幕間 パン屋隆盛物語 1
マルーン・カーネギーは娘、コーラル・カーネギーとの突然の別れに途方に暮れている、場合ではなかった。
しがない町のパン屋に、客がわんさか押し寄せるようになったのだ。
「タン、こっちの食パンは注文品だから店に出さないでおくれ。店に出すのは今、ライムが窯から出しているやつだよ」
何とかお店を回せているのは、コーラルの代わりに使ってくれと言われたタンとライムがいるからだ。1人連れていく代わりに2人寄越した偉そうな眼鏡のお兄さんは、この状況が見えていたのだろうか。
タンと呼ばれたノッポの男は、店に出そうとしていたパンをバックヤードに戻し、注文票をめくりながらメモをつけていく。
「じゃ、おかみさんこっち表に出しちゃうからねっ」
パンに埋もれてしまいそうなくらい小さなライムはパン籠を抱えて売り場に出ていく。売り場に置くまでに、半分くらいのパンが客に奪われていくのを見ながら、マルーンは絶え間なくレジを打つ。
「はい、毎度!サイン?おばちゃんでいいなら何枚でも書くよ!借用書以外でお願いね」
そう、客の中には、マルーンのサインを求める者も少なくないのだ。彼女は今、国王との運命的な出会いの際にキラキラと輝いていたことから、
猛烈に忙しくはあったが、マルーンは充実感に満ちていた。
ドアに昼休憩の札をかけると、やっとマルーンはバックヤードの椅子に座った。
タンとライムは夫のグレイの出した賄いのサンドイッチをむしゃむしゃと食べている。
「あんたたち、うちはお給金を出さなくていいって、どうやって生活してるのさ」
ライムは口いっぱいにサンドイッチを頬張ったまま顔を上げる。口の回りもソースだらけだ。
「だって、私たち、公務員だもん」
キャベツが喋るたびに飛ぶ。隣で肯定するようにタンが頷く。彼はあまり沢山の言葉を話さない。
「あっ、でも公務でこういうことしてるのはまずいから秘密ね」
「あっ、そう..。あんた大人だったんだね」
マルーンは呟く。ライムは身体も薄っぺらくて、四肢も細く、女学生でも不思議ではない容姿をしていた。
「あんたたち、パン屋がやりたくてお役人になったんじゃないだろうに..」
どう考えても人身御供だし、貧乏くじだ。しかし、ライムとタンはきょとんと目を丸くする。
「まあ、公務員でパン焼くとは思ってなかったけど、昼御飯美味しいし楽しいから結果オーライだよ」
「下級公務員が、いいものを食べていると市民から批判を受けるので、食堂がすごく不味いからな」
「あそこまでくると、わざと不味く作れるのも才能かと思うよね。それに、ホントお偉いさんが変わるたびに朝令暮改状態だし、どこ見て仕事してるか分からなくなって嫌になるよ」
苦そうに笑うライムを見て、女学生ではなく本当に大人だったのだと実感する。
ライムは最後のひとくちをろくに咀嚼もせずに飲み込むと、椅子の上に立った。
「見ててよ。私はレジ係じゃ終わらないから。このお店を超おっきくしてあげる!」
タンが真顔で拍手をする。凸凹だがよくできたコンビだ。
「じゃあ超大きくなったらちゃんとうちからお給金出すからさ。まずは椅子から降りなさい、ライム」
椅子からすごすごと降りるライムの向こうに、壁に貼った新聞が見える。それはコーラルと国王の出会いを報じた新聞の一面記事だった。
この店はこれから超おおきくなるらしいから、娘の不在を寂しがっている暇なんてないのだ。
綺羅綺姫 詩吟子 @Mochichi
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