第45話 懺悔

729日目


 とうとうこの日が来てしまった。タマルが倒れてから約9ヶ月。1度も意識を取り戻す事はなく、タマルはずっと静かに眠り続けている。私はそんなタマルと別れの挨拶をかわせないまま、明日卒業する。


 タマルの師匠である私カリスと、友人であるミカゲ、ユウヒ、サトラ、下級生のイツカで書いてきたこの交換日記も、今日で一旦終了という事になる。他の4人は続けたいと言っていたのだが、先生からストップがかかった。タマルの事を思うあまり、4人の、特にミカゲの訓練に支障が出てきているのが理由だ。


 「忘れろとまでは言わないが、こちらから打つ手が無い以上、気にかけたって仕方がない」と言った先生にミカゲは殴りかかった。先週自室で1週間の謹慎処分を受けた訳だが、ユウヒの弁護によってどうにか留年にはならずに済んだ。しかし日記を書く事は禁止されてしまった。


 私はまだ、タマルが戻って来る事を信じている。卒業した後は任務に向かう事になるが、また会えるまで私は生き残り続ける。私に出来る事はそれくらいだ。


 メンターにこの交換日記を届けるべきかどうかは少し悩んだが、届ける事にした。私達は今日までタマルの代わりに日記を書いてきたし、最後までタマルの代わりを務めるのが道理だろう。この日記を受け取って読んでいる時点では、メンターはおそらく混乱しているだろうし、心配なはずだ。私達がいくらタマルの帰還を信じても、9ヶ月の不在期間を埋める物にはなれないと思う。


 だけど分かって欲しいのは、タマルが眠っている間も、私達の間にタマルは常にいたという事。学園での暮らしの中で、この交換日記を回す中で、そこにはタマルの人格が、考え方が、想いが確かにあった。それがこの日記の中から読み取ってもらえれば書いた甲斐もあったという物だ。


 ではまた、いつかどこかで。勝手ながら私にとってのメンターは、タマルのメンターであるあなただった。


 最後にミカゲがどうしても告白したい事があるというので続きを任す。私達には知られたくないが、あなたには伝えたい事があるらしい。




 ミカゲです。

 9ヶ月間、交換日記を書いてきて、どうしても書けなかった事が1つだけあります。先輩や同級生には知られたありませんが、タマルさんのメンターである田様には伝えておきたいのです。いえ、これはただの懺悔です。


 あれは1年生の時、学園に来てから半年が経ったくらいの頃。私にとってタマルさんは神でした。今もです。メンターから性的な虐待を受けていた事は以前にも書きましたが、タマルさんは私の傷を癒してくれました。


「一緒に泣いてもいい?」

 私が今までに受けた陵辱を打ち明けた時、タマルさんは真剣な顔で私に尋ねました。私は狼狽えて、否定とも肯定とも取れない返事をすると、タマルさんは我慢しきれなくなった様子で、私の前でぽろぽろと涙を零し始めました。


 気づけば私も同じく泣いていました。私達はPVDOによって作られたクローンで、共通の肉体と共通の心を持ちます。ですが私のそれらは、傷つき歪んで他とは違っていました。ベッドの上に座ってタマルさんと肩を寄せ合いながら泣いていると、少しずつ私の形がタマルさんの形に嵌っていくような気がしました。タマルさんは、タマルさんにしか出来ない方法で私を受け入れてくれたのです。


 恥ずかしい事ですが、告白します。真嶋の手によって刻まれたのは心の傷だけではありません。学園に来てからというもの、私の下腹部は毎晩疼いていました。皮膚の1枚裏側に、消えないタトゥーを彫られたかのような、普通の子なら決してしないような行為を、私は夜中、布団にくるまりながら、声を殺して行っていました。


 日中、学園の一生徒として授業や訓練に参加している時は平気なのです。でも夜が落ちて独りになると、堪えきれない衝動が、消したい過去を掘り起こします。真嶋は私の身体をおもちゃのように弄んで、そして飽きて捨てました。最後に、「今は俺の事が嫌いだろうが、経験上半分は戻って来る。お前はどっちだろうな?」と私に呪いをかけました。それに抗えば抗う程、身体の火照りは激しさを増しました。


 ある日、ある夜、ある瞬間、私の中で何かが弾けました。それは理性と呼べる命綱だったのかもしれませんし、猛獣の入った檻の鍵だったのかもしれません。気づくと私はタマルさんの部屋の前に立っていて、聞こえるかきこえないかの小さな音でノックをしていました。


 タマルと同室のサトラが出て来たら、大人しく自分の部屋に戻ろう。そう考えていた記憶があります。ですが、タマルさんが出たらどうするかは決めていませんでした。だからタマルさんが出て来た時、私は何も言えずにただ突っ立っていました。

「どうしたの?」

 私の通常ではない様子を察したのか、タマルさんは顔だけ扉から出して周囲を見渡すと、「入って」と言って私を部屋に招き入れました。


 サトラはよく眠っているようでした。無意識にそれを見て安心したのを覚えています。タマルさんは私をベッドに座らせて、「お話しようか。小さい声で」と無邪気に笑っていました。机には書きかけの日記があり、そこにある僅かな明かりが私にとっての太陽でした。タマルさんの匂いの染み付いたシーツの上にいると、許されない物が溢れてくる感覚がしました。


 私はその後、自分の身体に起きている事を少しずつ少しずつ、タマルさんに嫌われないように薄めて伝えました。タマルさんはただ黙って頷き、握った手を強く握り返してくれました。そして私は一瞬の内に振り切れました。


「タマルさん。私の事は好きですか?」

「う、うん。好きだよ」

 私は聞いてしまったその言葉を離そうと必死に首を振りました。

「そうではなく、私をそういう対象として見てくれるかと聞いているんです」

「対象って……」

 タマルさんはサトラの方をちらりと見ました。私が少し大きな声を出したからかもしれません。

「ミカゲ、とにかく落ち着いて。サトラが起きちゃうから」

 私はより力を込めて、タマルさんの手を握ります。

「私は、私はただ……」

「ミカゲ、や、やめ……」


 次の瞬間には、私はタマルさんをベッドに押し倒していました。そして唇を重ねて、タマルさんの言葉を遮りました。それは私が私のメンターにされた事の中で、1番酷くない物でしたが、1番明確に記憶に残っている物でした。


 至近距離で目を合わせながら、私は舌をタマルさんの口に入れようとしました。タマルさんはそれに抗って、私を突き放します。


「待って」

 荒くなった息が少しずつ落ち着いてきました。くすぐるような明かりの下で見るタマルさんの表情はかわいらしくも妖艶でいて、その指示にはあと数秒も従えそうもありませんでした。解ける理性で崩れそうになる私に、タマルさんはこう言いました。


「ここで私がミカゲの事を受け入れると、ミカゲが傷つく。そんな気がする」

「私は元々、傷だらけです」


 私の強弁に、タマルさんは深く息を吐くと、少し間を置いて、諦めた様子で言いました。


「……分かった。それなら、私をミカゲと同じ形に傷つけて」


 私はほとんど反射的に身体を起こしていました。次には私自身が今した事を信じられませんでした。私は、私がされて嫌だった事を、他の誰でもなくタマルさんにしようとしたのです。棘のついた後悔が私の身体をきつく縛りました。それは傷口を抉り、痛みで動けなくなりました。


 結局その日、私はそれ以上何も言えず、何も出来ずに自分の部屋に戻りました。この事をタマルさんが日記に書いたかどうかは分かりませんが、最初に言った通りこれは私の懺悔です。他の4人には絶対知られたくありませんでしたが、メンターである田様には伝える義務があると思いました。


 タマルさんが起きたら、あの時のことをもう1度きちんと謝ります。








 読んじゃいましたわ。ユウヒより。


 私も読みました。イツカより。

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