第四話 紅葉シーズン到来、一泊二日の塾合宿スタート(二日目)

合宿二日目の早朝、六時半頃。

「皆さーん、起床時刻ですよう。用意を済ませて、速やかに昨日の宴会場へ移動してね」

満由実さんが507号室へ入って来て、大声で叫ぶ。

「あっ、おっ、おはよう、ございます。おばさん」

 修はすぐに目を覚まし、むくりと起き上がった。

 晴恵と藍子、数歩もそれからほとんど間を置かずに目を覚ました。

「よく眠れましたか?」

 満由実さんはその三人に質問する。

「まあ、一応は」

 修は素の表情で答えた。

「わたしは、あまり眠れませんでした。絵梨佳さんに何度も蹴られて。お布団移動させたんですけどね」

 藍子は苦笑した。

「ああ、やっぱり。ワタシ、野外活動でえりかちゃんと同じ班だったんだけど、お隣のお布団で寝たら何回か蹴られてたよ。えりかちゃーん。起きてー」

 晴恵は爽やかな表情を浮かべて、絵梨佳の頬っぺたをペチペチと叩く。

「んうん。まだ眠い」

 絵梨佳はぴくりと反応し、お布団に包まった。

「絵梨佳さん、おしりが半分に出てるよ。本当に寝相悪いのね。よぉーし」

 藍子はにやりと笑った。

「あいこちゃん、もしかして」

 晴恵は心配顔になった。

 藍子は手のひらにハァッと息を吹きかけた。

「絵梨佳さん、起きなさい!」

 パチーンッと乾いた音が響く。

 その瞬間。

「きゃぅっ!」

 絵梨佳は飛び起きた。

「なっ、何が起きたの?」

 紗奈もパチッと目を覚まし起き上がった。

「大成功ね」

 藍子はにっこり微笑んだ。

「もう、ひどいなアイコン」

 絵梨佳はムスッとふくれる。

「真夜中の仕返しよ。わたしも痛かったんだから」

 藍子はにかっと笑い、舌をぺろりと出す。

「さて皆さん、早くお着替えして移動してね」

 満由実さんは指示を出す。

「はーい」

 紗奈はパジャマの上着を脱いだ。

「うわっ」

 修は咄嗟に目を手で覆う。

「さっ、紗奈さん。ダメでしょ。もう六年生なんだから、修先生の人目を気遣わなくちゃ」

 藍子は慌てて注意する。

「ごめんなさーい」

 紗奈はぺこんと頭を下げて謝った。

「僕は、あちらで、着替えて参ります」

 結局、修だけは洗面所兼トイレで着替えることにした。

「オサムっちは紳士だな」

 絵梨佳はパジャマを脱ぎながら楽しそうに笑う。

 このあとみんな揃って、昨日の夕食時と同じ宴会場へ。


朝食を取り終えてそれぞれのお部屋へ戻ったあとは、各自荷物をまとめ、出発の準備を進めていく。

「皆さん、そろそろ出発しましょうか?」

 もうまもなく七時半になろうという頃、満由実さんは再び507号室に足を踏み入れた。

「満由実おばちゃん、今から始まるやつ見終わってからーっ」

 紗奈は駄々をこねる。

付けられていたテレビ画面左上には、7:29という時刻表示。何かの番組のEDが流れている最中だった。それが終わり七時半になると、今度は乳幼児向けの教育系テレビ番組が始まった。

「菓子さんは、こういう番組が好きなのでしょうか?」

「うん!」

 修が話しかけると、紗奈は満面の笑みを浮かべて勢いよく頷いた。

「ワタシも大好きです」

「わたしも毎週欠かさず見ていますよ」

「私はたまにー」

 晴恵、藍子、数歩もこの番組がお気に入りのようだった。

「そうでしたか。僕、こういう系の番組見たの、二〇年振りくらいかも」

 修も視聴してみる。

 紗奈は瞬きもほとんどせず、熱心に見入っていた。

 数歩、晴恵、藍子、そして満由実さんも同じく。

「そんなに面白いかな?」

 絵梨佳だけはあまり興味を示さず、番組の途中から携帯型ゲームで遊び始めた。

(何だかなぁ……)

 一五分ほどの番組を見終えて、修は何とも言えない心境に陥った。

先ほどやっていた番組は、『羊飼いと狼』という有名なイソップ寓話のアニメ版だった。「狼が来たぞ」と嘘をついて周囲の大人達を惑わせた羊飼いの少年のお話で、物語の最後に本当に狼が襲ってくるが大人達に信じてもらえず、少年(羊とされている場合もある)はオオカミに食べられてしまう。幼い頃誰もが一度は聞かせてもらったことがあるだろう。

 嘘をつき続けると、いつかは信じてもらえなくなるよ。だからいつも正直に生きることが大切ですよ。という教訓を幼い子供達に伝えるのがこの物語の趣旨だ。

ところが就職活動においては、正直者はバカを見ることが多いのだ。

修は、〝嘘つきは内定の始まり〟といってもあながち間違いではないとも思っている。

(来週のお話は、『金の斧』なんだよな……面接では本音をバカ正直に答えるやつより、バレないように上手く嘘をついて、面接官に気に入られるよう自分を偽ることが出来るやつの方が、あっさり内定を取れるからな。テニスサークルの部長を務めていて部員達を優勝に導きましたとか、飲み会の幹事をやっていたとか、アルバイト先の店の売り上げアップに貢献したとか、御社が第一志望ですっていうのは嘘の典型例だよ。もちろん本当のやつもいるけど、それは少数派だろう。そういやドラ○ンボールの昔の映画で、○飯を塾に入れるための父兄面接の待ち時間に、本当は強いやつと戦うことが趣味なのに、チ○から読書とスポーツだって答えろって命令された悟○が、「面接ってのは嘘つき大会なのかよ」って不満を呟いていたシーンがあったような覚えが……確かにこう答えた方が当然、面接官に好印象を与えられるからな)

「ねえ、修くん、そろそろ行くよーっ!」

「……あっ、わっ、分かり、ました」

 物思いに耽っていたところをいきなり数歩に話しかけられ、修は少し動揺した。

 他の塾生達はすでに、お部屋から出ていた。


        ※


 みんなは桑名から名古屋へ戻り、新幹線で京都駅へ。

JR京都駅構内を少しうろうろしたあと、清水寺へと向かった。

「あたしここに来たの、小四の遠足以来だーっ」

「京都市内が一望ね」

「絶景だぁーっ。この風景は何度見ても飽きないよ」

紗奈、藍子、数歩はとても楽しそうに、かの有名な清水の舞台の上から欄干にもたれるようにして街を見下ろす。

他の四人はそのすぐ後ろ側から眺めていた。

「ちょっと怖いです。斜めになってるし」

 晴恵はその中でも一番後ろ側から眺めていた。

「ねえ絵梨佳ちゃん。ジェットコースターや観覧車は怖いけど、ここは平気なんだね」

「そりゃまあ、動いてないからな」

 数歩の質問に、絵梨佳は真顔で堂々と答える。

「じゃあ、こうすればどうかな?」

 数歩はにこっと笑う。

「きゃっ、きゃあああああっ。カズポン、下ろせ、下ろしてぇぇぇ」

 絵梨佳は数歩に背後からつかまれ、ふわりと持ち上げられた。足をバタバタさせて必死に抵抗する。

「これこれ、数歩。絵梨ちゃん怖がってるからやめなさい」

 満由実さんは優しく注意する。

「ごめんね絵梨佳ちゃん」

数歩は謝罪の言葉を述べて、絵梨佳をそっと下ろしてあげた。

「ああ怖かったー」

 絵梨佳はホッと胸をなでおろす。

「絵梨佳さん、情けないよ」

 藍子は微笑み顔で言った。

「だって、怖いものは怖いんだもん」

 絵梨佳はムスッとした表情で言い訳する。

みんなは続いて地主神社へ立ち寄った。ここには恋占いの石が二つ置かれてある。石から石へ目を閉じたまま辿り着くことが出来ると、恋の願いが叶うといわれている有名なパワースポットだ。

「私、やってみる!」

「アタシもやるぅーっ」

「あたしもーっ」

 数歩、絵梨佳、紗奈が挑戦してみることにした。その三人は石の横に立ち、目を閉じて向かいにあるもう一方の石に向かって歩いていく。

「わっ、数歩さん成功してるし。すごーい」

 藍子は目を見開いた。

「数歩やるわね」

 満由実さんも喜ぶ。

「えりかちゃん、ズレ過ぎーっ」

 晴恵は叫ぶ。

「きゃっ!」

 絵梨佳は前にこてんとつんのめった。すぐ横を歩いていた紗奈が足を引っ掛けたのだ。

「あーん、カッシー。目を開けて歩いたら反則だよ」

「えへっ。絵梨佳お姉ちゃんの倒れ方かわいかったよ」

 紗奈は舌をぺろりと出した。

「カッシー、今度アタシにイタズラしたら、おばけ屋敷に付き合ってもらうよ」

 絵梨佳はてへっと笑って注意する。

「ごめんなさーい」 

 紗奈はぺこんと頭を下げて謝った。

「ねえ、オサムっちも好きな人いる?」

 絵梨佳は彼のもとへ駆け寄り、興味津々に尋ねてみた。

「いないよ」

 修はすぐに否定した。

「嘘だぁー。照れてるぜ、オサムっち」

 絵梨佳はくすりと笑う。

「えりかちゃん、失礼だよ」

 晴恵は困惑顔で注意した。

「お母さんはやらないの?」

 数歩は尋ねてみる。

「うん。だってもう叶ってるから」

 満由実さんは幸せそうな表情でおっしゃった。

 みんなはここをあとにすると、音羽の滝へ。

「ご利益、ご利益」

「めっちゃ美味しそう」

 紗奈と絵梨佳は三つに分かれて流れ落ちる水のうち、彼女達側から見て一番右端のものを柄杓に注いだ。ごくごく飲み干していく。続いて真ん中を流れるお水を注ごうとしたところ、

「欲張って全種類飲むとご利益が消えちゃうよ」

 満由実さんはその二人の背後からさらりと伝える。

「そうなの? 危なかったー」

「マジで!?」

 紗奈と絵梨佳はぴたりと動きを止め、柄杓を元置いてあった所へ戻した。

「それに、飲みすぎるとおなか壊しちゃうかもしれないわよ」

 満由実さんは付け加える。

「ここのお水は、飲んでも特にご利益は無いそうよ」

 藍子はさらっと伝えた。

「えっ!? 健康・学業・縁結びのご利益があるってママから聞いたよ」

「あたしもあると思ってた。違うの?」

「それ、観光用の宣伝文句よ」

 目を丸める絵梨佳と紗奈を見て、藍子はくすっと笑う。

「そうなんだ……なんかママに騙された気分」

 絵梨佳はちょっぴり落ち込んだ。

「この三つの流れは仏・法・僧への帰依、若しくは行動・言葉・心の三業の清浄を表していて、滝そのものが信仰の対象となってるの」

「へぇ。藍子お姉ちゃん物知りだね」

「アイコン博識だぁーっ」

 紗奈と絵梨佳は、藍子から伝えられた豆知識に感心する。

「藍子ちゃんは小学校の時のあだ名、博士だったからね」

 数歩は自慢げに伝えた。

「なんか恥ずかしくて嫌だったよ、そのあだ名」

 藍子は照れくさそうに言う。

「僕もその言い伝え、聞いたことがあります」

 修も話に加わった。

みんなはこのあと合宿最後の締めくくりとして、嵐山へ立ち寄った。

嵐山観光名物のトロッコ列車に乗り込む。

トロッコ列車は自転車と同じくらいのゆっくりのんびりとしたスピードで、線路を駆け抜けていく。

「ここの紅葉も、あんまりきれくないですね」

 眼下にまみえる景色に、藍子はちょっぴり残念がっていた。

「まだちょっと早かったわね。一番の見頃は今月下旬みたいだけど、さすがに期末テスト直前に遊ぶわけにもいかないからね」

「マユミン、その否応無くやって来る現実を思い出させないでぇー」

 絵梨佳は苦い表情を浮かべた。

「あたしには全然関係ないね」

 紗奈はにこやかな表情で得意げに言う。

「落ち葉集めて、焼きイモしたいなぁ」

 数歩は景色を眺めながら呟く。

「カズポン、食いしん坊だなぁ」

 絵梨佳はにっこり微笑んだ。

「あたしはもみじを天ぷらにして食べたぁーいっ!」

「紗奈さん、ここのもみじは食べられないよ」

「でもおさないお姉ちゃん、箕面で売ってたよ、もみじの天ぷら」

「あれは、食用の紅葉を使用して一年以上塩漬けしているのよ」

 藍子はにこやかな表情で教えてあげる。

「えーっ、そんなに時間かかるのぉ?」

 紗奈はがっくり肩を落とした。

「あの、さなちゃん。下を見て。お船さんだよ」

 晴恵は慰めるように話しかける。

「あっ、本当だぁーっ!」

 紗奈は途端に元気を取り戻し、大きな声で叫ぶ。

 車内からこれもまた嵐山の観光名物、保津川を下る遊覧船が見えて来たのだ。

「アタシは乗りたくないな。酔うし」

 絵梨佳は苦い表情で伝えた。

「速度の合成と分解の図を思い出しちゃうな」

 藍子はにこにこ顔で嬉しそうに呟く。

「僕は、SPIや、公務員試験の数的推理に出てくる、流水算の問題を思い出しました」

 修はついつい就職試験のことを思い浮かべてしまった。

こんな風にみんなは紅葉狩りをじゅうぶん堪能し終え、阪急嵐山駅へ。あとはまっすぐ帰るだけとなった。

「修くん、じつは私、明日までの宿題まだ全然出来てないの。先生に叱られちゃう」

「アタシもだぁーっ。やっば」

 帰りの阪急電車の中で、数歩と絵梨佳はふとその現実を思い出してしまった。

「では、僕が、やってあげましょうか?」

 修は問いかける。

「わぁーい。嬉しい」

「オサムっち、任せた」

 数歩と絵梨佳はバンザーイして喜ぶ。

「修先生、ダメですよ」

 藍子は困った表情を浮かべた。

「修ちゃん、数歩と絵梨ちゃんのためにならないからね」

 満由実さんからも注意される。

「やっぱ、よくないのかな?」

 修は少し反省した。

「あーん、藍子ちゃーん、お母さーん」

「マユミン、アイコン、冷たいこと言わないでー」

「数歩さん、絵梨佳さん、そろそろ期末テストを意識した方がいいよ。それと、お菓子を買い過ぎ」

 藍子は、大きな菓子袋を持っていた数歩に指摘する。

「だって私、お菓子大好きなんだもん」

 数歩は遊園地内やホテル内の売店などで買ったお菓子を食べながら言い訳する。

「アタシも大好きーっ」

 絵梨佳も同調する。絵梨佳も数歩に負けないくらいたくさんお菓子を購入していた。

「修くん、あーん」

 数歩は修の口元に、スナック菓子を近づけた。

「あっ、どっ、どうも」

 修は手で掴み取り、自分で口に入れた。

「アイコンもどうぞ」

 絵梨佳は藍子の口元にポップコーンを近づけた。

「じゃ、一つだけね」

 藍子はこう言って、お口に含んだ。

「そういやカッシー、さっきから大人しいね。どないしたん?」

 絵梨佳は、普段とは様子が違う紗奈に疑問を抱く。

「あっ、紗奈ちゃん、なんかお顔が赤いよ」

「お熱、あるんじゃない?」

 数歩と満由実さんは指摘した。

「大丈夫?」

 晴恵は問いかける。

「なんかあたし、今、すごくしんどくって」

 紗奈はゆっくりとした口調で答えた。

「紗奈さん、本当にお熱があるわよ」

 藍子はおでこに手を当ててみた。

「あの、僕が菓子さんをおんぶして、おウチまで連れて帰りましょうか?」

「さすが修ちゃん、気が利くわね。僕が紗奈ちゃんちまで案内するわね」

満由実さんだけでなく、生徒達も修の気配りに感心していた。


 阪急芦屋川駅で下りた後、

「修お兄ちゃん、おんぶぅ」

 紗奈は修の肩に手を掛けた。

「いっ、いいよ」

 修は快く従ってあげる。

 ともあれみんなで、住宅地を歩き進んでいった。

「確かに家の場所、非常に分かりやすいですね」

 菓子という表札を眺め、修はこんな印象を抱く。

 もちろんヘンゼルとグレーテルに出てくるようなお菓子の家というわけはなく、極々普通のおウチだった。

 満由実さんが代表して、門すぐ横にあるインターホンを押した。

 数秒後、

『はーぃ』

 お母さんが出たようだ。

「お母様でいらっしゃいますか。紗奈ちゃんが、お熱出しちゃったみたいで。送ってきました」

 満由実さんはインターホン越しに伝える。

「あらま、それはどうも。ご迷惑お掛けしてすみません」

 それから数秒後、紗奈のお母さんが玄関から出てくる。

「ママァ」

 紗奈はかすれた声を上げた。

(高いな、背)

 修は少し見上げる。

 お母さんは紗奈の言っていた通り、一七三センチくらいだった。

「あの、僕、望月舎で、新しく、講師を務めされていただいております、霜浦修と、申します」

「あらぁ、あなたが。紗奈の言ってたとおり、優しそうな人ね。紗奈をおぶって下さり、ありがとうございます」

 紗奈のお母さんは深々と頭を下げ、丁重に礼を言った。

「いや、そんなことは……あの、娘さんの体調を崩させてしまい、申し訳ございません」

 修は責任を感じ、頭を下げて謝罪する。

「いえいえ、この子、遠足とか野外活動とかの帰り、しょっちゅうお熱出すんですよ。遊び疲れちゃって」

 お母さんは笑顔で、修に非は全く無いことを説明した。

「紗奈ちゃん、大丈夫?」

 数歩は心配そうに問いかける。

「うん、まあ……なんとか」

 そう答えるも、紗奈はぐったりしていた。

「菓子さん、もう少し、頑張ってね」

「うん。ありがとう、修お兄ちゃん」

 修は紗奈をおぶったまま、二階にある紗奈のお部屋へ連れて行く。

辿り着くと、修は紗奈をベッドの上にそっと下ろしてあげた。

 華奢な体格の修だが、紗奈も身長の割に体重は軽いため難なくこなすことが出来た。

(小学生らしさが出ているな)

 修は紗奈のお部屋を見渡してみて、こんな印象を持った。

学習机の上は雑多としており、教科書やプリント類、ノートは散らかっていた。部屋一面に、女の子らしくかわいらしいぬいぐるみがたくさん飾られてある。

本棚には幼稚園児から小学生向けの少女漫画誌や少女コミック、児童図書、絵本、アニメ雑誌などが合わせて二百冊くらい並べられてある。普通の小学校高学年の女の子が好みそうな、ティーン向けファッション誌は一つも見当たらなかった。

「パジャマに着替えよっと」

「うわっ!」

 修はとっさに目を覆う。

 紗奈がいきなり立ち上がり、スカートを脱ぎ下ろしたのだ。リスさん柄の可愛らしいショーツが、一瞬目に映ってしまった。

「紗奈さん、修先生がいるのに、突然脱いじゃダメよ」

「ごめんなさい、おさないお姉ちゃん」

 藍子に優しく注意され、紗奈はぺこりと謝る。

 続いて紗奈はシャツ一枚姿となった。ブラジャーはまだ付けていない。

 その間、修は壁の方を向いていた。

紗奈はパジャマに着替え終えると、お布団に潜り込んだ。

修に取ってもらった、アデリーペンギンのぬいぐるみを隣に置いて。

「紗奈、お熱計ろうね」

 お母さんもお部屋に入って来て、紗奈に体温計を手渡す。

「うん」

 紗奈はパジャマの胸ボタンをはずし、わきに挟んだ。

 一分ほどして体温計がピピピっと鳴ると紗奈はそっと取り出し、お母さんに手渡した。

「38.4分もあるよ」

「そんなに、あるの?」

 紗奈はしんどそうに、不安そうに呟く。

「あ、紗奈ちゃん、鼻水が垂れてるよ」

数歩は咄嗟に、学習机の上に置かれてあったボックスティッシュから何枚か取り出し、紗奈の鼻の下にそっと押し当ててあげた。

「ありがとう、数歩お姉ちゃん」

 そして紗奈はしゅんっと鼻をかむ。

「お夕飯は、食べられそう?」

 お母さんさんは問いかけた。

「ううん、食欲全然湧かなぁい。でも、あれは食べたいな。前にあたしが風邪引いた時に、作ってくれたやつ」

 紗奈はとてもゆっくりとした口調で希望を伝えた。

「あれね。ママが丹精込めて作ってあげるわ」

 お母さんはにこっと微笑みかけた。

「ありがとう、ママ」

 紗奈はとても嬉しそうな表情を浮かべる。

「申し訳ございませんが、望月先生も手伝っていただけないでしょうか?」

「もちろんいいですよ」

 紗奈のお母さんからの頼みを、満由実さんは快く引き受ける。

 こうしてこの二人は、一階キッチンへと向かっていった。

 それから十数分後、二人は戻ってくる。

 あの間、晴恵は苦しむ紗奈のために、絵本を三冊読んであげた。

「お待たせ」

 紗奈のお母さんが作ったのは、コーンスープだった。

「ありがとう。ママ特製の」

「食べさせてあげる。あーんして」

 お母さんは小さじですくい取り、ふぅふぅして少し冷ましてから紗奈のお口に近づける。

「あー」

紗奈は口を小さく広げて、幸せそうに頬張っていく。

(風邪引いた菓子さん、とっても幼く見える)

 修はそう思いながら眺めていた。

「風邪引いた時って、ママの手料理がいつも以上に美味しく感じられるよな」

 絵梨佳はにこにこ顔で呟いた。

 紗奈は全部平らげて、

「美味しかったぁ。ごちそうさまぁ」

 満面の笑みを浮かべる。食べ終えた頃には、紗奈の全身から汗が大量に流れていた。

「汗べとべとだけど、お風呂入ってますますこじらせちゃうと大変だから、ママがタオルでお体拭いてあげるね」

「ありがとう、ママ」

「どういたしまして。ちょっと待っててね」

お母さんは機嫌良さそうにそう告げて、お部屋から出て行った。

数分のち、

「遅くなってごめんね」

 お母さんはお湯を張った洗面器と、二枚のバスタオルを手に持って戻って来る。

そしてそのセットを、紗奈の枕元にそっと置いた。

「待ってましたー」

紗奈は寝転んだまま、小さく拍手した。

「そっ、それでは、僕は、これで」

 修は慌ててこのお部屋から出て行った。

「修お兄ちゃん、いなくなっちゃった」

 紗奈は残念そうに小さな声で呟いた。

「修さん、紗奈の裸を見るのに罪悪感に駆られたのね。あの、修さん、申し訳ございませんが、キッチンテーブルの上に置いてある風邪薬、お水に溶かして後で持って来ていただけないでしょうか? コップはその辺にあるのをどれでも使っていただいていいので」

 お母さんは扉を開け廊下に出て、階段を下りようとしている修に叫びかける。

「わっ、分かり、ました」

 修はもう帰ろうかと思っていたが緊張気味に承諾の返事をして、階段を下りキッチンへ向かっていった。

「紗奈、お体拭くからパジャマ脱いでね」

「うん」

 お母さんに頼まれると、紗奈はゆっくりと上体を起こす。パジャマのボタンを外して上着を脱ぎ、次にシャツも脱いだ。きれいなピンク色をしたふくらみかけの小さな乳房が露になる。

「紗奈、お腹は痛くない?」

「うん、大丈夫」

「それじゃ、拭くね」

 お母さんはお湯で絞ったタオルで紗奈のお顔、のどくび、うなじ、背中、腕、わき、お腹の順に丁寧に拭いていく。その後に乾いたタオルで二度拭きしてあげた。

「ありがとう、お母さん。汗が引いてすごく気持ちいい」

 紗奈は恍惚の表情を浮かべた。

「どういたしまして。紗奈、パジャマ着せるからバンザーイしてね」

 お母さんは嬉しそうに微笑む。

「はーい」

 紗奈は素直に返事し、両腕をピッと上に伸ばした。

 お母さんはシャツとパジャマの袖を通してあげ、ボタンも留めて着衣完了。

「次は下を拭くね」

 続いてお母さんは紗奈のパジャマズボンとショーツを一緒に脱がし、下半身も拭いてあげる。

「んっ、気持ちいぃ」

 おへその下からおしりにかけてなでるように拭かれた時、紗奈は思わず甘い声を漏らす。

「きゃはっ」

足の裏を拭いてあげた時にはくすぐったがってかわいい笑い声を出した。

「はい、拭き終わったよ。足上げてね」

 お母さんは同じように乾いたタオルで二度拭きし、ズボンとショーツを穿かせてあげた。

「紗奈ちゃんのお母さん、すごく手際良いね」

「手馴れてるな」

 数歩と絵梨佳は感心する。

「そりゃぁ、紗奈のおむつを交換してあげたことが数え切れないほどあるからね」

 お母さんは使ったタオルを絞りながら微笑み顔で言う。

「あたしが赤ちゃんの頃の話でしょ。ママ、恥ずかしいよぅ」

 紗奈は照れ笑いする。

 他のみんなはくすっと微笑んだ。

「あのう、菓子さんの体は、拭き終わったのでしょうか?」

 それから少しして、修はお部屋の外から問いかけた。

「うん、もう大丈夫よ」

 お母さんが答えると、

「しっ、失礼、します」

修は恐る恐る、お部屋へ足を踏み入れた。そして右手に持っていた小児用風邪薬入りコップをお母さんに手渡す。

「お手数をかけて申し訳ございません。じゃあ紗奈、お薬飲みましょうね」

 お母さんはそれを紗奈の口元へ近づけた。

「ママ、これ、あたしの好きなやつじゃなぁい」

 紗奈はぷいっと顔を横に向ける。

「紗奈、わがまま言わないで。修さんが作ってくれたのよ」

 お母さんは笑顔でなだめる。

「それは嬉しいんだけど、味が……ねえママ。メロン味のお薬は無いの?」

 紗奈はお母さんの目を見つめながら訊く。

「ごめんね、切らしてるの」

 お母さんは申し訳なさそうに言う。

「えーっ、じゃああたし飲まなーい」

 紗奈は頬を火照らせながらぷくっと膨れた。

「お薬飲まないのなら、坐薬を使おうかしら」

「えっ! やっ、やだやだやだぁ。お薬、飲むよ、飲むよ」

 お母さんがにこっと微笑みかけると、紗奈はびくっと反応し勢いよく上体を起こし、お薬をちびちび飲み干していく。 

「紗奈ちゃん、坐薬が怖いんだね。気持ち分かるなあ。お尻に入れるの、私もちっちゃい頃風邪引いた時お母さんにしてもらったことがあるけど、逃げ回ってたよ」

「アタシも。嫌だよな、お尻にプチューってされる時のあの他に例えようのない感触」

 数歩と絵梨佳は同調する。

「私は坐薬を使った方が良いと思うけどな。早く効いてくるし」

 藍子は笑顔で意見する。

「坐薬、怖い怖ぁい。それじゃあたし、もうおねんねするよ。おやすみ。ケホンッ」

紗奈は苦虫を噛み潰したような表情でこう告げて、お布団に潜り込んだ。

「紗奈ちゃん、お大事に。火曜日の授業、もししんどかったら無理せず休んでね」

「紗奈ちゃん、ばいばーい。ぐっすり休んでね」

「カッシー。明日までに絶対治しなよ」

「紗奈さん、お大事に」

「さなちゃん、お熱下がってるといいね」

「では、菓子さん、お大事に。失礼、致します」

 満由実さん&他の塾生達&修は優しく話しかけ、紗奈のお部屋から出て菓子宅をあとにした。


 紗奈は翌朝にはすっかり元気になったそうだ。

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