第58話 相対的
「固定化する能力は決まりましたか?」
エルさんとエレベーターに乗るとそう聞かれた。俺は「2つまで絞れたんですが、そこからはまだです」と正直に答えた。悪逆非道の管理人エフと違って、エルさんには良識も胸もあるし、あの時だってエルさんが止めてくれなかったら俺は死んでいた。エルさんもPVDO側の人である事は間違いないというかその物とも言えるが、少なからず恩義を感じている。そういう手口だと言われればそれまでだが。
「これからタマルと会う時にどちらかを選んでもらおうと思っています」
今日は出発の日だ。最後に10分だけ対面して、選んだ能力を伝えてそれで終わりだとエルさんからは聞いている。だがその前に、1つだけきちんと確認しておきたい事がある。
「サロンの先輩から学園に通うのは1ヶ月だけだと聞いたんですが、以前3年だってエルさんは言ってましたよね? どっちが正しいんですか?」
エレベーターは上昇しているが、階を示すランプは一向に変わらない。
「聞きたい事があるのなら、先にエフの所に寄って行きま」
「いやいいです」俺は食い気味に遮る。「エルさんの知っている範囲で良いので質問に答えてもらえるとありがたいです」
あんな奴の前に出るのは2度とごめんだ。その点に関して俺の意思は固い。
「そうです? ではお答えしましょう。私の能力の1つ空間生成は、その空間の性質を変化させる事も能力の一部に含みます」
エルさんはCーL系能力の覚醒者であり、CーL系能力はそもそも現実離れした異常な空間に戦闘エリアを変更する。一面氷だったり、台風の目の中だったり、どんどん狭くなったり。だからこれからタマルが通う学園とやらも、エルさんが生成した空間の中にあるというのはあらかじめ聞いていた。
「特殊相対性理論はご存知ですか?」
また難しい単語をぶつけられて、頭痛によって俺が死ぬと思ったら大間違いだ。俺は高校生の時に「チンパンジーでも分かる相対性理論」というタイトルのコンビニ新書を読破したインテリなので、ちょっとは知っている。
「あれですよね。あの、宇宙船が光速に近づけば近づくほどその中で流れる時間が遅くなって、地上の時計とズレるみたいな。あ、猿の惑星がなんかそういう話ですよね」
「うふふ、簡単に言えばそうですね。速く移動している物ほど時の流れは遅くなる。必然的に、宇宙で暮らす人と地上で暮らす人では過ごす時間にズレが生じる」
そこまで来て俺は思いついた。
「つまり、学園がある空間をエルさんの能力によって加速させる、と言う訳ですね?」
思わずかしこっぷりを見せてしまい、俺はキメ顔でエルさんの方を見る。
「うふふ、逆です」
逆だった。
「それだと少女達が3年過ごしている間にこちらでは何十年何百年と経ってしまいますから」
あ、そりゃそうか。という事は、
「減速させています。地球の速度よりももっと遅く、完全に停止しない程度まで」
「……地球の自転とか公転の速度よりもって事ですか」
「ええ、それも含めて、宇宙空間において移動していない物というのはありませんから、私の生成した空間でそれを行えば1ヶ月を3年にする事が出来ます」
結局頭痛がしてきた。いや言ってる理屈は分からなくはない。難しい単語が出る訳でもなし、ややこしい計算が出る訳でもなし。ただ、現時点で我々が移動しているという実感が全く無いから脳が理解を拒んでいる。
「この世のほとんどの物は相対的な物です。とにかく、私の能力によって生成された空間では私がルールですから、安心して預けて下さい。精神と時の部屋みたいな物だと思って」
よし、全て理解した。エルさんを信じよう。俺からすれば1ヶ月、タマルからすれば3年。これで浅見先輩との食い違いは解決だ。
「それより、田様はあの交換条件を飲んでも大丈夫だったんですか?」
エルさんの問いに俺は「全然大丈夫じゃないです」と答えたかったが、弱音を吐くのはもうやめた。
「サキちゃんを助けるにはそれしか無いですからね」
「うふふ、格好良いですね。私のおっぱい揉みますか?」
とエルさんは言ってない。いや言ってほしいけど。
「他に何か聞きたい事はありますか?」
「いえ、もう大丈夫です」冷静。
「ではそろそろ着きましょう」
エレベーターが止まった。表示は2階だがアテにはならない。事実、前に来た時はシアターだった空間が、2人で対面して座る取調室みたいな場所に変わっている。部屋の中は椅子と机と時計以外に何もない。生成された空間においてはエルさんがルール。それは紛れもない事実なようだ。
エルさんは「もうすぐタマルちゃんが来ますから、ちょっと待って下さいね」と言い残して出て行った。俺は手に持っていた袋を机の上に置き、椅子に座る。
タマルと会うのは実に4日ぶりになる。たった4日の別れとは思えない程に焦がれている俺がいる。時間をかけて、事態を飲み込めば飲み込む程に自分のした決断の愚かさと、タマルのした決断の尊さがはっきりと分かった。
タマルと再会した時の第一声はもう決めている。
「ごめんなさい」
俺よりも早くタマルがそう言った。
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