第1話チュートリアル①

『…現在、地上回線は使われておりません。恐れ入りますが、〝セコンド ストーリア〟でのご使用をお願い致します。…現在、地上回線は使われておりません。恐れ入りますが…』


空中にテレビ映像を映し出す、吸盤タイプの小型プロジェクターは、スノーノイズ砂嵐を映し出し、その言葉を延々と繰り返している。


この静かな空間にはその雑音と、時計の秒針が時を刻む僅かな音しか響いておらず、リビングにはただ一人、僕しか存在していない。


──家の前は大道路になっており、夕刻を過ぎたこの時刻には、いつもなら沢山の車が走行しており、落ち着きのないノイズが自然と耳に飛び込んでくるのだが、ここ数日、それが全く無い。


「検索コマンド、〝セコンド ストーリア〟への移住を完了させたユーザー数を検索」


ヘッドセットマイクを搭載した、片耳のワイヤレスイヤホンを耳に装着している僕は、

マイク部分を持ち上げ、小さく呟いた。


すると、音声認識、音声操作を可能とした、イヤホン型のインターフェースは、

『パッパッパッ』と、テンポの良い効果音と共に、内蔵された3Dホログラムプロジェクターで、検索結果であろうウェブぺージを立体化し、空中に重ねるように、何枚も映し出した。


『ピロリロリロリロ…』


先頭に表示されたウェブぺージが、忙しなく対象の数字をカウントしている。


「ユーザー登録数、89億9999万9957人…──1秒あたり、だいたい3、4人の増加ってとこか…」


「このペースだと、結構賭けだな…」


ウィンドウ上に表示された、ユーザーをカウントする数の増加に合わせ、僕はタイミングを図った。


『タッ、タッ、タッ、タッ、』


足首を上下に反復させ部屋のフローリングを単調に叩き、その音でリズムを取った。


「10…9…8…──


足のリズムに合わせ、僕はカウントを小声で刻み始めた。


目の前に表示された用済みのウィンドウ画面を、僕は右上に表示されたX閉じるのボタンをタップし、ホログラム化されたタブを全て閉じてやった。


「──5…4…3…2…1…


──…僕はカウントの終了を告げると共に、右手に握りしめていた〝生体スキャナー〟を上方へ勢いよく振り上げこう言った。


「IHBシステム起動!」


僕がその言葉を放つと、スキャナーの先端部分に着装された、小さなスタンダードレンズの奥から、赤いレーザーサイトのような鋭いハロゲンライトの光が、僕の体を纏うように降り注いだ。


人感センサーを搭載したそのスキャナーのハロゲンライトは、的確に僕の体を感知し、纏わり、密着するよう、ライトが放射され、事細かに僕の体をまさぐった。


『外観のフルスキャン及び、ユーザーのゲノムデータ、ブレイン脳内データ、コピー完了。』


『続いて3Dアバター生成、ユーザーデータ、ペースト完了。コピーデータは流出防止のため、即時完全削除します。』


淡々とユーザー登録の手続きを進めるナビゲーションシステムのアナウンスは、手に握るスキャナーから発せられているもので、僕はしばしば、そのスキャナーの多機能性に感心させられていた。


──『移住準備完了しました。』


その言葉がアナウンスされたすぐ後、僕の目の前に〝GO〟と書かれたタブが立ち上がった。


僕は躊躇うことなく、安易にそれをタップした。


すると、目の前に沢山の文字や記号の羅列でデータ化された、ユーザーの設定情報が川のようにスラスラと流れ込んできた。


『ユーザー名 雨目アマノメ リク


『年齢 17歳、性別 男性』


『基本言語設定、日本語及びカタカナ英語

──「いや、英文表記でOK」

『了解しました』


『ユーザー番号は、9,000,000,000』


(…狙いどうりか…)


──このアナウンスは誤送信を防止する為の、単なるダブルチェックであるのだが、僕は極限まで耳を凝らした。


──当たり前のことだ。


これから僕は──地球を…いや、現実世界を離れ、セコンド ストーリアという、新しい仮想世界へ移住し、新たなセカンドライフを送ることとなる。


つまりこれは、長い人生において今──

最も重要な岐路に巡り合っていると言っても過言ではない。


ここでもし誤送信を行えば、これから先の人生、間違った情報を植え付けられたまま、残りの長い人生を悶々と生きることとなってしまう。


──それだけは避けなくてはならない。


幾ら仮想世界であろうとも、これから先、

──死ぬまでの間は、その世界で生活する事になるのだから…。


僕は目を閉じ、貧血症状のようにクラクラと自分の体から意識が遠のいて行くのをまじまじと感じていた。


『ユーザーの意識を転送中…

──20%、60%、90%……完了』


100%を迎えると同時に、僕の意識は完全に飛び、膝を伸ばしたまま、その場に勢いよく倒れこんでしまった。


瞬間的に気絶した…。


──というよりは、酸欠発症時に味わう、独特の脱力感とめまいに包まれ、気を失い、敢え無くその場に倒れこんだ。


──と言う方が感覚としては合っていた。


僕の意識が自分の肉体からゆっくり剥がされ、離れて行くのをなんとなく見かけた気がする。


その瞬間、僕はなんとなく、きっとこれは死の感覚、なのではないかと錯覚した。


しかし、意識がコンピュータ上に転送されているだけであって、実際に死んだわけではない。


この状態をあえて言うのであれば、植物状態、という感じだ。


肉体は活動していないが、僕自身の意識──つまり思考はまだ活動しているのだ。


平たく言えば、今まで利用していた自分の肉体を、また別の肉体の依り代へ移す──ただそれだけである。


『行ってらっしゃいませ』


ナビゲーションシステムが杞憂のない声で僕を送り出すと、視界は完全に黒色に包まれた。


──これは目を閉じ、まぶたに眼球が覆われたが為に映しだされている黒色ではない様だった。


目の前には、両目を失明したのではないかと思うほど何も映らない。


──きっと視神経が絶たれ…いや、既に全神経系が絶たれたのではないだろうか。


〝これから異世界へ旅立つのだ〟──これはそれを知らせる為のシグナルなのではないか…

──僕は勝手にそう感じていた。


黒い画面が何秒が続くと、奥の方から白い光の粒が『ブクブク』と、泡のように噴き出してきた。


その泡の数は次第に多くなり、僕の視界を明るく照らした。


やがて僕の視界全体は泡の粒で埋め尽くされ、白く輝くその色で僕の視界は眩く装飾された。


すると、眩い画面の奥からキーボード入力されるように、


【Welcome to the second world!.】


と、右端から『カタカタ』と、文字が浮かび上がった。


どうやら神経系や、運動器官は働きを再開させらしく、胸のリズミカルな収縮・膨張運動の存在感を感じ取った。


呼吸ができ、まばたきができ、指が動く。

指先の血管が、ドクン、ドクン、と脈を打ち、血液を循環させているのを、はっきりと感じた。


『ログインを行います。片腕をこちらへ差し出してください。』


透き通った声のアナウンスが脳内に響いてくると共に、足元からバーコードリーダーのような赤いレーザー光線が、奥行きの限界が全く見えない、遠い天井目掛け差し込んだ。


僕がアナウンスの指示に従い、右腕を前へ差し伸ばすと、


『生体認証を行います。』


と、アナウンスされ、足元から伸びるレーザー光線が僕の右腕を走り回った。


【指紋認証OK】【静脈認証OK】【手形認証OK】


と、3つのOKが書かれた半透明のタブページが、空中に表示されると、レーザー光線は次第にその赤い輝きを失い、消えていってしまった。


『ユーザーの初期設定及び、移住手続きが完了しました。』


『それではセコンド ストーリアで送る、新たな生活を存分にお楽しみください。』


アナウンスが掛かると目の前に、


【I hope for a good life for you!!.】


と、キラキラと輝く文字で書かれた新たなタブページが、先ほどのタブページを上書きし、表示された。


『あなたの生活に、充実とゆとりがあらんことを…。』


最後の見送りの言葉が掛かると──


不意に足元から、黄色い発光体で構築された眩い光の矢印が現れた。


矢印は、僕から見て正面の方を指しており 、『ポワ…』と、安らかに点灯し、『スン…』と静かに消える。──という、大変穏やかな点滅をゆっくり繰り返していた。


足元の眩い矢印に誘導されるがまま、僕は歩みを進めた。


『スッスッスッ』


歩いてみて初めて感じたが、やはり現実世界とこの世界の感覚は若干異なる。


僕の足は紛れもなく存在しているはずなのに、なんとなくこの地面を本当に歩いているという気がしないのだ。


地を蹴る際の、足の重量感や微妙な疲労感が、なんだか柔く、軽く感じられる。


まるで宙を走っているような…、そんな感覚だ。


これが3Dアバターの感覚なのだろうか。


3Dアバター…──


そう、もう僕は人間じゃない、〝IHB〟という、新しい種の生物なのだ…。


哺乳類 霊長目 ヒト科 ヒト属の、Information Human Body 通称IHB──。


分類学において認められたその種の名前は、僕のようにコンピュータ上で、3Dアバターを利用し、データとして生き続けているヒトを指す言葉である。


つまりこれより──いや既に、人間という種は絶滅し、新たにIHBという種が栄えるのだ。


そんな事を考えつつ歩いていると、

僕の視界全体には、いつの間にか白いロイヤルな大門が聳え立っていた。


その門の高い位置に掲出された扁額には、

【Well, I'll begin a new life!!.】


──と、快活なアメコミ風フォントを匂わせる綴りで書かれた英文が、赤いウィンドウ上に表示されていた。


どうなら、僕達ユーザーが開くウィンドウの配色は青色で、サーバー管理者が予め設定した固定ウィンドウの配色は赤色。──と言う風に、ユーザーと運営ではっきり区別しているらしい。


この門を開ければ、新しい生活が待っている。


僕は門に両手を添え、ふっと体重をかけると──


『ギギギギギィィ…』

と、如何いかにもなSEをこの空間全体に響き渡らせた。


それと共に、両開き扉からは強い斥力が働くように、重そうな左右の開き戸は互いにゆっくりと遠ざかって行った。


その隙間から大量に漏れ出る神々こうごうたる眩い光は、僕を出迎えているようであった。


始まる、新しい生活が──。


僕は淡々と足を踏み出し、その門をくぐった。


一瞬にして体を覆い尽くすほどの巨大な光に包まれた僕は、反射的に目を背向けたが、

次第に眩い光に目が慣れ、霧が晴れるように光が消えて行き視界が露わになった。


少しぼやけた視界の中、真っ先に映り込んで来たのは一面の緑と青。


サラサラと風が靡くと、目の前をゆらゆらと赤色の葉やピンク色の吹雪が過ぎ去って行く。


後ろを振り返り見渡せば、一面に咲き誇る桜、向日葵、紅葉、梅──春夏秋冬を代表する風物が同じ1つの画面に収まっていた。


先ほど通った眩い空間や門は綺麗さっぱりそこから消え去っており、目の前には常軌を逸する程の華美な光景が平然とあった。


正面にある、壮大な草原の中を一直線に貫いた洋風な道は、如何いかにもファンタジー世界から取り寄せたような、非現実的なものだった。


──しかし、驚いた。


(…凄い再現度だ……。)


現実世界で着ていた、ラフでダボダボな紺色のパーカーに、朝起きてからずっと整えていなかった変な寝癖、さらには膝に薄く生えた産毛まで──。


道中の十字路に設置されている、カーブミラーに似た凸面鏡の付いたアンティークな街灯で、自分の顔を覗き込んで見れば、恐ろしい程に瓜二つ。


──眉に掛かるほどの少し長い黒髪の前髪に、落ち着いた頭頂部のストレートに反して不自然につむじから伸びるアホ毛。


決して眠たいわけではないが、眠たそうに虚ろな目をしている、垂れ下がった目つき。


そして、昔から刻み込まれている、左の前頭部の数針縫った縫合ほうごう跡。


──そこにあったのは、今まで散々見てきた顔つきだ。


完璧なフルスキャン──


中肉中背で平均的なこの体格ならまだしも、細かく、特殊的なこの容貌まで完全に再現している。


しかし、非現実的なこの世界で新しい生活を始めるのなら、いっそ元の自分の顔を離れ、ファンタジーアニメの主人公のような風貌を手に入れたいものであったが…。

──まぁいいか。


僕は道の果てにえる【始まりの街】を目指し、歩みを進めた。

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