第50話 ウラシマル
1001日目
目が覚めて、しばらく私はベッドで仰向けのままぼーっとしていました。声を出して誰かを呼ぼうかとも思ったんですが、声の出し方というのを忘れてしまっていたようで、やってみても掠れたような小さい声しか出せませんでした。腕や脚にも力が入らず、感覚自体はあるのですが思うようには動きません。
「タマルさん?」
ゆっくりぎこちなく首を動かして声のする方を向くと、そこに立っていたのはサトラでした。
「起きたんですね」
サトラは全然驚いた様子もなく、でも少し嬉しそうでした。私はこの時点では眠りに落ちてから500日以上も経っていた事なんて把握していませんでしたし、目の前にいるのがサトラだとも分かりませんでした。サトラは、成長していたのです。
分かったのは、サトラが私に近寄ってきて手を握ってくれた時でした。髪も背も伸びましたが、その控えめな微笑みや冷静さの中にある優しい眼差しは変わっていませんでした。
「ぁ……サ……サトラ?」
サトラは大きく頷き、「身体を起こしますか?」と気を使ってくれました。私も小さく頷くと、サトラは私の肩を持って起こし、腰にクッションを入れてくれました。自分の身体に重さを感じて、一体何日眠っていたのだろうと不思議に思いました。
「すぐに先生を呼んできます」
そう言ってサトラが出て行こうとした時、入れ替わりで誰かが保健室の出入り口に立っていました。
サトラ越しに私を見ると、その人物は手に持っていた小さな紙袋のような物をどさりと落としました。
「タマルさん……タマルさん? ……タマルさん!」
その人物は私に駆け寄ってきて、いきなり抱きついてきました。受け止めきれずに危うく倒れそうになると、変な姿勢でぴたっと止まりました。
ミカゲの発動。
C-23-M『ベクトル』
対象の物と同じ方向、同じ速さで移動する。
ベッドか何かを対象に発動して『ベクトル』を同期して固定したのが分かりました。この能力、この行動。間違いありません。
「ミカゲ?」
「そうです! 私です! 信じてました! タマルさんなら絶対に戻ってきてくれると信じてました!」
興奮した様子で私を何度も抱きしめ、頬ずりをして、勢いでキスまでされそうになりましたが私の困惑する様子に気づいたのか唇が触れる寸前で自重してくれました。
「良かった……! 本当に良かった……! タマルさんのままですよね? 覚醒者なんかになってないですよね?」
そう尋ねられて、何となくエスとの最後のやりとりを思い出し、自分のした選択も思い出しました。私は覚醒者にならず、仲良くなったエスを捨てる事によって脱出に成功しました。その選択は辛い物でしたが、戻ってこれた事は単純に喜ぶべきです。
ミカゲもサトラと同じく成長していました。切れ長の目に鋭い眼光。長くて黒い髪を後ろで1本に結わいていて、下半身の筋肉はむっちりと、十分に鍛えられてる事がスカートからちらりと見えるふとももで分かりました。
「なんか……落とした、けど……何?」
ミカゲが入ってきた時に落とした物が気になりました。
「ああ。オムツですよ」
「ぉ……オムツ?」
「タマルさんが寝ている間は私がお世話していたので」
仕方ない事です。それは分かっています。眠っている間も代謝は行われていた訳で、栄養は点滴で済ませていたとしても、大きい方も小さい方も垂れ流しという訳にはいきません。むしろ、わざわざ処理してくれていた事には感謝を示すべきです。
ただ私にも、恥ずかしい、という感情はあります。
「タマルさん」
ミカゲが急に思いつめたような表情になり、私を見据えました。
「もうすぐサトラが先生を連れてきます。きっとあのタチの悪いユウヒや面倒見おばけのミルトも連れてきます。そうなればずっと質問攻めです。2人きりでいられる瞬間は、今、ここしかありません」
「……うん?」
「神に誓って言います。私はずっと我慢してきました。タマルさんの身体を拭いたり、下のお世話をしつつ、いつでも出来た事を自制心だけで我慢してきたのです。でも、こうして動いているタマルさんを見た瞬間にいよいよそれが限界を超えました。申し訳ありません。襲わせていただきます」
するとミカゲは私の肩を掴んで抱き寄せると、本格的に唇を奪いにきました。目の前で展開する狂気に頭はついていきませんでしたが、身体は反応しました。
タマルの発動。
H-14-V『フリ-ズ』
視界にいる対象の生物1体の動きを2秒間停止する。
ミカゲの動きが止まりました。それはたったの2秒でしたが、私の能力がまだ使えた事を証明し、ついでに貞操を守ってくれました。
「ちょ、ちょっと! 一体何をやっているんですの!?」
続いて入ってきたのは噂のユウヒです。全速力できたらしく、軽く息が切れています。ユウヒも成長はしてましたがすぐに分かりました。口調や眼鏡のおかげもありますが、何よりサトラやミカゲと違って体型が全く変わっていなかったのです。
「め、目にゴミがついてたから取ろうとしただけだ」
バツが悪そうに古典的な言い訳をするミカゲは本当にくやしそうでした。もしも唇を許していたら、それ以上の事をされていたような気がしてなりません。
「前科のあるあなたを信じるはずが無いでしょう」
「前科はないと何度も言ってるだろう。……未遂だ」
「未遂でも前科は前科です」
「それを言うなら人の日記を勝手に見たお前らは……」
私をないがしろにして口論を始める2人。変わってないな、と思うと同時に、ひょっとして私の事などどうでも良いのではないか、という疑念も湧いてきました。
その時ふと、保健室にある鏡が目に入りました。見慣れない人物がそこに映っていたのです。室内には今、私とミカゲとユウヒしかいません。その人物の髪は真っ白で、真っ赤な瞳でこちらを見て驚いていました。
一体誰なのか。ミカゲに尋ねようとすると、その人物も鏡に映ったミカゲに何かを尋ねようとしていました。
え? 私?
驚きのあまり悲鳴をあげました。約1年半で最も変わっていたのは他の誰でもなく私だったのです。
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