第56話 橋本
3度目の来店となる、例の個室ハンバーガー屋。今日は前の2回とは違って、俺の方から橋本を誘った。少し話そう、とだけ書いた短いメールだったが、橋本は俺より早く店に来ていた。
「最近もお前と一緒に来たよな? ここ。その時って俺ら何話したっけ?」
もしかしたら、という俺の淡い期待は物の見事に打ち砕かれた。橋本はすっかり忘れてしまっている。PVDOの事も、サロンの事も、能力の事も、戦略の事も、あんなに大事にしていたサキちゃんの事も。
俺は顔の引きつりを抑えながら、適当にはぐらかす。あの極悪非道の管理人エフは、くれぐれも元メンターである橋本にPVDOの情報を伝えるなと俺に釘を刺した。例え俺が1からPVDOの説明をしても、エフの手というか言葉によって記憶処理された橋本が思い出す事は無いらしいが、それでも社会を無闇に混乱に陥れるのは避けたいという意向だ。本部の事や裏の世界の事を低ランクのメンターに伝えるのも同じく、パニックを出来る限り回避する為だと言う。
「最近ちょっとおかしな事があるんだ。早寝している訳でもないのに、夜中に何やってつか覚えてない。給料が上がった訳でもなのに生活費の分貯金が増えてたり。あ、引かないでくれよ。別に病気とかじゃないと思うんだけど、なんかこう……」
言い淀む橋本に、俺はただただ頷く事しか出来なかった。
整合性の合わない部分は、時間の経過と共に慣れていき、違和感も薄れていく。いつかはそれらも全て無くなり、綺麗さっぱり元の生活に戻る。それが幸福な事なのかどうかは、俺には判断が出来ない。
それに、橋本の事も別に全くの他人事という訳じゃない。タマルは俺の元を離れたが、俺にはまだ能力の在庫があるし、今度はサキちゃんを守るという使命もある。
「……ごめんな」
「え?」
気付くと俺は謝罪していた。橋本からあれだけ真剣に頼まれたにも関わらず、1度はサキちゃんを見捨てる決意をした自分と、全てを忘れてしまった橋本に申し訳が立たなかったのだ。PVDOの情報を漏らせば、何をされるか分からない。また呼吸を止められて、今度こそ殺されるかもしれない。
それでも俺は耐えきれなかった。
俺は自分のスマホを取り出し、その中にある1枚の写真を見せた。最初の自由時間で撮った、スイーツを食べるタマルの写真だ。タマルもサキちゃんも顔は一緒だし、何かを思い出してくれる可能性に賭けた。
「何だこの子。いやかわいいけどさ。お前の子供か?」
それは橋本の冗談だったが、俺は少しも笑えなかった。
「美味そうに食ってんな。てか誰? 姪とか?」
俺は黙ったまま写真を見せ続ける。思い出せ橋本。必死になって戦ったメンターとしての日々と、サロンで過ごしたあの時間を。そう念じながら見せ続ける。
俺の纏う異様な雰囲気を察知したのか、橋本も急に神妙な面持ちになる。
「……お前、ついにやっちまったのか?」
いやちげーわ!! 何で親友を思いやった結果俺がロリコンの犯罪者という事になるんだ。どこでボタンを掛け違えた。俺はスマホを仕舞って泣きそうになる。
……分かったよ橋本。守る。俺が守るよサキちゃんの事は。今度こそ約束する。
幸いな事に、サキちゃんは橋本の事をきちんと覚えている。橋本に見せてもらったアニメの事も、全部ちゃんと覚えている。橋本には伝えられないが、俺は心の中で何度も繰り返す。
そして今俺が普通に呼吸出来ているという事は、とりあえず今した俺の行いは、エフの逆鱗にはギリギリで触れなかったようだ。だが、口で説明すればきっと次はない。俺も橋本と同じ道を辿るか、あるいはもっと最悪の結末を迎える事になる。
それから俺と橋本は、学生時代の事だとか、最近読んだ漫画の話だとか、他愛のない事を話して過ごした。途中で酒も入ったが、俺は23時までには帰る。やらなきゃいけない事があるとだけ橋本には言った。
帰り道、1人考えるのはタマルの事だ。
タマルが初めて俺の家に来てからつい昨日まで、俺はタマルの事を俺がいなければ何も出来ない少女だと思っていた。自分の意思はなく、ただただ忠実にこちらの指示を守って戦う女の子。悪い言い方をすれば、着せ替え人形みたいなもんだ。タマルの人格を尊重し、せめて戦い以外の時間は楽しんでもらえるべく努力すると口では言いながら、その実タマルの無防備さに依存していた。
だからタマルを手放さなければサキちゃんを救えないという選択肢が出た時、俺はタマルの意思なんて少しも考えなかった。タマルが食べかけのパフェを置いて目の前から去るまで、そこには少しの疑いもなかった。
だけど現実は違う。タマルは1人の人間であり、1人の少女だった。俺は真嶋のように弱くはない。過ちは潔く認めよう。
だからタマルの取った選択を尊重する。次に会うのがいつになるのかは分からないが、
その時は心を込めて謝ろうと思う。
最後の仕事。
真剣に考えなくちゃならない。固定化された能力は途中で変更が効かない。戦いが終わるその日までタマルが生き残れるように最高の組み合わせをプレゼントする。
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