唱の前に服を脱ぐとなると、そのぶん余計にドラゴンブレス放射までの所要時間が延びるぞ。装備を壊さず竜になれても、かえってまぐれメタルに逃げられやすくなるんじゃ無意味だろう」


「そこは、メルヴィナの努力を期待する……」


 俺の指摘に対して、プリシラは真顔のまま答える。


「素早く脱衣できるようになるまで、好きなだけ詠唱前に野外で全裸になる練習をしてもらいたい……。そうすれば、竜化魔法を何度行使しても支障ない……」


「さらっと無茶な努力を期待しないでよっ!?」


 涙目でメルヴィナが抗議した。

 その心中、察するに余りある。

 いきなり野外で全裸になるだけでも充分変態だが、自ら脱衣するとなればもはや痴女だ。

 ていうかプリシラも、容姿は小柄で無害そうなのに案外容赦ないな! 


「その、メルヴィナの気持ちを酌むと、安易に賛同するわけにはいかないが」


 俺は、わざと咳払いしてみせてから、努めて平静に議論を進めた。


「仮に脱衣練習の案を採用するにしても――せめて竜化直前まで、す、素肌を周囲に曝さずに済むようなやり方があれば、いいんだろうけどな」


「……ふむ。それなら、私に多少考えがなくもない」


 ちょっと思案するような仕草を交えながら、レティシアがゆっくりと口を開く。


「つまり、装備を外して裸になる前後、それが直接人目に触れなければいいのだろう?」


「その通りだが、どうするつもりだ」


 詳細をたずねると、黒髪の女剣士は自分の着想を説明した。


「何、簡単なことだ。脱衣する際、首から下を覆い隠す布があればいい」



 ――と、そういうわけで。

 昨日、市場で買った装備品の上から、現在メルヴィナは外套を身に着けているのだった。


 改めて断っておきたいのだが、俺はこの計画を決して積極的に支持したわけじゃない。

 だが結局、有用な代案が浮かばないまま、話し合いは頓挫してしまった。

 それで、苦渋の末にだけれど、最終的にはメルヴィナ自身が決断したのである。


「わかったわ。――私一人の都合で、魔物討伐を断念するわけにはいかないから」


 気高く言い放ったものの、深い海のような碧眼には、悲壮な影が見え隠れしていた。


 うーん、あまり無理してなければいいのだが……。




     〇  〇  〇




 さて、俺たちは丘陵地帯を奥へ進み、前日探索を中断した位置までやって来た。


 すなわち昨日、まぐれメタルを含む魔物の群れと交戦した地点だ。


「ここから、あいつには西の方角へ逃げられたんだよな」


 目を凝らして、現在地から少し離れた場所を眼差してみた。

 見覚えのある灌木が繁茂している。

 たしか、あそこでまぐれメタルが姿を消したはずだ。


「一応、ヤツの足取りを追ってみるか?」


「……そうだな」


 レティシアに問われ、俺はちょっと考えてから同意した。

 まぐれメタルに関しては、習性に謎が多く、これといって捜し出す手掛かりもない。魔物としては小型の部類で、おまけにすばしっこいから、発見は尚更困難だ。

 だから差し当たり、遭遇できるかどうかは運任せだった。


 まあ、まぐれメタルが他の魔物と合流して、再び群れを形成するようになれば、いくらか動きを捕捉し易くなるとは思う……

 と言っても、これは敵戦力の増強も意味するから、悩ましい矛盾なのだが。



 いずれにしろ、俺たちはウォーグレイブ丘陵の西側を目指すことになった。

 緩い傾斜が波打つ地形を、尚もしばらく歩く。


 ほどなく、前方の坂が少し下った先で、奇怪な生物の蠢く光景が見て取れた。

 人ならざる異形のものたちが、ちいさな窪地の池の傍で、寄り集まっている。


 ――魔物の群れだった。


 二匹の食人鬼オーガが集団を率いていて、それに複数の小鬼ゴブリンが付き従っているらしい。

 一、二、三匹……

 全部で、妖魔ばかり七匹。

 どの個体も、大小の古びた武器を所持しているようだ。


 俺たち四人は、付近の茂みに身を潜め、慎重に様子を窺う。


「どうやら、あの中にまぐれメタルは居ないみたいだな」


 さすがに昨日の今日で、何度も遭遇できる相手じゃないらしい。

 元々希少種の魔物だし、そこまで虫のいい話はないよな。


 一頻り観察したところで、プリシラが判断を求めてきた。


「……それでどうするの、アシュリー?」


 この「どうする」という問いには、二つの含意があるのだろう。

 ひとつは、無論「魔物の群れを掃討するため、今から攻撃を加えるのか」ということ。

 もうひとつは、戦闘に突入するなら「メルヴィナに竜化を練習させるのか」の意味だ。


「折角の機会だ。試さないわけにゃいかないだろ」


 でなきゃ、昨夜の話し合いは何だったんだってことになる。

 わざわざ外套まで買って、そのための用意を整えてきたわけだし。


「メルヴィナ、準備はいいか」


「え、ええ。――わっ、私、頑張るわ」


 小声でたずねると、メルヴィナは硬い面持ちでうなずいた。

 かなり緊張しているらしい。大丈夫かよ。


 とはいえ、微妙に不安は残るものの、ここで隠れ続けているわけにもいかない。



「よし。じゃあ、みんないくぞ」


 手短に戦術を確認してから、俺たちは一斉に物陰を飛び出す。


 段取りは、ごく単純だった。

 まずは、俺とレティシアが前に出て、魔物の群れを強襲する。

 次にゴブリンと優先的に対峙し、徐々に敵戦力を削いでいく。

 ひとまずオーガは後回しにして、その場で時間を稼ぐ算段だ。


 プリシラは、後衛でメルヴィナを守りつつ、回復や補助の魔法で支援する。

 それで肝心のメルヴィナは、そのあいだに竜化魔法の発動を急ぐ――

 まあ概ね、そういった作戦だった。



 俺は、幅広剣ブロードソードを鞘から抜くと、敵の一団目指して突っ込む。

 こちらの接近に気付いた魔物たちが、奇声を発しながら戦闘態勢に入った。

 けれど、反応は慌ただしく、秩序を欠いている。


 機先を制して間合いを詰めると、俺は一番手前のゴブリンに斬り付けた。

 鋼鉄の刃を通して、たしかな手応えが伝わってくる。

 断末魔の叫びを上げ、醜い妖魔は地面へ派手に倒れ込んだ。

 すぐ隣ではレティシアも、別のゴブリンを一太刀で斬り伏せていた。



 ――竜化魔法の経過は、どうなってる? 


 先制攻撃に成功しても、やはり気掛かりなのはメルヴィナの挙措だ。

 剣を胸の高さに構え直しながら、俺はちらりと背後を振り返ってみる。


 ……で、思わず目を剥いた。



「――う、うう……ぅんっ。う、上手く、ぬっ脱げ、ない……っ……」


 メルヴィナは、外套で覆われた身体を、頻りにくねらせたり、前屈みに折ったりしている。

 そのたび喉の奥からは、妙に艶めかしい声が漏れていた。

 頬は真っ赤に染まり、額には汗の滴が滲む。

 平時可愛らしい顔が苦しげに歪んでいるのは、たぶん羞恥と焦燥の作用だろう。


 うん。何だろうな、これ。

 あの外套の下で、魔法詠唱の前に必死で装備を外そうとしてるのはわかるんだけど。

 この子ってば、なんで無駄にお色気たっぷりなの……? しかも戦闘中に。



「おいっ。アシュリー、危ないぞ!」


 そのとき、不意にレティシアの警告が聞こえた。

 我に返って前を向くと、すぐ近くまでゴブリンが接近している。錆びた小剣ショートソードを振りかざし、こちらへ躍り掛かって来た。

 その攻撃を、咄嗟に半身逸らして避ける。


 くそっ、危ないところだった。

 俺は、気を取り直して反撃し、また一匹斬り捨てる。

 いかん、もっと目の前の敵に集中せねば――


 なーんて、自戒の念を抱いた矢先。



「シュ、肌着シュミーズが、足の先にひ、引っ掛かって――」


 またしてもメルヴィナの声が、吐息混じりに聞こえて来た。


「……んん、ぬ、脱げたわっ。――はぁ、すーすー、するっ……」


「えええぇぇい、ちくしょおおおおお――ッ!!」


 邪念に抗おうとする一心で、俺は幅広剣を力一杯振り抜く。

 水平方向へ放った斬撃が、さらにもう一匹ゴブリンを薙ぎ払った。


 おいこら何だよ何が外套の下ですーすーしてんだよっていうかわざわざ途中経過を言葉で説明しながら脱ぐ意味あんのかそれとも誘ってんのかふざけんなよメルヴィナ可愛い! 


 とか何とか、頭の中で猛烈に駆け巡る思考を抑え付け、そのまま勢い任せに地面を蹴る。



 そして、いよいよオーガと正面から対峙し、一、二度、連続で斬り付けた。

 異形の食人鬼は、手傷を負うと、野太い声で吠える。

 しかし、さすがに中級妖魔らしく、簡単には膝を折らない。


 なので落ち着いて、いったん下がりつつ間合いを測る。

 すると、オーガは案の定、大振りの戦斧バトルアクスで反撃して来た。

 間一髪でそれを避けると、俺は再び姿勢を整え、身構える。



 それから何度か、互いに激しい攻防が繰り返された。

 傍ではレティシアが、残るゴブリンを駆逐し、今は他のオーガと斬り結んでいる。


 ……だが、そんな戦況も、あまり長くは続かなかった。

 妖魔相手の戦闘ならば、日頃から慣れている。

 プリシラの補助魔法による援護もあって、展開は終始押し気味に推移していく。

 やがて俺が繰り出した一撃は、敵の分厚い胸部を貫き、絶命へと至らしめた。

 ほぼ同時にレティシアの剣も、オーガの頸部を斬り裂いて、血飛沫を舞い上がらせる。


 こうして俺たちは、魔物の群れを全滅することに成功した。




 でもって、そのあとのこと。


「いやはや上首尾で勝利したなぁ~」

 などと浸りつつ、俺は剣を鞘へ戻したわけだが。



<……えっと。それで、私はどうすれば……?>


 にわかに脳裏へ直接、控え目な震え声が語り掛けて来た。


 ――後ろを振り返ってみると、光り輝く黄金竜がこちらを見下ろしている。


 もちろん、メルヴィナが竜化魔法で変化した姿だ。

 巨体の足元では、プリシラが無表情で、辺りに散らかった着衣や外套を拾っていた。


 ……やべぇ。

 この子のこと、コロッと忘れてた。


 目の前の戦闘に集中しようとしたせいで、途中から後衛の状況を把握し損ねてしまっていたけど――

 思い返してみると、なんかオーガと斬り合ってる最中に、背後から長い魔法詠唱が聞こえていた気がする。

 しかも直後には、強い閃光と魔力反応も生じていたような。


 あー、ひょっとしなくてもあれ、メルヴィナさんが竜化するときのやつだったんスね! 

 いやはや気付かなくて、俺とレティシアだけで先に魔物倒しちゃってたわー。

 ていうか服を脱ぐまで待ってたら、時間掛かり過ぎてまともな戦闘にならねえぞ……。


 これじゃ、まぐれメタル討伐どころじゃないんだけど。どうすんの。



<せ、折角、竜に変身したのに……>


 黄金竜になったメルヴィナは、丘陵地帯の真ん中で、しょんぼりと巨躯を縮ませていた。

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