第45話 AとB

 「今日は楽しかったです。メンター」

 戦闘エリアへと転送される数秒前、タマルが俺にそう言った。

「え? ああ、そうか。ありがとう」

 それは不意に出た言葉だったが、確かに感謝しなくちゃならないのは俺の方だ。


 ほんの少しだが、タマルが俺を見て笑ってくれた気がした。

 あと1秒で、この女の子は殺し合いに向かう。そう思うとなんだか急にセンチメンタルな気分になった。痛い事も悔しい思いも、タマルはきっと俺の数倍数十倍と経験しているだろう。悲しい事に、所詮俺はモニターの前で応援しているだけだ。


 あれ、なんか涙が……。

 というかまずい、この感じ、もしや負ける前兆か?


 急にこんな切ない別れ方して勝てる気がしない。


 10回戦第2試合、開始。


 決着。

 タマルの勝利。


 一瞬理解が追いつかなかったがすぐに思い出した。あ、これ相手が降りたんだ。

 久々の事で、勝ったという喜びが全然追いついてこない。周回遅れしている。だがこのパターンは間違いなく、1試合目で相手の所持能力が底を尽きたか、能力を付与せずに棄権したかのどちらかだ。


 勝った。うん、勝った。


 あれ? という事は俺はランク9。

 ランク9の報酬って何だったっけ?


 ドサっという音が玄関からして、俺は立ち上がった。扉を開けると、そこに札束が転がっていた。


「あ、1億だ」


 生涯で1度でもこんな台詞を吐く事があるとは夢にも思わなかった。1億が来て、それを見て、「あ、1億だ」と独り言を呟く奴なんてこの世にいたんだなと感心する。まだ喜びが追いついてこない。2周くらい遅れてる。


 その後、俺は今日手に入れた能力をリストに加えて何度か見直した後、風呂入って歯ブラシして寝た。


 次の日の朝。その辺に転がっていた1億を見て、「ああ、夢じゃなかったんだな」とは思ったが、別に喜びは湧いて来なかった。


 客観的に見ると、こいつ能力バトルのやり過ぎで頭がイカれたのかと思われるかもしれないが、本気で金の事なんてどうでもいいのだ。1億は確かに凄い。かなり良いグレードのマンションが買えるし、桃鉄ならきしめん屋も10件買える。でも、今となってはそんな物より能力1つの方が価値があると心の底から言える。


 初めてサロンで顔合わせした時、浅見先輩が億持ってる癖に全然その事を気にも留めて無かった時の事を思い出す。きっとこういう心境だったのだろう。もしも今、あの頃の俺が今の俺の前に突然現れたら、札束を見て騒ぐ昔の俺を見て、1億くらいでガタガタうるせえな、と思うだろう。そんな事より大事な事があるだろう、と。


 1勝から不戦勝でスムーズに2タテというのは純粋に嬉しいが、今日は休みなのでタマルには会えない。勝った場合でも10分は自由に会わせてくれたらいいのにと思う。それだけでも1億なんかよりよっぽど価値がある。


 1億もらった翌日の朝にこんなにテンション低い奴いんのか? と頭のどこかで思いながらも、ボケーっとした顔を引き締める為に顔を洗う。それにしても1000万の時は何回かに分けて銀行に預けたが、1億もあると一体何回行き来しなくちゃいけないのかと考えて更に億劫になる。面倒くさい。もう邪魔まである。何周も遅れた喜びがコースを逆走し始めた。


 まあとりあえず1億はその辺に置いておくとして、着替えだけ済まして俺はサロンに入った。朝なのに浅見先輩がソファーでくつろいでいるのは珍しい。


「おはようございます」

「おう、おはよう」


 今日の機嫌はなかなか良し。昨日も勝ったという事は、俺と浅見先輩のランク差は縮まらず、という所か。一旦はランク7まで落としてもこれで10に戻した訳だ。やはり実力はある方なんだろう。


 特に話す事も無いので、ノートPCで昨日の動画を再チェックしようかと思った時、浅見先輩の方から話しかけられた。


「勝ってるな」

「え? ええ、まあ、はい」

 また何か嫌味を言われるか、あるいは調子に乗るなと釘を刺されるかだと思ったので、浅見先輩が次に続けた言葉には驚いた。

「認めてやるよ。お前はメンターに向いてる」


 どういう風の吹き回しだ、と疑いつつ浅見先輩を見たが、表情は至って真面目だった。


「こんだけ勝ちが積もるのはもう偶然じゃねえ。向いてんだ、お前は」

 今まで散々な言われようだっただけに、素直には受け入れられない。嬉しいというかくすぐったいというか、なんだか妙な気分だ。


「PVDOの得意なお前に、1つ相談がある」

 しかも相談と来たもんだ。能力の組み合わせの相談か? まあ、なんだ、聞くだけ聞いてやろうじゃないか。答えるかは知らんけどさ。


「AとBという選択肢がある」

 うん。

「Aを選ぶと今まで通り、俺達メンターの能力ストックが無くならない限りは、あいつらが死ぬ事はない」

 ここで言うあいつらとは少女達の事だろう。それと厳密に言えば、戦って負けた時は少女達は一旦死んでいるが、その度生き返って記憶も意識も引き継いでいるって事な? 続けてくれたまえ?

「Bを選ぶと、以降本当の意味で死ぬ可能性が出てくるが、逆に俺達が持ってる能力を全部無くしても死ななくなる」

 ……うん? つまりそれは、仮に俺がここから怒涛の如く負け続けたとしてもタマルの無事は確保されるという状況か。ただしそれとは関係なく、死ぬ可能性が出てくると。本当の意味で。


「どっちを選ぶ?」

 いや、さっぱり分からない。急に実力を認められたもんだから、戦闘に関してのアドバイスかと思いきや哲学か何かの話か、これは。

「ついでに言うと、Aを選んだ場合は若干俺達の死ぬ可能性が上がる」

「お、俺達? それって俺と浅見先輩って事ですか?」

「橋本や雨宮も含めての俺達だ」


 ますます論理が飛躍した。

「もっと詳しく状況を教えてくれないとなんとも……。そもそもBを選んだ場合に少女の死ぬ可能性がどれくらい上がるのかと、Aを選んだ場合に俺達の死ぬ可能性がどれくらい上がるのかが分からないと……」


「もういいわ。お前に相談したのが間違いだった」


 何それ。勝手に認められて勝手に相談してきて勝手に失望された。

 本当に何故こんな人の下であんなに良い子が育ったんだろうかと、ユウヒちゃんの事を思い出す。

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