第十話 一時の休息
ドレス姿から割烹着に着替えた王妃が、自ら大鍋に大木べらを刺してスープを煮込み、小麦の袋を一つ丸々と捏ねてパンを焼いた。大きめに切られた野菜と肉が煮込まれて、かぐわしい香りが厨房を中心に広がった。パンには野菜や香草のペーストが練りこまれ、色取り取りの品が並んだ。三時の小腹の足し用にと、刻まれたドライフルーツが入ったパウンドケーキまで作られた。
女たちは、皆笑顔でその腕を振るっていた。
大きな食堂に山盛りのパンの籠と、鍋のままのスープが運ばれて来ると、書庫や城中に配置されていた仲間たちが一斉に集まって来た。皆スープボウルを片手に、鍋の前に整列した。これが何かの罠なら一網打尽だろうが、何故かその列に王がちゃっかり混じっていて、疑う事すら阿呆らしくなってしまった。王冠もマントも何処かへと置いて来たのだろう。品の良いチュニックとテーパードズボンにブーツ姿は、一般市民と同じ様な服装だが、纏うオーラは違えようもない。
鍋のスープが無くなると次の鍋が運ばれて来て、大食漢の獣人も大満足の昼食になった。王も中々の食べっぷりで、すっかり仲間たちと同じテーブルで食事をしていた。やがて厨房からも女たちが戻り、食堂はごった返した。
「兄さん、食べないの?」
オレの横で食事をしていたモーリスが問いかけて来る。とても美味しいよ、と無邪気に微笑む。
「……見張りも皆飯を食っているのだ。結界の監視をしているから、オレは後でいい」
「分かったよ。パンは五つもあれば良い?みんな沢山食べてるから、確保しておくね」
優しい弟の言葉に有り難く乗り、スープとパンを確保して貰った。
全員が食事を終え、ついでに現在の進捗を確認した。見張りが各所に戻ったのを結界越しに確認してから、漸く息を吐いて食事を摂った。
緑のパンはバジルが香ばしく、黄色のパンはカボチャが練りこまれ僅かに甘く、橙のパンは人参が入っていた。どれも肉の味が存分に出たスープとの相性が抜群だった。大きめに切られた人参やじゃがいも、野菜類は芯まで煮込まれてほっこりと柔らかで、緊張続きで疲労の溜まった仲間たちを癒した事だろう。
美味い。しかし王は「今日だけの大盤振る舞いだ」と言っていた。勿論王室使えの料理人が毎食腕を振るうのだろうから、いくら料理が好きだからと希望した所で王妃が厨房に立つ事は叶わないだろう。
もしかしたら王室で備蓄してある食料はそう潤沢では無いのか?肉も野菜も小麦も、高々三十人前の一食分。だと言うのに、これだけの物を使った結果の大盤振る舞いだと言うなら、普段彼らもまた質素な暮らしを強いられて居るのかも知れない。あくまで推測の域を出ないが、不正を働く者の根が何処まで城の中に貼って居るのか、そちらも調べる必要がありそうだ。
「味はどうだね?」
食堂に弟と二人残ったオレたちに、王が問い掛けて来た。
「悪くない」
「それは結構。妻は北の街に住んでいた富豪の娘でね。両親は留守にしがちの家で、只管料理を作るのが趣味で、店まで出していた料理馬鹿……ンッんっ……料理好きでね。北の街を訪れた時に一目惚れして口説き落としたのさ。窮屈な生活をさせてしまっている。申し訳ないと思っているんだが、この件が終わったら、城の在り方を一から考え直し、彼女にも自由を与えてやらなければと思ったよ」
饒舌な王を横目に、黙々とパンを頬張る。【契約】を安定させるには中々腹が減る。常に気を張っているのだから当たり前だ。
「王よ、城の食料庫の管理は、信頼出来る者の仕事か?」
「……君は中々鋭いね。それでこそ、この発起を企てる確信を得るに至ったのだな。それも調査しよう。君の仲間を借りるよ。新たに食料品の購入履歴を探らせる」
「王妃に、夕食も好きにして良いと、伝えろ」
小さく、しかし確かに聞こえるように発した声に、王は顔を明るくさせて「分かったよ」と答えて食堂を後にした。
「こんなに美味しい食事は、僕らも収穫祭の時ぐらいだものね。こんな所で、こんな時にご馳走になるなんて、思っても見なかった」
嬉しそうに笑う弟に、今が非常事態である事も忘れそうだった。そうだな、と半ば曖昧に答え、背後に迫る獣の声に耳を塞いだ。
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