第2話 それは悪夢の始まり

 我が島国の国王陛下は3年前に父たる先王の崩御に伴い30歳の若さで即位した。即位に伴い作成された姿絵では、銀髪の特徴のない普通の顔で、国王の姿絵には定番の宝石を象った模様が額に描かれていた。それは伝説をなぞらえた化粧だと多くの国民は思っていたが、

「本物の、宝石だ..」

 どういう技術か、限りなく揺れない輿の上で、隣に座った国王の額をまじまじと見つめる。その宝石は涙型に近く、見る角度によって色を変えるようだった。また、その宝石のまわり、というか額いっぱいに、白銀の模様が描かれていた。

 国王は視線がうざったかったのか顔を背ける。

「自分にもあるだろう」

 言われて思い出したように胸元を見る。鎖骨の下には宝石と、半分露になった胸部..。

「ー..!!」

 声にならない叫びをあげながら服を掻き寄せると、隣の男がにやりと笑う。

「胸ってのは、巫女っぽくていいな。足の甲とか脇腹とかよりずっといい。まあ、ちょっと、アレだが..」

 視線がつい、と下に降りるのを見て、いいよどんだ内容を悟って顔が熱くなる。

 胸は意外とあるわ!平均ちょい下くらいだわ!とか、下品とか、この国の国民やめたいとか言いたいことが多すぎて、言葉が喉に詰まる。

 国王は肩口から垂らしていた珊瑚礁のような鮮やかな赤い布を抜き取り、コーラルの肩からかけて緩く結ぶ。

「なあ、その聖石が映えるドレスを山ほど作ってやる。だからコーラル、俺の勝利の巫女になれ」

 国王はコーラルの怒りに気づかず、気さくに手を出す。真っ白だけど、よく見たらふしくれだった男の手だ。

「俺のことはウィスタリアと呼んでくれ」

 握手を求められているのだろうけど、さすがに反抗心が芽生える。

「いやいや、不敬罪になるんで、勘弁してください」

 ウィスタリアは鼻から息を漏らす。

「ウィス、着いたよ」

 外から呼び掛ける声。薄布をかきわけて、先ほど店を訪れた男が首を突っ込んで来る。どうやら輿はいつの間にか地に置かれていたらしい。揺れないし、すごいスキルだな..。

「おう」

「ちょ、ちょっ」

 コーラルは慌てて立ち上がろうとするウィスタリアの袖を掴む。ここまで流されてついてきてしまったがこんなの相手が国王じゃなければひとさらいだ。相手が国王でもひとさらいじゃない保証はない。

「私をどこへ連れて行くの?貴方は私に何をさせる気なの?」

「説明する。まあ、茶でも飲もうぜ」

 袖を掴んでいた手を柔らかに握ると、ウィスタリアは今度こそ輿を降りた。


 外に出ると、そこは天幕の中だった。回りが見えないからどこかは分からなかったが、移動時間から予想するに、町からはさほど離れていないようだった。

 折り畳みの椅子とテーブルがあり、その側で髪を結い上げた女性が先ほどの眼鏡の男にお茶を淹れていた。

「おかえりなさいませ、陛下、コーラル様。陛下、お召し替えをあちらに用意してあります」

「ん、分かった。コーラルにお茶を」

 眼鏡の男はさっと立ち上がってコーラルの手を引き、椅子に座らせた。それと同時に置かれたカップに紅茶が注がれ、砂糖菓子が添えられる。紅茶の香りが鼻孔をくすぐる。ウィスタリアは天幕の向こうへ姿を消した。

 眼鏡の男が膝をつく。

「ご挨拶が遅れたことをお詫びいたします。私はシエナ・コロトコフ、陛下の主席秘書を務めております。そして、」

 すっと立ち上がり、何故か右の靴を脱ぐ。

「失礼」

 靴下も取り去ると、その足の甲に、褐色の宝石が輝いていた。

「私もこの身に宝玉をいただいています」

「足の..甲..」

 シエナはいそいそと靴下をはきながらへにゃりと笑った。

「格好つかないですよね。靴も左右で随分違ってしまうし、苦労も多いんですよ」

 シエナが向かいに座ると、メイド然とした女性が給仕する。

「彼女はミスティローズ、今は陛下のお世話をお願いしていますが、陛下のお許しをいただければ、明日からあなたのお世話をしてもらう予定です」

「どうぞミスティとお呼びくださいませ」

 シエナは紅茶に口をつける。コーラルも思い出したように、紅茶を飲んだ。苦味はないのに、香りが驚くほど強い。

「お察しのことと思いますが、その鎖骨の下の石はこの国の建国の祖たる七賢人がその身に宿した宝玉と呼ばれるものです」

「はあ、」

 飴色の髪を撫で付け、神経質そうな額を露にしているが、目尻が下がった黒い瞳が印象を和らげている。自分の親よりは若そうな気がするが、イマイチ年齢はつかめない人だ、とコーラルは感じた。

 シエナは少しだけ息を深く吸って、少しだけ大きな声で言う。

「あなたには賢者の再来として、陛下を支え、民を鼓舞し、国の象徴となっていただきたい」

 コーラルの中で言葉が上滑りしまくる。さっきからそうだ。勝利の巫女とか、国の象徴とか、掴みにくい言葉ばかりだ。

「私はそんないいお育ちはしていないので、詩的な表現をされても困ります。私は明日からどこで何をするんですか?明日から、パン屋のレジはどうしたらいいっていうの?ヨボヨボのうちの父さん母さんはこれ以上働けないわよ?っていうか、私の明日からの衣食住とか給料とかどうなってんのよー!」

 段々ボルテージが上がってきて、しまいには立ち上がって激高してしまった。どこかで鳥が飛び立つ音がした。ミスティローズが水差しからゴブレットに水を入れて差し出してくれたので、それを一息に飲み干すと、何だか爽快だった。

 面食らっていたシエナはにっこりと笑った。いつの間にか、抱えるほどの紙束を持って。

「そうおっしゃると思って、業務内容、給与条件、福利厚生、保障内容などを書面にしておきました。一読の上、契約書にサインをお願いします」

 さっと音もなく目の前に置かれた書類の一番上には雇用主としてウィスタリアのサインが既に入っていた。

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