第三章 お兄さん大好き
第10話 幼女メイド
ブブブ――マナーモードにしたスマホのアラームで目を覚ますと、静かに布団から這い出て、無言でノビを一つ。
休日は麻理の方が早く起きるが、平日はもちろん俺の方が早い。なので、平日は麻理を起こさないように、静かに起きる事から俺の一日が始まる。
スヤスヤと眠る麻理の寝顔を微笑ましく見た後、そーっとリビングへ向かうと、香奈さんが出迎えてくれる。
「直樹君、おはよっ」
「香奈さん。お、おはよう」
「どうしたの? チラチラと私の顔を見て」
「えっ!? えっと、今日はいつもの香奈さんかなって」
「お、おほほほ。な、何の事かしら? あ、朝ご飯の準備が出来てるから食べてね」
良かった。一先ず今朝の香奈さんは、昨晩のように黒いオーラが溢れていなくて、いつも通りのようだ。
昨日の香奈さんは……いや、触れない方が良い事もあるのだろう。とりあえず朝食のトーストをかじっていると、のそのそと死んだ魚の目をした父さんが現れた。
「お、おはよう……」
「あら、あなた。おはよう。私は直樹君のお弁当作りで忙しいから、自分でパンを焼いてね」
「は、はいっ! 焼かせていただきます」
父さんの怯えっぷりが半端じゃないんだけど、一体昨晩に何があったんだろう。
怖いもの見たさとでも言うのか、ちょっと聞いてみたい気もする。けど、パンを焼くためにビクビクしながらキッチンへ向かう父さんを見ていると、流石に可哀そうなのでやめておこうと思ってしまった。
この調子で、今日の仕事は大丈夫なのか?
「って、もう七時だけど、そんなに悠長にしてていいの? いつも七時過ぎには家を出てるだろ?」
「ん? あぁ、今日はちょっと用事があって休みを取ってるんだ。そんな事より、直樹。最近、麻理の様子はどうだ?」
「どうだ……って、一体どうしたんだよ? いつも『麻理の事はパパが一番詳しいんだ』なんて、言ってるのに」
「いや、もちろん麻理の事は父さんが一番詳しいぞ。身長は九十二センチ、靴のサイズは十四センチで、将来の夢はフェミピュアになる事。だから、もちろんフェミピュアごっこが大好きだ。幼稚園バスを待つ間はレーナちゃんと。幼稚園に着いてからは同じクラスのサキちゃんと遊び、先生がフェミピュアの敵『マジョリン』の役で参加すると、麻理のテンションが上がりまくるな」
父さんが目を輝かせながら麻理の事を話すのだが、流石に詳し過ぎるだろ。
「どうして、父さんが麻理の幼稚園での出来事まで知ってんだよ!」
「ふっ。父親だからな。常に麻理の趣味嗜好を勉強しているんだ。フェミピュアの映画を一人で観に行って麻理の好みを研究したり、父兄参観日でもないのに幼稚園を見学しに行って、担任の先生から苦笑いされるなど造作もないっ」
「いや、どっちもダメだから! 三十過ぎたオッサンが一人で女児アニメの映画を観に行くなよ。それに迷惑だから、参観日でもないのに幼稚園に行くのもダメだし。担任の先生に謝ってきなよ」
まったく。高校で教師してるんだから、平日に突然父兄が見に来たら、どれだけ迷惑かわかるだろうに。
「――っ! まさか、今日の用事とやらも、麻理の様子を見に幼稚園へ行く事なのかっ!?」
「いやいや、今日は本当に用事があるんだ。幼稚園には行くけどな……って、そんな話じゃなくてだな。最近、麻理に変わったところは無いか?」
「幼稚園には行くのかよ。……まぁいつも通りだけど、強いて言うなら寝付きが悪くなったかな? 昨日も寝たと思ったら、突然起きだしてきたし」
「そうか。他には特に無いか?」
「いや、特段変わった事はないと思うけど。それがどうかしたの?」
「ん、変わった所がなければいいんだ。あ、トースト焼けたみたいだな」
そう言うと、父さんが焼き立てのトーストにバターを塗り、ムシャムシャとかじりだす。
結局父さんが何を言いたかったのかはわからないけど、時間が来たので学校へ行く事にした。
……
「ただいまー」
麻理と離れてしまう寂しさに耐えながら、今日も勉学に励んできた。
本当は学校を休んで一日中麻理の様子を見ていたい気持ちもあるけれど、将来麻理が大きくなった時に、「バカ兄貴」などとは呼ばれたくはない。尊敬出来る兄として、いつまでも可愛く「おにーちゃん」と呼ばれるために勉強を頑張っているので、結構成績は良かったりする。
「おにーちゃん。おかえりーっ!」
「麻理ぃーっ! ただいまぁぁぁっ!」
いつもの様に、麻理が玄関までテトテト走って来て、俺の足に抱きついてきた。ふわぁぁぁ、心身共に癒されるっ!
身体を屈めて、抱きつく麻理をぎゅーっと抱きしめていると、
「おかえりなさいですの。おにいさん、おかばんをあずかりますの」
突然、聞いた事の無い女の子の声が聞こえてきた。
誰だろうと思い、麻理の頭をよしよしと撫でながら顔を上げると、幼稚園児くらいの見知らぬ女の子が、微笑みながら俺に向かって小さな両手を差し出している。
この子は麻理のお友達だろうか? 肩まで届く栗色の柔らかそうな髪を真っ直ぐ降ろし、頭に白いカチューシャを着けたフリル付きのエプロン姿で……って、幼稚園の制服にしては、随分変わっているな。
「えーっと、こんにちわ。麻理のお友達かな?」
「しつれいしました。リサともうしますの。よろしくおねがいいたしますの」
「あ、うん。よろしく」
「では、おにいさん。おかばんをおもちいたしますの」
リサちゃんはそう言うと、俺が麻理を抱きしめるために脇へ置いていた通学鞄を手に取り、奥へと引き返そうとする。
「って、いやいやいや。鞄なんて自分で持つよ」
「いえ。よんさいですが、これでもメイドのはしくれ。はこばせてほしいですの」
「メイドって、そっか。その服はメイド服か。なるほどー……って、ならないよっ! リサちゃんは、どうしてメイド服なんて着ているの?」
随分とフリルの多い服だと思っていたけれど、あれはメイド服なのか。実際に見た事が無くて、すぐには分からなかったけど、言われてみればアニメや漫画なんかで見た事のあるデザインだ。
けど、メイドの端くれというのはどういう意味だろうか。四歳って言ってたけど、メイドさんに憧れているのかな?
「おにーちゃん。パパがリサちゃんにプレゼントしてたよー?」
「なるほど。麻理、教えてくれてありがとね」
麻理の頭を再び撫でると、スタスタと急いでリビングへ向かう。
「父さんっ! 何をしてるんだよっ! 麻理のお友達にメイド服を着せてっ!」
「おー、おかえり! もう互いの紹介は済んだか? そういう訳で、今日から莉紗ちゃんをうちで預かる事になったから」
「そういう訳でって、どういう訳だよ! 今日からリサちゃんを……預かるっ!?」
「あぁ、いろいろと訳ありでな。とにかく、莉紗ちゃんと一緒に住む事になったんだ。麻理より一つ上の年中さんで、幼稚園は同じ所へ通う事にした。もう手続きも済んでいる」
「えぇぇぇぇっ!?」
ど、どういう事っ!? どうして、突然女の子を預かるなんて話になったんだ!?
リビングでコーヒーを飲みながら、新聞を読む父さんの襟首を掴んで、ガックンガックンと問いただしたい衝動を押さえながら、改めてリサちゃん――莉紗ちゃんを見てみる。
「そういうわけで、おにいさん。これから、おせわさせていただきますの」
「よ、よろしく? なの、かな?」
莉紗ちゃんにメイド服のスカートをちょこんと摘まんだ可愛らしいお辞儀をされ、思わず頷いてしまったのだった。
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