第2話


「一晩泊めたくらいで、何を言う」


 淡々とした、冷たい声がシギの背後から聞こえた。

 いつのまに起きていたのか、声のした方へ振り向くと、カイムが部屋の前に立っていた。

 いつもの彼なら、うるさいくらい騒いでいるはずだが今の彼は、ただ静かにセシリアの両手を見つめていた。


「お前にかけられているのは、呪いだろう」


 セシリアの肩が、呪いという言葉にビクリ、と揺れた。その顔は、ひどく青ざめている。

 黒い翼を広げたカイムは、まるでセシリアからシギを守るかのように彼らの間へと降り立った。


「しかも、少々……いや、かなり厄介な呪いだろう。それを泊めたぐらいで、助けを求めようなど——……ぐっ」


 突然、話の途中でカイムは、呻き声をかすかにあげながら床へと落ちていった。

 あまりの一瞬の出来事に、シギはただ床に倒れる黒い鳥を見つめることしかできない。

 触れただけだ。セシリアが、カイムの首めがけて黒い痣の手を伸ばし、ほんの少し体に触れただけだ。

 それだけだったにも関わらず、カイムの体は人形のように動かなくなった。

 ハッと我にかえったシギが、小さな体を抱き上げ、彼の体に触れる。

 その体は、まるで吸い取られたかのように冷たくなっていた。


「——……っ」


 シギはセシリアを振り返り、睨みつける。恨み言の一つでも彼女に伝えられたらよかったのだが、言葉が出てこなかった。

 意味もなく口を開けて、彼女への視線を強めた。

 セシリアは、黒い手で自分の顔を覆うと震えた声で「ごめんなさい」と呟いた。


「私、化け物なの。この手が触れるたび、動物も植物も動かなくなる。そのたびに、弱かった私の身体がよくなっていくのよ」


 セシリアの頬から透明な水が、とめどなくあふれる。

 彼女の姿を、冷めきった瞳でシギは見ていた。彼女の涙をみたからといって、ふつふつと湧きあがる感情がおさまることは、なかった。

 涙を流し続ける彼女を見つめながら、シギはゆっくりと立ち上がる。一歩、セシリアに近づいた。

 その時——……。


「精気の吸血か。まるで、サキュバスだな」


 聞こえるはずのない声が、聞こえてきて、二人は息をのんだ。

 死んだと思った、いや死ぬはずだったカイムが、何事もなかったかのように、シギの腕の中で目を開き、セシリアを見つめていた。


「どうして」


 お化けでも見てしまったかのような怯えた表情で、セシリアはポツリと呟いた。

 そんな彼女の反応にカイムは、ハッと鼻で笑う。黒い翼をひろげるとセシリアの黒い手にとまり、見せつけるかのようにその場に座った。


「呪い程度で、私は死なないな」


 勝ち誇ったように、ニヤリと笑うと再び飛び立ち、今度はシギの肩へと移動する。

 セシリアは、あまりのことにイスから滑り落ち、床へと膝をつく。しばらく自分の両手をながめてから、祈るようにその手をぎゅっと握り締めた。

 そして、ホッと息をはいてから小さな声で言ったのだ。


「よかった」

「そうやって、殺したことを後悔するなら最初からやらなければいいのにな」


 お前はバカか、と呆れたようにため息をはいた。

 彼らのやり取りをじっと見ていたシギは、カイムがため息をはいた瞬間、彼の黄色いくちばしをふさいだ。

 ふさがれたくちばしを、懸命に引き抜こうと器用に足を使ってカイムはもがくが、意外にもシギの力は強く、カイムは苦戦を強いられた。

 やっとのことで、引き抜いたカイムは、違和感でもあるのだろうか翼で器用にさすっている。

 シギは、頬を思いっきり膨らませるとそっぽを向いた。


「あるじ、心配かけるなと怒っていらっしゃるのですね」


 瞳を輝かせてシギをみつめるカイムに、シギは指をそえると、彼の額と思われる位置を指で弾いた。


「いたい、いたいです、あるじ」


 痛いと弾かれた部分を翼で抑えながらも、その瞳は嬉しそうに細められている。その顔めがけ再び指を弾くとそっぽを向いた。


「あるじ? 聞いていますか?」


 何も反応を返してくれない主にカイムは、甘えるような声であるじ、あるじと呼んでいるが、シギは完全にその声を無視していた。


「それにしても、カイムくん。あなたは、いったい何者なの」


 二人のやり取りを、呆然とながめていたセシリアの声に、カイムはキラリと瞳を光らせてはクチバシをニヤリと笑うかのように、開かせる。


「さぁて、何者だろうかぎゃっ!?」


 今までカイムの声を無視していたシギが、カイムを肩から振り落とした。

 不意打ちの攻撃にあったカイムは、真っ逆さまに落ちていく。


「うぐぐ、あるじ。いま振り落とすのはあんまりです……」


 起き上がったカイムは、わざわざ床へ座りなおすと目もとの涙を拭うように翼をあてがう。さながら、その姿はスポットライトを浴び嘆く、悲劇のヒロインのようだ。

 しかし、彼の目には涙など浮かんでいない。彼は、拭ったふりをすると何事もなかったかのようにシギの肩の上へと移動した。


「まぁ、それは置いといて……。セシリア、その呪いについて詳しく話してくれないか」


 何かを横にどける仕草をして、話題を切り替えた。

 しかし、カイムのペースに上手くのれないセシリアは、手を右往左往して戸惑っているようだ。


「え、助けてくれないって」

「報酬によっては、力を貸す。それに、その手で主に触るぞなんて脅されでもしたら、たまらん」

「あっ、その手があったわね」


 カイムから良きアイディアをもらい、黒に染まった両手をポンッと重ねあわせた。

 沈黙がしばし流れる。

 セシリアとジギの二人の視線が、そそがれカイムの身体からは、ひやりと汗が流れた。

 その表情から、彼が何を思っているのか容易に想像できてしまう。


「そ、それに! 私のあるじは、心優しい方だ。たとえ、一晩であってもお世話になったからと、セシリアの願いをきいただろう。私は、多額の報酬を受け取るけどな!」


 カイムのその言葉に、シギは内心否定していた。ほんの少し前であったなら、シギも快く引き受けていただろう。実際、彼女に助けを求められた時、そういう気持ちがあったのも確かだった。

 ふと、期待に満ちた瞳でこちらを見つめるカイムと目が合う。糸の切れた操り人形のように床へと落ちていく姿が、シギの頭によぎる。


「あるじ、どうなされますか?」


 不思議そうに首を傾げる。その姿は、先ほどまで倒れていたとは思えないほどで、彼女を赦すべきなのか、シギの瞳は迷いに揺れた。

 様子のおかしいシギに、カイムは不安げな表情を濃くしていく。


——私のあるじは、心優し方だ。


 カイムの言葉が頭をよぎる。その瞬間、シギの揺らいでいた心は、ぴたりと止まった。

 彼の頭を優しく撫でたシギは、小さく息をはく。数秒の沈黙のあと、シギはゆっくりと頷いた。


「たすけて、くれるの?」


 確かめるように問いかけるセシリアに、シギはもう一度、今度は大きく頷く。


「ありがとう」


 セシリアは、心底安心したというように笑った。


「さて、さっそくだが、聞かせてくれないか」


 いつのまにか、カイムは机の上に移動していた。

 カイムの真剣な表情につられ、セシリアは居住まいを正すと、ゆっくり語り始めた。


「私には、ウィリアムっていう幼馴染がいるのだけれど——……」


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