第四話 紅葉シーズン到来、一泊二日の塾合宿スタート(一日目)

十一月八日、土曜日。

朝七時頃、JR芦屋駅前。

「それでは点呼を取ります。小山内さん」

「はい」

「菓子さん」

「はーっい!」

「樋口さん」

「はい!」

「花屋さん」

「はい」

「数歩」

「はーい」

 満由実さんは塾生達の名前を呼んでいく。

「修ちゃん」

「はっ、はい」

 最後に修。

「全員揃ってるわね。では出発」

こうして塾生達&修&満由実さん一同は改札を抜けて、少ししてやって来た新快速電車に乗り込む。

修はビジネスバッグを肩に掛け、満由実さんと塾生達はリュックサックを背負っていた。

「私、遊園地行くの、久しぶりだーっ」

「楽しみだね、数歩お姉ちゃん」

「わたし、今日はいっぱい楽しむよ!」

「泊まるホテル、高級なとこみたいだからめっちゃ期待してるぜ」

「ワタシは、二日目の京都巡りが一番楽しみ」

 塾生達はわくわく気分で修のそばに寄り添う。

 混んでいるため、みんな立っていたのだ。

(何か、ものすごーく気まずい。僕、女の子を連れて歩くの、生まれて初めてだよ)

 修はかなり居心地悪く感じていた。冴えない二七歳の男が、五人の女子小中高生を連れているという図。親子にも兄妹にも見えない関係だ。

 周囲の人から不審に思われるに違いない。

 修はそう危惧していた。

 満由実さんは少し離れた所で、ちゃっかり座ってくつろいでいた。

《まもなく新大阪、新大阪》

 そのアナウンスが流れると、

「皆さん、これから新幹線に乗り換えます。迷子にならないようにね」

 満由実さんは塾生達に注意を呼びかける。

「オサムっちの手を繋いでれば大丈夫だね」

「修お兄ちゃん、一緒に動こう」

 塾生達は全員、修の側にぴたりと引っ付いた。

「あの、歩きにくいので……」

 修は少し迷惑がる。

「修先生、すみません」

「ごめんね修くん。頼りにし過ぎちゃって」

そんなわけで藍子と数歩は、満由実さんの側へ付くことにしたのであった。

         ☆

 新幹線ホームへ無事辿り着いたみんなは、東京行きのぞみ号に乗り込む。

「次の次で降りるからね」

 と、満由実さんは最初に伝えた。

今度は指定席だ。進行方向左側の窓際席に修と紗奈、通路側に晴恵と絵梨佳、向かい合う形で座り、右側の三列席では通路側から数えて藍子、数歩、満由実さんの順に座った。

「名古屋で降りるから富士山見られないのが残念だけど、今日行く遊園地は楽しみだなあ。お菓子食べよっと」

 紗奈はそう呟いて、リュックから菓子袋を取り出した。

「紗奈さん、お菓子持って来すぎ」

 藍子はやや驚いた様子で、視線を横に向けて紗奈のリュックを覗き込む。スナック菓子やキャンディー、グミなどが十数種類入ってあった。

「カッシー、苗字が菓子だから菓子が好きなんだね?」

 絵梨佳は笑顔で話しかける。

「うん! ハロウィンで貰ったお菓子は、もう全部食べちゃったよ」

 紗奈は満面の笑みを浮かべて答えた。

「速え。アタシももう少ししか残ってないけど。アイコンも、ビ○コ持って来るなんて幼稚園児みたーい」

 絵梨佳はくすっと笑った。

「わたしこれ、昔から大好物なの」

 藍子は美味しそうに齧りながら、照れくさそうに主張する。

「わたしもだよ。クリームの部分がたまらないよね」

 数歩は嬉しそうに同調した。

「数歩さん、晴恵さん、紗奈さん、修先生、満由実先生、お一つどうぞ」

 藍子は座席から立ち上がり、一枚ずつ分けてくれる。

(気の利く子だな)

 食べながら、修はとても感心していた。

「アイコン、アタシも欲しいなぁ」

 絵梨佳はにっこり笑顔位で訴え、藍子の眼前に手を差し出した。

「えー、やだなー。だってバカにしたでしょ」

 藍子はニカッと笑う。

「ごめんねアイコン、なんかみんな美味しそうに食べてるのを見て、アタシも食べたくなっちゃって」

 絵梨佳はてへりと笑った。

「しょうがないな、はいどうぞ」

 藍子は結局、絵梨佳にも快く一粒手渡してあげた。

 塾生達は楽しそうに会話を弾ませながら、楽しい時間を過ごしていく。


名古屋駅で降りたみんなは近鉄に乗り換えさらにバスを乗り継ぎ、三重県某所にある大型遊園地『長島スパーキングランド』にやって来た。

「家族連れですか?」

 入園ゲートの受付をしていたお姉さんに尋ねられる。

「いっ、いえ」

 修は慌てて答えた。次の瞬間、

家族連れに見えるのか?

 こう不思議に思う。

「ワタクシ、学習塾講師をしておりまして。この子は新人さん、こちらの子達は生徒達です」

 満由実さんは冷静に説明した。

(ありがとう、おばさん。上手く説明してくれて)

 修は心の中で感謝の意を示した。

「とても仲良さそうね。では、いっぱい楽しんでね」

 お姉さんは雲一つ無い秋空のような爽やかスマイルで見送ってくれる。

こうしてみんなは入園ゲートを抜け、園内に入った。

「それでは修ちゃん、この子達の引率よろしくね。ワタクシは、あそこの喫茶店で待っていますので」

「えっ!」

 それからすぐにされた満由実さんの突然の報告に、修はたじろぐ。満由実さんはあっという間に塾生達と修のいるこの場所から遠ざかってしまった。

「修お兄ちゃん、一緒に楽しもうね」

「はっ、はい」 

 紗奈に背中から抱き付かれてしまった修の頬っぺたは、みるみるうちに赤らむ。

「休みの日だから人いっぱいだね。藍子ちゃん、迷子にならないように私と手つなごう」

「わたしなら大丈夫よ。それより、紗奈さんの方が」

 入園ゲートから十数メートル進んだ所で、数歩は藍子に手を差し出す。

「おさないお姉ちゃん、あたしは絶対大丈夫だよ」

 紗奈は自信満々に言い張った。

「オサムっち、アタシと手、繋ごうぜ」

「うわっ」

 絵梨佳に左腕をつかまれ、修は慌ててしまう。

「修くん、最初はどれに乗りたい?」

「僕は、べつに、どれでもいいけど」

 数歩の問いかけに、修はすぐに答えた。

「じゃ、ジェットコースターから乗ろう。一番近くにあるし」

 数歩は提案する。

「いいわね。わたしもこの乗り物大好き」

「あたしもーっ」

 藍子と紗奈も大喜びで賛成した。

「なっ、なあ、遊園地へ来たからと言って、必ずしもジェットコースターに乗らなければならないということは無いと思わない?」

「そうだよ。他に、もっと面白い乗り物がたくさんあるし。なんかあれ、木で出来てるよ」

 絵梨佳と晴恵はジェットコースターのレールを見上げ、びくびくしながら言う。

「絵梨佳ちゃん、晴恵ちゃん、ジェットコースターはすごく楽しいよ」

 数歩は笑顔で勧める。

「絵梨佳さん、意外にジェットコースター苦手だったのね」

 藍子はくすっと笑う。

「大嫌いだよ。オサムっちも嫌だよね?」

「僕は、べつに、構わないのですけど……」

 絵梨佳に上目遣いで見つめられ、修はやや緊張する。

「どうしても乗りたいんだったら、五人だけで乗って来たら? ワタシ、この辺で一人で待ってる」

 晴恵は強く主張した。

「まあまあ、そんなこと言わずに。せっかく来たのに」

「晴恵お姉ちゃん、そんなことしたら絶対迷子になっちゃうよ」

数歩と紗奈はにこっと微笑みかけ、晴恵の肩をポンッと叩く。

「でもぅ」

「修先生が付いてるよ」

 藍子は安心させるように言う。

「それは、嬉しいけど」

 晴恵は困惑顔だ。

「絵梨佳お姉ちゃんも晴恵お姉ちゃんも乗ろう、乗ろう!」

 紗奈はその二人の手をつかんで誘う。

「……しょうがねえな」

「仕方ないですね」

結局、絵梨佳と晴恵もしぶしぶついていくことに。

(僕は、この子達がその辺の偏差値の低い私立大学か専門学校に通ってそうな男連中にナンパされてしまわないかが心配だな)

 修はこう思っていた。

今日は休日ということもあり、園内はかなり混み合っていた。

家族連れや若いカップル、中高大学生くらいの男または女同士のグループなどが園内を行き交う。塾生達&修のような、二〇代半ばの男性一人に女子小中高生五人という組み合わせは、当然のように他に見られなかったこともあってか、

(この場から、早く抜け出したいものだ)

修は周囲からの視線を非常に気にしていた。

塾生達&修は乗車待ちの列に並ぶ。

この六人の前に、すでに大勢の客が二列になって並んでいた。修と数歩、紗奈と絵梨佳、その後ろに藍子と晴恵が隣り合う。

今現在、三〇分待ちとなっていた。

「ねえ、まだぁ?」

 それから一〇分くらいすると、最初は大人しく待っていた紗奈は機嫌を損ねてくる。

「カッシー気に入らないみたいだし、他んとこ行こうぜ」

絵梨佳がそう提案してみると、

「ダメ。あたし待つぅ!」

 紗奈はむすっとした表情で強くこう主張した。

「そっ、そんなぁ」

 絵梨佳はげんなりとした。

「紗奈さん、これ貸してあげるから大人しく待っててね」

 藍子はそう言うと、リュックから児童文学の文庫本を取り出し紗奈に手渡した。

「ありがとう、藍子お姉ちゃん。これで時間を潰せそう」

 紗奈は嬉しそうに本を捲る。すっかり機嫌が直ったようだ。

 絵梨佳は携帯型ゲームをいじりながら、修と晴恵はぼーっと、藍子と数歩はおしゃべりしながら待ち続け、ようやく乗れることになり、

「よかった。運よく一番前の席とれた」

「こんなにラッキーなのは、修お兄ちゃんのおかげだね」

「修先生は幸運を呼ぶ神様ですね」

 数歩、紗奈、藍子は満面の笑みを浮かべる。

「なっ、なんで、こういう時だけ……」

「……」

 一方、絵梨佳と晴恵は暗い表情だった。

「アタシ、オサムっちのお隣がいいな」

 絵梨佳は修の右手をがっちり握り締めた。

「あの、ワタシも、霜浦先生の隣がいいです!」

 晴恵は恐る恐る、修の左手を握り締めた。

「あの、ですね。二列ずつなので」

 修は戸惑う。

「じゃあ、じゃんけんで決めたら?」

 数歩は提案する。

「やだやだ、アタシ、絶対オサムっちのお隣がいい!」

 絵梨佳は困惑した表情を浮かべながら駄々をこねる。

「じゃ、一番前の席譲ってあげるよ」

「アッ、アタシ、二列目以降でオサムっちの隣が……」

「絵梨佳ちゃん、遠慮しなくても。せっかく譲ってあげたのに。こっちおいで」

数歩は、つかまれていた絵梨佳の右手をグイッと引っ張り、最前列左側の席に追いやる。

「……しっ、失礼、致します」

 修はぎこちない動作で、絵梨佳の右側に座った。

「霜浦先生、こっ、怖いです」

 晴恵はびくびく震え上がる。彼女は修のすぐ後ろに座った。その隣は紗奈だ。

 それをよそに、座席の安全バーが下ろされた。

 もう引き返すことは出来ない。

「オサムっち、怖い、怖い」

「怖いです、怖いです。たっ、助けて」

 絵梨佳と晴恵は蒼ざめた表情で、安全バーを必要以上の力でしっかりと握り締めた。

〈発車いたします〉

この合図で、ジェットコースターはカタン、カタンとゆっくり動き出した。

「アタシ、この速くなるまでの時間が一番怖いんだ」

「ワタシもだよ、えりかちゃん」

絵梨佳と晴恵は周りの風景を見ないよう、目を閉じていた。

 ジェットコースターが坂道を登り切り、レールの最高地点に達した直後、一瞬だけ動きが止まる。

「きゃあああああああーっ!」

「んぎゃあああああああーっ!」

 そのあと一気に急落下。と同時に、晴恵と絵梨佳は、一〇〇デシベルは越えていそうなかわいい叫び声を上げる。もちろん楽しんでいるからではない。恐怖心を強く感じていたのだ。

「わあああぁぁぁぁぁっ!」

 数歩、

「おううううううう!」

 藍子、

「きゃあああああああーんっ♪」

 紗奈は喜びと興奮の叫び声を上げる。さらに両手を挙げる余裕も見せた。

「……」

 修は走行中、平静を保ち終始無言無表情であった。

       ☆

ジェットコースターから降りた直後、

「あー、すごく気持ちよかった」

「無重力疑似体験、最高っ!」

「宇宙飛行士気分が味わえたね、数歩お姉ちゃん」

数歩、藍子、紗奈の三人は幸せいっぱいな表情を浮かべていた。

「めちゃめちゃ怖かった。おしっこ漏らしそうになった」

「気を失いかけたよ」

絵梨佳と晴恵は安堵の表情だ。

「ねえ、絵梨佳ちゃん、お写真が出来てるよ。絵梨佳ちゃんすごい表情してる。ムンクの『叫び』みたい。記念に買おう」

 降車口を抜けた所に貼られていた写真を眺め、数歩はくすくす笑う。

遊園地の絶叫マシンにはありがちだが、急降下する際に写真を撮られていたのだ。

「そんなのいらなーい」

 絵梨佳はむすっとした表情で、不機嫌そうに言う。

「修お兄ちゃんは表情が全然変わらないね」

 紗奈は微笑み顔で写真を眺める。

「それはまあ、模擬面接で担当者からキミは無表情だとよく指摘されたものですから」

 修は照れくさそうに打ち明けた。

「いつでも冷静沈着ってことの表れだね」

 数歩はこう解釈する。

「絶叫マシンにも全く動じない修先生は、木鶏のようで素晴らしいです」

 藍子はほんわかした表情で褒めてあげた。

「いやぁ、どうなのかな?」

 修は反応に困ってしまった。

「ねえ、次は回転するやつに乗らない?」

「ダメダメ」

「カズポン、もうジェットコースターは勘弁してくれ」

 晴恵と絵梨佳は数歩の誘いを当然のように嫌がる。

「回転するやつは、あたしもちょっと苦手だなぁ」

 紗奈もこれについては乗り気ではなかった。

「わたしもです。ちなみにループコースターは理論上少なくともループ半径の2.5倍以上の高さから急降下しないと、一回転するまでにコースターがレールから外れて落っこちちゃうらしいです」

 藍子は物理学的視点で述べた。

「その原理、僕も高校の時、物理で習ったような。どうやって導き出したのかは忘れたけど。確か、ループ軌道の最高地点でジェットコースターがレールから受ける抗力が、0以上になると、軌道から外れることなく、一回転することが出来たはず」

 修は考察してみる。

「ジェットコースターの質量をm、ループ軌道の最高地点に達した時の速度をv、急降下する直前の高さをh、軌道半径をR、重力加速度をgとする。ジェットコースターがループ軌道の最高地点に達した時、高さhにある時の位置エネルギーが、運動エネルギーと最高地点の高さ2Rにある時の位置エネルギーとの和に変換されるので、mghイコール二分の一mv2乗プラス2mgR。この式からv二乗を求めると2g(hマイナス2R)。これを、最高地点での抗力を表す式R分のmv2乗、マイナスmgに代入して、抗力が0以上となるhを求めると、h大なりイコール2分の5Rになるわね」

 藍子は頭の中で計算式を組み立て、どのようにして導かれたのかを口頭で説明する。

「……すごいね、まだ高一なのに」

 修はほとほと感心する。

「藍子ちゃんの言ってること、私全然分からないや」

「あたしもさっぱり」

「アタシもー」

 数歩、紗奈、絵梨佳の三人はぽかんとしていた。

「わたしも教科書で少し読んだだけだから、正しいかどうかは自信ないよ」

 藍子は謙遜する。

「それじゃ、ジャンボバイキングに乗ろう」

 数歩はパンフレットを見ながらみんなを誘う。

「いいねえ、すごく楽しそう」

「わたしももちろんいいわよ。この乗り物は振り子運動の原理ね」

 紗奈と藍子も大賛成した。

「もっ、もう止めて」

「ここの遊園地、絶叫マシン多過ぎ。ジェットコースターだけでも五種類以上あるよ」

 晴恵と絵梨佳は落胆した声で言う。

「絵梨佳お姉ちゃん、晴恵お姉ちゃん、絶叫マシン、あと一回だけぇ」

 紗奈にうるうるとした瞳で要求され、

「わっ、分かったよカッシー」

「本当に、あと一回だけよ」

絵梨佳と晴恵は仕方なく付き合ってあげた。

 このアトラクションは、海賊船に乗るようになっていた。

塾生達&修は隣り合うようにしてまとまって座席に座っている。

「すごーい、本当に大航海してるみたぁーい!」

「なんかRPGの冒険者になった気分ね」

「絵梨佳お姉ちゃん、晴恵お姉ちゃん、楽しいでしょ?」

 大満足している数歩、藍子、紗奈とは対照的に、

「ぎょわあああああっ、ジェットコースターよりはマシだけど、やっぱダメーッ!」

「ワッ、ワタシもーっ。早く、止まってーっ」

 絵梨佳と晴恵は早くこの場から逃げ出したいと強く思っていた。

「……」

 修は揺られながらもまたも平静を保ち、無言無表情であった。

 海賊船から降りた後の、

「なあ、次は、おばけ屋敷へ行こうぜ」

「えっ!? あっ、あたし、そこは絶対入りたくないよ!」

 絵梨佳からの提案を紗奈は即反対する。

「へぇ、カッシーって、おばけ屋敷が苦手なのかぁ」

 絵梨佳はにやけ顔で訊く。

「いや、べつに、そんなことはないんだけどね。今は、行く気がしないの」

 紗奈は俯き加減で否定した。

「それじゃ、カッシー一人で、外で待っとく?」

「それも嫌。迷子の子に間違われちゃいそう」

「そうでしょ」

 絵梨佳はくすっと笑う。

「紗奈ちゃん、私が隣についてあげるから安心してね」

「嫌だ、嫌だ。数歩お姉ちゃん、別のとこ行こう」

 紗奈は数歩の袖をぐいぐい引っ張る。

「紗奈ちゃん、修くんもいるんだよ」

 数歩はさらに安心させようと試みる。

「それは、すごく嬉しいけど、でも、でもぉぉぉ」

 紗奈は顔を引き攣らせていた。

「アイコンも、怖いんじゃねえの? びくびくしてるよ」

 絵梨佳はにやりと笑う。

「そっ、そんなわけないでしょ! わたしは、大好きよ、おばけ屋敷」

 藍子は俯き加減に主張した。

「ワタシも、怖いので、えりかちゃんの、そばに、ついています」

 晴恵はぽつりと呟く。

「じゃあ行こう!」

「やだやだやだぁーっ」

 数歩は紗奈の手を握り締め、有無を言わさず手を引いて連れてゆく。

 おばけ屋敷は、和の雰囲気が醸し出される合掌造り風の外観。

建物の外から、大入道や雪女などのカラクリおばけも見上げることも出来た。

「やっ、やっぱり、やめようよぅぅぅぅぅ」

 紗奈はこの場から逃げようとする。

「カッシー、ここのおばけ屋敷は全然怖くないよ。初心者向けでホラーというよりむしろ和風ファンタジックな雰囲気なんだぜ」

「そっ、そうなの?」

 絵梨佳は紗奈を口説く。紗奈はほんの少しだけホッとした。

塾生達&修は入口を通り、数歩が代表して受付で入場料金を全員分支払い、いよいよ屋敷内へ。 

 一歩踏み入った瞬間、

「きゃあああああああっ! おっ、修お兄ちゃあああああっんっ!」

 紗奈はおばけもびっくりするような大声で叫び、修の背中にぎゅぅーっとしがみ付く。紗奈の目の前に、ろくろ首(のマネキン)が現れたのだ。 

「あっ、あの、菓子さん。ここにいるおばけは、全て作り物なので……」

 修は苦しそうな表情で説明する。

「出口、まだなのぅ?」

「あわてない、あわてない」

 カタカタ震える紗奈を、数歩は笑顔でなだめる。

「あのう、菓子さん、服が伸びてしまうので、あんまり引っ張らないでね」

 修はちょっぴり迷惑がった。

「ごめんなさい、修お兄ちゃん」

 紗奈は今にも泣き出しそうな表情で謝る。

「カッシーって、本当に怖がりなんだな」

「紗奈さんのしぐさ、とってもかわいい」

絵梨佳と藍子はにこにこ微笑みながら眺める。

「あっ、あたし、おばけとか大嫌いで、今でも真夜中は一人でおトイレに行けないの。だって花子さんが出て来そうなんだもん」

「紗奈さんは小学校時代によく聞かされる噂話のトラウマ、まだ引きずってるのね」

「藍子お姉ちゃんは、おばけ屋敷は怖くないの?」

紗奈は、今にも泣き出しそうになりながら藍子に質問する。

「うん。だって全てニセモノだと分かっているもの。幽霊なんて、この世に存在するわけはないよ」

 と言いつつも、藍子もカタカタ震えながら数歩の手をちゃっかり握っていた。

「藍子ちゃん、それは紛れもない事実だけど、雰囲気を楽しまないと損だよ」

 数歩はにこにこ笑いながら、幽霊のマネキンに向かって呟いた。

「ぎゃぁっ、のっぺらぼうだ。火の玉だぁ」

 墓場エリアに突入すると、紗奈はますます怖がってしまう。

 その後も提灯おばけ、からかさ小僧、砂かけ婆、ぬりかべ、山姥などの和風おばけ達のマネキンがおどろおどろしい効果音と共に出迎えてくれた。 

出口に辿り着いた頃には、

「やっと出れたぁーっ。ものすごーく長かったぁー」

紗奈は涙をポロポロこぼしていた。滞在時間は七分ほどだったが、彼女にとっては体感的に一時間以上にも感じられたようだ。

「なんだ。もう終わりなのか。もう少し歩きたかったなぁ」

「二百メートルあるらしいけど、かなり短かったな」

 数歩と絵梨佳はやや不満げな様子。

「僕は、非常に、疲れました」

 修は疲労していた。

「おんぶしてもらってごめんなさい、修お兄ちゃん」

 紗奈は泣きながら謝った。

「カッシー、泣かないで。ぺろぺろキャンディー奢ってあげるから」

 絵梨佳は微笑み顔で、紗奈の頭をなでてあげた。

「絵梨佳お姉ちゃん!」

「あいたたたっ、カッシーやめて」

 紗奈に頭をペシペシ叩かれてしまった。

「おばけ屋敷なんて、行かなきゃよかったのにぃーっ」

 今度は睨みつけられる。

「ごめん、ごめん……あっ! カッシー、ちょっとあそこ見て」

 絵梨佳はあるものに気付き、対象物を指し示した。

「あああーっ! ヒッターラビット君だぁーっ。あたし、一緒に写りたぁーい」

 紗奈は目をきらきら輝かせ、大きな声で叫ぶ。

いつもいるとは限らない、園内のマスコットキャラに出会えたのだ。

「私もーっ」

「わたしも写りたいなぁ」

数歩と藍子もそのキャラのしぐさ、容姿に惚れてしまったのか、ウサギのようにピョンピョン飛び跳ねる。

「ワタシも写りたいです。霜浦先生も一緒に写りましょう」

「オサムっち、写ろうぜ」

「分かり、ました」(僕、こういうのは苦手なんだよな)

 修は、本当は撮りたくなかったのだが、塾生達に強くせがまれ断り切れなかった。

 こうして塾生達&修は白、茶、ココア色のマスコットキャラ達の横に並ぶ。

「はい、チーズ」

 お姉さんスタッフからの声で、修と晴恵以外は決めポーズを取った。

 撮影のあと塾生達はマスコットキャラ達に、握手をしてもらった。

「きゃあっ、嬉しいーっ」

「私、すごく幸せだよーっ」

「最高です」

「ヒッターラビット君、ありがとう」

「サンキュー、ヒラビー。いい思い出が出来たぜ」

 塾生達の表情がさらにほころぶ。

「いえ、僕は……」

 マスコットキャラ達は修にも握手を求めて来たが、修は照れくさいのか応じなかった。

(中の人、今の時季でも相当暑そうだよな。時給、どれくらい貰ってるんだろう?)

 ついついこんな夢のないことが脳裏に浮かんでしまった。

「次行くとこは、あたしが決めるね。これがいいな」

 すっかり機嫌を取り戻した紗奈は園内設置の案内図を指差す。ティーカップという遊園地ではお馴染みの乗り物だった。

「よぉーし、いっぱい回すよう」

 藍子はこの乗り物中央付近に設置されているハンドルに手をかけ、力いっぱい回してみた。回転速度がどんどん増す。

「あっ、藍子ちゃん、回し過ぎだって。私、外に飛ばされそう」

「飛ばされちゃうよううううう」

「おさないお姉ちゃーん、世界が回ってるぅ」

 数歩、晴恵、紗奈は喜びとも恐怖とも取れる悲鳴を上げる。

「もっと速く出来るんだけど。わたしは、まだ物足りないよ」

「アタシもまだ大丈夫だぜ!」

「ぼっ、僕も平気なのですけど、もう、やめてあげた方が……」

 修は自身も吹き飛ばされそうになりながら、気分がハイになっている藍子と絵梨佳を言い聞かせた。

 

「わっ、私、まだ目がペロペロキャンディーみたいになってるよ」

「あたしもー」

「地面がゆらゆらしてる。気分悪い」

 下りた後、ふらふらしながら歩く数歩と紗奈と晴恵。

「僕も、現在目が回っております」

 修も少しふらついていた。

「ごめんなさい。ついつい調子に乗りすぎてしまいました」

「ごめんなちゃい」

 藍子と絵梨佳は頭を下げて、謝罪の言葉を述べておく。

「まさに遠心力を実感したね」

「遠心力Fは質量mかける速度vの二乗、割る半径r。つまり、回転速度が速ければ速いほど、この遊園地のティーカップみたいに半径が小さいものほど、遠心力は強くなっていくの。ジェットコースターが回転する時も遠心力がかかってるよ。地球みたいに相当大きな物が自転する際も、もちろん遠心力は働いてるけど、とても小さいから、高校物理の範囲内では0として考えてるわね」

 紗奈が呟くと、藍子は物理学的視点で語り出した。

「藍子ちゃんの解説、難し過ぎてよく分からないよ。今十一時半過ぎだね。少し早いけど、お昼ごはんにしない?」 

 数歩は、園内にあった日時計を眺めながら提案した。

「賛成。あたしもおなか空いて来た」

「アタシもペコペコだぁーっ」

「わたしも賛成。正午過ぎになると混んでくると思うし。このファミレスで食べましょう」

 藍子はパンフレットを指差す。

 塾生達&修は該当する場所へ向かって歩いていった。

「六名様ですね。こちらへどうぞ」

お目当てのファミレスに入ると、ウェイトレスに六人掛けテーブル席へと案内される。

みんな座って一息ついたところで、藍子はメニュー表を手に取った。

「満由実先生が昼食代は一万円まで使っていいっておっしゃってたから、少し高級な物にしよう。わたしは天丼にするよ」

「僕は、ざる蕎麦で」

「藍子ちゃんも修くんも渋いねえ、私は、奮発して松阪牛ステーキ定食!」

「アタシもそれーっ。ドリンクはメロンソーダ」

「ワタシは、ミートスパゲティーで」

 こうして五人のメニューが決まる。

「紗奈さんは何にする?」

 藍子は笑顔で問いかけた。

「あのね、あたし、お子様ランチが食べたいの。お飲み物はミックスジュースで」

 紗奈は顔をやや下に向けて、照れくさそうに小声でポツリとつぶやいた。

「カッシー、今でもお子様ランチ食べたがるなんてかっわいい」

絵梨佳はにっこり微笑みかけた。

「さすがに六年生ともなると、ちょっと恥ずかしいんだけどね。同じクラスの子、お子様ランチは三年生までだよねって言ってたし。でも、どうしても食べたくて……」

 紗奈のお顔はさらに下へ向いた。

「紗奈ちゃん、私も中学二年生の頃までは頼んでいたから、全然恥ずかしがることはないよ」

「そうそう、きっと後悔するよ。ここでは年齢制限ないみたいだし」

「僕も、気兼ねすることなく食べた方がいいと思います」

数歩、藍子、修がこうアドバイスすると、

「じゃああたし、これに決めたーっ!」

紗奈は顔をクイッと上げて、意志を固めた。

「あっ、あのう、僕が注文すると、しょっちゅう聞き返されるので、申し訳ございませんが、誰か注文していただけないでしょうか?」

「まかせてオサムっち」

修が照れくさそうにお願いすると、絵梨佳が快くコードレスボタンを押してウェイトレスを呼び、六人のメニューを注文してくれた。

 それから五分ほどして、

「お待たせしました。お子様ランチでございます。それとお飲み物のミックスジュースでございます。はい、お嬢ちゃん。ではごゆっくりどうぞ」

 紗奈の分が最初にご到着。新幹線の形をしたお皿に、旗の立ったチャーハン、プリン、タルタルソースのたっぷりかかったエビフライなど定番のものがたくさん盛られている。さらにはおまけにシャボン玉セットも付いて来た。

「……わたしのじゃ、ないんだけど……」

 藍子の前に置かれてしまった。藍子は苦笑する。

「アイコンが頼んだように思われちゃったね」

「藍子ちゃん、若手に見られてるってことだから、気にしちゃダメだよ」

 絵梨佳と数歩はくすくす笑う。

「間違われちゃったね、おさないお姉ちゃん」

 紗奈はにっこり微笑みながら、お子様ランチを自分の前に引っ張った。

「……」

 藍子は内心ちょっぴり落ち込んでしまった。

さらに一分ほど後、他の五人の分も続々運ばれて来た。

こうして六人のランチタイムが始まる。

「エビフライは、あたしの大好物なんだ」

 紗奈はしっぽの部分を手でつかんで持ち、豪快にパクリとかじりつく。

「美味しいーっ!」

 その瞬間、とっても幸せそうな表情へと変わった。

「紗奈ちゃん、あんまり一気に入れすぎたら喉に詰まらせちゃうかもしれないよ」

「モグモグ食べてる紗奈さんって、なんかアオムシさんみたいですごくかわいいね」

 数歩と藍子はその様子を微笑ましく眺める。

「カッシー、食べさせてあげるよ。はい、あーんして」

 絵梨佳はお子様ランチにもう一匹あったエビフライをフォークで突き刺し、紗奈の口元へ近づけた。

「ありがとう、絵梨佳お姉ちゃん。でも、食べさせてもらうのはちょっと恥ずかしいな」

 紗奈はそう言いつつも、結局食べさせてもらった。

「修くん、ざる蕎麦だけじゃ足りないでしょ。私のもあげる。はいあーん」

 数歩はステーキの一片をフォークで突き刺し、今度は修の口元へ近づけた。

「いえ、いっ、いいです」

 修は手を振りかざし、拒否した。

「修くん、恥かしがりやさんだね」

「オサムっち、かわいい」

 数歩と絵梨佳はにこっと微笑む。

「……」

 修は照れ隠しをするように無言で麺をすすった。


みんな昼食を取り終えレストランから外に出てほどなく、

「ねえ、今度はあそこでプリクラ撮ろうよ」

 数歩はレストラン出入口から数十メートル先にある、西洋風の建物を指差す。

「いいわね」

「修お兄ちゃん、行こう!」

 アーケードゲームコーナーであった。

「プリクラ、ですか……その、皆さんだけで……」

 修は乗り気ではなかったが、

「修くん、来て、来てーっ」

 数歩に無理やり手を引かれドーム状の建物内に連れ込まれ、プリクラ専用機の前へ連れて行かれてしまった。

 専用機に入った六人のうち修、絵梨佳、晴恵が前側に並んだ。

「一回、五百円か。これって、安いのかな?」

修が気前よくお金を出してあげ、

「このパンダさんと写れるやつがいいっ!」

一番年下の紗奈に好きなフレームを選ばせてあげた。

撮影&落書き終了後。

「よく撮れてるぜ」

 取出口から出て来たプリクラをじっと眺める絵梨佳。自分が見たあと他の五人にも見せる。

「絵梨佳ちゃん、私の顔に落書きし過ぎだよ」

 数歩は唇を尖らせた。

「ごめんねー、カズポン。ついつい遊びたくなって」

 絵梨佳はてへっと笑った。

「わたし、半分隠れてるよ。前に並んだ方が良かったかな」

 藍子は苦笑いした。

「僕は、プリクラなんて生まれて初めて撮りました」

 修は打ち明ける。

「そうだったんだ。それじゃいい思い出出来たでしょ。オサムっちとハルエは表情が硬すぎだね。もう少し笑ったらよりかわいいのに」

 絵梨佳はにこにこ笑いながらアドバイスする。

「だって、なんか恥ずかしいもん」

 晴恵は照れくさそうに言った。

「わたしも生徒証の写真はそんな感じよ」

 藍子がさらりと打ち明けると、

「あいこちゃんも同じなんだね、よかった」

 晴恵に笑みが戻る。

「あの、あたし、次はこれがやりたぁーい」

 紗奈は、プリクラ専用機すぐ隣に設置されていた筐体を指差した。

「紗奈ちゃん、ぬいぐるみが欲しいんだね?」

「うん!」

 数歩からの問いかけに、紗奈は嬉しそうに答える。紗奈が指差したのはクレーンゲームであった。

「あっ、あのアデリーペンギンさんのぬいぐるみさんとってもかわいい!」

 紗奈は透明ケースに手の平を張り付けて叫ぶ。

「紗奈さん、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみの間に少し埋もれてるよ。物理学的視点で考えても難易度は相当高いよ」

「大丈夫!」

 藍子のアドバイスに対し、紗奈はきりっとした表情で自信満々に答えた。コイン投入口に百円硬貨を入れ、押しボタンに両手を添える。

「紗奈ちゃん、頑張ってね」

「一発で取りなよ」

「さなちゃん、頑張って下さい」

「落ち着いてやれば、きっと、取れるんじゃ、ないかな」

「紗奈さん、ファイト!」

 五人はすぐ横で応援する。

「絶対とるよーっ!」

紗奈は慎重にボタンを操作してクレーンを動かし、お目当てのぬいぐるみの真上まで持ってゆくことが出来た。

 続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。 

「あっ、失敗しちゃった。もう一度」

 ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。クレーンは最初の位置へと戻っていく。

「もう一回やるぅ!」

 紗奈はとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。

「今度こそ絶対とるよ!」

この作業をさらに繰り返す。紗奈は、一度や二度の失敗じゃへこたれない頑張り屋さんらしい。けれども会を得るごとに、

「……全然取れなぁい。なんでー?」

 徐々に泣き出しそうな表情へ変わっていく。

「わたし、クレーンゲームけっこう得意な方だけど、あれはちょっと無理かな」

 藍子は困った表情で呟いた。

「私にも無理だぁっ」

「アタシも、ちょっとな」

「ワタシも、クレーンゲームはかなり苦手なの。さなちゃんが上手に思えます」

 数歩、絵梨佳、晴恵もさじを投げる。

「紗奈さん、他のお客さんも利用するので、そろそろ諦めた方がいいかもです」

 藍子は慰めるように忠告したが、

「嫌だぁ!」

 紗奈は諦め切れない様子。ぷくーっと膨れる。

「気持ちは分かるけど……わたしだって、一度やると決めたことは最後までやり遂げたいから」

 藍子は同情心を示した。

「このままだと紗奈ちゃんかわいそう」

 数歩も同情するようにそう呟くと、

「あの、僕が、やって、あげましょうか?」

 修は自信無さそうに申し出た。

「修お兄ちゃん、お願ぁいっ!」

「わっ、分かった」

 紗奈にうるうるとした瞳で見つめられ、修のやる気が少し高まった。

「ありがとう、修お兄ちゃん。大好きっ♪」

 するとたちまち紗奈のお顔に、笑みがこぼれた。

「オサムっち、さっすが!」

「修くん、心優しい」

「霜浦先生、良いお人です」

「紗奈さんもよく健闘してたよ」

その様子を、他の塾生四人は微笑ましく眺めていた。

(まずい、全く取れる気がしないよ)

 修の一回目、紗奈お目当てのぬいぐるみがアームにすら触れず失敗。

「修お兄ちゃんなら、絶対取れるはず」

 背後から紗奈に、期待の眼差しで見つめられる。

(どうしよう)

 修、窮地に立たされる。なにせ彼は今までクレーンゲームというもので遊んだことが一度もなかったのだ。

「霜浦先生、頑張って下さい!」

「修先生、もう少しアームを右まで動かしたら取れますよ」

「オサムっちなら、きっとやれるぜ」

「修くん、先生らしさを見せてあげて」

「修お兄ちゃん、頑張れ、頑張れ!」

塾生達から熱く応援され、

(僕なんかを、応援して下さるなんて、なんともありがたい)

修はやる気がますます漲って来た。彼はお金を投入し、スタートボタンを押す。声援を糧に精神を研ぎ澄まし、ずば抜けた集中力でアームを操作していく。

しかしまた失敗した。アームには触れたものの。

けれども修はめげない。上手くいかないことだらけの人生を送って来た彼は、この程度のことではやはりへこたれないのだ。

「修お兄ちゃん、頑張ってーっ。さっきよりは惜しいところまでいったよ」

 紗奈からもう一度熱いエールが送られ、

「任せて菓子さん。次こそは取るから」

修のやる気がより一層高まった。

 三度目の挑戦後、

「……まさか、こんなにあっさりいけるとは、思わなかった」

 取出口に、ポトリと落ちたアデリーペンギンのぬいぐるみ。

修はついに紗奈お目当ての景品をゲットすることが出来たわけだ。

「修くん、お見事!」

「おめでとう、修先生」

「やるじゃん、オサムっち」

「おめでとうございます、霜浦先生。三度目の正直でしたね」

四人はパチパチ大きく拍手した。

「ありがとうーっ、修お兄ちゃあああああああん」

 紗奈はぎゅぅっと抱きついて来た。

「わわわ、ちょっ、ちょっと、菓子さん。僕、たまたま取れただけだよ。先に、菓子さんが、少しだけ取り易いところに動かしてくれたおかげでもあるよ。はい、菓子さん」

 よろけてしまいそうになった修は照れくさそうに語り、紗奈に手渡す。

「ありがとう、修お兄ちゃん。ペンちゃん、こんにちは」

 紗奈はさっそくお名前をつけた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。

「嬉しい……」

修はふいに涙がこぼれ出て来た。

「修お兄ちゃん、泣いてるの?」

 紗奈は修の目を見つめる。

「僕、こんなに喜びを感じたことは、初めてでして……」

 修が流した涙は、今までの人生の中で味わったことのないような嬉しさからであった。こんなに多くの女の子から期待され、そして自身もなし遂げることが出来たのは、生まれて初めてのことだった。

「修くん、これ使って」

 数歩は修の側へ歩み寄り、ハンカチを手渡す。

「ありがとう、望月さん。僕なんかの、ために」

 修は鈍重な動作でハンカチを受け取り、涙を拭いた。

         ☆

塾生達&修は最後の締めくくりとして、巨大観覧車に乗ることにした。最高地点では地上からの高さが八〇メートル以上にまで達する、この遊園地一番の目玉アトラクションだ。

六人乗りのゴンドラは係員に鍵をかけられ、ゆっくりと上昇していく。

「わぁーい。いい眺め。夕日きれい」

「絵になる光景だね。絵葉書に最適だよ」

 紗奈と数歩は大はしゃぎで下を見下ろす。

「これは等速円運動ね。観覧車って最高」

藍子は満面の笑みを浮かべる。彼女が一番乗りたがっていたアトラクションでもあった。

(気まずいなぁ)

 修は目のやり場に困っていた。狭い空間で、女子小中高生五人と一緒という状況なのだから、無理はないだろう。

「……」

絵梨佳の顔は、やや青ざめていた。

「あれ? どうしたの? 絵梨佳ちゃん」

「乗り物酔いでもしたの?」

数歩と藍子は心配そうに尋ねた。

「アッ、アタシさ、高い所はものすごい苦手なんだよな」

 絵梨佳は唇を震わせながら答えた。

「そうだったんだ」

「絵梨佳さん、かわいい」

「絵梨佳お姉ちゃん、観覧車も苦手だったんだね? 観覧車はのんびりしてて、乗り心地すごくいいのに」

 数歩、藍子、紗奈はにんまり微笑む。

「えりかちゃん、絶対落ちないから大丈夫よ」

 晴恵はやや緊張しながら絵梨佳を慰めてあげる。晴恵も、この乗り物は若干苦手なのだ。

「わっ、分かってるけど、なんか怖いよな」

絵梨佳の新たな一面が見ることが出来た他の塾生達は、とても幸せそうだった。


塾生達&修は観覧車から降りたあと、出口ゲートの方へと向かっていく。ゲート近くの喫茶店で満由実さんと再会し、みんなは長島スパーキングランドをあとにした。

そしてそこのすぐ近くにある、今夜宿泊する大型リゾートホテルへチェックイン。

満由実さんは507号室を予約していた。十五畳ほどの広い和室だ。

「では皆さん、修ちゃんの指示に従ってね」

 満由実さんはそう告げて、507号室を出て行こうとする。

「えっ、あっ、あの」

 戸惑う修に、

「ワタクシは、別のお部屋よ」

 満由実さんはにこっと微笑みかけた。

「えっ、あの、それは、ないでしょう」

 修の表情は少し引き攣った。

「みんな修ちゃんと同じお部屋がいいって言ってたので」

 満由実さんは爽やか笑顔でおっしゃる。彼女は別に、シングルルームとなっている314号室も予約していたのだ。

「オサムっちと同じお部屋でお泊り、楽しみだなぁ」

 絵梨佳はとてもわくわくしていた。

「僕は、非常に不安でございます」

 修は沈んだ声で呟いた。

「見て、見て。海が一望出来るよ」

数歩は窓際に近寄った。

ホテルは海岸沿いに位置し、夕日に映える海辺を眺めることが出来た。

「夜景はもっときれいなんだろうな。夜が楽しみーっ!」

 紗奈も景色を眺め、大興奮する。

「わあーっ、すっげえ! 見て。中に羊羹とか、赤福餅とか、ゼリーとか、ジュースがいっぱいあるぜ」

 絵梨佳は冷蔵庫を開けてみた。

「あのう、それは、おばさんに、許可を取った方が……」

「絵梨佳さん、これって別料金取られるんじゃなかったっけ?」

「ワタシ、家族旅行で旅館とかホテルに泊まった時、ママにお金かかるから食べちゃダメって言われたよ」

「私もそのままにしておいた方がいいと思うな。でも食べたい」

 修、藍子、晴恵、数歩がそう意見したその時、

「皆さん、冷蔵庫に入っているものの代金も、合宿費に含まれていますのでご自由にお食べ下さいね」

 満由実さんが出入口扉の外から、こう伝えた。

「なぁんだ、それじゃ食べ放題だね。でも太るといけないから数控えとこ……」

 紗奈は大喜びした。

「わたしも赤福餅食べよ……その前に、ちょっとおトイレ行って来るね」

 そう言うと藍子は、早足に室内のトイレに向かった。

 扉を開くと、洋式トイレが目の前に現れる。

「あっ、ここウォシュレットも付いてる。設備充実してるわね」

 藍子は嬉しそうに呟いて便器に背を向けた。スカートの中に手を入れ、ショーツを膝の辺りまで脱ぎ下ろす。

「んっしょ」

そして便座にちょこんと腰掛けた。

それから約三分後。

「おさないお姉ちゃん、まだ出てこないね。あたしもおしっこしたいのに。う○ちしてるの?」

 紗奈はいちご味のゼリーを頬張りながら、扉の外から問いかけてみた。

「うん、待たせちゃってごめんね紗奈さん。わたし、三日振りにお通じが来たの。やっぱいっぱい歩くと効果あるよ。まだ出そう」

 藍子はすぐさま返答する。

 その直後、

「皆さん、そろそろお食事場所へ移動しますので」

 満由実さんは、この部屋の出入口扉を開けて呼びかけた。オートロックとなっているが、満由実さんはここの部屋の鍵も受付の人に事情を話し、持たせてもらっていたのだ。

「マユミン、アイコンは今、大きい方をう~んって頑張っているので、少し遅れるそうでーす♪」

 絵梨佳は満由実さんの側へ駆け寄り、トイレの扉を手で指し示しながら大きな声で伝えた。

「分かったわ。小山内さん、焦らなくていいからごゆっくり」

 満由実さんは爽やかな表情で叫びかける。

(えっ、絵梨佳さぁーん。普通にトイレ行ってるって言ってくれればいいのにぃ。修先生にも絶対知られて恥ずかしいよぅ)

 藍子は便座に腰掛けたまま、歯をぐっと食いしばり、両拳をぎゅっと握り締めつつ目をかたく閉じて赤面していた。

 こうして藍子を残し、他のみんなは夕食場所となっている宴会場へと移動していった。

「ご予約の望月御一行様ですね。ごゆっくりどうぞ」

 従業員さんに席へ案内される。

 宴会場は二〇畳ほどの純和室となっており、一脚の長机を取り囲むように座布団が七つ敷かれてあった。

テーブルの上にはお船型の大きなお皿、そこに伊勢湾近海で今日昼過ぎに水揚げされたばかりの、新鮮な鯛や伊勢海老、ウニの刺身などが多数並べられていた。

他に副菜、デザートもたくさん。

「わぁー、すっげえ。めっちゃ豪華だーっ!」

 絵梨佳は並べられている料理の数々に目を奪われる。

「えーりーかーさーん」

 そんな時、絵梨佳は藍子に背後から肩をガシッとつかまれた。

「あっ、アイコン、便秘治ってよかったね」

 絵梨佳はくるりと振り向き、爽やかな表情で話しかけた。

「もう、絵梨佳さん。声でかーい!」

 藍子はニカッと笑い、絵梨佳のこめかみを両手でぐりぐりする。

「いたたたたた、ごっ、ごめんアイコン」

「まあまあ、おさないお姉ちゃん。すっきりしてよかったでしょ?」

「藍子ちゃん。健康のためには重要なことだから」

 紗奈と数歩も説得してくる。

「お腹すっきりして、いっぱい食べられるじゃん」

 絵梨佳は笑いながら言う。

「そうだけどね」

 藍子はむすっとなる。

「どれくらいの大きさのが出た? ちっちゃいから三日溜まっててもやっぱバナナサイズ?」

「う○ちはバナナサイズが最適って、保健だよりに書いてあったよ」

「絵梨ちゃん、紗奈ちゃん。お食事中にそういう下品な話はやめましょうね」

「「はーぃ」」

 満由実さんに優しく注意され、絵梨佳と紗奈はぴたりとその話をやめた。

 ともあれ、食事タイムが始まる。

満由実さんから「おあがりなさい」という食前の挨拶があったあと、塾生達と修は食事に手をつける。

「絵梨佳さん、またあぐらかいてる、パンツも丸見えよ」

「せめて私みたいに体育座りにしようね」

 藍子と数歩は呆れ顔で指摘する。

「べつにいいじゃん、この方が楽だし」

 絵梨佳は聞く耳持たず。

「藍ちゃん、晴ちゃん、修ちゃん、正座では足が痺れるわよ。足崩して楽な格好にしていいからね」

満由実さんは優しくおっしゃった。

一瞬間を置いて、

「けど、女の子があぐらかくのは、ちょっとはしたないな」

 こう付け加える。

「ねっ!」

 藍子は絵梨佳に視線を送った。

「なんか、やり辛い」

 絵梨佳は結局、体育座りに戻した。

「鯨の竜田揚げ、美味そう。アタシ鯨食べるの、初めてだ。梅ゼリーも美味しそう」

 絵梨佳は最初にデザートの方をスプーンで掬い、お口に運ぼうとしたところ、

「もーらった」

藍子が横からぱくりと齧り付いて来た。

「美味しい!」

 藍子はとっても美味しそうに頬張る。

「あああああああーっ! ちょっと、アイコン、何するんだよ!」

 絵梨佳は大声を張り上げて、藍子をキッと睨み付ける。

「えへへ、さっきわたしに恥ずかしい思いさせてくれたお返しーっ」

 藍子はあっかんべーのポーズをとった。

「ひどーい」

 絵梨佳は藍子の両方の頬っぺたをぎゅーっとつねる。

「いったーい」

 藍子は、絵梨佳の髪の毛を引っ張った。

「アイコン、いきなり取るなんてひどいよ。そんなに卑しいことしてたら、ぶくぶく太って豚さんになっちゃうよ」

 今度は絵梨佳、藍子に馬乗りになった。

「失礼よ。身体測定の数値、絵梨佳さんの方が体重多かったくせに」

「そりゃアタシの方が背、高いもん」

「絵梨佳さんだってお菓子大好きなくせに。絵梨佳さんこそ太るよ」

 藍子は対抗しようと、両手で押し返す。

「アタシは太らない体質だもんねーっ!」

 絵梨佳は自信満々に言う。

「ああーっ、ムカついて来たーっ」

 藍子は絵梨佳の足をグーで叩いた。

「いたいよ、アイコン」

 絵梨佳はパーで叩き返す。

 両者、叩き合いが始まってしまった。

「ねえ、二人ともケンカはやめて」

 晴恵は心配そうに見守る。

「カンガルーさんのケンカみたい。二人とも互角だね。いやちょっと絵梨佳ちゃん優勢かな」

 数歩は微笑ましく観察する。

(そのうち、収まるでしょう)

 修は食事を進めながら座視していた。

「絵梨佳お姉ちゃん、おさないお姉ちゃん、後ろ、後ろーっ」

 紗奈は笑いながら注意を促す。

「アイコン、返してーっ」

「無茶なこと言わない!」

絵梨佳と藍子は聞く耳持たず。そんな二人の背後に、黒い影がゆっくりと忍び寄る。

「これこれ、女の子同士が取っ組み合いの喧嘩とは何事ですか!」

 満由実さんだった。二人に呆れ顔で注意する。

「だってだって、マユミン」

 絵梨佳は藍子の頬っぺたをつねりながら言い訳する。

「元はといえば、絵梨佳さんが悪いんです」

 藍子も絵梨佳の髪の毛を引っ張りながら言い訳する。

 二人はまだ、ケンカを止めようとはしなかった。

「あっ、あのですね」

 修も恐る恐るこの場を収めようとする。

「直ちに止めなかったら、このあと補習授業するわよ」

満由実さんはさらっとおっしゃった。

「「ごめんなさーい」」

すると二人は即、土下座して反省の態度を示した。

「早く食事に戻りなさい」

 満由実さんは笑顔で告げて、元の席へ戻る。

「さっきはごめんね、アイコン」

「ううん、わたし、もう気にしてないよ」

 絵梨佳と藍子はすぐに仲直り。その後は仲良く夕食タイムを過ごしたのであった。


「それでは皆さん、次はお風呂へ入ってね」

 お部屋へ戻る前に、満由実さんは塾生達と修にこう指示を出した。

「マユミン、アタシ、オサムっちと混浴がいいな」

 絵梨佳は修の腕をぎゅっとつかむ。

「あっ、あのね、樋口さん」

「こらこら絵梨佳さん。修先生困らせちゃダメでしょ」

 藍子は絵梨佳の腕を引っ張ってを無理やり引き離した。

「修ちゃんなら女湯入っても問題ないけど、他のお客様から顰蹙買われちゃうからね」

 満由実さんは笑顔でおっしゃる。

「それだけでは、済まないと思うのですが……」

 修はしかめっ面で突っ込む。

 このあと当然のように修は男湯、塾生達は女湯へ。

          ☆

「カッシー、体はお子様だな。胸ペッタンコだし、アンダーヘアーも無くつるつるだし」

 女湯脱衣場で、絵梨佳にすっぽんぽん姿をじーっと眺められ、

「恥ずかしいよ」

 紗奈はてへりと笑う。

「アイコン、案外大人の体してるね。おっぱいもふくらんでるし、アンダーヘアー、アタシより濃いかも」

「こらこら、覗かない!」

「アレはもう来た?」

「とっくの昔に来てるよぅ」

 絵梨佳の質問に、藍子は照れ笑いしながら打ち明ける。

「あたし、まだ。クラスの女の子、半分くらいは来てるみたいなんだけど」

 紗奈は小声で呟いた。

「おう、どうりでまだお子様体型なわけだ。おっぱいのでかさでは、カズポンが一番だな」

「そんなに大きいかな?」

 数歩は目を下に向けて自分の乳房を眺めてみる。

「Cある?」

 紗奈は羨望の眼差しで数歩の胸元をじーっと見つめる。

「そんなにはないよ。ブラジャーはBカップのを使ってるの」

 数歩は淡々と答えた。

「いいなあ、数歩お姉ちゃん」

 紗奈は前から抱きつき、おっぱいを鷲掴みした。

「あんっ! もう紗奈ちゃんたら、くすぐったいからやめてー」

「スキンシップ、スキンシップーッ」

 容赦なく数歩のおっぱいを揉みまくる。

「カズポン、おしりもいい形してるね。触らせてーっ」

 絵梨佳も便乗してくる。

「もっ、もう。やめてぇ~」

前からも後ろからも揉まれ、数歩は頬をほんのり赤らめて笑う。嫌がりつつも、とても気持ち良さそうな表情を浮かべていた。

(裸見せるの、恥ずかしい)

 晴恵は他の塾生達やお客さん達から視線を逸らそうとしながら、照れくさそうに服を脱いでいく。下着を外す前に、バスタオルをしっかり全身に巻いた。

(紗奈さんや絵梨佳さんに触られないようにガード、ガード)

 藍子も同じようにした。 

他の塾生三人は堂々と裸体をさらけ出し、バスタオルは手に持っていた。

浴室へ入ると、塾生達は隣り合うようにして洗い場シャワー手前の風呂イスに腰掛ける。出入口に近い側から数歩、紗奈、絵梨佳、晴恵、藍子という並びだ。

「カッシー、それまだ使ってるのかぁ」

「うん、あたし、これがないとシャンプー出来ないの」

紗奈は照れくさそうに呟きながら、シャンプーハットを被った。

「カッシー、幼稚園児みたいだな」

 絵梨佳はくすくす笑う。

「ワタシも、今はさすがに使ってないな」

 晴恵は、紗奈をちらりと眺めた。

「べつにいいでしょ。シャンプーが目に入らないように安全のためだもん」

 紗奈は照れ笑いしながら言い張る。

「紗奈ちゃん、かっわいい!」

「妹に欲しいわ。紗奈さん、髪の毛洗うの手伝ってあげよっか?」

 数歩と藍子は横目で見ながら、きゅんっと反応した。

「それはいい、自分でやるから」

 紗奈は頬をポッと赤らめた。

「タオルで隠してる子、ワタシと、あいこちゃんくらいしかいないね」

 晴恵は辺りを見渡しながら藍子に話しかける。

「そうね」

 藍子も周囲をちらりと見た。

「ワタシ、家で入る時はスッポンポンなんだけど、ここではちょっとね」

「わたしも。みんなが見てる前では恥ずかし過ぎて無理。あの、晴恵さん。眼鏡外したお顔もかわいいね」

「あっ、ありがとう」

 晴恵と藍子が小声でおしゃべりしながら体を洗い流している最中、

「わぁーい!」

 紗奈のはしゃぎ声と共に、ザブーッンと飛沫が上がる。湯船に足から勢いよく飛び込んだのだ。休まず犬掻きのような泳ぎをし始めた。

「紗奈さん、はしゃぎ過ぎ。低学年の子みたいよ」

 藍子は後ろを振り返り、微笑みながら注意する。

「カッシーのはしゃぎたい気持ちは良く分かるぜ」

 そう言い、絵梨佳も飛び込んで平泳ぎを始めた。

「周りのお客様に迷惑かけないようにね」

 藍子は再び注意する。彼女を含め他の塾生達はみんな、足を片方ずつそっと浸けて静かに入った。

「広くて最高♪ ワタシ、お風呂大好きなの。夏は一日三回入ってる」

 晴恵は湯船に足を伸ばしてゆったりくつろぎながら、嬉しそうに呟いた。

「晴恵ちゃん、し○かちゃん並だね。あんまり入り過ぎるとお肌かえって荒れちゃうよ」

 数歩はにっこり微笑む。

「ねえカズポン、ひょっとして、今もカズオっちとお風呂一緒に入ってる?」

 絵梨佳は興味津々に質問してくる。

「最近は入ってないなぁ。数くん、小学五年生頃から急に嫌がるようになっちゃって。塾の合宿もその頃からついて来なくなっちゃったよ」

 数歩は残念そうに語る。

「そっか。きっとお○ん○んに毛が生えて来たからだね。カズオっち、エッチな本は一冊も持ってないんでしょ、えらいよね。純粋だよあの子は」

 絵梨佳は感心していた。

「いやぁ、数くんのお部屋に週刊少年マ○ジンが置いてあったんだけど。それのグラビアけっこうエッチだったよ」

 数歩は困惑顔で伝える。

「それはべつにエッチでもないよ、カズポン。保健の教科書の方がずっとエッチだぜ」

 絵梨佳はにこにこ顔で言う。

「そうかなぁ?」

 数歩はきょとんとした。

「ねえ、アイコンにハルエ、湯船にタオル入れたらダメだぜ」

 絵梨佳は藍子のバスタオルをぐいっと引っ張った。

「やめてーっ、絵梨佳さーん」

 藍子は腕を前に組んで必死に抵抗する。

「晴恵ちゃんも、他のみんなみたいにすっぽんぽんになろうよ」

 数歩も晴恵のバスタオルを引っ張る。

「やーん。ダメよ」

 晴恵は足をバタバタさせ懸命にタオルを守る。

「皆さーん、湯加減はいかがですか?」

ちょうどその時、満由実さんも浴室に入って来た。タオルは巻いてなく、スッポンポンだった。風呂イスにゆっくりと腰掛け、シャンプーを出して髪の毛をこすり始める。

「満由実おばちゃん、お肌白くてきれいなお体だね。とても四十過ぎとは思えないよ」

「まだ男子中高生のおかずとしていけるね。デッサンしたい」

「私もお母さんみたいになりたーい」

 紗奈、絵梨佳、数歩は湯船から上がり、満由実さんの側に駆け寄った。まじまじと満由実の裸体を眺める。

「もう、恥ずかしいな」

 満由実さんは優しく微笑んだ。

(望月先生、素敵です)

(わたしの二倍くらい膨らんでるかな、胸)

 晴恵と藍子は、湯船の中からこっそり眺めていた。


「今何キロあるかなあ?」

 浴室から出て、脱衣所へ移動した絵梨佳は、すっぽんぽんのまんまそこに置かれてある体重計にぴょこんと飛び乗ってみた。

「……よかったぁ、一学期最初の身体測定の時と全く同じだ」

 目盛を見て、満面の笑みを浮かべる。

「絵梨佳さん、身体測定は服の重さが数百グラムあるから、実際は増えてるってことよ」

 藍子はにやにや微笑みながら、耳元で囁く。

「あっ、言われてみれば……」

 絵梨佳はハッと気付いた後、がっくり肩を落とした。

「あたしはきっと痩せてるぅ」

 自信満々に言い、紗奈も体重計に飛び乗った。同じくすっぽんぽんのままで。

「……えええええええっ!? ごっ、五キロも増えてるぅ。なっ、なんでなんでぇ!?」

 目盛を眺め、紗奈は目を見開き大きな叫び声を上げた。

「紗奈さん、下を見て」

「えっ……」

 紗奈は、藍子に言われたようにしてみる。

「あああああーっ!」

 瞬間、大声を張り上げた。

「えへへ、タネ明かしだよ」

 数歩はにこっと笑う。数歩が体重計の上にこっそり手を置いていたのだ。

「もう、数歩お姉ちゃん」

「体重気にした時の表情、子どもっぽくってかわいかったよ」

「ひっどーい。罰として数歩お姉ちゃんも乗って!」

「あーん、やだぁ」

 紗奈に追われ、数歩はスッポンポンで逃げ惑う。

「皆さん、修ちゃんが待ちくたびれていると思うので、速やかに出ましょうね」

 脱衣所ではしゃいだり、ジュースを飲みながらのんびり過ごしたりしていた塾生達に、満由実さんは優しく注意しておいた。

「修くーん、お待たせーっ」

「あっ、どっ、どうも」

満由実さんの推測通り、修はすでに上がって大浴場横休憩所の椅子に座って待っていた。

「お風呂上りのオサムっち、ますます文豪っぽさが醸し出されてるね」

「霜浦先生、すごく格好いいです」

 絵梨佳と晴恵は、修の姿をじーっと見つめる。

「そっ、そうでしょうか?」

(なんか、女の子特有の匂いが……)

塾生達と満由実さんの体から漂ってくる、ラベンダーやオレンジ、オリーブ、ミントのシャンプーや石鹸の香りが、修の鼻腔をくすぐっていた。

「そうだ! 数くんにお電話しておこう」

 数歩はふと思い付き、お母さんに十円を借りてすぐ近くにある公衆電話から、数雄のスマホに電話した。

『もしもし』

 三回くらいベルを鳴らしたところで数雄は出てくれた。

「数くん、やっほー」

『あっ、お姉ちゃん』

「合宿、数くんも付いて行きたかったんじゃないの?」

『そんなことないよ。女ばっかりだし』

「本当かな? ちゃんとご飯食べた?」

『うん』

「お風呂入った?」

『うん』

「電気、火の元、戸締りちゃんと確認した?」

『うん』

「お父さんと二人っきりで、寂しくない? 夜、ちゃんと寝れる?」

『うん、心配しなくても大丈夫だよ、お姉ちゃん』

「そっか、数くんも大人になったね。私達も、今お風呂入ったところだよ、お母さんに代わろうか?」

『いっ、いいよ。べつに』

「それじゃあ数くん、お土産楽しみにしててね。そろそろ切るよ」

「優しいお姉ちゃんだね。カズポン、アタシに変わってーっ」

 絵梨佳は数歩の背後から叫ぶ。

「分かった、はいどうぞ」

 数歩はすぐさま受話器を絵梨佳に手渡した。

「カズオっち、アタシだよ」

『なっ、なんか、用?』

 数雄は慌てた様子で応答する。

「カズオっち、お風呂入る時、ちゃんとお○ん○んも洗ったかな?」

『……』

 絵梨佳がこう問いかけて約三秒後、プープープーという音が絵梨佳の耳に飛び込んでくる。

「ありゃりゃ、切られちゃったかぁ」

 絵梨佳は残念そうに嘆きの声を漏らした。

(そりゃあ切るだろうな、いきなりあんなこと訊かれたら)

 修は心の中で突っ込んでおいた。

「ふふふ、数雄ったら、絵梨ちゃんのこと好きなのね」

 満由実さんはくすくす笑っていた。

 ともあれ、満由実さんは314号室へ。

塾生達&修も507号室へと戻っていく。すでにお布団が敷かれてあった。このホテルのサービスだ。縦二列、横三列。曲の字型であった。

「皆さん、どこに寝る?」

 藍子は他のみんなに尋ねる。

「僕は、一番端っこで」

「ダメだよ、修くん。修くんはここ!」

 数歩は強制的に、上側真ん中の布団を指定する。

「数歩お姉ちゃん、あたし、ここーっ!」

「修くんのお隣がいいんだね」

「うん!」

 数歩が確認すると、紗奈はこくりと頷いた。紗奈は上側、出入口に近い方の布団を指差したのだ。

「……」

 修はどう反応すればいいのか分からなかった。

「じゃあ私はここ」

「アタシも窓際でオサムっちのお隣がいい!」

「わたしも窓際ね」

数歩の希望に、絵梨佳と藍子も譲らず。

「ねえ、カッシー。その場所譲ってくれない?」

「嫌! あたし、絶対修お兄ちゃんのお隣」

 紗奈は該当する布団にごろんと大の字に寝転がった。

「絵梨佳さん、譲ってあげなさい。紗奈さんは一番年下でしょ」

「それが通るなら、アタシ、この三人の中で、一番年下だから……」

 絵梨佳は上目遣いで藍子を見つめる。

「それは……また全く別問題です」

 藍子はやや間を置いて言った。

「そんな理不尽なぁー」

 絵梨佳は嘆く。

「修先生、わたしと数歩さんと絵梨佳さん、どなたにお隣になって欲しいですか?」

「……えっ、えっと……」

 藍子から真剣な眼差しで問われ、修は返答に困ってしまう。

「修くん、私だよね?」

「わたしですよね」

「アタシ、アタシ、オサムっちと同じ名前の太宰治にも傾倒してるアタシだよな?」

 三人に詰め寄られる。

「三人とも頑張れ!」

 紗奈は寝転がったまま、嬉しそうに応援する。

「あのっ、霜浦先生。えりかちゃんは、寝相がかなり悪いです」

 晴恵は突然叫んだ。

「それじゃ、絵梨佳お姉ちゃんは下の入口側一番隅っこだね」

 紗奈はさらっと言う。

「あーん、ハルエ。余計なこと教えないでー」

 絵梨佳は苦笑した。

「絵梨佳ちゃんのお隣で寝るのは危険なようだね。絵梨佳ちゃんのお隣になる人、誰にするか、じゃんけんで決める?」

数歩の提案を、

「じゃんけんは、ありきたり過ぎるよ。トランプで決めましょう。最初に上がった人が修先生のお隣で、ビリが絵梨佳さんのお隣ね」

 藍子はこう切り返す。

 少し話し合って、数歩、晴恵、藍子の三人で、ババ抜きをすることになった。

 藍子は家から持って来ていたトランプをシャッフルし、裏向けにして晴恵と数歩に配っていく。

 配られたカードのうち、同じ数字のカードは捨てた。

「なんかアタシ、危険人物扱いされてるみたいなんだけど……」

 絵梨佳はムスッとしながら三人の方を眺めていた。

「まあまあ、えりかちゃん」

 晴恵はなだめる。

「わたし、今の所一番枚数少ないよ」

 手持ち枚数を見て、藍子はにっこり微笑んだ。藍子は配るさい、自分有利になるように意図的にジョーカーを外し、同じ数字の札が多くなるようにしていたのだ。他のみんなは藍子の不審な動きに当然のように気付いていた。しかし藍子のかわいさに免じてか、スルーしてあげた。

(就職試験においては、これくらいのずる賢さがあった方が、いいんだよなぁ)

 修は心の中でこうコメントした。

 ともあれゲームがスタートする。

 数分後、

「良かった」

 二番目に、手持ちの札が無くなった数歩は嬉しそうに微笑む。

「えーっ、なんでぇーっ?」

 結局、最後までジョーカーを持っていたのは、最も有利な状態から始めた藍子であった。

「藍子ちゃん、晴恵ちゃんが持ってたババ、引いたでしょ。表情に出て、ものすごく分かりやすかったよ」

「おさないお姉ちゃん、持ち方ももう少し工夫した方がいいよ」

 数歩と紗奈はくすくす笑う。

「すみませんあいこちゃん、最初に上がってしまって」

 晴恵は申し訳なさそうに謝ったものの、内心とても嬉しがっていた。

「あーん、納得いかなかなぁーい。もう一回だけやりましょう」

 藍子は口惜しそうな表情を浮かべて駄々をこねる。

「えーっ」

「ワタシも、もうやりたくないです」

 数歩と晴恵は当然のごとく嫌そうにする。

「おさないお姉ちゃん、諦めも肝心だよ」

 紗奈はくすくす笑う。

「そんなことすると、アイコン勝つまで絶対やめなさそうだから。さあ、アイコン。今夜はアタシの側でおねんねしましょうね」

 絵梨佳はニカッと微笑みかけ、藍子の肩をガシっとつかんだ。

「すごく不安だなあ」

 藍子は困惑する。

 これにて、全員の布団の位置が決まった。

「せっかくの合宿だし、目一杯盛り上がらなきゃね。今からアタシがカッシーのために、こわーいお話でもしようかなー」

 絵梨佳は両手をうらめしやポーズにしてゆっくりとした口調でそう告げた。

「あっ、あたし、聴きたくないよううううううう」

紗奈はとっさに耳を塞ぎ、カタカタ震え出す。

「カッシー怖がりだなぁ」

 絵梨佳はくすっと笑う。

「絵梨佳お姉ちゃん、やめてやめてやめてぇぇぇーっ」

紗奈は顔を真っ青にさせながら枕を手に取り、絵梨佳に向けて投げた。見事顔面にヒットする。

「カッシー、ナイスコントロールだ。ごめんね」

「あたし、そういうの、ちっとも怖くないもん」

 紗奈はややムスッとしながら言い張る。

「本当かな?」

 絵梨佳はアハハと笑う。

「絵梨佳さん、いじめたらかわいそうよ」

「あいたたたっ」

 藍子は絵梨佳の頭をグーでゴチンッと叩いておいた。

「合宿の夜の楽しみ方といえば、やはりこれよ。わたし、いいもの持って来たの」

 藍子がリュックの中から何かを取り出そうとした。次の瞬間、

「皆さん。ちょっとお邪魔するわね」

 満由実さんがこのお部屋に入って来る。

「あっ、満由実先生」(学校の合宿じゃないし、見つかっても問題ないか)

 藍子は反射的に後ろを振り向く。少しドキッとしたらしい。

「あのう、あのあとお風呂場点検したんですけど、とってもかわいらしいキリンさん柄パンツの落とし物がありました。ご丁寧にお名前も書いてありましたよ。お心当たりのある方は、後でいいからこっそり取りに来てね」

 満由実さんはそのパンツをバッグから取り出し手に掲げ、塾生達に向けてにこにこしながら伝えた。

 その約二秒後、

「あああああああああああーっ、わたしが今日穿いて来たやつだーっ」

 藍子は大声で叫んだ。その行為によって、みんなにバレてしまった。全速力で満由実さんの下へダッシュする。

「藍ちゃんのパンツだったのね、次からは気をつけましょうね」

満由実さんはくすくす笑いながら手渡した。

「ああ、恥ずかしい。ママったら、わたしもう子どもじゃないのに余計なことしてくれちゃって」

 藍子は受け取ったパンツを上着の中に隠し、ぶつぶつ呟きながら自分のリュックの前へ向かう。

「アイコン、かわいいの穿いてるね」

 絵梨佳はにやにやする。

「おさないお姉ちゃん、あたしもその柄のやつ持ってるよ」

紗奈はとても嬉しそうにしていた。

「あーん、今日は恥ずかしい思い続きだよぅ」

 藍子は涙目になってしまった。

「藍子ちゃん、私も動物さん柄のパンツ、体育無い日は穿いていくことあるよ」

 数歩は慰めようとした。 

「それなら……まあ、おかしくはないよね」

 藍子はなんとか立ち直ったようである。

「……」

 修は満由実さんがあのパンツをかざした瞬間からテレビの方に目を向け、この状況から目を逸らしていた。

「では皆さん、明日の朝は早いので、夜更かしはしないようにしましょうね」

 満由実さんはまだ笑ったままこう忠告し、この部屋から出て行った。

「「「はーい」」」

 数歩、晴恵、紗奈は素直に返事をした。

「まあ気にするなアイコン、そういや、いいもの持って来たんだよね?」

「うん。わたし、テレビゲーム機も持って来たんです」

 藍子は嬉しそうに言い、リュックの中からようやく取り出せた。

「小山内さんは、テレビゲームが好きなのでしょうか?」

「はい。特にアクションゲームとRPGが大好きです。満由実さんも時たまテレビゲームをプレイされますよ」

「へぇ。意外だ。あのお齢で」

 修は少し驚いたようだ。

「頭の体操になるからだって」

 数歩は伝える。

「アタシが準備するよ」

 絵梨佳が、テレビとゲーム機本体にケーブルを繋いであげた。

「修先生、これやってみて下さい。先週発売されたばかりなんです」

 藍子が取り出したゲームソフトのジャンルは、アクションだった。

「いいけど」

 修はあまり乗り気ではなかったが、引き受けてあげた。テレビゲーム機にセットし、電源を入れ、コントローラを握る。

 一人プレイを選択し、ゲームスタート。

「難しいな、最初の面なのに」

 1‐1面の半分くらい進んだ所で落とし穴に落ち、ミスしてしまった。

「わたしもこの面、全然クリア出来なかったんですよ。でもそれが魅力的です。晴恵さんも、やってみませんか?」

 藍子は笑顔で勧める。

「ワタシ、ゲームはほとんど……」

 晴恵は手をパタパタさせ、躊躇うしぐさを取る。

「ハルエ、このゲームアタシもちょっとやったけど面白いよ。やってみて」

「うっ、うん」

 絵梨佳に勧められると、晴恵はコントローラを握り締めた。

 ぎこちなく指を動かし、ボタンを操作していく。

「晴恵ちゃん、上手いねぇ」

「そっ、そうかな? あっ……」

 数歩に褒められたことで、晴恵はミスをしてしまった。

「ごっ、ごめん晴恵ちゃん。邪魔しちゃって」

 数歩は慌てて謝る。

「いいよ、いいよ。気にしてないから」

 晴恵は機嫌良さそうになだめてあげた。

「次、あたしがやるぅーっ」

「次は私ねーっ」

ワンミス毎にみんなで交代しながらそのゲームを一時間ほどやった後、

「あたし、眠いからもう寝る。おやすみなさーい」

「私もー。おやすみー」

「ワタシも先に寝るね」

 紗奈、数歩、晴恵は眠たそうに告げて、各自で決めたお布団に潜り込む。紗奈は、修に遊園地のゲームコーナーでとってもらった、あのアデリーペンギンのぬいぐるみをしっかり抱きしめていた。

「お子様はおねむの時間だね。これからが本当の夜なのに」

 絵梨佳はにこにこ顔で呟く。

「修先生、次はこれで遊びましょう」

藍子は別のソフトに取り替えた。

 セーブデータを選択すると、宿の画面が出て来た。

「これは、RPG?」

「はい。修先生、RPGは面白いですよね? 村人達と会話し、旅のヒントを得て進めていくのが魅力的なんです。頭を使いますし」

「そっ、そうだね。就職活動も、RPGみたいなものだよ。『内定通知』という伝説の宝を求めて冒険の旅に出る、《スーツと履歴書のファンタジー系RPG》という感じかな」

「剣と魔法という、ファンタジー世界においてありきたり過ぎる物は一切出てこない斬新かつ異色な設定ですね」

「モンスターは、面接官になるかな。そしてお城イコール会社」

「アハハハッ、言えてますね」

 修と藍子は楽しそうに会話を弾ませる。

「オサムっちが主人公のRPG、あったら欲しいなぁ」

 絵梨佳がこう呟いたあと、

「あのう、僕も、今日は、疲れましたので、そろそろ……」

 修は躊躇うように伝える。

「あーん、オサムっち。もう少し付き合ってよう」

 絵梨佳は修の体を揺さぶり、駄々をこねる。

「あっ、あのう……」

 修は当然のように迷惑がった。

「無理させちゃダメよ。修先生はわたし達の引率で疲れてるんだから」

 藍子は困惑顔で注意する。

「分かった。今日はオサムっちに迷惑かけちゃったからね。ごめんねオサムっち」

「いえいえ」

 ともあれ修は布団へ潜り込んだ。

 絵梨佳と藍子は、引き続きこのテレビゲームで遊ぶ。

「ねーえ、ピコピコうるさいよう」

「起きてるんだったら、電気消してもう少し静かにやってねー」

五分くらい続けていると、紗奈と数歩は目を覚ましてしまった。とろーんとした声で二人に注意する。

「はーぃ。ごめんね、紗奈さん、数歩さん」

「すまんね、起こしちゃって」

藍子と絵梨佳は申し訳なさそうに小声で謝る。この二人はそのあとは音の出るテレビゲームはすぐにやめて電気を消し、部屋備え付けのライトスタンドの小さな明かりで家から持って来たマンガやラノベを読んで静かに過ごしていた。 

「アイコン、もうすぐ十二時半だし、そろそろ寝よっか?」

「そうね。他にやることないし、あんまり睡眠時間短すぎると明日バテちゃうから」

 藍子が本をリュックにしまってこう呟いた次の瞬間、

「ちょっとアイコン、何しようとしてるのかな?」

 絵梨佳は藍子の肩をポンッと叩き、ニカッと微笑んだ。

「だって、寝相悪いんでしょ」

 藍子はきっぱりと言い張った。彼女は暗闇の中、絵梨佳のお布団をそーっと引っ張っていたのだ。

「大丈夫。気をつける!」

 絵梨佳は自信満々に言い張る。

「いやあ、気をつけても無意識に動いちゃうと思うから……」

 藍子は嫌がる素振りを見せた。

「アイコン、アタシを信じて。トラストミー」

 絵梨佳はうるうるとした目で、藍子の目をじっと見つめる。

「わっ、分かったよ」

 藍子はしぶしぶ引き受け、再びお布団を引っ付けた。彼女はお布団に潜り込むと、疲れていたためかほどなくしてすやすや眠りに付いた。

 絵梨佳も同じく。


 真夜中、三時頃。

「いたっ!」

 藍子は目を覚まし、声を漏らす。絵梨佳に背中をボカッと蹴られたのだ。

「……」

 絵梨佳はそんなことには一切気付かずぐっすり眠っていた。

「もう、絵梨佳さんったら。おっ、重ぉい」

 藍子はなんとか絵梨佳のお布団を一メートルほど引っ張り隅へ追いやって、再び自分のお布団に潜り込んだ。

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