第30話 深海

 透き通る髪のトンネルを光が走る。毛の根を束として部屋の隅々まで伸び、波のようなうねりを広げる。その場所は薄暗く静かで、中心にいる少女の規則正しい呼吸だけが時を淡々と刻み続ける。


 H-F系の覚醒者であるエフが、PVDOの運営に用いている能力は主に3つ。1つは、組織を統括する類稀なる知能。1つは、髪の毛を使ったウェブの超並行操作。1つは、言語を使った洗脳、記憶操作、脅迫。


 それら全てを1人でこなしているのだから休む暇などなく、司令室にて作業をしている間のエフの脳は、部分的に睡眠を取り、交代で活動している。つまり24時間働いている事になるが、他者とのネット上でのやりとりにおいては突然睡眠を取ったりする怠惰な態度に映る事もある。


「エフちゃん、起きてる?」

 エフの許可無く司令室に入れる人物はPVDOにただ1人。同じくC-L系覚醒者であるエルのみである。

「問題無い。話せ」

「襲撃はなんとか凌いだけど、誰が裏切り者か分かった?」

 田の参加したオフ会の会場には当然監視カメラがあり、その映像をエフが入手する事は容易い。当然、あらかじめハックして解像度を上げておき、襲撃現場にいた人物1人1人の表情を確認し、そこから誰が事前に襲撃を知っていたかを推し量る事も可能という訳だ。


「今回参加した28人の中に内通者はいなかった」

「あらそう、意外ね」

 エルの言葉は事実に対する単純な感想でもあり、「わざと自分をジーズに襲わせて容疑者から外れる手を使うだろう」というエフの予想が外れた事に対しての返事でもあった。


「オフ会の開催時にこちらの監視から逃れた人物が4人いる。その内の誰か、あるいは全員が内通者という事だ」

 会場のカメラから少女を戦線に投入するタイミングを測りつつ、PVDOに所属するメンター全員の行動を監視する。エフの能力を持ってすれば可能な事だった。

「たった4人? 全員攫っちゃう?」

 エルの不穏な提案にエフは間をおかずに答える。

「まだ泳がせる。名前を教えるからいつでも始末出来るようにしておけ」

「はいはーい」


 襲撃を阻止し、内通者の情報も入手した。だが同時に、メンター同士の交流を許すという事は、新たな反目を生む可能性もある事はもちろんエフも気づいている。PVDO側はメンターに対し、十分過ぎる金や場所を提供しており、そもそも能力を使った少女同士の対戦に対して興味を持っている者をヘッドハンティングしている為、メンター側に一見裏切るメリットなど無いように思える。しかし人間の欲望に際限などは無く、負ければ全てを失うというリスクもまた、人の正常な判断を狂わせる元になっている。エフにとって論理的な判断は容易いが共感は得意ではなく、その弱点をティーとジーは知った上で行動を選んでいる。


「いずれにせよ、まずは横浜を制圧する事だ」

「能力の組み合わせについては見当がついた?」

「『融合』+『生体移動』+『ドロー』でまず間違いないそうだ」

「そうだ?」


 誰からの伝聞なのかあえてエフは答えなかった。言わずとも、エルは数秒後に理解していたからだ。

「なるほど。これで負けられなくなったわね」

「奴らが人類を巻き込んでの全面戦争を望むのなら、私はそれでも構わないがな」

「またまたそんな事言って。こっちの世界、結構気に入ってるんでしょ?」


 エルのからかい半分の指摘にエフは否定も肯定も返さずに無言のまま視線を送った。四六時中インターネットに神経を接続しているエフは、この部屋から1歩も動かずに世界中を旅している。共感能力の乏しいエフといえど感情が無い訳ではなく、文化への接触はそれを僅かに起伏させる。


「無論、それは最終手段であり目的からは逸する。しかし言うまでもなく私達は…‥」

「勝たなくてはならない」2人が、というよりエル側が声を揃えた。


 表の世界にいるエル、エフ、学園にいるアイ。

 裏の世界にいるティー、ジー、どこかにいるダブル。


 この3対3の構図に変化はなく、少女とメンター、あるいはジーズと能力もその駒でしか無い。


「タムは?」

「特に動きは無いね。明日は予定通りに作戦決行という事でしょうね」

 表の世界の情報網を自由自在に操るエフでも、裏の世界までは感知出来ない為エルが必要となっている。

「分かった。あとは奴に任せよう」

「ええ、そうね」


 エルが部屋から出て行くと、エフは再び目をつぶって情報の海に潜るのだった。

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