籠の鳥と眠りの王子

第1話

 愛しい人は、身体が弱かった。 誰よりも脆い身体が壊れていくのを見ていられなくて……。

だから、願ってしまったんだ。


——生きて




 シギとカイムが森を抜けると、青い空がどこまでも広がり、陽の光を浴びて豊かに育った草花が辺り一面に咲いていた。

 シギの目には、その風景が新鮮で美しく見え、灰色の瞳がキラリと輝いた。

 シギは、衝動のままに草花の上を駆け回る。その年相応な姿に、カイムは暖かな視線を向けた。

 しばらく、駆け回ったシギはとある花の前でぴたりと止まった。どうやら空を向き、高く伸び上がる黄色の花に興味をもったようだ。


「それは、確かヒマワリという花ですよ」


 カイムは、花を見上げるシギに話しかけようと花の上にとまる。しかし、ヒマワリが重さに耐えきれなかったのか、グニャリと茎が曲がりはじめたので、すぐにシギの頭の上へと避難した。


「この花の種を食べる種族もいるみたいですよ。私も食べたことがありますが、いやはや味気がないのに何故か癖になる味でして一時期ハマっていたことが……」

「誰かいるの?」


 突然、目の前のヒマワリから女性の顔が現れ、驚いたカイムが頭の上から飛び立つ。

 女性とシギは飛んで行った彼を眺めては、お互い顔を見合わせては、苦笑いをした。


「驚かせてしまったみたいで、ごめんなさい」


 女性は、シギの目線に合わせてしゃがみこむと、シギの小さな手を優しく包みこむように握りしめる。

 彼女にならってシギも、もう片方の手で彼女の手の上にのせる。


(なんだか、胸があたたかい)


 彼女の手とシギの手が、ちょうどシギの胸のあたりに触れているからだろうか。心地よい暖かさに、シギは自分の心が安らかになるのを感じた。

 気にしないで、と言うように首を横に振る。それだけでは、うまく伝わらなかったのだろうか。女性は一瞬だけ首を傾げてみせたが、何も聞き返してはこなかった。

 シギが喋られないせいか、気まずい空気が流れる。カイムはどこまでいってしまったのだろうかと辺りを見回す。

 ふと、女性が黒い皮手袋をしていることに気が付いた。

 水色の涼しげなワンピースを着ているのに手袋をしている姿は、すこし異様だった。


「あるじー」


 空から黒いモノが飛んでくるのが見えて、やっと帰ってきたかとシギは胸をなでおろす。

 カイムは、女性の周りを値踏みをするようにグルリと一周するとシギの頭の上にとまった。


「離れてしまってすみません、主。して、女。何の用だ」


 カイムの声が柔らかな声音から、刃物のように鋭く低い声へと変わる。ブワリと体を膨らませ、くちばし大きく開き女性に向かって威嚇をしていた。

 鳥が喋ったことに驚いたのか女性は、固まったように動かなくなる。動かない彼女を不審に思ったのか、カイムはさらに警戒を強めた。


「どうした、女。なんでしゃべらない」


 なおも威嚇をするカイムを止めようと、シギはカイムを頭から叩き落とした。グエッとカエルをつぶしたような変な声が聞こえたが気にせず、女性に頭を下げる。


「ごめんなさい」


 スルリと口から謝罪の言葉が出てきたことに驚いてシギは、目を丸くさせる。

 地面とキスをしていたカイムも勢いよく顔を上げキラキラと目を輝かせてシギを見ている。

 今にも飛びつき騒ごうとしているキラキラな瞳と目があったシギは、シーっと指を口にもっていった。

 黙っていろというご主人さまからの命令にカイムの喉がグッとうなり、カラダを小刻みに震わせている。どうやら、衝動を抑えてくれているようで、シギはホッと息をついた。


「大丈夫よ、謝らないで……ちょっと驚いただけだから」


 シギの頭を撫でようと女性は、手を伸ばす。その手が一瞬だけピクリとふるえ、止まったようにみえたが、優しく撫でてくれるその手は暖かく心地よかった。


「主に触るな!」


 カイムに怒鳴られ、触れていた手が離れていくのを目で追いながらシギは、小さくため息をはいた。そのため息には、呆れに似たようなものが入り混じっている。

 そんなご主人さまの内情などしらずカイムは、シギの肩にとまるとキラキラした瞳でシギを見つめだした。


「しかし、あるじ。いつのまに新たな鍵を解いてしまわれたのか。さすが、としか言いようがありません」


 なにがきっかけで、言葉の鍵をみつけたのかシギ自身も理解していないため「さすが」と褒められても困ってしまう。怪訝そうに眉を寄せるご主人さまに、カイムは首を傾げてみせた。

 ご主人さまの納得がいっていないような表情の理由がわかっていないのだろう。


「君、お母さんとは一緒じゃないの?」


 迷子? と聞いてくる女性と目が合い、シギの頭に彼女の言葉が浮かび上がる。


——驚かせてしまったみたいで、ごめんなさい。


 新しい記憶の中でごめんなさい、と口にしたのは彼女だった。それならば、彼女がこの鍵を開いてくれた可能性が高い。

 しかし、なぜ鍵が現れてもいないのに喋られたのか。その謎だけが、どうしても解けず首をかしげることしかできない。

 そんなことを延々と考えていると再びカイムのくちばしが大きく開いたのが目に入った。

 また威嚇の姿勢をとり始めたことに、もはやため息すら出なくなっていた。

 言葉の鍵の問題よりも、この鳥の沸点の低さをどうにかすることを先に考えた方がいいのではと、シギは黒い鳥が次にどんな行動をとるのか、ジト目で様子をみまもる。


「迷子な訳があるか! 私と主は二人で旅をしているんだ。そう、二人でな!」


 二人の部分をやけに強調するカイムに、彼女はきょとんとしている。

 ほんの数秒、彼女が動かなくなったかと思うと急に、何かを思いついたかのように彼女は自分の手と手をぽんっと合わせた。


「そうだわ、こんなところで会ったのも何かの縁。もし、泊まるとこが決まっていないのなら、私の家にこない? 旅をしているというのなら夜をしのぐところも必要でしょう?」


 ありがたい申し出だったが、彼女の何が気に食わないのかカイムは彼女を睨み、今にでも拒否の言葉が口からあふれそうだった。

 その雰囲気を察したシギは、断らせまいと慌ててカイムのくちばしを掴み、一緒に彼女へ向かって頭を下げた。

 動作だけでは、やはり伝わりづらいのだろうか。彼女はシギたちの行動の意味がわからず戸惑っている。

 見かねたカイムが、シギの手からくちばしを抜きとり、チッと舌打ちをしてみせる。


「……泊まらせてください、お願いします。そう、あるじが言っている」


 不服そうに顔を背けながらも伝えてくれたカイムの頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。


「そうだったの、察しが悪くてごめんなさい」


 申し訳なさそうに謝る彼女に、シギは首を振る。こんなやり取りをつい先ほどしたことを思い出したシギは、少しだけ口元をゆるめた。


「私は、セシリア。この花畑を少し進んだ先、町外れの小さな家に住んでいるわ。よろしくね」

「私は、カイム。この美しき主は、シギだ」


 よろしくとは言わないカイムは、セシリアから差し出された握手を黒い翼ではねのける。その態度に、シギは謝罪の意味もこめて頭を下げた。

 主様も大変ねと呟き、苦笑いをしたセシリアは、いきなり「あっ」と声をあげた。


「ヒマワリを摘みに来たんだったわ。いくつか摘んでから家に案内するわね」


 シギがコクリと頷くと彼女は、ヒマワリを照らす太陽のように眩しい笑顔でありがとうと言い、楽しそうにヒマワリを摘み始めた。

 その間、何やらカイムがブツブツ文句を言っていたので肩から黒い鳥を払い落した。




 セシリアの家に着く頃には、もうすでに日は傾き、空には一番星が輝いていた。

 歩き疲れていたシギは、彼女に寝具を用意されてすぐに眠りについてしまった。

 どれくらい寝てしまっていたのか、シギが目を覚ますと、窓から空が白みはじめているのがみえた。大きく背伸びをして、寝具から起き上がる。

 セシリアは、この大きな家で一人で暮らしているらしいと道中聞かされていた。大きな家といってもクロユリの家の少し広いくらいを想像していたシギ達は、目の前にあらわれたのは、貴族と呼ばれるものが住んでいるような、そんなお屋敷だった。


 庭には、百日草やガザニア、マリーゴールド等の花が植えられていて華やかで、家の中にも各部屋に一つずつ、観葉植物が置かれている。

 あんなにも警戒していたカイムは、このお屋敷へと来る最中に、セシリアと意気投合したらしく、いつのまにか仲良くなっていた。

 シギが喋られないことまであっさり話していたので、主至上主義なところがある彼にしては非常に珍しかった。


 部屋を出てゆっくりと階段を降りたシギは、空腹をうったえるお腹をおさえて、リビングに顔を出す。

 すると、そこには両手を顔の前で組んでなにやら考え込んでいるセシリアがいた。

 何か思いつめたようなその顔に、心配になったシギは、彼女の近くに座る。

 突然、彼女は黒い革手袋を外しはじめた。


「出会って間もない子にこんなこと頼むのはおかしいのかもしれない、でもシギはあの森から来たのでしょう?」


 そう言った彼女の手袋がはずされた両手には、黒い痣のようなものが手首へと拡がっていた。


「時間がもうないの……私と彼を助けて」


——巻き込んで、ごめんなさい。


シギには、彼女がそう言っているようにきこえた。

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