第16話 金の話

 敗北後、20分ほど猫の画像を眺めて精神を癒した俺は、クローゼットの扉を開けてサロンに入った。

「田、どうした? 負けたか?」

「負けただろ、お前」

「あ、負けたみたいだねぇ」

 橋本、浅見先輩、雨宮先輩の3人にほぼ同時に言われた。


 そこまで俺って顔に出やすいのだろうか。平静を取り戻す為の20分間は一体何だったんだと脱力して、そのままソファーに倒れこむように座ると、浅見先輩が酒を持ってきてくれた。


「人生勝ったり負けたりだ。1敗くらいでクヨクヨすんな」

 昨日とは打って変わった優しい態度。

「今日エイジン勝ってんの。分かりやすいよねー」

 そういう事か。野球ファンみたいだな。


 俺は酒の入ったグラスを受取り、かろうじて言った。

「……浅見先輩の言ってた『最強』とあたって負けました」

 ぶっ、と浅見先輩が酒を吹き出す。声に出して笑いながらテーブルを拭いている。


「お前どんだけツイてないんだ」

 今さっき自分でも嘆いた。

「組み合わせ7億通りだぞ。いきなり当たるかね」

 それも自分で思った。

「かわいそ〜」

 雨宮先輩のトドメの一撃。


「まあ7億って言っても、片方だけなら2万7000だし、相手のメンターだって強い組み合わせを作ってくるのは当たり前だ。こういう事もあるさ」

 そう言って慰めてくれた橋本だけが唯一俺の救いだ。


「しかもまたCーG系引きました」

「ぶはは。もう出てけお前。不運が移る」

「何か呪われてんじゃない? お祓い行ったらぁ?」

 全自動俺煽り装置と化した2人。今度ばかりは助け舟橋本号も港から出航しないようだ。


「どっちも当たっちまったもんは仕方ねえ。悪い事は言わねえから明日は棄権しとけ」

「そうしな〜」


 確かに先輩方2人の言う通り、棄権が無難なんだろう。勝って得る事もないが、負けて失う事もない。ランクはまた2に下がってしまうが、ランクが下がってもサロンを追い出される事はないというのは昨日確認したし、ここは大人しく温存に回るか。


「そういえば、ランクアップの特典って皆さんどこまで知ってるんですか?」

 浅見先輩が答えた。

「俺が知ってるのは今俺がいる10までだな。リーダーならもっと知ってるが、教えてくれるとは限らねえ」


 昨日一昨日に引き続き、何故かここに姿を現さないサロンリーダーの存在も気になったが、それ以上に気になるのは目先の事だ。


「ちなみにランク4の特典は何なんです?」

「1000万」


 ガチコン! 驚きすぎて膝をテーブルで思いっきり打った。折れたかもしれない。感覚がない。いや、そんな事よりも、

「1000万!? 1000万って、あの1000万ですか!?」


「あのってのが何なのか分からんが、日本円で1000万だ。全部現金」


 俺の労働約3年分、うまい棒100万本、1円玉が1000万個。何でだよ札で渡せ。牛丼で言ったら何杯だ。分からん。東京ドーム何杯分だ。分からん。

 いちじゅうひゃくせん1000万か!?


「そんなに驚く事か? 顎外れそうだぞ」

 そりゃ驚くだろう。浅見先輩や雨宮先輩はまだ知り合って間もないし、得体も金銭感覚を知らないからまだ良いとしても、橋本は俺と年収もそんなに変わらないし、部活の帰りに肉まんを奢ったり奢られたりした仲だ。なんで真っ先に言わないんだ。

狼狽する俺に、その橋本が決定的な事を言う。


「100万もらっただろ?」

 え? 何? 何マン?

「初めて女の子……お前はタマルって名前つけたんだっけ? あの子が来た時に、一緒に100万も配られただろ。メンターの給料みたいなもんだよ。それの額が上がるだけだ」

 待って、聞いてない。マジで聞いてない。

 声に出さずとも俺がそう言っている事は目で分かったようだ。


「あー多分クローゼットの中だな。俺の時も勝手に置かれてた」

「時間ないからねぇ-、最初は特に」


 俺の脳細胞が全力でタマル初登場の瞬間を思い出す。確かあの時は、目の前に突然現れた少女があまりにも現実味なさ過ぎて幻覚だと思い込んだ。それでメンターの権利を放棄しかけた。だから色々説明の手順が吹っ飛んだ。クローゼットの中? そんな所ちゃんと見ないよ。


 ん? クローゼットの中?


 俺は勢いよく振り向く。一昨日、サロンの承認と同時に現れたこのバーにより俺のクローゼットの中身は消滅していた。浅見先輩の言う通り、説明なしでクローゼットの中に100万が置かれていたとなると、導き出される答えは必然、


「消えたな」

「消えたねぇ-」

「ドンマイ」


 オ゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛……自分でも聞いた事のない言葉にならない叫びをあげながら、俺はうずくまった。体育座りの姿勢で目をカッと見開きながらゴロゴロと転がった。ドン引きされているのは分かるが抑えられない。


 知らない間に100万失った男を見た事あるか?

 無いか。そうか、じゃあ存分に見ていけ。俺だ。


「PVDOはやけに金払いは良いんだよ。というか、金なんてどうとでもなると解釈した方が良いかな。まあ実際能力の方が価値あると思うしね。100万や1000万よりも」

 橋本は慰めてくれているんだろうが、壊死しつつある俺の心には届かない。


「うだうだうるせえ奴だな。ランク4で1000万だって言ってんだから勝ちゃいいだろ勝ちゃ。ちなみにランク9で1億もらえるからな」

 いちおく!?

 また飛び起きる。今度は急に腰を捻り過ぎてピキった。心も体もボロボロだ。


「え、て事はランク10の浅見先輩は1億持ってるんですか?」

「持ってるよ。そりゃそうだろ。つかランク維持すれば毎月もらえるから今2億ちょっとある」

 億万長者じゃねえか。ふざけんなよ。何故か分からんがそう思った。ふざけんなよ。つか確定申告どうすんだよ。まじでふざけんなよ。財源は何なんだ。ふざけすぎだろ。


「まあ負けたら没収だがな」

 ん? さりげなくまた初出情報。

「負けたらってか能力のストックが無くなったらねぇ。PVDOの記憶も、銀行に入れたお金も、得た金で買った物やした事も、全部いっしょに無くなっちゃう。ぜろっ!」


 勝ち続けなくちゃ意味がない。勝てない者に価値はない。


「だから金なんてただの数字だし、俺達にはもっと気にしなくちゃいけない数字がある」


 勝たねば。

 3回戦。0勝1敗。対戦相手、能力被り、気づかず消滅した100万と不運続きだが……それでもなお、諦めるにはまだ早い。

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