第三話 ハッピーハロウィン🎃

三日後の金曜日。修は前回と同じく夕方四時頃に望月宅へやって来て、塾生みんなが揃うまでリビングで待機させてもらう。

「あの、おばさん。自習プリント、こんな感じで、よろしいのでしょうか?」

 修はビジネスバッグから取り出すと、恐る恐る手渡した。

「じゅうぶんオッケイよ。さっそく今日から使わせてもらうね」

 パラパラと捲った後、満由実さんはにこっと微笑む。

「ありがとう、ございます。あの、おばさん、今日は、お菓子をたくさん用意してるんですね」

 修はダイニングテーブルの上に、透明な袋に入れられたお菓子の詰め合わせがたくさん置かれてあるのに気付いた。

「今日はハロウィンだからね。塾生のみんなにプレゼントするのよ」

「……あっ、そういえば、今日は十月三十一日でしたね」

「うちの塾では毎年ハロウィンのイベントをやってるの。七年ほど前、塾生にアメリカ人の子がいて、その子に勧められて始めてから恒例行事になったのよ」

「そうでしたか」

「修くーん、いらっしゃーい」

 リビングに数歩が現れた。

「ハロウィンらしい、格好だね」

 修は数歩の身なりを見るやこうコメントする。

ハロウィンでお馴染みの、ジャックランタンのお面を被っていたのだ。

「このかぼちゃ、晴恵ちゃんからいただいたの。あの子のおウチ、お花屋さんだからね」

 数歩は嬉しそうに伝える。

「名前の、通りなんだね」

 修は素の表情で突っ込んだ。

 前回と同じように、数歩と満由実さんは先に教室へ。

 夕方四時半頃から、他の塾生達も続々やって来る。

 全員揃うと、満由実さんが呼びに来て、修も教室へと入る。修は、今回はそれほど緊張しなかった。

「……みんな、ハロウィン、らしいね」

 修は塾生達の姿を見て、苦笑顔で突っ込む。

 絵梨佳は狼男、紗奈と藍子は魔女のコスプレをしていた。晴恵はコスプレはしていないものの、黒地に橙色のジャックランタンの刺繍が施されたセーターを身に着けていた。

「似合ってるでしょ? マユミン、オサムっち、お菓子頂戴」

「修お兄ちゃん、満由実おばちゃん、あたし、菓子紗奈にお菓子を」

 絵梨佳と紗奈は両手を差し出す。

「あの言葉を言ってからよ」

 満由実さんは優しく注意した。

「「「「トリック・オア・トリート!」」」」」

 明るく叫んだ四人に対し、

「トリック、オア、トリート」

 晴恵は俯き加減で、恥ずかしそうに言った。

「では、こちらを」

 こうして修は一人一人にお菓子の詰め合わせを手渡していく。

 塾生全員に渡し終えてから三分ほどのち、

「それでは、授業始めますよ。絵梨ちゃん、紗奈ちゃん。そろそろお菓子を片付けましょうね」

 満由実さんは笑顔で告げた。

「えええ、今日はハロウィンらしくパーティしようぜ」

「満由実おばちゃん、今日は授業止めよう」

 絵梨佳と紗奈はコスプレ姿のまま、さっきもらったお菓子を食べながら不満を呟く。

「ダーメ! きちんとけじめを付けましょうね」

「あいたぁっ」

「あーん、満由実おばちゃぁん」

 満由実さんは、わがままを言うこの二人が手に持っていたお菓子を力ずくで奪い取り、頭を英語のテキストで軽く叩いておいた。

 こうして今日も通常通りの授業が始まり、質問が来ると修は対応していく。

 今回は満由実さんもずっと付いていてくれた。修の負担も半減以下だ。

授業が始まってから一時間ほど経った頃、

「私、今からは学校の宿題やるよ。修くん、今日ね、明日までに提出のがいっぱい出たの。手伝ってーっ」

 数歩は修の側に近づいて来て、要求してくる。

「それは、かまわないけど」

 修は快く引き受けた。

「私、数学の問題全然分からなくて。64ページの問い六から八までが宿題なの」

 数歩は中学3年生用数学の問題集の該当箇所付近を指で押さえる。

(それほど難しい問題ではないな)

修はそこを眺めてみて、出来ると感じた。

数学の、三平方の定理に関する問題であった。

修はシャープペンシルを手に取ると、問題をすらすらと解いていく。

「すごーい、あっという間だ。さすが、筆記の達人さんだね」

「いやあ、そのう……」

 修はなんとも言えない気分に陥った。

「問題集とかワーク、先生に答え回収されるのが困ったところだよな。最初から除けてる場合もあるし」

「分かる、分かる。あったら答え丸写し出来て楽なのになぁ」

「あたしのクラスも計算ドリルと漢字ドリル、答え回収されちゃってるよ。先生はひどいことするよね」

「答え丸写ししたら、自分のためにならないでしょ」

 絵梨佳の問いかけに同情する数歩と紗奈に、藍子は一喝した。

「藍子ちゃん、先生と全く同じこと言ってるよ」

「あたしの担任と一字一句同じだぁーっ」

 数歩と紗奈は即、突っ込んだ。

「アイコンの言うことは放っておいて、オサムっち、アタシの宿題も頼むよ。数学の小テスト、間違えた問題を全部直して提出になってるんだ。アタシ三問しか合ってなかったから大変なんだ」

絵梨佳はそのプリントと数学用ノートを取り出し、修に手渡す。

 小テストは一問一点の十点満点。つまり絵梨佳の取得した点数は、わずか三点だ。

(これは、さっきよりも簡単だな)

 修は絵梨佳の使っている数学用ノートに、間違えた七問の途中式と答えをすらすらと記述していく。

「あのう、修先生、あまり絵梨佳さんを甘やかさない方が……」

 藍子は口を挟んだ。

「それも、そうですね」

 修はハッと気付き、手の動きがぴたりと止まる。

「あーん、アイコン、余計なこと言わないでーっ。オサムっち、お願ぁーい」

「わっ、分かった」

 絵梨佳にせがまれ、修は問題の続きを解いていく。

「もう、修先生ったら」

 藍子は少し呆れていた。

(修ちゃんのこのやり方は、ちょっと感心しないわね)

 この時、晴恵に英語の指導をしていた満由実さんはこの光景を見て、眉を顰めてしまった。修にマイナス評価を下したのだ。ヒントは与えても、代わりに解いてあげるのはダメだというわけである。

「サンキュー、オサムっち。助かったぜ」

 数学の宿題を完成させたのを確認すると絵梨佳は礼を言って、修の手を握り締める。

「いっ、いやぁ、これくらいは……」

 修は頬を少し赤く染めた。

「絵梨佳さん、数歩さん、数学が出来ないと後々本当に困るよ」

 藍子は忠告する。

「大丈夫だよ。私、高校入ったら文系クラス行くもん」

 数歩は強く主張する。

「アタシもーっ。数学なんてやってられないよ」

「あの、文系に進むとしても、高校数学ⅡBの範囲までは、しっかりと学んでおいた方がいいかと僕は思います。集合や数列、確率、順列と組み合わせなどは、就職試験で使われるSPIや、数的推理にわりと多く出題されているので」

 修は率直に意見した。

「じゃあ私、数学も頑張る!」

「オサムっちがそう言うなら、頑張ってもいいかも」

 数歩と絵梨佳は強く言い張った。

(修ちゃん、ナイス発言ね)

 この瞬間、満由実さんの修に対する評価はプラスに転じた。

「修先生のご意見は説得力がありますね。あの、わたしも、古文の宿題について、徒然草を現代語訳で、分からない箇所が。その、べつに、やってもらわなくてもいいので」

 藍子は申し訳なさそうに。国語総合の教科書と、古文用のノートを修の目の前にかざした。

「あっ、あのですね、古文は、ちょっと……僕、国語は苦手科目でして。マーク模試ですら、いつも二〇〇点満点中五〇点くらいしか取ってなかったので。古文漢文に至っては、記号のまぐれ当たりを狙っていたものですから。僕も高校時代、こういった宿題が出た時は、進○ゼミに付いてる教材を、自分で考えずに丸写していたものでした。申し訳ございません。お役に立て無くて」

 藍子のこの要求には、修は表情を曇らせた。

「修先生、謝る必要は無いですよ。わたしの実力不足ですから」

 藍子も反省の気持ちを示していた。

「修ちゃん、ワタクシも高校の数学を教えるのは苦手だから、気にしちゃダメよ」

 満由実さんは慰めてくれる。修に対する評価は先ほどと変わらず。

「古文はアタシもめっちゃ苦手だ。漢文はもっとだぜ。担当の先生は面白いけどね。オサムっち、マユミン。おトイレ行ってきまーす」

 絵梨佳は許可を取ってから立ち上がり教室を出、おトイレへ走る。

 それから三分ほど後、

「ただいまーっ」

 絵梨佳は頬を赤らめて戻って来た。

「どうしたの? 絵梨佳ちゃん。茹蛸さんみたいになって」

 数歩は尋ねる。

「いやあ、カズポンの弟の、カズオっちにばっちり覗かれたよ。アタシがナプキン交換してる最中に。めっちゃ恥ずかしぃ」

 絵梨佳はくすくす笑いながら伝え、両手で顔を覆う。

「鍵かけ忘れたんだね」

「あったりーっ。カズオっち、かなりビビッてたよ。狼男のお面被ったままだったからね。あの子、ごめんなさいって頭を下げて謝って、すぐにドア閉めて逃げてっちゃったよ、かわいかったなぁ」

「数くん、ショック受けちゃったかも」

 数歩はにこっと微笑む。

午後六時半を過ぎた頃、

「満由実おばちゃん、修お兄ちゃん、ばいばーい」

「それでは、お先に失礼しますね」

紗奈と藍子は見たいテレビ番組があるという理由でおウチへ帰っていった。残るは絵梨佳と晴恵だ。

「あのう、霜浦先生」

「なっ、なっ、何かな?」

ホワイトボードの前で待機していた最中、晴恵に突然話しかけられた修はびくっとする。

「オサムっち、ハルエが質問したいことがあるんだって」

 絵梨佳は大きな声で伝えた。

「なっ、何で、しょうか? 花屋さん」

「あっ、あのう、霜浦先生は、ひょっとして、趣味で、文筆活動をされていますか?」

 晴恵は俯き加減で、ぼそぼそとした声で尋ねた。

「かっ、書いて、ます、けど」

 修は緊張気味に答えた。

「文学新人賞に、応募されたことはありますか?」

 晴恵はもう一つ尋ねて来た。

「はい。僕は頻繁に、応募しております」

 修は緊張したまま答えた。

「やっぱり。そんな感じがしたんです。じつは、ワタシもなんです。ワタシ、ちっちゃい頃から物語を作るのが大好きで、童話賞や児童文学賞によく応募してるんです」

「アタシも一応書くぜ、小説。賞に応募したことは無いけどな」

 晴恵は照れくさそうに、絵梨佳は堂々と打ち明けた。

「そっ、そうだったんだ」

(かわいい)

 と、修は感じてしまった。晴恵から感じられる初々しさに惚れてしまったのだ。

「オサムっち、太宰治と下の名前同じだし、それに、なんとなくそいつに雰囲気似てる」

「そうで、しょうか?」

 絵梨佳の指摘に、修は疑問視する。

「走れメロスって、二年生用の国語の教科書に載ってたね。けっこう面白かったよ」

 数歩は呟いた。

「僕も、中学二年生の頃、国語の授業で、習った記憶があります。あっ、あの、樋口さんも花屋さんも、読書も好きなのかな?」

 修は気になり、尋ねてみた。

「はい。もちろん大好きです。特に児童文学と童話と絵本が」

 晴恵は満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに答えた。

「アタシはラノベと少年漫画が特に大好き。ねえオサムっち、選評シートは貰ったことある? ラノベ系の新人賞に投稿すると送られてくるんでしょ?」

 絵梨佳は興味津々に尋ねる。

「何度もあるよ。もう十枚以上は貰ってるかな」

 そう答え、修は苦い表情を浮かべた。

「いいなあオサムっち、編集や下読みさんからのコメントが書いてあるんでしょ。アタシもいっぱい欲しいなあ」

 絵梨佳は羨ましがる。

「いやあ、これをたくさん貰うということは……」

 修は気まずそうに呟いた。

選評シートも不採用通知の一種ではある。だが、素っ気ない定型文で書かれた企業等からのそれとは違い、書かれてあるコメントが一人一人異なる。文字一字一字にありがたみが感じられるのだ。また、選評シートはどこからも雇ってもらえず、社会から冷たくあしらわれ続けて来た修にとって唯一無二の親友であり、社会との接点であり、心の支えであり、かけがえのない宝物であった。

「ワタシの書いた童話、ちょっとだけ見て下さい。これは、半年くらい前に童話賞に投稿した作品のコピーなの。人間の言葉が分かるヒヤシンスさんと、人間の女の子とのお話でして、落選しちゃったけど、素敵な記念品をもらえたので大満足です」

 晴恵は満面の笑みを浮かべながら、四〇〇字詰め原稿用紙を五枚ほど通学カバンから取り出し、修に手渡した。

 丸っこくかわいらしい字で書かれていた。

「素敵なお話だね。登場人物の心情が伝わって来て、とても面白いよ」

 修は全部読んでみて、率直な感想を述べる。

「ほっ、本当? お世辞じゃない?」

 晴恵は上目遣いで問い詰めてくる。

「うん、僕も時たま、童話賞に応募してるけど、こんなに優れた作品は書けないから。花屋さんは、すごい文才があるよ」

「ありがとう、霜浦先生。ワタシが小説書いてること、褒めてくれて嬉しい。学校ではバカにしてくる子も多かったから。霜浦先生は、ワタシの書いた小説を褒めてくれた小学校の時の先生にも似てるの」

 晴恵は照れくさそうに伝えた。

「そっ、そうなんですか」

 修はちょっぴり驚く。

「ワタシもえりかちゃんと同じく、絵を描くことも大好きなんです」

 晴恵は続けて、B4サイズのスケッチブックを取り出し修に手渡す。

「とっても上手だね。中学時代、美術は5段階の2か3しか取ったことのない、僕なんかには、とても描けないよ」

 ページを捲りながら、修は褒めてあげる。

キリン、ゾウ、リスといった動物の絵を中心に、メルヘンチックに描かれていた。

「ありがとう、霜浦先生」

 晴恵は頬をほんのり赤く染めた。

「晴ちゃんらしさが伝わってくるわ」

「晴恵ちゃんの絵、素敵。私、この中に入り込みたいよ」

「ハルエの絵、アタシよりずっと上手いよ」

 満由実さん、数歩、絵梨佳も褒める。

「そっ、そんなことないよ」

 晴恵の頬の赤みはさらに増した。

「ハルエ、照れ屋さんだね。アタシ、ラノベの新人賞に初挑戦してみようかな。まだ四百字詰め原稿用紙換算で三百枚以上も書ける自信は無いけどね。オサムっち、何かいいアイディアない?」

 絵梨佳はやや興奮気味に問いかけた。

「うーん、ライトノベルにおいて、学園物やファンタジー物、異世界召喚物はありふれ過ぎてるし、吸血鬼、妖精、魔王、魔女、勇者、生徒会、執事、メイド、アンドロイド、異星人美少女キャラが登場するというのもまた、使い古されているかと……主人公の設定も、平凡な男子中高生で、ツンデレ風の幼馴染ヒロインと、やたらからんでくる男友達がいるっていうのは、定番過ぎると思うし」

「確かにそうだよな。そういう設定は使わない方が無難だよな」 

「いやあ、そういうのがダメってことはないと思うけど、既存の作品に負けないほど相当面白くしないといけないと思います。僕は、独自性を強く出すことが重要だと思うなぁ。今までのライトノベルには見られなかったような、新しいタイプの作品を生み出すことが、新人賞では求められているのではないかと……主人公に関しても、中高生向けだからといって、中高生を主人公にしなきゃいけないっていう、決まりはないと思うよ。まあ、その場合も読者が感情移入しやすい、共感を持てる、憧れを抱けるキャラクターであることが大切だろうけど」

 修は自信無さそうにアドバイスしてあげた。

「つまり、斬新なアイディアを出して、今までに無いようなタイプの作品を書くことが、受賞への近道なんだね。十二月末締切りのやつを目指して頑張るぞーっ!」

 絵梨佳は構想を練り始める。

「でも学校の勉強をおろそかにしちゃダメよ」

「はーぃ」

満由実さんは笑顔で忠告しておいた。

(僕も中高生の頃、遅くても大学生の頃から執筆投稿活動を始めていれば良かったな。そうしていれば今頃、もっと文章力が身に付いていたかもしれないな。就職活動をして、不採用通知をたくさん受け取って来て、やり切れない思いになって、ある日突然執筆活動に目覚めて、新人賞へ毎月のように投稿し始めたんだよな、僕。何一つとして褒められるべき点がない自分にとっての免罪符というか、自分を高く評価してくれる居場所を見つけるためというか……僕が学生だった頃は、まさか自分が文学新人賞に投稿するようになるなんて、全く思いもしなかったよ。ライトノベルを初めて読んだのも、大学を卒業してからだし)

 闘志に燃え生き生きとした表情の絵梨佳を見て、修はちょっぴり後悔の念を抱きながら思いを巡らす。 

「修ちゃん」

「……あっ、はい」

 満由実さんから急に話しかけられると、すぐに我に帰った。

「来週の土曜、八日から泊りがけで合宿に行くわよ」

「がっ、合宿があるんですか!?」

 突然知らされ、修は驚く。

「うん。今年は一日目に長島スパーキングランドでゆっくり過ごして、二日目が京都で紅葉見物の予定よ」

「去年の秋合宿は鳥取砂丘と出雲大社と石見銀山へ行ったんだよ」

 数歩は加えて報告した。

「ここの塾、泊りがけ合宿があるのがいい点だな。アタシは初参加なんだ」

「ワタシは二回目です」

 絵梨佳と晴恵はとても楽しみにしているようだった。

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