第2話 白百合の正体
「おかしいな…住所はここであってるはずなのに」
茶封筒に書いてあった住所をたどってやってきた場所は、薄汚い路地にある古いアパートだった。
「女の人が住むような場所じゃないような…」
白百合の君のような人が住んでいるようには思えないほど汚いアパートだ。
もう一度確認する。間違いない。
意を決してチャイムを押した。返事はない。
誰もいないのかと拍子抜けした瞬間、扉の向こうから足音が聞こえた。
この扉の向こうに白百合の君が…
「…はい」
気だるそうな返事で扉からのそっと顔を出したのは、ぼさぼさ頭で無精髭を生やした男性だった。
びっくりした、白百合の君がいきなり出てくるかと思ったら…お兄さんかな?
「突然すみません、こちらに白川静さんいらっしゃいますか?」
背が高いから、ちょっと圧倒されるが、落ち着いて尋ねてみる。
「白川静は俺ですが」
不思議そうな顔をして男性は確かにそう答えた。
自分が白百合の君であると。
失礼だが、勝手にショックを受けた。
麗しの女流作家を想像してた自分が恥ずかしい。
読書好きが高じて妄想が過ぎてしまった。
運命の出会いなんて無かった。
また退屈な日々へと逆戻りだ。
「今日、図書館にこの茶封筒を置き忘れませんでしたか?大切なものだといけないので、お届けにきました」
理想の白百合の君とはかけ離れてたけど、この男性が書いたと思われる作品は面白かったことは確かだ。
作家にとって大切な原稿はきちんと渡して帰りたい。
「…あぁ、これ、いらないやつだ」
男性がじっと封筒を見て、つぶやくのを聞き逃さなかった。
「せっかく持ってきてもらったのにすみません。これもう捨てようと思ってたんで、処分してもらっていいですか」
彼の眼鏡の奥の瞳が一瞬ゆらいだような気がしたが、ミキが何も言えないまま、鉄製の扉はがちゃんと閉められた。
しばらくミキは呆然と扉の前に立ち尽くしていた。
はっとして手元の封筒を見る。
そんな、これどうすればいいのよ…
受け取ってすらもらえないなんて思いもしなかった。
いらないってどういうこと?こんなにいい作品なのに…
封筒に住所まで書いてあるということは、どこかの出版社に投稿しようとしてたのではないか。
釈然としないまま、今日のところは原稿を家に持って帰ることにした。
「ただいま」
返事がない部屋に明かりをつける。
ふー、と息を吐き封筒を机の上に置いた。
お風呂と簡単な食事を済ませ、ミキは原稿に向き合った。
もう一度最初から読んでみる。
書き手の思いがこもった文章は、読み手に伝わるものだとミキは思う。
彼にとっていらない作品ではないはずだ、と確信した。
静さんは、何か特別な理由があってこの作品を手放そうとしている。
気になる。
二人はオーロラを見に行けたのか、静さんはなぜこの作品を捨てたいのか…
封筒を見た時の静さんの切なく揺れた瞳が、ミキの心をざわつかせた。
やはり、これは静さんの大切なものだ。
明日もう一度返しにいこう。
そこできっぱり断られたら、諦めよう。
こんなに誰かのことを気にしたのは久しぶりかもしれない。
これも白百合の君の作品に惹かれたせいか、静さんの切なげな瞳のせいか。
どきどきと高鳴る胸をホットミルクで落ち着かせ、眠りについた。
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