第52話 頭痛
シアターから出ると、俺は再びエレベーターに乗せられた。妙なのは、スクリーンから見て右の入り口から入ってきたのに、左の出口から出てすぐの所に同じエレベーターがあった事だ。2台あるにしても距離が近すぎる。そもそもロビー、廊下、エレベーター、シアターとここまで1回も曲がり角を曲がっていないから、脳内で地図を作ってみると、ここは物凄く横に長い建物という事になる。あ、違う。エレベーターで1回方向が逆向きに変わってるから、シアターがロビーの上に位置してるのか。あれ? じゃあこの2個目のエレベーターが廊下の上を貫通している事になる。駄目だ。分からん。
そんな事を考えている内に、エレベーターは全3階建ての1番上についた。あれ、そもそもシアターの天井の高さから考えると、2階だけがやたらと高く作られた建物という事になる。……もういいや。考えるのはよそう。
「つきましたよ」
案内人エルさんの屈託のない微笑が俺を不安にさせる。
「あの、今度はどこへ連れて行かれるのでしょうか?」
「管理人の部屋ですよ」
その単語を聞いて、俺はここに来た最大の理由を思い出した。交渉だ。橋本とサキちゃんを救う為、どうにかならないかという交渉を管理人にしに来たのだ。次元がどうとか世界がどうとかおっぱいがどうとかですっかり言い出す機会を失っていたが、決してないがしろにしていた訳じゃない。
エレベーターが開くと、今度は廊下も何もなく、いきなり1つの部屋が目の前に現れた。
そこはかなり異質な部屋だった。シアターやロビーなどはまだ、海外の高級ホテルとか金持ちの屋敷とかに内装が似ていたので馴染みはないが違和感も無かった。だが、この部屋は壁から天井まで床以外の全ての面が小さなコネクターの差込口にびっしりと囲まれている。数えるのすら脳が拒否する量。そして部屋の中心部には、やはりというか何というか少女が座っていた。
机などはなく、リクライニングシートのような物に全体重を預けてやや斜めに仰向けになっている。歯医者の椅子みたいな角度だ。その少女の髪の1本1本が、天井や壁のコネクターに接続されている。とにかく四方八方に少女の髪が広がっていて、部屋の広さが正確に分からないのだが、少なくとも歩き回る事は出来なさそうだ。
「エフ、起きて」
エルさんがそう声をかけると、部屋の中心にいる少女がゆっくりと目を開けた。差込口に接続された大量の髪の毛が気になって気づかなかったが、エフと呼ばれた少女はエルさんよりも遥かに幼い感じだった。というかむしろタマルより幼くなってる。髪と同じく濃い金色の目をしていて、透き通るように白い肌も相待ってこの世の者ではない雰囲気は5割増しだ。
「おはよう」
第一声だった。この状態でも普通に挨拶するんだ、と逆に意表を突かれる。
「おはよう。こちらはメンターの田さん。こちらは『管理人』のエフ」
エルさんに紹介されて、俺はどうしていいか分からず軽くお辞儀をする。
「先に答える。交渉は受け入れるけどあなたにも交換条件を飲んでもらう」
え? いや、まだ何も言っていないんだが。だが今確かに「受け入れる」と言った。問題は解決したって事か? こんなにあっさり? 管理人エフは続ける。
「あなたがここに来た理由は知っている。メンター橋本啓介が指導する少女の保護を希望しているのだろう。それを我々は受け入れる。ただし代わりの条件がある。了承するかはあなた次第。その条件は……」
「ま、待ってくれ。全然追いついてない。説明してくれないか。出来れば1から」
ひたすら事実を突きつけてくるそのトークスタイルに、若干の恐怖を感じた俺の要求。妥当なはずだ。
管理人エフが俺を見下している。Z軸で言えば俺より低い位置にいるのだが、寝たまま眼だけを動かして俺を見てるのとその無表情さからして確かにそう感じる。
「1度しか説明しないからちゃんと聞きなさい」
エフは抑揚の少ない声で淡々と語る。
「私は『管理人』エフ。あなたの隣にいるのは『案内人』エル。それぞれ、H-F系とC-L系能力の『覚醒者』」
か、覚醒? ここに来てまた新たな要素をぶっ込むのか。
「『覚醒者』というのは便宜上の定義。正確には能力同士の組成により偶発的に現れた特異な状態を内包したオリジナルにより近い個体。12の能力系統はそれぞれ人類の機能的可能性を極限まで形象化しており、普段PVDOにおいて提供している個々の能力は言わばそれらの残滓に過ぎない。『覚醒者』はその内の1つの系統に専従し、超越的技能の顕性に成功した者。あるいは将来的にする者」
うおおお、頭が割れる。難しい言葉を聞き過ぎて吐きそうだ。そんな俺の病状を察してか、「……簡単に言うとすごくつよい少女」と表現を砕いてくれたが、これはこれで馬鹿にされている気がする。
「H-F系の覚醒者である私の能力は、千里眼、並列接続、脳支配、情報構築」
物騒な単語も混じっているが、今の俺に分かるのはとにかく他の少女とは一味違ってヤバいって事だけだ。
「私のこの髪の毛は全てインターネットに接続されて絶えず電子の世界にアクセスし続けている。そこであなたのようなメンター候補を見つけてスカウトしているのも私。チャットを設けてやりとりしているのも私。去っていくメンターの記憶を消しているのも私。つまりPVDOの管理をしているのが私」
という事は何か。チャットで管理人と名乗ったあの日から、俺はこの子の髪の毛の1本と喋っていたという訳か。適当にあしらわれたり無視されたりしたのも相手はただの髪の毛だったのか?
変な虚無感に襲われる俺を置いて、エフは続ける。
「本来、少女の管理は私の仕事ではない。だが、少女を管理する者とは事前に話し合っている。もう1度言おう。お前の交渉を受け入れてやる代わりに、こちらの条件を飲め」
なんだか分からないが事態は好転しているらしい。
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