第26話 ランク30の男

 あまりの超展開に脳の処理が追いつかず、餌を待つ鯉のように口をパクパクしている俺に対して、タマルの後ろから出てきた男は言い放った。

「あ、君か。新しく入った人って。なんか、なんだっけ、変な苗字の」

「で、田です」

「ああそうだ。田だ。変な苗字だ」

 言われ慣れてはいるが、秒速1回ペースで言われたのは流石に初めてだった。男は素っ裸のタマルに繋がった鎖をぐいっと引っ張って、何か書類のような物を手渡した。状況から見ておそらく倉庫から出してきたものだが、そんな事はどうでもいい。


「タ、タマル……だよな?」

 顏、体格、雰囲気。服を着ていない事を除けば完全にタマルだったが、その1点の違いだけで疑うには足りた。

「タマル……ああ、君は奴隷に名前つけてるのか。安心してくれ。これは君のじゃなくて僕の持ち物だ」

「ど、奴隷?」

「ランクは?」


 チェックのシャツに垢抜けない眼鏡という地味な見た目と違って、男の態度は堂々としていた。タマル、じゃない奴隷と呼ぶ少女に対しても何ら気を使ってる様子はなく、少女が男の命令で酷い格好をさせられてるのが説明されなくても分かった。


「ランクを聞いたんだが?」

「よ、4、じゃなかった、3です」

 負けて下がったのを思い出して訂正した。男の嘲りを含んだ笑顔を俺は見逃さなかった。

「まだまだ初心者って感じだな。僕は真嶋忠志。サロン『テセウスの船』のリーダーだ。よろしく頼むよ」

「よ、よろしく、お、お願いします」

 今日俺ずっと吃ってる。だがようやく状況に理解が追いついてきた。


 真嶋忠志。その名前は、リーダーボードで見た事がある。俺も全部の名前を覚えている訳ではないが、かなり上の方にいたのですぐに思い出せた。

「あの確か、ランク29の……」

「まあ今日で30に上がったけどね」

 その言い方には若干の自慢というかマウンティング的なニュアンスが含まれていたが、事実なのだろうし俺からは特に何も言えない。俺はランク4程度で調子こいて3に下がった愚か者で、目の前のこの人はいつからやってるのかは分からないが30マッチくらい勝ち越している人間だ。


「ところであの、この子に一体何を……」

 あまり見るのもかわいそうに思えてきて、なるべく視線が向かないように指で少女の方を指した。目のやり場に困るとはまさにこの事だ。

「別に何って訳じゃない。ペットの代わりにして遊んでるだけだよ。マスターの命令はどんな物でも絶対服従。それがPVDOのルールってだけ」


 一体どうやって戦闘エリアから外に連れ出してるのかとか、少女がこの異常な状況をどう思ってるのかとか、色々と気になる所はあるが、これだけははっきり言える。

 真嶋忠志。こいつは最低な奴だ。


 自然に湧き出た俺の感情が表情から伝わったのか、真嶋は続ける。

「軽蔑するのも、本当は内心羨ましがるのも勝手だが、僕は自分の権利を使ってるに過ぎないからな。PVDOでは勝たなければ価値はない。それは君も僕も同じだ」

「でも、この子がかわいそうじゃないですか?」

「思うのは自由だと今言ったはずだが?」

 ランクは遥か上、しかもサロンのリーダー。俺には何も出来ない。


「まあ、僕はもうここにあまり出入りしてないし、今日もランク30に上がったから必要な物が出来て、それをたまたま取りに来ただけの事。頻繁に会う訳じゃないからそう気にしなくていい。ここは自由に使いなよ」

 浅見先輩や雨宮先輩があまりリーダーについて語らない理由が分かった。

「まあそんな低ランク帯で負けてるようじゃ2度と会う事もないだろうけど」

 語らない理由、はっきり分かった。


 その後、真嶋は少女に先を行かせてサロンから出て行った。

 残された俺は打ち震えていた。それが挑発されて呼び起こされた怒りなのか、自分でも今まで意識してなかった正義感なのか、真嶋に飼われる身となったあの少女への同情なのか、一体何なのかは分からなかった。それでも握った拳は一向に解けず、いっそ衝動に任せてこれを奴の顔面にぶつけておいた方が良かったとさえ思えて来た。


 しばらくそんな状態でいると、浅見先輩がやって来た。今日は勝ったらしく上機嫌、だが俺の表情を見てすぐに察した。

「奴に会ったか?」

 俺は頷く。奴というのが真嶋を指しているのは明確だ。

「最低な奴だと思ったか?」

 再び頷く。

「なら勝て。お前のランクが奴と同じくらいに上がったらここを抜けて、マッチすればいい。何度も何度も勝てば能力が足りなくなったあいつをPVDOから追い出せる。シンプルだろ?」


 浅見先輩の言葉は俺に投げかける形を取っていたが、その実自分自身がしようとしている事を表明しているようでもあった。浅見先輩は酒を用意し、指定席に座る。


「前はな、奴もちょっとオタクなだけの普通の奴だった。でもPVDOの本部に通うようになって、どんどんつけ上がっていった。本部で何をしてるのかは知らねえが、これだけは言える。俺はそうはならねえ」

 鍵を前に浅見先輩が悩んでいた理由が分かったが、悪いけど、今の俺にとってはどうでもいい。

 言われた通り、やれる事はたった1つ。

 勝つ事だ。

 タマルは決してあんな目に合わせない。PVDOに処分させもしない。その為に、やれる限りの事を全力でやろう。

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