挑むために

 拙い!!拙い拙い拙い拙い拙い!!!九尾狐に『視』られた!!

 北嶋にも当然情報は行くだろう!!噂だけでとはいえ、あんな化け物とやり合ったら命が幾つあっても足りない!!

 速攻で荷物を纏める。ヒヒイロカネは惜しいが、自分の命が一番だ。

 文字通り逃げるように部屋のドアを開ける。

「うおっ!!?」

 本気で驚いて飛び上がる。

 ドアの向こうに、黒いコートを羽織っている初老の白人と、黒いスーツをラフに着ている若い男が立って、俺を見ていたのだ。

「な、なんだ貴様等は!?」

 二歩、三歩と後退る。

 いきなり現れたのも驚いたが、何より、その霊力は俺なんか遥かに凌駕していた。

 要するに恐れたのだ。呪殺を生業とする俺が。

「…君が本当にあの神崎を欺いたのかね?」

 初老の白人が溜め息を付き、幻滅している。

「神崎は初の依頼で浮かれていたんだろう。じゃなきゃ、ババァの力もたかが知れている事になる」

 スーツの方は日本人か?心なしか、苛々しているような…?

「な、何故貴様等がその事を知っている!?」

 神崎を欺いたのは、俺だけしか知らない筈だ。健寿教の教祖、漆原も知らない.それなのに、何故?

「お前の事なんかには興味がない。追っていたのは神崎の方だ」

 スーツの男は面白く無さそうに、床を蹴る。

 ほぼ同時に、コートの男が遠慮も見せずに部屋に入ってきた。

「俺の部屋に勝手に入るな!!」

 心臓の鼓動が尋常じゃない程高鳴っている。

「……とんだザコだなお前…まぐれとは言え、神崎を欺いたのは事実。故にそこそこだとは思っていたんだが…どうする?お嬢?」

 スーツの男が頭を掻きながら振り返って訊ねた。

 そこで俺は初めて、こいつ等の他に人間がいたのを知った。

 慌てて後方に目を向ける。

「っく……!!」

 お嬢と呼ばれる女を見た途端、俺の身体から力が抜け落ちる感覚に陥った。

 その女は、腰まで伸ばした長い銀色の髪を跳ね退けるよう、手で払う。

 瞳も銀色だ。

 外国人…白人…

 銀色の髪など珍しいが、その女…感覚的だが…

 とても冷たい…………!!

 冥府の底のような冷たさを感じる…

「あ、あんたは?」

 言った瞬間!コートの男が俺の首を掴む!

「お嬢様をあんた呼ばわりとは……」

 初老とは思えない力で、俺の首を締め上げた。

「ぐぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!!」

 こいつ…なんて力だ…!!抗うのも諦めてしまいそうになる…!!

「いい、放してやれラスプーチン」

 女に言われて手を離す男。俺はそのまま床に這いつくばった。

「ゴホッ!ゴホッ!ゴホッ!はぁ、はぁ…ラ、ラスプーチンだと…!?」

 聞いた事のある名前。ロシア帝国時代の怪僧の名だ。

 女が俺の前に歩いてくる。微笑を零しながら、酷く冷たい瞳を俺に向けながら…!!

「お嬢、俺は反対だ。この程度の男じゃ足手纏いにしかならない」

「お前も控えろ。主水もんど

 主水と呼ばれた男は渋々と下がる。

 女は這いつくばっている男に視線を合わすよう屈んだ。そしてフッと微笑む。


 ゾクッ


 全身の血が抜かれたように、一気に身体の熱が無くなった感覚に陥った。なんだこいつのこの冷たさは!?本当に人間なのか!?

「驚かせてすまない。私の名はリリス。リリス・ロックフォード。ロックフォード財団は知っているだろう?世界的に有名なコングロマリットだ。そこの一人娘さ」

 リリス!?

「リリス…だと!!」

 恐ろしさのあまり固まって動けなくなる。ロックフードの名なんか、完全に頭から飛んで行く程の恐怖を覚えた。

 リリスは笑みを崩さずに話を続けた。

「君の思っているリリスではないよ。私は悪魔でも妖怪でもない、ただの人間さ」

「人間にしちゃ、すげぇ霊力だな……!!」

 従えているラスプーチンや主水とかいう奴等を凌駕する霊力!!

 いや、霊力というよりは魔力に近い!!

「困ったね。やはり誰も信じてくれはしないか」

 寂しそうに笑うリリス。

 魅了の術でも仕掛けているのか、恐ろしいが引き込まれてしまうその瞳…

 ビビっていた俺は辛うじて捕らわれていないだけに過ぎかった。この女がその気なら、俺は完璧に捕らわれ、女の意志の儘動くだろう。それが死ねと言う命令でもだ…!!

「それはお嬢様、勿論そうなりましょう」

 恭しく頭を下げるラスプーチン。

「お前…本物か?」

 ラスプーチンはじろりと俺を睨み付けならが言った。

「本物だ。もっとも、転生したのだがな」

 ブルッと身体が震える。やはり本物のラスプーチンだったのか、と。

 グリゴリー・ラスプーチン。ロシア帝国時代に存在していた怪僧。

 時の皇帝の子息の病(血友病)を祈祷で治した(症状を緩和させた)事により、信頼を受け、権力者となったが、数々の女性遍歴を糾弾されて失脚したという。

 ラスプーチンは幼女から人妻まで何人もの女を抱いた。その一人が皇帝の妻、即ち皇后と噂された。

 第一次世界大戦が勃発して首都を離れて前線に出る事が多くなると、内政を託された皇后は、何事もラスプーチンに相談して政治を動かし、人事を配置した。

 前線から届く芳しくない戦況から、敵国ドイツ出身であった皇后とドイツの密約説が流れ、皇帝不在中の皇后とラスプーチンの愛人関係までが真しやかに噂されたのだ。

 そして、かねてからラスプーチンを煙たがっていた皇帝と姻戚関係のあったユスポフ公は、皇帝の従兄弟であるドミトリー大公と謀って、ラスプーチンを晩餐に誘う。

 殺害方法は、毒殺。食事に青酸カリを盛った食事でもてなしたのだ。

 しかしラスプーチンはその食事をペロリと平らげて、平然とし、食後に祈りを捧げた。

 恐れをなした周囲がラスプーチンの背後より銃を撃つ。

 しかしラスプーチンは倒れる事なく、反撃に出たらしいのだ。それに完全に恐れていた周囲は、反撃に出たラスプーチンに2発の銃弾を撃ち込んだ。

 倒れたところを殴る、蹴るの暴力を振るわれても尚死なないラスプーチンは、そのまま窓から道路に放り出された。

 確認に行った者が驚愕する。ラスプーチンはまだ息が残っていたのだから。

 半狂乱になった連中は、そのままネヴァ川まで引きずり、氷を割って開けられた穴にラスプーチンを投げ込んだ。

 それから三日後、ラスプーチンの遺体が発見され、検死の結果、肺に水が溜まっていた事から、死因は溺死とされた。

 ここで漸くホッとした連中だが、青酸カリを食い、何発もの銃弾を浴びながらもまだ生きていたラスプーチン…

 とある予言が耳に残る。

 私を殺す者が民衆ならば良い。が、皇族や権力者が私を殺したならば、ロシア帝国は滅びる事になるだろう。

 ラスプーチンの呪いにも似た予言通り、間もなくロシア帝国は滅び、ソビエト連邦となった。

「そのアンタが従っているんだ…悪魔や魔女と思っても仕方ない事だろう…?」

 言い終えたと同時に、後ろに飛び跳ねた。

 ラスプーチンが俺を睨むが、それを手で制するリリス。

「よい、下がれラスプーチン」

 逃げ出すのに充分な間合いを確保した俺は、少し余裕ができた。

「ところでお前等、俺に一体何の用事だ?」

 リリスが『あの』リリスではないにしろ、ラスプーチンが『あの』ラスプーチンであるにしろ、俺に接触してきた理由が定かではない。

 話からすると、神崎狙いのようだが…

「神崎狙い?少し違うね。私の狙いは、あのお方」

 少し光悦した様子で話すリリス…

「あのお方だと?」

 俺の疑問にスプーチンが答える。

「北嶋 勇だ」

 北嶋!こいつ等は北嶋狙いなのか!

 そう思うと同時にラスプーチンが崩れ落ちた。

「あのお方を呼び捨てにするとは。躾けが足りなかったか」

 空を握るよう、右手に力を込めるリリス。

「お、お許しを…かかっ!!」

 ラスプーチンは胸に手を当てて苦しんでいる。心臓を『握って』いるのか!?

「その通り。私は彼の心臓を握り潰しているイメージを具現化している」

 リリスは手を緩めると、ラスプーチンは「はぁっ!」と一つ、大きく呼吸し、そのまま、固まった。

「お前も呪術を?」

「さぁね。産まれてから、知ろうとした事もないよ」

 パイプ椅子を引っ張り出して座る。その動作も息を飲む程に美しいが…

「産まれてからだと?お前は生まれ付き、そんな物騒な能力を持っているのか!」

 驚愕する!北嶋と同じような化け物が俺の前に居るのだ!

「あのお方の能力は解らないけどね」

 寂しそうな表情に変わるリリス。同胞を捜しているから北嶋狙いなのか?

「私が君に会いに来たのは、言うなればスカウトだよ」

 唐突に話を切り出すリリス。

「スカウトだと?俺の力なんざ、お前に取り巻いている奴等よりも微々たるもんだぜ」

 俺はラスプーチンよりも、主水という奴よりも弱い。勿論、リリスには遥かに劣る。

「そんな事はないよ。君の底はまだまだ先さ。禍玉怨霊弾まがだまおんりょうだん…だっけ?あれはいい術だ」

「何故お前があの術を知っている!!?」

 驚きのあまり、声を荒げた。

 リリスはクスッと笑いながら続ける。

「私が『ろう』とすれば、何故か勝手に識る事ができるんだ。神崎が水谷の力を全て受け継いだ事も、君のとっておきの術も、ね」

 最早言葉も出ない。

 禍玉怨霊弾は、確かに俺の最高の技だ。だが、贄が充分でないと威力を発揮しない。

 地の王や北嶋に通用する程の贄を確保できていない今、手を拱いている事で窺えるだろう。

「贄ならあるじゃないか」

 ある筈がない。

 ヒヒイロカネをかっぱらう為に、死者の魂を使っているからだ。

「だからもっと殺せばいいんだよ」

 もっと?これ以上殺すと、足が付く。

 捕まる訳には……

「警察を恐れているのかい?君の殺害方法は呪殺…証拠など残る筈も無い」

 確かに…俺は証拠を残さずに殺せる……

「もっと、もっと……殺して魂を集めれば、地の王もあのお方も倒せるかもね……」

 俺が……冥府の王も……北嶋も……

「倒せる」

「倒せる……」

 俺の呟きと、リリスの声が同時に同じ言葉を発した……

 じゃあ早速魂を集めるか…でも、どこに…?

「金を沢山あげた教団…健寿教だっけ?そこにいっぱい魂があるじゃないか?」

 ああ、生きる事に絶望した奴や、縋り付く事しかできない連中がいる所か。確かに、あそこなら、沢山の贄が手に入るな…

 立ち上がる俺にリリスは満足そうに笑う。

「主水、彼が行きたい所へ連れて行ってあげてくれないか?」

「お嬢の命令なら仕方がないな…」

 主水とかいう奴は俺に向かって手を伸ばす。

「来いよ。電車や飛行機で行くよりは速く着くぜ」

「…お前の名、漸く思い出したぜ。松山…松山まつやま 主水もんどだな?」

「俺もそこそこ有名人らしい。お前如きでも知っているんだからな。そうだ、その通り。ラスプーチンのように、転生した身だが」

 主水…松山の手をしっかり握る俺。

「高速で頼む」

「あっという間だ」

 言い終えると同時に、俺と松山はその場から姿を消し、気が付くと、健寿教の総本山の入り口に立っていた。

「…見事だ。超能力者だったのは本当らしいな」

「どうでもいいさ。お前こそ、さっさと目的を果たして来いよ。ここで待っていてやるから」

 松山は興味が無さそうに、近くにあった栗の木にゴロンと寝そべった。

「終わったら起こしてくれ」

 手で追い払うような仕草をする松山。

 俺は松山に背を向けて、健寿教の敷地に入って行く。

 俺の姿を発見した信者達は、這い蹲るように平伏した。昨日、今日入会した信者達も、訳の解らぬまま皆に倣う。

 全く我の無い連中だ。

 周りに倣う事で安心を覚えるのか…

 くだらねぇ…

 そんなくだらねぇ人生…

 そんなくだらねぇ命…

 要らないだろう?

 ならば俺にくれ。

 貴様等の命、貴様等の魂は…俺が有効に利用してやる………!!

 俺は呪符を懐から取り出し、それを地面に『落とした』。

「ぎゃああああ!!」

「ぐあああああ!!」

 周りから悲鳴が聞こえる。

 信者は平伏したまま、『圧死』したのだ。まるで『何かが落ちてきた』ように。

「かなりの贄が集まるな。地の王も、北嶋も倒せるくらいの…な…」

 俺はそのまま、本丸に向けて呪符を『落とし』ながら歩いた。

「せ、先生!!これは一体!?」

 騒ぎが耳に入ったのか、幹部連中が屋敷から出てきた。

「なに、お前等は何も心配する事は無い」

 俺はやはり呪符を落とす。

「ぺへらあっ!?」

 幹部連中も当然ながら圧死する。

「悪いな。普段はもう少し、控え目に殺すんだが、何故か今日は殺す方法は選ぶ事ができないんだよ」

 そうだ。俺は証拠が残らないよう、慎重に人を殺す。

 呪殺とはいえ、派手に殺す事は無い。

 だが、今日は、なるべく早く殺したい、なるべく多く殺したい気持ちが俺を支配している。

 今日は…じゃないか…

 リリス……

 あの女と話してから、あの女の瞳を見た時からだ。

 あの女は、やはり魅了の術を使っていたのか。

 ならばあの女に感謝しなければならない。

 あの女のおかげで、俺は一段高い所へ行けたのだ。

 慎重とは、臆病と同意語だと、今初めて知ったのだ。

 その枷を外した俺は、自信に満ち溢れている。

「こんなに簡単なら、もっと早くから殺せば良かったな…」

 今の俺の心にある後悔は、この事だけだった。

 暫くした後、俺は休んでいる松山の元へ行った。

 木陰で気持ち良さそうに寝てやがる。

 足でコンと松山の爪先を叩く。片目をスッと開ける松山。

「終わったか」

「ああ」

「………ここにいる生き物を全部殺したか」

「ああ。人間だけ殺すって術じゃ無かったからな」

「上出来だ」

 立ち上がる松山。

「行くぜ」

「よろしく頼む」

 松山の手を握り、目を閉じる。


「いい表情かおになったね」


 女の声が真正面から聞こえてくる。

 俺は目を開ける。

「………アンタのおかげ、と、しておこうか」

 俺の眼前には、リリスが微笑みながら、じっと俺を見ていた。

「…聞きたい事がある」

「なんなりと」

 リリスは深くパイプ椅子に身体を沈める。

「北嶋を『あのお方』と言ったな?俺はお前が言う『あのお方』を殺す為に贄を集めてきた」

『あのお方』と言う限りは、リリスは北嶋に好意を抱いている筈だ。ラスプーチンの心臓を握り締めた事からも、それは間違いじゃない。

「そうだろうね」

 クスクスと笑うリリス。

「北嶋が殺されても構わないのか?」

「どうぞ」

 やはり笑いながら言う。好意を持っている相手とぶつかるであろう、俺に手を貸しているのが解らない。

「何を企んでいる?」

「強いて言うなら、顔見せ…かな?」

「顔見せ?北嶋にか?」

「いや。あのお方もそうだが、あのお方に集まる者全てに向けて、だね」

 神崎や九尾狐にも存在を露わにしようと言う事か?

「神崎は既に私の存在を知っているよ。水谷の力を受け継いだ時から、ね」

 益々以て意味が解らない。解らないが…

「まぁいいさ。お前が俺を一段高みに連れて行ってくれた事には変わらない。例え魅了の術を使っていようともな」

 どんな思惑があるのか解らない。

 解らないが、俺はリリスに感謝している。

 あのままの俺ならば、北嶋には一生及ばないだろうし、地の王からヒヒイロカネを奪う事もできなかったのだから。

「それで?あのお方に勝てそうな程、魂は集まったのかい?」

 リリスは含みのある笑みを俺に向ける。

「いや、まだまだ足りないだろうな。挑む為には、もっと沢山の贄が必要だ」

 健寿教の施設や屋敷に居た連中は、全部俺の物になった。だが、相手は神と化け物。まだまだ足りない。

「君の顧客は教団だけかな?」

 成程、含み笑いの意味はそれか…

「暴力団や企業にも顧客は居る」

 リリスはクイッと顔を松山に向ける。

「今日中に終わるんだろうな?」

 松山は頭を掻きながら、面倒臭そうに手を差し伸ばす。

「勿論だ」

 俺はその手を握る。

「今日中に終わらなかったら、ほっといて先に帰るぜ?」

「置いて行かれないように殺しまくってくるさ」

 俺はスッと目を閉じる。その時脳裏にリリスとのやり取りを思い出す。

 リリスとのやり取りは、悪魔と契約したように感じた。

 だが、それでいい。俺も悪魔なのだから。

 再び目を開ける時、俺の前には屍しかないだろう。悪魔は殺す事に躊躇しないからだ。

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