第2話

「おはようございます、主」


 シギの灰色の瞳が開くと、彼の目の前に黒い物体が飛び込んできた。突然のことに驚いたシギは、思わず跳ね除けてしまった。

 痛いという声が聞こえ、ハッと目が覚める。跳ね除けた物体は、喋る黒い鳥ことカイムで、慌てて彼の体を拾い上げる。


「うんうん、どうやらいつもの主のようで、安心しました」


 カイムの瞳が少し潤んでいて、痛かったであろう体を撫でてやる。いつも通りということは、前からカイムに対してこのようなことをしていたのだろうか、とシギは何だか申し訳ない気持ちになった。


「……おはよう」


 シギが唯一話せる言葉を口にすれば、嬉しそうにシギの肩を目がけて飛んでくる。黄色いくちばしを撫でてやれば楽しいのか、嬉しいのか黒い瞳を細めた。


「おはようございます、あるじ。よく眠れましたか?」


 カイムは、自分の問いに頷いたシギを見ると、嬉しそうに目を細めた。上機嫌なカイムを肩にのせたままドアを開けると、シギの師匠ことクロユリが書物をひろげながら、何かを作っていた。


「おはようございます」

「おはよう」


 クロユリの手元を見ながらソファに座る。

 彼女が名前の鍵を解いてくれた日から三日が経った。

 あのあと、目を覚ますといつの間にか「おはよう」という言葉の鍵が開いていて、目の前にいたカイムには、申し訳なさそうに謝られた。

 少しばかり記憶と言葉を思い出せたシギだが、まだまだわからないことだらけだった。

 特に、西の魔女がどんな人物で、何故シギの記憶を封じたのかが、全く思い出せない。

 それと、クロユリと過ごしたことは思い出せたのに、カイムとのことが思い出せなかったのが不思議でならなかった。


 クロユリが作業をやめるとシギと向い合せになるようにソファに座るのに気付き、シギは彼女をみる。


「さて、シギ。これからどうしたい?」


 クロユリの問いに、首をかしげる。どうしたいと言われても、どうすればいいのかシギには検討もつかない。


「シギは今、全然喋れないだろう?それは西の魔女が言葉を封じたせいだと言ったね?」


 コクリと首を縦に振る。


「言葉を解くには、シギに向けられた言葉であること。言葉に強い気持ちが入ってることが必要でね。さらに、言葉は一人一回しか解くことはできない」

「クロユリは、この魔法を解くことはできねぇーの?」


 いつの間に肩から移動したのか、ここが私の定位置と当然のようにカイムは、シギの頭の上にいる。毛づくろいなどをして、くつろいでいるのだから驚きだ。


「解けるなら解きたいわよ。ただ、アイツの魔法はややこしい律を組むから、どんな魔法なのか調べて簡単な対処法はなんなのか、それを解析するので精一杯だわ」

「お前にそんなこと言わせるとは、そうとうだな」

「そうなのよ! ムカつくのよアイツは……あっ、かけた本人がいなくなれば強制的に解けるわね。鳥頭、ちょっとヤッてきなさいよ」

「そういうのは、魔女同士でお願いします」

「残念ながら魔女同士で争ってはいけないキマリがあるのよ」

「ほー」


 弟子の前で愚痴をこぼしてしまったのが、恥ずかしくなったのかクロユリは、ゴホンと一つ、咳払いをした。


「話が逸れたわ、シギ」


 突然名前を呼ばれ、シギの体がビクリと震える。彼女を見るとニコリと微笑まれる。


「言葉を解いてもらいに、ちょっと旅をしてきなさい」

「!?」

「は?」


 まるで、子供におつかいを行かせる母親のように、優しげな顔でそう言われてしまい。シギもカイムも驚きの声をあげる。

 シギにいたっては内心不安でいっぱいになっているであろう。


「たくさんの人に出会い、別れ、外の世界を学びながらその方々に言葉を解いてもらうのよ」


 いや、いやと首を振りながら、カイムがシギの頭の上からテーブルに移動する。シギの瞳は動揺に揺れていた。


「まだ主は幼いのだぞ。それなのに旅に出ろとか、お前は鬼か!!」

「もちろん、私が出来る限りのサポートはさせてもらうわ。一緒には行けないけれど……」


 そう言って彼女はテーブルの上にお金と鍵。それと色とりどりの宝石が埋め込まれたアクセサリーを置いた。


「旅路に困らない程度のお金と、この鍵は私の家に帰ってくるための鍵よ。何かあったらこの鍵をどこかの扉の鍵穴にさしなさい。そしたら、ここに繋がるわ」


 白と黒の宝石が埋め込まれた鍵を細長いチェーンへと繋がるとそのまま、カイムの首へとかけた。

 次に、クロユリが指したのは色とりどりの宝石のついたアクセサリーだった。目視で数えるあたり、十個ほどテーブルに散らばっている。


「この宝石は、とある国から購入してきた魔力の宿っている魔宝石よ。これをつけてイメージすれば魔法が使えるように加工してあるわ」


 やって見せるわねとクロユリは、赤と青の指輪をとってみせると、まず赤い指輪を右手の人差し指にはめる。


「あつ!? あつい、あついんだよ!」


 カイムの尻尾から突然炎が燃え上がる。かなり熱いのか、テーブルの上で炎を消そうと必死に尻尾を追いかけ回る。

 次に青い宝石の指輪をはめると、カイムの頭上から大量の水が、バケツをひっくり返したかのように降ってきた。炎は消えたが彼は、ずぶ濡れになってしまい、その姿はあまりにも滑稽だ。


「まぁ、こんな感じね。壊れて一つも無くなったら必ず帰ってきなさい。ストックを作っておくわ」


 頷いて頭を下げれば、クロユリの手がシギの頭を撫でる。カイムが何やら騒いでいるが彼女たちは、それを聞いてはいない。


「さて、シギ。改めて聞くわ。言葉を探しに旅に出る?」


 答えは、もう決まっていた。

 シギは、ゆっくりと縦に首を振った。隣でカイムが考え直してください、と言っているが、西の魔女に会ってこんな風にした理由も直接聞きたいし、何より……外の世界が知りたかった。


「じゃあ、善は急げだ。明日には出発できるように一度家に戻って旅の支度をしてきなさい」


 クロユリがパンッと手を叩くと一瞬のうちに、シギが最初にいた場所——シギの家——に着いていた。

 外を見ると、日が空高く昇っていた。朝ごはんも食べていなかったシギのお腹は、かなり空腹を訴えている。


「まずは、ごはんを食べようか。ちょっと、準備してくるわね」


 クロユリが部屋から出ていくのを見送るとカイムが肩にのってきた。まるで内緒話をするようにくちばしを耳元に近づける。


「本当に、いいのですか」


 彼の瞳をジッと見つめ頷くと、なら仕方ないかと諦めたように呟き、部屋を出ていってしまった。

 シギもそれに習って部屋を出ると奥の部屋から、食欲を誘う香りがしてきて足を少しだけ早めた。



 言葉を封じられて四日目の朝を向かえた。昨日つめた荷物は、肩からさげるタイプのカバンに必要最低限の物だけ入れ、歩きやすいようにしている。その荷物を持って家の外へと出た。

 再度、忘れ物はないかとカバンの中を確認する。師匠からもらったものは、全て入っているのを見ると落とさないように、カバンの口をしっかり閉めた。


「シギ」


 いつのまにか、クロユリが目の前に立っていた。彼女は、シギに近づくと彼の額に軽く口づけをする。


「無事に帰って来られるように、おまじないよ。いつでも帰ってきていいからね。あなたの家は、いつまでもココにあるわ」


 ありがとう、そんなお礼の意味をこめて頭を下げるとギュッと抱きしめられた。彼女の肩が震えていて。泣いているのでは、とシギは心配そうに見つめる。


「あるじ~、お待たせしました……ってクロユリ、来ていたのか」

「弟子が旅立つのだもの、当たり前じゃない」


 クロユリは、ふて腐れたように顔を背けた。

 先ほどの雰囲気が一転し、和やかなものになる。クロユリは、黒い鳥に少しだけ心の中で感謝した。あのままでは、涙のひとつをこぼしてしまっていたかもしれない。

 改めて、シギへと向き直る。


「シギ、まずは南の魔女に会いに行きなさい。勤勉な彼女なら何か、わかるかもしれないわ」


 わかりました、と師匠の言葉に頷く。彼女の目に涙が浮かんでいないのを見て、ホッと息をはいた。

 最後に、クロユリと再び抱きしめあったシギは、旅への一歩を踏み出した。


「いってらっしゃーい」


 クロユリが大きく手を振って見送ってくれる。だんだんと、家が小さくなるのをどこかさみしい気持ちで眺めながら前を歩いた。


「いってくるー」


 カイムが、喋れないシギの代わりに元気よく返してくれるので、シギも負けじと手を大きく振り返した。



——こうして、一人の少年と一匹の鳥の言葉探しの旅が始まった。

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