コトノハに鍵
六連 みどり
プロローグ
第1話
本に囲まれた一室。唯一の明かりであるランプは消え、窓から差し込む太陽の光だけが部屋の中を照らしていた。
その部屋の中で一人の少年が、陽の光を浴びながら眠りについていた。アイリス色の少し癖のかかった髪、白い雪のような肌。
カールのかかった長い睫毛が、ピクリと震えれば、灰色の大きな瞳が開いた。
「おはよう、私の愛しい主」
少年の傍に降りてきたのは、黒い一羽の小さな鳥。黄色いくちばしを、忙しなく動かし喋る様を、少年は、もの珍しそうにジッと見つめる。
「愛しい主、ここがどこだかわかりますか?」
鳥の問いかけに首を傾げると少年は、部屋を見渡す。書庫のようにたくさんの本が並ぶそこを、少年には見覚えがなかった。
「…………っ」
少年は「わからない」そう伝えようとして、口を動かしたが声が出せなかった。喉を抑えながら何回も、何回も伝えようと口を開閉させる。
「落ち着いて、主」
鳥は少年の肩にとまると、片翼をひろげ安心させるように、少年の頬に触れた。
「何故、主が喋られないのか。今からこの私、カイムが説明しますから……」
カイムの言葉に口を動かすのをやめると、少年は戸惑いつつも頷いた。
「主は、西の魔女によって言葉を奪われたのです」
「……?」
「いや、だからその…………」
きちんと伝わっていないことがわかると、カイムは両翼をバタつかせながら言葉を探す。
カイムからの説明が終わるのをジッと待っていた少年は、なかなか次の言葉を喋ろうとしないことが不思議で小さく首を傾げた。
「申し訳ありません。私では、上手く説明できないみたいで……もっと上手く説明できる者のところに行きましょう」
カイムは、黒い翼をひろげて飛び立つ。少年もカイムに習って立ち上がるとフラフラと鳥の後を着いていった。
「今から会うのは、主の師匠である魔女、クロユリです。主に何が起こったのか、私に教えてくれたのは彼女なのです」
本に囲まれた部屋を出て玄関のドアを開くとそこは、木々に囲まれた森の中だった。ここはまだ明るい方だが、カイムが進む先は、だんだんと暗くなっている。
どれくらい歩いただろうか、夜のように暗い森の奥、少し開けた場所に一軒の家があった。
「さあ、着きましたよ。ここがっぶ!?」
ドアの前で旋回しながら、目的の場所に着いたことを知らせるカイムは、突然開いたドアによって叩き落とされた。
「よく来たね、待っていたよ」
ドアを開けた当人は、何かにぶつかったことなど気にすることなく、少年を抱きしめた。
長く腰まで伸びた黒髪、身長は高く抱きしめられると少年の頭が、彼女のお腹あたりにきている。黒いドレスを纏った彼女こそが、この家の主人である魔女、クロユリだった。
「何しやがる、この年増!」
「あら、そんな地面に転がってどうしたの? 鳥の姿なのだから飛んだらどう?」
「お前が、叩き落としたんだ!」
「あらあら、それはごめんなさい?」
クス、クスと笑うクロユリに、カイムはくちばしを大きく開かせる。どうやら威嚇をしているらしい。
しかし、そんなカイムの威嚇を物ともせずクロユリは、笑い続けた。
「……って、こんなやりとりしてる場合じゃねぇんだよ。言葉を奪われたことを詳しく説明してくれ」
「それは、お前に教えたじゃないか」
「もう一度説明をもとめる」
「……つまりは、お前は私が教えたことを忘れたんだね。さすが、鳥頭といったところかい」
声高々にクロユリが笑うと、木に隠れていた鳥達が一斉に空へと飛び立った。それをみたカイムが、聞こえるか聞こえないかの小さな声で「うるさい」と呟いた。
「しかし、人に頼む態度じゃないね、主の師匠なのだから敬語を使うもんじゃないかい?」
「主以外に敬語を使うなど生理的に受け付けん。だが、説明はよろしく頼む」
どこか偉そうなカイムの態度にクロユリは、肩をすくめるとドアを開け、入れと促した。
綺麗に掃除してある部屋の所々に様々な植物が飾られ、棚には液体が入った瓶が置かれている。
ソファに座るよう促され少年が座るとカイムは、少年の頭の上にとまった。
「んで、どこまで説明したの?」
「西の魔女に言葉を奪われたとこまでだ」
「はぁ、全然説明できてないじゃない」
呆れたとため息を吐く。カイムは、少し気まずいのか翼を一度羽ばたかせた。
「そもそも、言葉は奪われたのではなく、封じられたの」
「……おう?」
「つまり、言葉一つ一つに鍵がかかっている状態ね。鍵を解いてあげれば、その言葉を喋れるようになるわ」
「ほうほう、で? なんで主は記憶が無いんだ?」
「それは、自分を指す言葉である名前に鍵が……って私、目覚めたとき最初に名前を呼んでくれって頼んだわよね?」
「んぁ? そうだっけか」
首を傾げたカイムを見て、クロユリは本日二度目のため息をはく。
「今からでもいいから、気持ちをこめて呼んでやりなさいよ」
「言われなくても、わかっている」
少年の頭の上から離れるとカイムはテーブルの上に降り、少年の目を見つめながら彼の名前を呼んだ。
「シギ、主の名前はシギですよ。さぁ、言ってみてください」
「……っ」
パクパクと少年、シギは口を動かすが音にはならなかった。眉間にしわを寄せながらも口を動かしては、閉じてを繰り返す。
「クロユリ、話と違うぞ」
カイムは飛び上がり、クロユリの顔の目の前でバサバサと翼を動かす。それをウザったそうに顔を歪めたクロユリは、カイムをわし掴んだ。
「まさか、私が間違っているとでもいうのかい?」
「じゃあ、なんで言えねぇんだ!」
抗議をするように、翼を羽ばたかせるカイムを手で制したクロユリは、シギに視線をうつし、その灰色の瞳をジッと見据えた。
「……シギ。あなたの名前は、シギよ」
クロユリがシギの名前を口にする。慈しむようなその声色に、シギの瞳は大きく開かれ、ゆっくりと口を動かした。
「……シ、ギ?」
シギが自分の名前を呟いた瞬間、彼の体が金色に光を放つと、糸が切れたようにソファに倒れてしまった。
「あるじ!?」
カイムが慌ててソファーへと近づく、おそるおそるシギの口元に顔を近づけると彼の息遣いが聞こえてきてホッと息をはいた。
ふと、カイムは視線をうつすと、シギのすぐ傍に金色の鍵が落ちているのを見つけた。
「これは……」
「それが、コトノハの鍵よ」
「……鍵?」
「見た方がはやいわ」
クロユリは、倒れたシギに近づくと躊躇なく彼の胸元をはだけさせた。あまりの突然の行動にカイムは、彼女をとめようと翼をのばそうとして視線をシギの胸元に向けた。
「なんだ、これ」
シギの胸元、ちょうど心臓のあたりに痣のような模様が浮かび上がっていた。その模様は、鍵穴のようにみえる。
「これが、西の魔女の呪い。こうやって言葉をロックしているのね……そこにこのコトノハによって出てきた鍵よ」
金色の鍵をくるりと回し、鍵穴に向かってさし込む。不思議なことに、鍵は波紋を描きながら胸の中へと飲み込まれていった。
「これで名前は、思い出したはずよ。ある程度の記憶は戻るんじゃないかしら」
「よかった、よかった……あるじ」
ポロポロと涙を流すカイムを再び掴みあげたクロユリは、ジッとカイムを見つめる。その目は氷のように冷たい。
「で? お前はこの子に与えた鍵はなに?」
「わからん。しかし、何故クロユリの時は名前を言えたんだ」
「それはね、言葉の鍵を開けられるのは、一人一回だけだからよ! このお馬鹿アホ鳥!!」
「なぬ!?」
窓から外に向かって投げられたカイムは、綺麗な放物線を描いて森の中へと消えた。カイムの驚いた声がクロユリの家まで聞こえてきた。
彼が何の言葉の鍵を開けたのか。それは、シギの灰色の瞳が開かれた時に、知ることとなる。
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