第34話 レジー

 今日という日をどうにか生き残る事が出来て、こうして日記を書ける事を幸せに思います。


 前回の日記の終わりで死ぬかもしれないと書いたのは、冗談でもなく、構って欲しかった訳でもなく、単なる可能性を提示しただけに過ぎないという事は最初に言っておきます。命あるものはいつか死にますから、そういう意味では毎日が死ぬかもしれない日々なのですが、特に今日はその可能性が高い日だったという事です。


 私にそんな覚悟をさせたのは、他ならぬ学園長からの呼び出しでした。

 以前に学園長室で恥辱を味わわされてから、単独での呼び出しは半年以上ぶりです。その間割と平和に過ごせていたので、もう忘れてくれたと思っていたのですが、良かれと思ってやっているオプションの調査が裏目に出ました。


 記録を持って訓練場に来るように言われ、私は従わざるを得ませんでした。訓練場までの足取りは重く、気を抜けば立ち止まってその場にしゃがみこんでしまいそうでした。それでも私に逃げ場は無いですから、もし前回以上の辱めを受けそうになるならば死のう、そう決めて1歩1歩を踏みしめました。


「やあやあ待ってたよ。あれぇ? 浮かない顔だねえ。なんか嫌な事でもあった?」

 原因が嬉しそうに尋ねてきました。私の表情はますます曇りました。

「そんなに嫌な顔しないでよ。今日はちょっとタマルちゃんがしている調査について聞きたいだけだから。逃げ出したり逆らったら犯すかもしれないけど」

 自然な流れでさらりと恐ろしい事を言われました。そんな人が聞きたいだけ、と言ったって信用出来るはずがありません。


 ですが、少しだけ安心できる要素もありました。訓練場には私と学園長の他にもう1人、先輩がいたのです。


「この子知ってるよね? でも面識はないか」

「確か、レジー先輩ですよね?」

「そう。よく名前覚えてたね」


 以前、『ナイトライダー』という新しい能力を学園長が発表した時に、学園長に注射を打たれて能力を使っていた方です。能力の固定化をせずに学園に在籍する唯一の先輩であり、ずっと3年生としてこの学園にいるそうです。


「レジーはこの学園の1期生で、もう丸6年もここにいる。ってのは知ってた?」

 実は知っていました。今まで日記に書かなかったのは、情報源が週刊ユウヒだったので、信頼性にいまいち欠けると思ったからです。それに、「レジー先輩は学園長の性奴隷」だとか「常にいやらしいおもちゃを身体に取り付けられている」だとか飛びっきりゲスい噂も同時にそれと流してきたので、書くのが憚られた為でもあります。


「あ、性奴隷って噂も本当。毎日たっぷりかわいがってる」

 本当でしたので一応書きました。学園長は私の目の前でレジーの頬にキスします。気の毒に思えましたが、レジー先輩の表情は変わりません。私は目を背けて、毅然と言いました。


「噂が本当だったからといって私は特に何とも思いません。もう帰っても良いですか?」

「それじゃあ、レジーが喋れないってのも知ってる?」

「……知りません」

 確かに喋っている所を見た事がありませんでした。帰りたいという私の願いは答える必要もなく却下されたようです。

「人の話を耳で聞いて理解する事は出来るけど、自分で喋ったり文字を書いたりする機能をレジーは失っている」

 これはユウヒでも知らなかった情報のはずです。もちろんユウヒのように言いふらすつもりもありませんが、その後続いた言葉があまりにも不気味だった為、メンターにだけはこうしてお伝えしておきます。


「何故こうなったと思う?」

「……分かりません」

 学園長はレジー先輩の顔にかかった髪をそっと撫でるように整えました。

「覚醒に『失敗』したから」

 レジー先輩の光のない目が僅かに動き、無表情のまま学園長を見ました。


「さあ、ここで新しい能力の発表よ!」

 え!? おそらくこれを読んでいるメンターと同じく、私の頭の中に巨大な感嘆符が浮かびました。

 学園長はどこからともなく注射器を取り出すと、流れるような動作で、レジー先輩の腕に打ち込みます。何故このタイミングにしたのか。何故急に学園長のテンションが上がったのか。訳も分からぬまま事態は進行します。


 レジーの発動。

 A-33-I『シフトカリバー』

 持ち主の体重と重さを入れ替える事が出来る剣を召喚する。


 出現したのは長さ1mくらいの大きな剣でした。レジー先輩はそれを軽々と片手で持っています。これまたいつの間にか学園長が出したはかりに剣を乗せると、表示された重さは僅か100g。大きさに対してはありえない軽さです。発泡スチロールかスポンジで出来ているとしか思えません。


「タマルちゃん、ほら持ってみて」

 渡されると、いかつい見た目と冗談みたいな軽さのギャップに持った手が変な感じになりました。

「柄の裏側部分にスイッチがついているでしょう。押してみて」

 言われるがままスイッチを押すと、身体が下に引っ張られました。急激に重くなったのです。床に剣先が叩きつけられ、金属音が鳴り響くと、反射的に私は剣から手を離してしまいました。すると私の身体が、ふわりと宙に浮かびます。重力から解き放たれたかのような感覚。剣が重くなった代わりに、私が軽くなっていのたです。


「ちょ、ちょっとこれ……」

 空気の抜けた風船のようにゆっくりと床に降りる私を見て、学園長がにやにやしていました。

「その剣は持ち主の体重と重さを入れ替えられるの。つまり今の剣の重さは大体45kg程度で、あなたの体重は100g。ダイエット成功ね。おめでとうタマルちゃん」


 体重を入れ替える剣。これまた珍妙なアイテムだと思いましたが、使いこなせばかなり強力な事も分かりました。試合においては、振りかぶる時まで軽く、相手の頭に振り下ろす瞬間に体重の重さを乗せれば致命的な一撃を与えられそうですし、自分の体重を軽くする事によって回避にも使えるかもしれません。軽い剣のまま扱うというのもありですし、『劣化分身』や『用心棒』との組み合わせなども面白いかもしれません。


 ……いやいや、新能力は確かに衝撃的でしたが、その直前の発言を忘れた訳ではありません。

「覚醒の『失敗』ってどういう事なんですか?」

 学園長は一瞬でまた真面目モードに戻りました。この全く脈絡の無い感情の起伏が学園長の性格なのかもしれません。

「ある日を境にレジーは昏睡状態に陥った。それから約半年の間眠り続けて、起きた時にはこうなっていた。もちろん覚醒者にはなれていない。固定化する予定だった能力と一緒に言葉も失った。それだけの事よ」

 それだけの事がどれだけの事か。


「『ヒール』や『金継』では治せないんですか?」

 治せたらとっくにそうしているはずなので、私の質問はほとんど無意味な物です。学園長は首を横に振りました。

「タマルちゃんはこの事を知っておいて方がいいかもしれない。そう思って今日は呼び出したのよ」

「……それは一体、どういう意味ですか?」

「それがオプションの調査記録? ちょっと貸して」

 呼び出しておいて質問には答えない斬新なスタイルは正直少し腹が立ちますが、かといって深く突っ込んでも代わりに何かを要求されたり不快な思いにさせられそうで躊躇します。


「なるほど、よく纏まっている。特にこの習得コストの概念はグッドね。きっと役に立つでしょう。本当に色んな子が協力してるのね。タマルちゃんの人望があっての事だと思うわ」

 学園長は一体どのタイミングでそうなったのか、すっかり毒気を抜かれたように言いました。さっきまで犯すとか性奴隷とか言っていた人と同一人物とは思えません。


「ありがとう」

 そして調査記録を私に返し、レジー先輩を連れて訓練場から出て行きました。


 こうして私の貞操は守られ、追加能力が紹介され、新たな謎を投げつけられた所で今日の呼び出しは終わりました。もう呼び出されたくはありませんが、学園長が私に何を言いたかったのかは気になる所でもあります。

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