自殺島 ⑤
この島に、確かに病院はあった。
島の病院だからと言って決して小さく、そしてボロいわけではない。ちゃんと医療機器が揃った大きな病院だった。
真穂が手術室に運ばれてから既に三十分は経っただろうか。手術中の赤いランプは今も消えることがない。幸いにも患者が一人としておらず、すぐに手術を行うことができたのだ。
俺は手術が終了するまで、ずっと待合室の長椅子に腰掛けて、祈るように手を握っていた。
そんな俺を見てか、横から声を掛けてくる者がいた。
「......きっと大丈夫だよ。あの
「......分かってるさ、春香」
横にいるのは春香だ。俺が初めて出会った島民の一人である。生きていたことに嬉しさはあったのだが、それよりも今は真穂のことがずっと心配だ。
腹部に刺さった刃物は、かなり深く刺さっていた。俺を庇ったせいで、真穂は傷を負うことになってしまった......。
拳を強く握り、悔しさを押し殺す。
「頼む......助かってくれ......!」
そのとき、春香が「あっ」と声を漏らす。
思わず顔を上げると、手術中のランプが消えていた。
少し間を空けてから手術室の扉が開き、中から、医師がマスクを外しながら出てくる。
俺は立ち上がって、訊く。
「真穂は、どうなりました」
「そのことですがーー」
一瞬、医師の表情に残念だという色が出て焦ったが、すぐにニッコリと笑って、不安な俺を安心させるように言った。
「安心してください。一命は取り留めましたよ」
「あ......ありがとうございます!!」
俺は思わず泣いていた。
真穂が生きていてくれて、良かったーー。
♢ ♢ ♢
外は、もう夕陽が水平線に沈む頃だった。
白い病室の白いベットで、真穂は静かに寝ている。俺は片時も離れることはなく、ずっと真穂のそばで見守っていた。
今日、俺はこの島にいることになるだろう。いや今日と言わず、真穂が元気になるまではここに残っていよう。
ーーそして、一緒に島から出るんだ。
病室の扉が静かに開けられる。
真穂の寝息以外音が無かったので、小さな音にも敏感に反応してしまう。
開けた扉から入ってきたのは、春香だった。
静かに扉を閉めて、スリッパの足音に気をつけながらこちらに来る。
そして空いていた椅子に静かに腰掛ける。
「春香か......。ひなはどうした?」
「さっき待合室でお母さんが迎えに来てたよ。それで、どう?一回は起きた?」
「いや。まだ起きない」
「そう......あのさ、ごめんね。生きてること黙ってて」
「気にしないでいいよ。生きていたんだったらそれでいいさ」
そう。生きていてくれるなら、それで。
春香は「そっか」と呟いて、二人に気まずい雰囲気が流れる。春香が自殺を演じていたとき、施設から出ていたんだろうか。それともあの部屋の中で息を殺して潜んでいたんだろうか。
仮に部屋の中にいた場合、俺の放った言葉は全部聞いていたことだろう。あまりの悔しさに自分を傷つけていた俺のことを。
そのとき春香は何を思っていたのか、それは今の「ごめんね」の中にほとんど詰まっているのだろうか。
春香は両腿にのせた手を、何度か組み替えている。気まずい空気を紛らわせようという表れだろうか。
このまま黙っているのも良いのかもしれないが、俺は春香に聞きたいことがある。
「......春香。春香はさ、あの施設で何回過ごしてきたんだ?」
「そんなの、もう覚えてないよ」
「そ、そっか......。正直、どう思ってた」
「......それはもう、やりたくなかった」
「そうか」と俺の言葉で会話は終了する。
何か話さないと、と思うたびにかえって言葉が出てこないのはどうしてだろう。
春香には聞きたいことがまだあるはずなのに、中々思い浮かばない。
そんなとき、恥ずかしそうに、春香は俺に訊いた。
「......私が幽夜に残したメッセージ、覚えてる?」
「え、ああ。あの『ごめんね、ありがとう』ってやつか」
「......うん。もうちょっと分かりやすく書いたら良かったんだけどね、指揮官が怖くて......」
「仕方ないさ。あの男に恐れるのも無理はないからな」
「それでね。あのメッセージで私が本当に言いたかったのは、『隠しててごめんね。私を助けてくれてありがとう』ってことなの。今までの監視員は全然会話なんてしてくれなかったし、私が自殺を演じたときなんて『可愛かったのに、残念だな』なんて言う奴もいた。
でも、幽夜は話しかけてくれた。自殺を演じたときも私のことを思ってくれてたんだって......今すぐに監禁部屋から出て嘘だよって言いたかった......!!」
春香は自分を責めるように声を震わせていた。
俺は何も言うことができなかった。
やはり、島民は皆、指揮官である佐藤に怯えながら生活していたんだ。
島が自殺に解放されても、今度は口封じを恐れた生活に引きずり戻された。
島民に自由なんて無かったーー。
「......私、最低だよ。幽夜と話すのが楽しくていっぱい話して、でもそのせいで幽夜は傷ついて......」
泣き出しそうな春香をすかさずフォローする。
「確かにあのときは春香が生きてるなんて知らなかったから精神的に傷はついたけどさ、そのおかげで誰かを守りたいって本当に思えたんだ。春香には感謝してる。
それに、俺は元気だから、今は春香が生きているだけで俺は嬉しい。それでいいじゃん」
笑顔で春香を見る。
俺の慰めによって、春香は思わず涙を流した。今まで溜め込んでいた苦痛や後悔に解放されて、それが涙となって溢れ出したんだろう。
両手で顔を覆い、肩を震わせた。
「女の子泣かせるなんて、駄目な男ね」
突然のツッコミに俺は声のした方を向いた。
いつの間にか真穂は目を開けて、呆れたような目で俺を見ていた。
「真穂、目を覚ましたのか!!」
「さっき目を覚ましたのよ......。丁度二人が話し始めたところからね。空気を壊さないように寝ているフリも大変だったのよ」
「良かった......。本当に良かった......!!俺のせいでこんなことになって本当に申し訳ない......!!」
ベットのシーツから出した腕を曲げて、冗談っぽく自分の耳を塞いでから一言。
「病院だからあんま大きい声出さないで。それに、幽夜に死んでもらったら困るのよ。
約束したでしょ?一緒に島から出ようって」
「そう、だけどさ。俺のせいでーー」
「その言葉はもう使わないで。私は幽夜に助けられたんだから、せめてもの恩返しをしただけよ。......まあ死んじゃってたらなんて考えると、馬鹿なことしたなあって思うけどね」
俺から視線を外し、天井を見つめる。
ふうっと息を漏らすと、過去を思い出すように目を細めた。
「ほんと、長かったなあ」
「長かった......?」
「この島での生活よ。何にもないこの島で変な呪いに縛られて、自由が無い生活で、よく生きてこれたと思うよ」
「そうだな。二人ともほんと頑張ってたよ。俺もよりもしっかりしてるし、俺よりも色んな辛いことを体験してる。ほんと、尊敬しないとな」
真穂は少し恥ずかしそうに視線だけそっぽを向いていた。「そんなことは......」と春香が言ったので、きっと真穂と同じように照れていたんだと思う。
ーーそうだ。これは良いことを思いついた。
「あのさ、島から出たら俺が色んなところ紹介してあげるよ。この島じゃ食べれないような物とかさ、遊園地とかさ。もちろん春香も一緒にどうかな?」
「え、わ、私も?」
「うん。どうかな、真穂」
「ふふ、良いんじゃない?春香ちゃんも一緒に島から出ようよ。幽夜なら信頼できるんじゃない?」
視線をぐるりと回して少し考えたそぶりを見せたあと、春香は快く頷いた。
「うん。幽夜なら信頼できるよ。その、ゆユウエンチ......?とか言うのもどんなのか楽しみだな」
「良かったあ。私もさ、幽夜が住んでた場所の事、もっと知りたい」
「ああ、任せておけって。絶対に楽しいからさ!」
この島に、遊園地なんてものは存在しない。公園ならあるのかもしれないが、果たして二人を遊園地に連れて行った時、どんな反応をするのか楽しみだ。
ひなも連れて行けば良いのだろうが、幼すぎる。勝手に連れて行くわけにもいかない。
この二人も俺と同い年位だが、そこは大丈夫だろうか。言い出したものの、了承を得ないといけない。
話し込んでいるうちに夕陽は完全に沈み、暗闇が島を支配していた。ポツリポツリと見える街頭にも懐かしく感じていると、肩に何かが寄りかかった。
見ると、疲れからか、春香が俺の肩に頭を預けて眠っていた。
もしかして、眠るのを我慢して俺たちと話していたのだろうか。
「お疲れ様。ありがとな、春香」
「......それ、私が寝ちゃった時も言ってくれるの?」
「な、何だ。言ってほしいのか?」
「嘘よ。なんだか眠くなっちゃった」
口に手を当てて、一つ欠伸する。
俺にとってはまだ眠たい時間ではないが、睡眠を邪魔するわけにはいかない。
春香の頭に気をつけながらゆっくりと椅子から腰を浮かせて、俺の椅子を含めて簡易的なベットを作る。
そこに春香を横にしてから病室の余ったベットからシーツを持ってきて、それを春香の体に被せる。
寝返りで落ちないか心配だが、そこは俺が見守っていれば良いだろう。
椅子を貸した俺は、手近なベットに腰掛ける。
目をつむった真穂から寝息のようなものは聞こえない。恐らく俺の行動を観察してる?
だからと言って腹の探り合いをする気はないので、俺は純粋に行動する。
腰掛けたばかりのベットから立ち上がって、真穂のベット横に屈む。慣れない手つきで真穂の頭を軽く撫でる。
施設の中と今の状況はどこか違うので緊張してしまう。
多分それは真穂も同じだったんだと思う。寝ているつもりでも、俺にも分かるくらいに顔が赤くなっていた。
「早く元気になってな。それまでずっといてやるから」
そのまま部屋の電気を消して、俺はベットに入った。
ただ、どうしても眠れず結局朝方まで起きていた。
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