第7話 私に触って(前編)

 ―――都内某所―――


 蛍光灯がついている。

 裏の世界において、電気はとても珍しい存在だと言える。関連する施設に人が1人もいない以上、発電も送電もストップされており、天気もずっと雲が空を覆い尽くしているので薄暗い。少女達中には『電体』という電気を発生させる能力を持つ者もいるが、それは数秒しか持たないので供給を維持するのには向いていない。PVDO側から持ち込まれるのもせいぜい無線やランタン用の小型バッテリーくらいで、「部屋の明かりがついている」というのはただそれだけで異様な光景とも言えた。


「私はただ、ヒメカちゃんと仲良く話をしたいだけなんだけどね」

 広さで言えば8畳ほどしかない部屋の中心に座った、いや座らされたヒメカに誰かがそう語りかける。

「魅力的な提案ね。それなら、まずはこれを外してもらえる?」

 ヒメカの両腕、両足は革製の拘束具でギチギチに縛られ、足首は椅子に縛り付けられていた。

「そうしてあげたいけど、今はまだ無理ね」

「あ、そう。じゃあ仲良くはなれないわ」

 部屋の隅で1人、壁によりかかった人物。背は高く、髪は短く無造作に跳ね、鼻筋の通った凛々しい表情もあって一見男性のようにも見える。髪が長く、前髪の揃った女の子らしいヒメカとは対照的な見た目だった。


 部屋には出入り口が一切ない。窓もない。天井に2本ある蛍光灯だけがこの部屋の光源だった。

「何でもいいけど、洗脳するならさっさとしたらいいんじゃないの。あんたと話してるの不快なんだけど」

 ヒメカがそう言うと、もう1人の人物が組んだ腕を解いて壁から離れ、ヒメカにゆっくりと近づいた。その目はじっとヒメカを見据えつつ、見透かしているようでもある。

 そっと指を伸ばし、ヒメカの顎に触れる。


 まずい、挑発しすぎた、と思うヒメカだったが、それを悟らせないように奥歯を噛み締めた。

「お近づきの印に、1つ、良い事を教えてあげようか」

 ヒメカが顎に触れた指を首で振り払い、鋭い眼光で睨みつけるように上を見る。

「……何よ?」

「確かに、私は相手に触れるだけで対象を好きなように出来る。『味方』の属性を付与してもいいし、『死』で殺してもいいし、精神を『黒』く塗りつぶして抜け殻だけにする事も出来る」

「今更になって覚醒者自慢?」

「だけどこの力はあくまでも『上書き』なのよ。この意味、分かる?」

 ヒメカが目を細める。

「つまり……あんたが欲しいのは私の能力って事?」

「いいえ、あなた自身よ」


 テトラシエンス、A―T系能力の覚醒者。触れた物に何らかの「属性」を付与し、それに従わせる。生物に触れれば殺す事も洗脳する事も自由自在であり、壁に触れれば開ける事も閉じる事も可能。電灯に触れれば永続的に明かりをつけ続ける事も出来る。だが、それらは彼女自身の言う通り「属性」の上書き。「味方」という属性を付与すれば、ヒメカの能力は失われる。


「どっちにしたって私はあんたなんかの味方になるつもりはない。諦めて洗脳するか殺すか好きにしなさいよ」

 ヒメカは5日前、自身の率いるメンバーと共に裏の世界に入った。その後3日かけて任務自体には成功したが、その後テトラシエンスこと覚醒者ティーの襲撃により、捕縛されて今に至る。仲間を逃す為ギリギリの判断であり、ヒメカ以外は無事にPVDO本部に戻る事が出来たが、ヒメカは次元結晶も奪われ、ペットの百足も殺され、身体も拘束され、こうして監視下に置かれている。


「どうしてもと言うならそうしても良いけど、その前に少し話しましょう」

「やだ」

「……例えば、メンターの話とか」


 一瞬、ヒメカの表情が強張った。その後「やだ」と再び拒絶を見せるヒメカに対しテトラシエンスは落ち着き払った態度で尋問とも世間話とも取れる話を続ける。

「あなたはメンターの事をどう思ってるの?」

 隙を突いてどうにか脱出出来ないか。あるいは自分の力だけで覚醒者を倒せないかと考える時間が欲しかった。どうにもならなそうなので挑発してみたが、会話を続ける事自体はそう悪くない。ティーの質問に対し、ヒメカは正直に答えるべきかどうか少し迷ったが答える。


「世界中でただ1人、大嫌いな人」

 嘘をついても仕方ない。ヒメカは自分自身の感情に声をあてる。

「ロマンチックね」

「いやそんなんじゃないから」

「いいわ。でもそれなら、私がその彼の為に『席』を用意すると言ったらどうする?」

「……はぁ?」


 ティーは再びヒメカの顎に触れる。ヒメカは一瞬身体に力を入れたが、今度は乱暴に振り払う事はせずにティーの言葉の続きを待つ。

「考えてみたら迷惑な話よね。ただの姉妹喧嘩に、メンターという役職を与えた一般人を巻き込んで、その上あなた達を預けて兵として育てさせるなんて」

 つつつ、とティーが指をヒメカの顔に這わせ、頬をなぞる。

「だけどこの喧嘩には負ける訳にはいかない。例え関係無い人間を70億人くらい殺してでも、そこだけは譲らない。私の言ってる意味、賢いヒメカちゃんになら分かるよね?」

 ティーはまるでピアノでも弾くかのように、5本の指でヒメカの輪郭を愛撫する。

「他の裏切り者にもそうやって誘ってる訳?」

「そうね、メンターが好きで好きで仕方ない子には有効な手かも」

「あんた人の話聞きなさいよ。私はあいつの事が……いや、もういいわ。何言っても無駄みたいだから」

 ティーの提案はシンプルだった。ヒメカが今ここで一言「裏切る」と誓えば、表の世界を滅ぼした後もヒメカとそのメンターだけは助けるという契約。もちろんこれはただの口約束でしか無いが、覚醒者を前にたった1人、生存の可能性も逆転の可能性も掴めずにいたヒメカにとっては光でもあった。網膜を刺激する、眩い希望。


「ヒメカちゃんも実は気づいてるんでしょ? 世界でたった1人嫌いな相手が、世界でたった1人愛している相手だって事。それ以外の人間なんてどうだっていいって事」


 ヒメカが何か反論を口にしようとしたその時、すぐ下から爆発音が聞こえた。2人が視線を合わせ、同時にその音の正体に気づく。ヒメカは言おうと思っていた事をやめて、

「お礼に私からも1つ、良い事教えてあげる」

 不敵な笑みを浮かべてこう告げる。

「エフが言ってたけど、覚醒者の中で1番倒しやすいのがあんただってさ」

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